第7話 すれ違いの一週間
付箋で「怒っていない」と伝えた翌日から、茜はむしろ以前より陸を避けるようになった。怒っているからではない。河川敷で「忘れられなかった」と口にしてしまい、自分の気持ちがほとんど伝わってしまったことが恥ずかしくて、陸の顔をまともに見られなくなったのだ。
教室でも目を合わせず、弁当も置かれなくなった。朝の挨拶さえ、うつむいたまま小さく頷くだけになった。
「あいつ、桜庭さんと喧嘩でもしたのか?」
友人の悠人にからかわれても、陸は何も言い返せなかった。
実行委員の作業でも、茜は必要最低限の会話しかしなくなった。
「ここ、こうした方がいいんじゃ」
「別に、好きにすれば」
以前のような衝突すらなく、ただ淡々とした距離感だけが二人の間に横たわっていた。それが逆に、陸には一番こたえた。
教室での距離だけでなく、下校時間もずらされるようになった。陸が着替えを終えて昇降口に向かうと、いつも茜の姿はもうそこになかった。そんな日が三日、四日と続くうちに、陸の中で焦りにも似た感情が膨らんでいった。
委員会の作業も、以前は隣り合って進めていたのに、今では茜が一人で黙々とこなすようになっていた。手伝おうとしても、「大丈夫だから」と静かに拒まれる。その静けさが、怒鳴られるよりもよほど堪えた。
「なあ、俺、何か悪いことしたか」
思い切って尋ねても、茜は目を合わせずに答えるだけだった。
「別に、なにも」
それ以上追及することもできず、陸は毎日、もどかしい気持ちを抱えたまま教室で過ごしていた。
月島ひまりが、そんな陸を心配して声をかけてきた。
「桜庭さんと何かあった?」
「いや、別に......」
曖昧に濁す陸に、ひまりは苦笑した。
「相楽くんって、鈍感なようで実は分かってるでしょ。桜庭さん、ずっと相楽くんのこと見てるよ。前から」
その一言が、陸の胸に重く残った。
「見てるって、どういう意味で」
陸が思わず聞き返すと、ひまりは肩をすくめた。
「そのままの意味だよ。転入初日から、相楽くんの席が近いかどうか、すごく気にしてた。私が数学教えてって言った時も、露骨に機嫌悪くしてたの、気づいてなかった?」
思い返せば、心当たりが多すぎた。
「じゃあ、なんで今は避けられてるんだと思う」
陸が尋ねると、ひまりは少し考えてから答えた。
「多分だけど......好きって気持ちがバレそうになって、逃げてるんじゃない? 女子って、そういうところあるから」
その分析が正しいかどうかは分からなかったが、妙に納得できるものがあった。
その夜、陸は勇気を出して茜に電話をかけた。何度目かのコール音の後、ようやく繋がる。
「......なに」
抑揚のない声だった。
「文化祭の準備、明日でラストスパートだろ。ちゃんと来いよ」
当たり障りのない用件しか言えなかった自分に、電話を切った後、陸は自己嫌悪した。本当は、もっと違うことを言いたかったはずなのに。
受話器の向こうで、茜は電話を切った後、しばらく画面を見つめていた。
「なんで、素直に言えないんだろ......」
誰にも聞かれていないはずのその呟きは、次の日、思わぬ形で本人以外の耳に届くことになる。
ベッドに横になった茜は、枕元に置いたノートを開き、ペンを走らせ始めた。
「今日も、避けちゃった。陸の声、聞いただけでドキドキして、うまく話せない。こんな自分、嫌だ」
「弁当、また作りたいけど、今さら渡せる空気じゃない。全部、私が意固地になってるせい」
「本当は、ずっと近くにいたい。八年前の約束、忘れてないって、もう認めちゃえばいいのに」
その日一日の出来事と、言えなかった気持ちを、正直に書き綴っていった。ページの端には、小さく「陸」という文字が、いくつも書いては消された跡が残っていた。
書き終えたノートを閉じ、茜は明かりを消してベッドに潜り込んだ。窓の外には、いつもと変わらない夜空が広がっていた。だが、茜の心の中では、静かに何かが限界に近づいていた。
同じ頃、茜の親友である女子生徒・真央が、様子のおかしい茜を心配して声をかけていた。
「最近、元気ないね。相楽くんと何かあった?」
「......別に、何も」
「嘘つくの下手だよね、茜って」
真央は苦笑しながら、隣の席に腰を下ろした。
「気持ち、ちゃんと言った方がいいと思うけどな。私から見てても、相楽くん、絶対茜のこと気にしてるし」
「分かってる。分かってるけど......いざとなると、言葉が出てこない」
茜は膝を抱えるように俯いた。
「昔は、あんなに素直だったのに。海外に行って、色々あって、なんか、素直に気持ち出すのが怖くなっちゃったんだよね」
真央はそれ以上何も言わず、ただ静かに茜の背中をさすった。友人のその優しさに、茜は少しだけ肩の力を抜くことができた。
「ありがとう。......もう少しだけ、時間欲しい」
「うん。でも、あんまり長くは待てないと思うよ、相楽くんも」
真央の言葉に、茜は小さく頷いた。心のどこかで、そろそろ限界が近いことを、自分でも分かっていた。
三日目の昼休み、ひまりは茜を階段の踊り場へ呼び止めた。
「私、相楽くんに告白するつもりだった」
茜の顔が強張る。
「......そう」
「嫌じゃないの?」
「嫌に決まってる」
初めて茜は言い切った。
「でも、私に止める権利なんてない」
「権利の話じゃないよ。桜庭さん、自分の気持ちを出して拒まれるのが怖いだけでしょ」
何も言えなかった。
「八年分あるんでしょ。何もしないで取られたって泣くのは、私に失礼だから」
同じ頃、悠人も陸に言っていた。
「桜庭さんがお前を好きかじゃなくて、お前が桜庭さんを好きかだろ」
陸の中で、ようやく答えが一つにまとまった。
同じ頃、陸の方も落ち着かない日々を過ごしていた。夕食の席で、母親が心配そうに声をかけてくる。
「最近、元気ないわね。何かあった?」
「......別に、大したことじゃない」
「茜ちゃんのこと?」
図星を指され、陸は箸を止めた。
「なんでバレるんだよ」
「顔に出てるもの、あんたも。それに、最近弁当も持ってきてないみたいだし」
母親は苦笑しながら、そっと付け加えた。
「意地張るのも大事だけど、大切な人には、ちゃんと言葉で伝えた方がいいわよ。あんたたち、もう子供じゃないんだから」
いつになく真剣な母の言葉に、陸は静かに頷いた。
「分かってる。ちゃんと、伝えるつもりだから」
その決意は、文化祭という節目に向けて、日に日に固まっていくのだった。




