第四話 その日、少女は一歩を踏み出した②
あの表情……一体どうしたというのだろうか。やはり告白を前にして、不安に押しつぶされそうになっているのだろうか……。
俺はそのように心配していたのだが、
「はぁぁぁああぁあああっ! もっちぃぃぃいいっ!! あああああああっ!!」
相乃は学校を休み続け、桃地ヶ丘さんの写真を壁中に貼り付けた部屋に篭って座禅を組むなどの修行(?)に励んでいた。その様子からは不安の欠片すら感じられない。
「相乃……それに一体何の意味があるのだ?」
「もっちーとの思い出を繰り返し思い出して、その時抱いた『好き』って気持ちを呼び起こしているのよ! 私の心にある『大好き』って気持ちを全部ぜぇんぶ、もっちーに知ってもらうんだから!」
「そ、そうか。まあ近づけないほどの愛が噴き出していることだし、効果はあるのだろう」
「くぁっはっは! 覚悟しておくことねぇ! 愛多知君は私の愛の前にひれ伏すのよ! イーっひっひっひ! 決闘の日が楽しみだわぁ!」
などと言って、相乃は凄まじい意気込みで愛を深める作業に没頭していた。
ある日はテーブルに飾った桃地ヶ丘さんの写真の前に食事を置き――
「さあ、たぁんとお食べ! 買ってきた総菜で悪いんだけど、まだまだ用意してあるから、いっぱいおかわりしてね!」
「君……それはちょっと怖いぞ。まるで遺影に話しかけているみたいではないか……」
「うるさい、今もっちーが美味しそうに頬張る姿を想像してるんだから邪魔しないで!」
そしてある時は、マンションの屋上へと上り――
「神よ……もっちーが今晩も安眠できますよう、どうかお見守りください。そして私の夢の中にもっちーを登場させるよう、どうかよろしくお願いいたします……できれば白い部屋に白いベッドがあって、くんずほぐれつな感じで――」
「相乃よ……物凄く羨ましかったのは分かるが、そんな邪な欲を神に頼むんじゃない……」
三日目の夜には、浴槽に冷水を張り、それを頭から被って――
「ぐぅぅぅっ!! 物凄く冷たいけど……しかしッ! おかげでもっちーに抱きしめられた時の暖かさが鮮明に思い出せるッ!」
「…………、相乃。君のその熱意は尊敬に値するほどだが、風邪を引いたら全てが台無しだ。ほら、頭を拭いて、パジャマを着て、俺が作ったこのココアをお飲み」
というわけで、狂気が窺えるほど相乃は熱心に愛を燃え上がらせていた。時折、彼女が見せた寂しそうな顔を思い出すことがあったが……しかしこの様子なら心配は無用だろうと俺は思い、気にも留めなくなった。そして、次第に思い出すこともなくなっていったのだが――
決闘日の二日前。異変はその日に起こった。
「戻ったぞ、相乃。重大な話があるから、部屋から出てきて――」
桃地ヶ丘さんの護衛を終えて帰宅した俺を待ち受けていたのは、パンパンに膨らんだゴミ袋だった。
中には写真がぎっしりと詰まっており、どれもこれも桃地ヶ丘さんが映っている。
「これ……相乃が部屋に貼り付けていたやつか……?」
こんな宝物をこのように扱うだなんて、相乃らしくもない。まさか、波之良氏の襲撃を受けたのか!?
そう考えた俺は慌てて靴を脱ぎ、扉が開けっ放しの相乃の部屋に誰もいないことを確認した後、リビングへと向かった。
すると、揺れるカーテンが目に飛び込んでくる。開かれたベランダから優しい風が流れてきており、相乃はツインテールをなびかせながら外を眺めていた。
「おい相乃、無事か!? 玄関の写真を見たぞ! 波之良氏が何か仕掛けてきたのか!?」
急いで傍に近づき、問いかける。
しかし相乃は答えず、顔を向けることもせず、外を指差した。
「ねえ愛多知君、あれっていつになったら消えるの?」
彼女が指し示す方向には山が二つある。受け流した相乃の波動や、たまらず俺が打ち放った波動によって桃色に染め上げてしまった山たちだ。
「む? そうだな、規模が規模だから約一ヶ月はかかると思うが……」
「ね、告白が終わった後、もっちーの家を元に戻したみたいにあれを消せないかな? 自分の心の内を見てるようで、何だか恥ずかしくなっちゃうんだよね」
「まあ、それは構わんが……それで、玄関の写真はどうしたのだ? 『波動痕』が見当たらないことだし、波之良氏が何かしたというわけではなさそうだが」
「ああ、ごめんね、驚かせて。いやぁ、思えばあんなに写真を溜め込んで、毎晩にやにや微笑みかけるのって、何だか気色悪いんじゃないかって思ってさ。気持ちが行き過ぎればもっちーの負担になっちゃうだろうし、一旦ブレーキをかけようと思ったんだ」
普段と変わらない様子で、何てことないように言う相乃。
しかし、その声には力がないように感じられた。
「どうしたんだ、相乃? 随分と元気がないようだな」
「え? そう? いつもと同じつもりだけど。でも、まあ……もう終わっちゃうんだなぁと考えてたから、少ししんみりしちゃってるかもね」
「終わる? おいおい、何を言っているのだ。俺たちはこれから、桃地ヶ丘さんとのハッピーラヴァライフを始めようとしているのだろうが。明日告白するというのに、そんな調子では上手くいくものもいかんぞ」
「明日? 決闘の日は明後日でしょ? だって今日は金曜だし」
「先ほど桃地ヶ丘さんに『みんなで遊びに行く日』が一日早まったと伝えてきた。そして了承も貰って来ている。なので、俺たちは明日、波之良氏に先んじて告白する」
「そ、それって、抜け駆けってことだよね? いいのかなぁ、そんなことして……」
「益華の力に頼って散々卑劣な真似をしてきたのだ。今更真っ向から向かってくるとは思えん。気持ちを高め切った今、やつが何か仕掛けて来る前に告白してしまった方がいいだろう。大体、あんな卑怯なやつに筋を通してやる義理はないのだ!」
「珍しいね。いつも紳士的な愛多知君がそんなこと言うなんて。特に恋してる子にはすごく優しいのに」
「フン! 本当に恋をしているのなら、波之良氏にだって俺は真剣に向き合おう! しかし彼女は『愛の波動』を発していなかった! もしそれが恋なら必ず波動を放つ! それが一切ないとなると、それは相手を自分の『物』としか見ていないということ! そんな俗物に真剣に向き合ってやるほど俺はお人よしではない!」
「ぞ、俗物かぁ……うーん……」
「ん? どうした?」
「いやぁ、同じことを私も言えるのかなぁって思いまして……玄関の写真の何枚かは隠し撮りだし、ちょっと触れただけでも興奮しちゃうし、間接キスがしたくてもっちーが食べてるお菓子をおねだりしちゃったこともあるし……」
並べ立てながら、どんどん俯いてく相乃。死んだ魚の目で自嘲を浮かべていた。
……やれやれ、そういうことか。
俺は溜息を吐き、それから相乃に向き直ると、「確かにな」と言った。
「親友ぶっておきながら恋バナすらできないし、好物を知っておきながら作ることもできないし、何でもかんでもエロいことに結び付ける。俗物も俗物だ。それは落ち込んでも仕方ないな」
「し、仕方ないって何よ! そこまで言わなくたっていいじゃない! 別に恋バナができなきゃ親友じゃないってことはないはずだし、料理だって練習してるんだからね! エッチなこと考えちゃうのだって、その……あれよ、あれ! その……ね!? だからそこまで言われるほど酷い人間じゃないと思うよ!?」
必死な形相で捲し立ててくるものの、結局否定しきれないところが相乃らしい。
その様子に、俺は嘲笑ではなく純粋な微笑みを浮かべ、頷いてみせた。
「ああ、その通りだ。君はそんなに酷いやつではない。卑下する必要なんてないさ」
「むきぃ! 変態趣味に片足突っ込んでる君に言われたくな――ん? 今何て言ったの?」
「相乃、俺には君の愛がしっかりと見えている。完璧とは程遠い人間ではあるが、確かに君の中には純粋で美しい気持ちがあるのだ。ここ数日、自分と向き合ったことで嫌なところが見えてきてしまったのだろうが……大丈夫。君は自分に自信を持っていいのだ」
俺の罵倒の意味に気づいたらしい。相乃は照れ臭そうに笑い、頭に手を当てた。
「はは……ありがとう、そう言ってくれて。自分のこともあるのに気を使わせてごめんね。でも完璧とは程遠いとは言い過ぎだと思うな、うん」
「フ、そうだ、その調子だ。そうやって強気で臨めば悪いことにはならんさ」
「うん、そうだね。そう……だよね! おお、何だか自信が湧いてきた! 今まで頑張ってきたんだもん、明日は絶対上手くいくよね!」
顔を上げて拳を握り締めた彼女の顔は晴れやかで、影は消え去っていた。どうやら上手いこと励ますことに成功したようだ。
それどころか物凄く気合が入ってしまったらしく、部屋を一瞬で包み込むほどの勢いで『愛の波動』を噴き出した。
「ぶおっ!? 何て大きさの愛なんだ……! 相乃、一旦その愛を止め――いや待て、これはチャンスか!?」
「あれ、どうしたの? 壁に張り付いて。土偶のモノマネ?」
「馬鹿言ってないで、結晶をどんな形に仕上げるか教えるのだ! 今君は凄まじく大きく、とても純度の高い愛を噴き出している! これを結晶にしない手はないぞ!」
「ちょ、ちょっと待って! 今画像出すから!」
相乃はポケットから取り出したスマホで何かを検索し、幾つかの操作をすると俺に画面を向けて来た。相乃の自撮り写真らしく、顔が半分しか映っていない彼女の向こう側にショートケーキを頬張る桃地ヶ丘さんがいた。
「このショートケーキ、私ともっちーが友だちになって初めてお茶した時のケーキなの。私の一番大切な思い出なんだ」
「むぅ? 本当にそれでいいのか? 言わばそれは、友だちになった記念の物だろう。それを贈ったところで、熱い友情しか受け取ってもらえないかもしれんぞ?」
「大丈夫! ちゃんと私には考えがあるし、育ててきた熱い気持ちがこの胸にあるから! だから、ね? これでお願い!」
「……分かった。君がそこまで言うなら、その形で作ろう」
俺は起爆しないよう慎重に手を突き出し、集中する。
愛を搔き集めて圧縮に圧縮を重ね、頭に写真のショートケーキを思い描いた。
波動の大きさが大きさだけに時間がかかったが、余すことなく愛を閉じ込め、イチゴや絞ったクリームの形まで再現した『ショートケーキの波動結晶』を作り上げた。
「ふぅ……どうだ、相乃。ここまで細部にこだわったのだ、文句はあるまい?」
「す、すごいよ愛多知君! 完璧だよ、完璧! 全部がピンク色とはいえ、部分的に色素が薄かったりして、何だか芸術的! 本物より美味しそう!」
「食べられると困るのだが……喜んでもらえて何よりだ」
「ところで愛多知君は自分の『波動結晶』は用意したの? うちで作業してる気配なかったけど」
「ああ、自分の愛のコントロールを大分できるようになったとはいえ、気を抜けばすぐに服が弾けてしまうからな。桃地ヶ丘さんが帰宅するのを見届けた後、人目につかない豪邸跡地で全裸になって作っていたのだ」
俺もスマホを取り出し、完成記念に棚マッチョさんと並んで撮った『波動結晶』の写真を表示した。
「どうだ、すごいだろう? 先日のザンギ屋の彼を参考にして、桃地ヶ丘さんに似せたマリア像を作ってみた! 聖母、というのがまた何とも桃地ヶ丘さんのイメージとマッチするだろう?」
「もっちー似のマリア像って、ただのもっちー像なのでは……というツッコミは置いといて、この大きさズルくない!? 愛多知君より大きいじゃん!」
「聞いて驚け! 全長二メートルだ! 大好物の彼女は、これを見たら大喜びだろう! きっと俺に心を開き、この結晶に込められた愛を受け入れてくれるはず!」
「愛多知君、お願い作り直して! 五倍、いや十倍の大きさに仕上げてもらえるかな!?」
「いいのか? そんなに大きく作ってしまったら、思い出のケーキだと気づかれないのではないか?」
「うっ、それは……」
「あくまでも、ここまで大きくしたのはインパクトを与えて俺に意識を向けてもらうためだ。俺は君とは違って彼女と関わりが少ないから、奇策を使わねば勝ち目がないと思ったのだよ。しかし結局のところ、恋人になれるのは愛を受け入れてもらった者だけだ。大きさは関係ない」
「そ、そっか……うん、そうだよね。ごめん、やっぱり私はこれでいい。これを渡したい」
「ああ、それがいい。さて、これで準備は整った。後は明日を迎え、約束の海浜公園へと向かい……告白するだけだ」
覚悟はいいな? と問いかけるように相乃の目を見据える。
彼女は一瞬躊躇うように髪に触れたが、すぐにその手を下ろす。
すぅ、はぁ、と息を吐くと、その大きくて丸い目を向けてきた。
「ついに、その日を迎えたんだね」
「ああ、短くとも色々あり、万全ではなく不本意なタイミングとはいえ、それでもようやく漕ぎつけたな」
「お互い……頑張ろうね」
「ああ……精一杯やろう」
お互いに挑戦的な笑みを浮かべた俺たちは、手を差し伸べた。
そして、がっしりと手を握る。以前「礼儀はどうでもいいから俺に触れるな」と言ったことがあったが、互いに称え合い、励まし合おうとするこの気持ちがある今、爆発するはずもないと思ったのだ。
しかし相乃は俺の手を握ったまま『愛の波動』を噴き出し、スイッチを切っていた俺の能力に干渉してきやがった。
チュィィィイイン――ズドンッ!!
「だぁぁあから、なぜ触れている時に桃地ヶ丘さんへの愛を燃え上がらせるのだッ!? そういうシーンじゃかっただろうが!?」
「久しぶりにもっちーに会えると思ったら、つい……!」




