第二話 知りたい彼女の恋愛事情①
第二話 知りたい彼女の恋愛事情
ピピピ、ピピピ、と目覚ましの音が遠くに聞こえる。新しい一日がやってきたらしい。
ぐいっと伸びをし、ベッドから立ち上がる。カーテンを開けると地上十階の光景が目の前に広がった。三日も経つと新鮮味は薄れてしまったが、絶景であることには変わりない。
すっきりと覚醒した俺はシャツと綿のパンツに着替え、リビングへ向かう。毎朝の定番であるコーヒーを淹れ、「苦っ!」まだブラックは飲めないのでたっぷりと砂糖を入れた。それと焼いたトーストにマーマレードをたっぷり塗ったものを机に運び、かぶりつく。
テレビを点けると『未確認生物!? その正体は!』と見出しが表示され、「『私は初め、ただそこにあるだけでした。ただの物だったんです。しかし、とある人が私に愛を与え私をこう呼んだのです。棚マッチョ……とね。その時、私は私という存在を自覚したのです』」と棚マッチョさんがインタビューを受けていた。
そうか、棚マッチョさんは元気にやっているのか。良かった、良かった――と、俺はほのぼのとするのだが、なぜか正面の席に座る相乃は顔を真っ赤にしている。風呂あがりらしく、髪は濡れていてバスタオルを体に巻いているだけの格好だった。
「朝風呂とは贅沢な生活をしているのだな、まなみん。しかし、いつもその格好でふらふらしているのか? 風邪を引かないように髪を乾かして服を着た方がいいぞ」
「いやいやいや、何平然としてるのよっ! ていうか、どうしてここにいるの!? 仕事で一泊するって話だったでしょうが! あーもうっ!」
相乃は胸元を抑えながらリビングを出て行き、自分の部屋へ飛び込んだ。どたばたと音を鳴らし、シャツとショートパンツに着替えた相乃が不満顔で戻って来た。
「あのさ、私ってそんな魅力ない? 半裸見られて何のリアクションもないのは、それはそれで癪なんだけど」
「魅力がないとは思わんが、君の体に興味があるわけでもないしな。それにお互い裸を見せ合った仲だ、今更だろう」
「それはまあ、そうかもだけど……もしかして愛多知君、プレイボーイ? 実は女性経験が豊富で、女性の裸なんて見慣れてるとか?」
「いいや、俺はまだ清い身だぞ。好きな人を一途に愛し尽くしたいタイプだし、初めては大切な人に捧げたい派だ」
「うわぁ、童貞なのに乙女みたい。童貞乙女」
「略すんじゃない。俺が痛々しいやつみたいではないか。桃地ヶ丘さんに一途であるがゆえ、魅力的な君の体を前にしても一切動揺しないのだ。紳士なのだよ、俺は」
自分でそれを言うかね……と相乃は呆れたように言うと、「それで、昨日仕事で一泊するって出て行ったのに、どうして戻って来たの? 隣町のデパートで出張相談コーナーを開くんじゃなかった?」と訊ねてきた。
「うむ、そのことだがな……『何この偽物。DE☆N☆MA様がこんなガキなわけないじゃん!』と信じてもらえず、ギャルたちにボコられて追い出されてしまったのだ。いつものようにスーツを着て、簡易デスクとパイプ椅子ではなく樫のテーブルと高級ソファが設えられた豪邸の中であれば違ったのだろうが」
「そ、そうだったんだ、大変だったねぇ……あー……そういうことなら、うちに居ればいいよ、うん……」
「ああ、よろしく頼むぞ、まなみん。君は優しいなぁ、どこぞの輩に家を吹っ飛ばされた男子を家に泊めてあげるなんて、何てできた人間なのだろうか」
「いやぁ、へへ……ここを我が家だと思って結構ですから……そして私こそが居候ということでよいので、どうか許してください……」
「冗談だ。俺が未熟だからこそ起きてしまった事故だと、今ではそう思っている。だからそこまで卑屈になるな。それに男子と一緒に暮らすなど世間体も悪いだろうし、親御さんも心配するだろう。住む場所が見つかったらすぐに出て行くつもりだ」
「そう言っていただけると大変ありがたいです……ほっとするというか、罪悪感が軽くなるというか……あ、でもさ、住む場所に関しては実家に帰ればいい話じゃないの?」
「まあ、そうなのだが……超常の力を得た宿命というか、家族とは普通の関係でいられなくなってしまったものでな。顔を合わせづらいのだ」
相乃は敏感に反応を示し、「ご、ごめん! 余計なこと言っちゃったね……」と申し訳なさそうに俯く。
「いい、気にするな。俺にとっては大した話ではないから、そういう反応をされると逆に困ってしまう。とにかくそういう訳なので、しばらく世話になる。よろしくな、まなみん」
「うん、それは構わないよ。こちらこそよろしく。と、話がまとまったところで訊ねたいんだけど……何でさっきから『まなみん』呼びなの?」
「この三日間は自分の生活を整えるのに時間を費やしたが、そろそろ依頼について動こうと思っていてな。手始めに君の友人グループに接近しようと考えている。『まなみん』と呼んで君と友人関係であることをアピールしておけば、警戒されずに近づけるだろう」
「む。なるほど、そうやって自然な形でもっちーに近づこうってことね」
「そして、あわよくば……俺も親しみと愛を込めて『もっちー』と呼びたい!」
「……むしろそっちが本当の狙いじゃないの?」
「あくまでもそれはついでだ。俺はただ君から依頼された仕事をこなそうとしているだけであり、君をサポートしやすいような環境作りをしようとしているのだよ」
「うーん、頑張ってくれるのはありがたいけど、せめて他の呼び方にしてくれない? 『まなみん』呼びはもっちー専用だから、他の人に使って欲しくないんだけど」
「ほう、その呼び名は君たちの親愛の証だったのか。それに介入して関係を変えてしまうのは本意ではない。では俺は『まなみ君』と呼ばせてもらおう。とにかく下の名前で呼び合う関係を見せれば、『一檎さん』と名前を呼べる仲になれるかもしれないしな。ぬふ」
「漏れてる漏れてる本音が」
「さて、話がまとまったところで本題に入ろう。俺たちが真に話しあわなければならないのは、『桃地ヶ丘さんは何が好きで、どんなものを贈ってもらったら喜ぶのか』ということだ。『波動結晶』は相手の嗜好に合うものであればあるほど、心の扉を大きく開いてくれる。そして開かれた心の扉から、結晶に込められた愛が伝わっていくのだ」
「もっちーが贈ってもらって喜ぶもの……何でも喜んでくれそうな気がするけど、でもそういうことじゃないんだよね?」
「君の場合、『特に親しい友人』という関係を築いてしまっているようだから、それを打破するようなインパクトのあるものでなければならない。それこそ恋を予感させるものがいいのだが……何か思いつくか?」
「え、えっと何だろう……クレープ、ケーキ、キャラメルマキアートにニシンの煮つけ……うーん、好物しか出てこないや」
「そんなことだろうと思ったよ。どうせ好みのタイプすら聞き出せていないんだろう?」
「そ、それぐらいのことなら聞いて……ないです、はい……」
「だからこそ、君にやってもらいたいことがある」
「はあ、やってもらいたいこと……?」
「それは、恋バナだ!」
「は? コイ……バナ? 恋の話の恋バナ?」
「そうだ。相手の恋愛観や、それに基づく好みを知るにはそれが一番手っ取り早い。そして相手の話に同調することで、『あれ、この人私のこと好きかも?』と意識させることも可能だ。相手の嗜好を知ること、関係を変えるきっかけを作ること、両方同時に行える最善手なのだよ」
熱く説明するが、しかし相乃はほとんど聞いていないようである。「こ、恋、コイバナ……」とぼそぼそと呟き、ぽっと頬を赤らめた。
む、この気配は! と身構えた途端、彼女の体から『愛の波動』が噴き出す。
凄まじい勢いだったが、察知していた俺は動じたりはしない。両手を天と地に構え、それを回転させることで波動に流れを作り、「そいやっ!」とそれを相乃へ向けて放った。
「ふぎゃあああああ! や、やだ服がぁ!?」
一人爆発して素っ裸になった彼女は、どたどたと慌ただしくテーブルの下に隠れた。
「これぞこの三日で習得した『陰陽の型』。どうだ、すごいだろ? 君が巨大な『愛の波動』を迸らせても、これがあれば爆発するのは君だけで済むのだ」
「前みたく『波動結晶』を作ればいいじゃん! それなら私も爆発しなくて済むのにぃ!」
「あれは結構体力を使うのだよ。いちいち作っていたら身が持たん」
「ええ? パンツ作ってた人がそれ言う?」
「あの時はああでもしないと話が進まなかっただろう。しかし、なぜ恋バナと聞いてあんな激しい波動を出す? どこに興奮する要素があるのだ」
「だって、もっちーと恋バナだなんて……すっごいエッチじゃん!」
「……三日間一緒に暮らして思ったのだが、君は性に目覚めたばかりの中学生みたいなやつだな。やれ胸元にホクロがあってセクシーだとか、あの仕草が色っぽいだとか、桃地ヶ丘さんの話になる度に興奮しやがって」
「でもでもっ、想像してみてよ! 二人っきりの教室で、『どんな人が好きなの? ねえ教えてよ』って迫ったら、頬を染めて視線を逸らすの! そして手をもじもじさせながら、『だめ、言えないよ……だって言っちゃったら、後戻りできなくなるから……』って私を上目遣いで見つめてくるんだもん! そりゃ興奮するでしょ!」
「おい現実に戻って来い。それは君の性癖が生み出した幻想だ」
「いいから想像してみて! 誰もいない教室で二人っきり、暖かい夕日の中で影遊びをしながら、何となく恋バナに発展していくの!」
何だその妙に凝った設定は、と呆れながらも想像してしまう。
俺と桃地ヶ丘さんは、宿題が面倒だとか駅前のドーナツ屋の評判についてなど、何気ない会話をしていた。だが、友人が誰それと付き合ってるという話題をきっかけに自分たちの恋愛事情へと話がシフトする。
お互い恋人はいない。へえそうなんだ、と何てことのないように返す。どうしてだろうか、二人の間に沈黙が流れた。
桃地ヶ丘さんは何も言わない。だが、何かを待っているような気配を発している。俺はごくりと唾を飲み込み、そっと口を開くと、「君は……好きな人、いないの?」と訊ねた。
すると彼女は微笑み、上体の滑らかなラインを見せつけるかのように座っている机に手を突く。
そして、素足を少し大げさな動作で組み、このように言うのだ。
「君……って言ったら、どうする?」
耳の奥を舐めるような、淫靡な響き。心の奥を愛撫するかのような、蠱惑的な声。
それが現実感を伴って聞こえた瞬間、俺の服は木っ端微塵に吹き飛んだ。
「ほら、やっぱりそうなる! どう? 凄まじい破壊力だったでしょ!?」
「ああ、凄まじかった……恋人になってデートする妄想よりも、始まりを予感させるシーンの方が生々しいとはな。新たな発見だ」
「でへへ、次はどんなシチュエーションで迫ってやろうか! じゅるりっ!」
「こら、涎を拭いて制服に着替えてこい。君はこれから現実で恋バナをするのだからな」
「うーん、妄想はともかくリアルでは無理だよ……実は他の友人と一緒にいたとき恋バナに発展したことあるんだけど、緊張でイマイチ話に乗れなかったんだよね……」
「安心しろ。そうなることも見越して準備していたものがある」
俺は部屋に引き返してあるものを手に取り、リビングに戻るとテーブルに置いた。
「なにこの黒い物体と透明なコードは」
「無線機とマイク、あとイヤホンだ。俺がこれを使って指示を出す。それに従っていれば、すぐにでも恋バナを始められるはずだ」
「えー? そんな上手くいくかなぁ。もっちーと恋バナだなんて……うぅ、想像するだけで緊張しちゃう!」
「妄想を現実にしたくないのか? 桃地ヶ丘さんとキュンキュンする恋バナをしたいだろう?」
「うぅ……それは……」
「俺はしたい! したいからこそ、これを君に託す! 君なら現実にできるからだ! 君は俺と違い、桃地ヶ丘さんと友人なのだから!」
「わ、私なら……私だから……できる……?」
「そうだ! 君だからこそ、その高みへ到達できる! 君はどうしたいのだ? 妄想だけでいいのか? 妄想だけで満足できるのか? ここに妄想を現実に変えることができる道具があるというのに、君は妄想に逃げて爆発し続ける毎日でいいのか!?」
「むぅ、むぅぅぅぅん……!」
強く説得を試みると、相乃は頭を抱えてテーブルの下に消えてしまった。
それから丸々一分待つと、彼女はニュッと頭を出し、俺を見上げてきた。
「やるよ……私、やってみる。今この時を逃したら、一生できないまま終わる気がするから」
「ああ、そうだ。熱がある今の内がチャンスなのだ。では、受け取ってくれ、相乃。これは俺たちの夢そのものなのだ」
通信機を差し出すと、彼女は頷き手を伸ばしてきた。
「分かったよ。私、頑張る! 私たちの夢、叶えよう!」
「ああ、頼んだぞ、相乃!」
俺と相乃は熱く頷き合い、それぞれの妄想と夢を胸に、通信機を間に挟んで握手を結ぼうとする。が、ぎりぎりで踏みとどまった。
「おっと、危ない危ない……」
「妙なテンションのせいで馬鹿なことするところだったね……」
「ではこれはここに置いておくぞ。お互い出かけるため着替えようではないか」
俺は通信機をテーブルの奥、相乃の傍に置いた。
相乃はそれを取ろうとして手を伸ばすのだが、「ぬあっ!」粉微塵になってそこら中に散っている衣服の破片を踏んづけて足を滑らせた。
咄嗟に端を掴んだせいでテーブルが跳ね上がる。相乃側に無線機を置くため身を乗り出していた俺は「おぐぅっ!?」テーブルによるアッパーカットを下腹に食らい、跳ね上げられた勢いでテーブルを乗り越え、うつぶせに倒れている相乃の背中に「ぐぇっ!!」垂直落下の頭突きをかました。
そして俺たちはお約束のごとく爆発した。




