第四話 その日、少女は一歩を踏み出した①
第四話 その日、少女は一歩を踏み出した
一つ屋根の下、という状況は変わらない。
だが、どうしてだろうか。強引に桃地ヶ丘邸に泊ろうとした時とは違い、彼女が泊りに来たとなると途端にドキドキが止まらなくなってしまった。自身たちのホームに想い人が存在している。それはとても新鮮で、不思議で、神秘的な感覚があった。
そういうわけで就寝に至っても熟睡はできず、拘束されて「何をする!? やめろぉ! でも快感!」と悲鳴を上げながらあられもない姿を激写されるような夢を見てしまった。
はっと目が覚めると時刻は六時半。また奇妙な夢を見そうで、とてもではないが二度寝できそうにない。
起き上がってカーテンを開き、大きく深呼吸。その後、洗面所へ行って歯ブラシを手に取り、すでにそこで歯磨きをしていた相乃に倣う。
「その顔、相乃もあまり眠れなかったみたいだな」
「そりゃね。何たってもっちーが隣の部屋で、しかも私のパジャマで寝てるんだもん。それってさ……私がもっちーを抱きしめて眠ってるようなものじゃん!」
「断じて違う。妄想も大概にしたまえ。しかし思考が妙な方向に向かってしまうのは分かる。俺も楽し……いや恥ずかしい夢を見てしまったしな」
「リビングにもう少し物が少なかったら、もっちーの家みたく布団を並べられたのに」
「仕方ないさ。それでも意中の相手と一晩ともにできたのだ。これは俺たちにとってすごい進歩だぞ」
「こんな幸せな朝が来るなんて想像したこともなかったわ。ほんと……この人がいなければ最高って言えるんだけどね」
相乃はそのように言いながら、俺とは反対側に視線を向ける。そこには顔の血色が良く背筋をピンと伸ばす波之良氏がいた。彼女もやはり歯を磨いている。
「『みんなでお泊まり会の続きをしよう』と誘われたのだから仕方がないだろう。好きな相手を家から閉め出しておいて、よくそんなことを言えたものだ」
「あ、あれは仕方ないことでしょ! もっちーの貞操が危なかったんだから!」
「まあ俺もあそこまでやる必要があったのかと思わないでもないが、しかし鍵付きの部屋に保護できたのは僥倖だった。クク……彼女に触れられず悶々していたのではないかね?」
仕事を邪魔されたり、家を追い出されたり、と昨日は散々だった。だからこそ今度はこちらの番だと挑発してみせるのだが、
「ふん、甘いな! 現実で会えないならば、夢で会えばいいのだ!」
と、波之良氏はその芸術品のような端正な顔に豪胆な笑みを浮かべた。
「なに? お、お前は桃地ヶ丘さんの夢を見られたというのか?」
「ほ、本人が登場する夢!? 私なんてもっちーのリコーダーを舐めるか舐めないかで葛藤する夢だったっていうのに、なんて羨ましい……!!」
「相乃、お前……」
「ふはは! なんて下品な夢なんだ! ワタシのは……そう、甘美で耽美だったぞ!」
「か、甘美で耽美? い、一体どんな夢だったんですか?」
波之良氏は鼻を鳴らし、切れ長の目を細めると、うっとりと浸るような声で語り出す。
「そこは真っ白な部屋だった。窓が一つあり、レースのカーテンが吊り下がっている。一檎はそのカーテンを体に巻き付けていて、ワタシが解いてやると……一糸纏わぬ姿だった」
「い、一糸纏わぬ……!?」
「ワタシは真っ白なベッドへ一檎を寝かせると、その上に覆いかぶさった。耳元の一檎の息遣いは、どこか恥ずかし気だ。そんな彼女の頭を、ワタシは優しく撫でてやった」
「ごくり……そしてどうなったんですか?」
「ワタシは一檎の背後へと回り――」
「そ、それから……?」
波之良氏は腰に手を当て、どこぞのファッションモデルのように格好つけたポーズを取ると、力強く言った。
「揉み……しだいたッ!」
「ああああああ何てことなのっ! あの手つきでもっちーまで……いやああああっ! もっちーが性に目覚めちゃうううううっ!!」
「相乃……君、昨日のアレで波之良氏の虜になってしまっているのではないだろうな?」
「断じて違うよ! どんなに凄くても私はもっちー一筋ッ!」
凄かったのか……と俺は反応に困るが、とにかく心はまだ折れていないようである。
ならば、と俺は改めて波之良氏に向き直り、
「波之良氏、言っておくがここは俺たちのホームだ。夢がどうだろうと現実ではそうはいかない。ここからは俺たちが攻める番だ」
「攻める、か。なるほど、この後は朝食の時間だね。当然ながら、ホストである君たちが用意するつもりなのだろう」
「そういうことだ。今日の最初の笑顔は俺たちがいただく。桃地ヶ丘さんが俺たちによって最高の朝を迎えたという事実を胸に、一日を過ごすといい」
「ふふ、甘いな。ワタシが一週間、一檎と暮らしていたことを忘れたのか? 彼女にとってどれだけ朝食が大事で、どれほど幸福なことなのかなど当然把握している。そんなワタシが何の準備もせず敵地で寝こけていたとでも?」
ニヤリと彼女が笑った瞬間、すぐ横の風呂場、洗面台の下の棚、洗濯カゴの中から親衛隊たちが姿を現した。「なっ! 家に上げた覚えがないはずなのに、なぜここに!?」と驚いている俺たちを蹴散らしキッチンへと向かって行く。
「君たちが夢にうなされている間に招き入れておいたのさ。食材と道具を持参させてね」
「ぬぅ、昨晩何だか騒がしい気がしたが、そういうことだったのか……!」
「ちょ、ちょっと! ここ私の家なんですけど!? なに勝手に上げてるんですか!」
「ワタシあるところに親衛隊あり、だ。ほらほら、呆けていていいのかい? このままではワタシが一日の最初の笑顔をいただくことになりそうだが」
我に返った俺たちは慌ててキッチンへと向かうが、すでに波之良親衛隊たちに占拠されていた。彼女たちは相当訓練を積んでいるらしく、非常に手際よく調理を進めている。
「我らは波之良様のために何でもこなす」
「マグロが食べたいと言うならば釣りに行き」
「料理を求めるならば、プロになりましょう」
「今朝の献立はセロリのポタージュにカジキのコートレット・タルタルソース和え」
「子牛のワイン煮にシチリアレモンのシャーベット」
「お情けでこちらのカセットコンロをお貸ししましょう。我らの料理に勝つ自信があるのなら使ってみてはいかが?」
どん、とテーブルに置かれたカセットコンロは、どんな料理も台無しにしてしまいそうなほど汚かった。相乃宅のものではないので、わざわざ用意して来たのだろう。
「ど、どうしよう、こんなものじゃろくに料理なんてできないよ! こうなったら、強引にあの人たちをどけて――」
「やめておけ。昨日みたいに指圧されてビクンビクンさせられるのがオチだぞ」
「でもこんな小さなカセットコンロで作れるものなんてたかがしれてるよ! 勝手に道具も使われて、残ってるのなんて小鍋と果物ナイフぐらいしかないし……そんなので作れるものと言ったら、スープか煮物ぐらいじゃない!」
「むぅぅ……とはいえスープはすでに完成してしまっているようだし、俺たちが越えられるものを作れるとは思えん。となると、残された手は――」
冷蔵庫の中身を思い出していると、俺はあることを思い出した。
「そうだ、あれがあった! おい相乃、調味料一式を用意してくれ!」
「え、何を作る気なの?」
「覚えているか? 昨晩、寝る前に愛汁塗れになってしまったから、ガス抜きするために外へ出たことを。あの時、ついでにお菓子やらジュースやら買いに行かされただろう?」
「う、うん。もっちーが寝ちゃったから、結局何一つ手をつけなかったけどね」
「俺は近くのスーパーに足を運んだのだが、その時に売れ残っていたある物を買って来ておいたのだ。もしかしたら桃地ヶ丘さんに食べさせる機会があるかもと思ってな」
俺は言いながら冷蔵庫へと向かい、中からあるものを取り出してみせる。
すると相乃は、「あ、ああっ! それはまさか!」と目を見開いた。
「クク、どうだ相乃! これなら勝機があるとは思わんか!」
「う、うん! そう思う! だってもっちー、すっごくそれが好きだもん!」
「では相乃、調理に移るぞ! 俺の指示通り調味料を寄越すのだ!」
俺はエプロンを身に着け、唯一残っていた小鍋をカセットコンロに載せる。用意した材料を入っていたパックの上で下処理し、相乃に手を差し伸べた。
「今は時間がない。簡略化していくぞ! まず日本酒と塩だ!」
「はい愛多知君! 受け取って!」
「む、これはサラダ油と砂糖だな。よし、それらは自分で用意する! 次はみりんを用意してくれ!」
「任せて、愛多知君! すでに用意してあるよ!」
「うむ、これが日本酒だ。みりんではない。オーケー、それも俺が用意しよう! だから君はしょうがを用意してくれ! たしかチューブのやつがあっただろ?」
「ふふん、侮らないでよね! すでにキャップまで開けて待機してるんだから!」
「ふむ、これはにんにくのチューブだな。よし、料理は全て俺に任せろ! 君は大人しく座っているのだ!」
「了解だよ、愛多知君! それなら私の得意分野だよ!」
席に着いて俺の料理を待つ相乃の姿に既視感を覚える。そういえば、毎日の食事を用意してくれるという契約のはずなのに、彼女に作ってもらった記憶がない。シリアルやらトーストなど、温もりのないものばかり出されたので、結局自分で用意していたのだった。
こいつ、さては料理ができないな? と思いつつアルミホイルで落とし蓋をしていると、
「健気だねぇ。相手はプロ級の腕を持つ彼女たちだというのに」と、部屋の隅から窺っていた波之良氏が嘲笑してきた。
「フン! 強がっていられるのも今のうちだぞ!」
「なんたって、私たちにはとっておきのものがあるんですからね! 人任せで自分はなにもしない卑怯な人には負けませんよ!」
「いやそれ、君が言えたことではないだろう……まあいい、試してみるがいいさ。何やら煮ているようだが、そんなショボい……コホン、そんな庶民的なもので、グルメな一檎を喜ばせられるとは思えないがね」
俺たちは睨み合い、火花を散らせていたが、「おはよぉ……あぁ、良い匂いがするぅ!」という声が聞こえたのと同時に廊下へと視線を向けた。
「お、おはよう一檎さん! なかなか早い目覚めだな!」
「もっちー、おはよう! いい夢見れた?」
「やあ一檎! 今日も変わらず美味しいごはんを用意しているよ!」
同時に声をかけられた桃地ヶ丘さんは、「むにゃ……みんな元気ねぇ」とパジャマの袖で目を擦った。その愛くるしい仕草に相乃は愛を噴き出し、俺の服は吹き飛んでしまう。が、エプロンは残っているのでセーフ。最近になって反射神経と力のコントロールが上手くなってきたようだ。
「さあ、役者は揃った! 波之良氏、勝負といこうではないか!」
「ああ、良かろう! 我が親衛隊が作った料理の数々に屈するが――待て、なぜお前は裸エプロンなんだ?」
「さ、もっちー、朝ごはんだよぉ。こっちに座りましょうねぇ」
「わーい、朝ご飯! 楽しみぃ! 何が出るのかなぁ?」
「な、なぜみんな裸エプロンに突っ込まないんだ……? んん……ま、まあいいだろう……お前たち! 料理をテーブルに並べるんだ!」
波之良氏の指示に従い、料理が次々と並べられていく。
どれもこれも見目麗しく、素人目から見ても技術の高さが窺える。まるで高級レストランのコース料理が並べられているかのようだ。
「わあ、今日もクロりんたちの料理は豪勢ねぇ! じゅる……うぅん、良い匂い! ほんとぉに美味しそうだわぁ!」
「そうだろう、そうだろう! 今日も存分食べるがいい!」
波之良氏は俺たちの存在を無視し、桃地ヶ丘さんと食事を始めようとする。が、そんなことを俺たちが許すはずもない。
「待つんだ、一檎さん! まだ俺たちの料理が残っている!」
「何もしてない私が言うのもあれだけど……もっちーの大好きなものを用意したから、良かったら食べて!」
鍋の火を止め、中身を皿に移し、相乃へパス。一礼して受け取った彼女は、数々の高級料理を押しのけて桃地ヶ丘さんの目の前に置いた。そのことに嫌悪感を表す波之良氏だが、皿に盛り付けられた料理を見るや否や笑い声を上げた。
「それはまさかニシンの煮つけか? おいおい、嘘だろ! この高級料理の数々の中にそんなものを並べるなんて! いや失礼、精一杯作ったのに酷い言い草だったな! しかしこれは朝食を楽しみにしていた一檎に無礼ってものだよ! さあ一檎、気を使わず好きなものをお食べ!」
勝ちを確信しているように食事を促す彼女だったが、
「わあ、ニシンの煮つけだぁ! ありがとう、まなみん! 愛多知君! 私ねぇ、ニシンの煮つけが大好物なのよぉ!」
「なっ!? 大好物だと……?」
箸を持った桃地ヶ丘さんが最初の一口に選んだのは、ニシンの煮つけだった。
はふ、はふ、と暖かい身を頬張り、味わい尽くすように噛みしめると、
「んんー! さっぱりな味つけだけど、身に脂が乗っていて旨味が凝縮されてるわぁ! ニシンって骨が細かいのに全部取り除かれてて、とっても食べやすい! 何だか思いやりが感じられて、私は心から幸せです!」
最高の誉め言葉に俺は鼻高々である。「グッジョブ愛多知君!」と相乃も大喜びだった。
打って変わって波之良氏は、「そ、そんなワタシの料理を差し置いて、そんな粗末なものを……!」とあからさまに動揺している。
「モグモグ……ンムンム……ゴクン――んふぅ! ごちそうさまでした! みぃんなみんな美味しかったよぉ! こんなご馳走を私のために用意してくれてありがとぉ! でも良かったのぉ? 全部私が食べちゃって」
テーブルを埋め尽くす料理を全て平らげた桃地ヶ丘さんは、申し訳なさそうにこちらを窺ってくる。なので、「ああ、俺たちのことを気にしないでくれ」「実は私たち、もっちーにたくさん食べてもらいたくて、腹ごしらえしちゃったんだ」と説明した。
さて、朝食が終われば、当然学校へ行かなければならない。何せ今日は月曜日だ。
桃地ヶ丘さんには洗面所の物を自由に使ってもらって準備してもらい、相乃の制服を着せて鞄も持たせた。
「あらぁ、まなみんはどうして制服着てないのぉ? 今日はお休みぃ?」
「えっとね、これから先輩とお話することがあるんだ。だから先に学校へ行ってて」
「ああ、そうなんだぁ。一緒に登校できると思って楽しみにしてたんだけど、用事があるなら仕方ないねぇ」
相乃も一緒に登校することを楽しみにしていたのだろう。非常に苦しそうに悶えながら桃地ヶ丘さんを見送った。その後、くぅ、はぁ、むぅぅん! と荒い息を吐いて気を取り直すと、俺とともに波之良氏と対峙する。
「これで分かりましたよね? 私たちがいる限り、もっちーを好き勝手できると思わないでください!」
「そういうことだ、波之良氏。今までの手口は俺には通用しない。諦めて桃地ヶ丘さんの下を去るか、正々堂々と立ち向かってもらおうか」
朝食以降、波之良氏は項垂れて一言も口にしていなかった。完全に心が折れたかと思われたが、顔を上げた彼女の顔には不気味な笑みが張り付いていた。
「ふふ……ああ、理解したよ。今まで一檎に近づいて来た者たちとは違い、明確な脅威だとな。この朝食勝負、ワタシの負けだ。敗北して、君たちに一檎の笑顔を奪われてしまった、と認めよう。だが……おかげで『嫉妬』の炎が燃え上がったッ!」
ざっ、と親衛隊たちが波之良氏の背後に整列し、寸分違わぬタイミングで両手を胸の前で交差する。
その手、その指の間には、黒く丸いガラス玉のような結晶が挟められていた。
「むっ、『嫉妬の波動結晶』か! そんな数を用意するとは随分と周到だな!」
「あれだけ余裕ぶっておいて、実は怯えていたんじゃないですか!」
俺たちの挑発に対し、「いや、そうじゃない……ンフ、今ここで用意したのよ」と波之良氏の背後から答えが帰って来る。さっと親衛隊たちが横にずれ、背後に隠れていた者が姿を現した。
「益華! 君もこの家に忍び込んでいたのか!」
「ふへっ……お、おはよう、師匠。そうなの、あ、あたしも昨晩からずっとこの家にいたのよ……」
益華は言いながら、球体を撫でるかのように手を宙で回転させていた。
するとその手の中心に黒い点が出現し、次第に大きくなってピンボールほどの大きさになる。『嫉妬の波動結晶』の完成だ。
「ワタシは準備万端だと言ったろう? それは負けることも想定済みだということだ。一矢報いたつもりだろうが、どんな結果だろうと最終的に一檎を手に入れるのはワタシ……嫉妬を燃やせば、誰であろうと一檎の下から消え去るのだからなァ!」
「何て醜い恋愛観なのだ……おい益華、こんな人間に手を貸すのを今すぐやめろ! 人の心を踏みにじるようなやつに手を貸せば、君の心も堕ちていくぞ!」
「そ、それはできない……んふ、だって、こ、こうしてまた師匠に会えたし、それに……し、師匠のこんな姿も撮ることができちゃったしねぇ……」
益華はニタァと笑い、ポケットから写真を取り出して見せつけてくる。なんとベッドの上ではだけている俺が映っていた。
「なっ! 夢だと思っていたあれは現実だったのか!?」
「ふへっ! す、すごいわ……師匠の、こ、こんな油断してる姿、初めて……あ、あぁ、なんて可愛らしいのかしら……」
「い、一体それをどうするつもりなのだ? はっ! まさか、強迫か!? 仕事を引退しなければそれを世間にばらまくつもりなんだな!?」
「ば、ばらまく? そ、そんなもったいない! これはあたしだけが使っていいものなんだから……!」
「ぬ? 使う……とは?」
「え? …………あっ」
何か失態をおかしたのか、益華は硬直する。
そして顔を真っ赤にし、どばどばと汗を垂れ流した。
「やはり脅迫するつもりなのだろう! まさか君にこんな卑劣なことをされるなんて……一体俺に何を求めるつもりだ!? 一思いに言ってみろ!」
「ち、ちがっ、そうじゃなくて……!」
「では使うとは何だ! 上半身が丸見えの俺の写真を使って一体何をするつもりなのだ!」
問い詰めていると、ちょいちょいと肩を突かれた。振り返ると呆れた様子の相乃の顔があり、どういう訳か「それ以上はやめたげて」と静止された。
「止めるな相乃! あんな恥ずかしい写真を撮られたのだ、どのようなことに利用されるのか知る権利がある!」
「いや普段の君の方がよっぽど恥ずかしいから。あの写真になんの価値もないから」
「ではあれは一体何に使われると? あんな俺のはだけた写真を何に使えると言うのだ?」
不安になって問いただしていると、「わ、わあああっ! それ以上はやめてぇ……!」と珍しく益華が大きな声を出した。
「は、波之良さん! は、早く、やるなら早くやっちゃってよぉ……! 滅茶苦茶にして記憶消し飛ばしてぇ……!」
「……排除師なんて名乗るだけあって、捻くれた恋愛をしているんだな。まあそれはいいとして……さあお前たち、やつらにワタシの嫉妬を浴びせてやれ!」
それを合図に親衛隊たちは振りかぶる。一斉に腕を頭上より振り下ろし、『嫉妬の波動結晶』を投げつけて来た。
「くっ、いきなりとは卑怯な! しかし甘いッ!!」
ソフトマッチョな肉体を維持するため、日々鍛えている俺である。か弱い少女たちの投擲を躱すことなど容易いことだった。
容易いことではあったが、俺が躱したせいでほとんどの結晶が相乃に当たってしまった。
「あびゃああああああっ!!」
「あ、相乃ォー! しっかりしろ、相乃ォー!」
嫉妬に塗れてどろどろの体を揺さぶってみるが、「ォ……ォォ……ォォォオ……」としか返ってこない。嫉妬に飲まれて意識が消えかかっているようだ。
「あっはっは! その様子なら理性まで吹っ飛んでしまったかもな? これでそいつの恋心は終わりだ!」
「いや、それはどうかな?」
「なに? 何だその余裕は。まさか、そんな状態の彼女を助ける術でもあるのか?」
「俺は益華の師匠だぞ。彼女の力のことは知り尽くしている。嫉妬はな……愛に触れることで消え去るのだッ!」
俺は先ほどのパジャマ姿の桃地ヶ丘さんを思い浮かべ、「目覚めるのだ、相乃ッ!」と右の手の平より愛を撃ち出す。直撃した相乃は、「んにゃあああああっ!?」と爆発し、衣服とともに纏わりついていた『嫉妬』が吹き飛んだ。
「ちょっと愛多知君、いきなり何!? 何で私、爆発させられたの!?」
「相乃、俺の質問に答えろ。君はまだ桃地ヶ丘さんのことが好きか?」
「え? 当たり前でしょ、そんなこと。今朝着てたパジャマになりたいぐらいに好きよ」
「よし、その変態性、間違いなくいつも通りの相乃だな!」
ねえ今失礼なこと言った? ねえ言ったよね? と迫ってくる相乃を無視し、俺はすぐに駆け出せるよう腰を低く構える。今度はこちらが攻撃する番だ!
「いいか親衛隊たち、よく聞け! 俺の名前は愛多知伝真! 『愛の伝道師 DE☆N☆MA』だ!」
一気に親衛隊に迫り、うろたえる彼女たちの手に、彼女たちが放つ愛より生み出した『波動結晶』を握らせる。
そして不思議そうにそれを見つめる彼女たちに向かって俺は言った。
「それは君たちの『愛』そのもの! それを波之良氏に贈れば、確実に想いが伝わる! 今まで仕えるだけで伝えられなかった純然たる愛を知ってもらうチャンスだぞ!」
親衛隊たちは顔を見合わせ、「ねえ、デンマってまさか、あの『DE☆N☆MA』?」「うそ、本物? ってことは!」「そうよ、これが噂の『絶対相手と結ばれる魔法のアイテム』よ!」「じゃ、じゃあさ……」「これを渡せば、波之良様が私たちに振り向いてくれる!?」と口々に話し始めた。
「おいお前たち、そんなものは捨てて『嫉妬の波動結晶』を取り出せ! もう一度浴びせてやるんだ!」
波之良氏はそのように命令するが、親衛隊たちの耳には届かなかったようだ。『愛の波動結晶』を手にした六人の乙女たちは、瞳をうるうるとさせ、波之良氏に体を向ける。
そして、「な、何だ?」と動揺する波之良氏に勢い良く迫った。
「波之良様ぁ! これ受け取ってください!」
「私たち、本当は他の女のことばっかり構ってるのがすごく辛かったんです!」
「お願いですっ! 私たちにも波之良様の愛を!」
「どうか振り向いてください! 私たちを見てくださいっ!」
「これが、私たちの気持ちなんですっ! ほら触ってください! 暖かいでしょう!? ね、波之良さまぁ!」
「あああちゅきなぉ! 波之良様、ちゅきちゅき大ちゅきなのぉ!」
「待て、こっちへ来るな! その結晶を近づけるんじゃない! う、うわああ――!!」
親衛隊たちに壁際に追いやられた波之良氏は、揉みくちゃにされ、彼女たちの陰に姿を消した。
やったか!? と俺は期待を持って窺うのだが、
「い、いい加減にしないかぁぁああ――!!」
と、波之良氏は大声を上げ、親衛隊たちの隙間から腕を伸ばし、彼女たちの乳房を揉みしだき始めた。
ああっ、すごい! 何て手つきなの! 波之良様ぁ! ……と声を上げて次々に倒れていく親衛隊たち。残るは一人だが、
「あ……ごめんなさい、わたし……」
その子はぺったん子だった。
波之良氏は手をにぎにぎさせ困っていたようだが、おもむろにその子を抱き寄せると唇を重ね合わせた。
こちらからはよく見えなかったが……きっとすごい何かをされたのだろう。キスをされたその子は倒れ伏し、鼻から噴き出した血で水溜まりを作った。
「はぁ……はぁ……愛多知伝真……君のせいで親衛隊が駄目になってしまった。もう手駒は一人もいない。さすがにワタシ一人で君たちとやりあうことは難しいだろうな……」
髪も服も乱れたまま、波之良氏はこちらに顔を向けてくる。目は充血し、野獣のように歯をむき出していた。
「では桃地ヶ丘さんは諦めて――」
「しかし! 生徒会の長にして全校生徒の頂点に君臨し、欲しいものを欲しいがままにしてきたこのワタシだ! 降参、敗北、敗走、放棄、挫折することなど決してない! 我が麗しのハーレムの中核に一檎を据えると決めたからには、絶対にあきらめはしない!」
波之良氏は額の汗を拭い、息を整えると、俺たちに向かって指を差してきた。
「一週間後だ! 一週間後、同時に一檎へ告白しようじゃないか! 『正々堂々と戦え』というお前の提案に乗ってやろう!」
「告白だと? 待て、そんな急に決められても困る」
「そうよ! 私たちなりに準備しなくちゃいけないんだから!」
「断るなら断ればいい! だが、そうすればその準備とやらをワタシは妨害するぞ! 永遠に告白できないよう、いつまでもしつこくな! それが嫌ならば決闘を受けるがいい!」
やはり波之良氏は厄介な相手だ。ここまでされたというのに、彼女の目は死んでいない。歪んだその目には「とことんやってやる」という暗い決意が宿っていた。
「ど、どうしよう、愛多知君……」
相乃の表情には自信のなさが窺えた。こんなタイミングで告白して勝機はあるのか、と不安で仕方がないのだろう。
「贈る結晶の造形すら決まっていない今、告白するのは時期尚早だ。そもそも、恋を知らない桃地ヶ丘さんに愛を伝えたところで理解してもらえまい。しかし……波之良氏に邪魔をされては、進むものも進まなくなる」
待て、それでは俺たちの敗北ではないか? ……そんな考えが過るが、ここで諦めてしまえば俺だけではなく相乃も悲しい思いをすることになる。
『愛の伝道師 DE☆N☆MA』として依頼者を傷つけるわけにはいかない。
俺は決心し、波之良氏に向き直った。
「よかろう! その決闘、受けて立つ! だが、この条件は飲んでもらう! もし告白に失敗した場合、俺たちの告白の結果いかんに関わらず、二度と桃地ヶ丘さんと俺たちに近づくな! 卑怯な手を使って何人もの愛を壊してきたケジメをつけてもらう!」
「構わんよ。敗者は勝者の言いなりになるというのが決闘のしきたりだからな。逆にワタシが告白に成功した場合、君たちが一檎の下を去ってもらうからな!」
「仕方あるまい……その条件を飲もう。では次に決闘の場所だが――」
「東区の結浜海浜公園、波止場広場を指定する! 日時は来週の日曜日の十七時! 美しいと有名な夕景の中で命運を賭けるとしようではないか!」
「オーケー、それで決定だ! その代わり、決着がつくまで桃地ヶ丘さんに接触しないことを誓ってもらうぞ!」
「ああ、君たちに打ち勝つ気持ちを蓄えるため、その日まで近づかないでおいてやる! くく……ワタシに歯向かったこと、後悔させてやるからな!」
豪語した波之良氏はふらふらの親衛隊たちを引き連れ、家を出て行った。「わ、忘れて! さっきのあたしの言葉忘れて……!」と言い残し、益華も去って行く。
騒がしいやつらがいなくなって、俺たちは一息吐く。が、降りかかった問題のせいでその一息は溜息に変わった。
「ど、どうしよう……もっちーのことだから、あの人に告白されたらオーケー出しちゃうかも。今まで朝ご飯作ってくれたお礼にって……」
「いや、それはないだろう。相手にされなかったからこそ益華に頼り、一人占めしようとしたのだろうからな。まあしかし、勝算が全くないのに決闘を挑んでくるはずもないか。一体どんな策があるのやら……」
「こっちは心の準備すらできてないよ。こんな形で告白して、私、納得できるのかな……」
せめて、より愛を伝えやすくするために結晶の形状に拘りたかったところだが……一週間で桃地ヶ丘さんから恋愛観や嗜好を探るのは難しいだろう。しかも恋愛に疎いとなったら、形状に拘ったところで意味をなさないかもしれない。
となると、俺たちの恋を成就させ、そして波之良氏に勝つために必要なのは――
「相乃、こうなったら徹底的に愛を深めるぞ!」
「愛を深める? えーっと……もっと好きになろうって意味?」
「そうだ! その想いの強さだけで心の扉を開き、恋愛がどういうものなのか理解させてしまうぐらい研ぎ澄ませた愛を結晶に閉じ込めるのだ! もう他に方法はない!」
「愛を研ぎ澄ませる、かぁ……なら、すごく辛いけど、今日から極力もっちーと会わないようにするよ。会えない日が続くと、際限なくもっちーへの気持ちを高められるからね」
「よし、では俺は今日中に桃地ヶ丘さんの家の状態を元に戻し、彼女を帰宅させよう! そして波之良氏が隠れて近づかないよう、すぐ傍で護衛する! 俺は単純に桃地ヶ丘さんの傍にいれば気持ちが高まっていくからな、これで二人とも一週間後には強力な『波動結晶』を作り出せるはずだ!」
「うぅ……護衛役、私もやりたいけど……そこはこらえて君に任せるよ! 絶対に、ぜぇったいに先輩に勝とうね!」
「ああ、勝とう! そして俺たちのどちらかが桃地ヶ丘さんの恋人になるのだ!」
俺は気持ちを奮い立たせ、ライバルであり、同じ人を好きになった仲間に向かって笑顔を向ける。
相乃も同じように返してくれると思ったのだが、しかし彼女は「恋人……」と呟いて表情に影を落とした。
「む、何だその反応は? 俺に勝てるか不安にでもなったか?」
「ん、いやそうじゃなくて、何と言うか……その時が来たんだなって思って」
「何だ、ついに恋人になる日が来たのかと緊張しているのか? おいおい、勝負の前に勝ったつもりでいるとは……フ、油断してくれるというのなら、この勝負は俺の圧勝だな! 恋人になった記念として食事に行くプランでも立てておくことにしよう!」
大仰な態度で煽ってみせると、相乃はいつもの溌剌さを取り戻してむっとしてみせた。
「ふーんだ! 今のうちに言ってなさい! もっちーの心を掴むのは私なんだから!」
「何にせよ、悔いが残らないように備えよう。そして正々堂々と勝負だ!」
「ええ、お互い一生懸命やろうね!」
強気な笑顔を見せる彼女と、しばし見つめ合う。
こんな状況下で依頼人に告白してもらうのは初めてのことで、どのように励まし支えてやればいいのだろうと不安だったのだが、この様子なら気を遣ってやる必要はなさそうだ。
俺はそう思いほっと息を吐くのだが、
「それじゃあさっそく準備に入るね!」
と言って自室に戻ろうと相乃が俺に背を向けた……その一瞬。
彼女の表情から笑顔が消え、酷く寂しそうな感情が浮かんだように見えた。




