第三話 お泊り戦争④
波之良氏が奪い取ってきた『波動結晶』の持主が、塩ザンギ専門店でバイトをしていることを覚えていたのは幸いだった。スマホで調べたところ数分の距離に一件存在しており、桃地ヶ丘さんが利用していたのはその店に違いないと急ぎ向かった。
「どう? ここで当たってる? レビューサイトで高評価だし、もっちーなら絶対足を運ぶと思うんだけど」
「ああ、正解だ。昨日相談を受けた男子高校生が店番をしている」
軒先に踏み入り、外に面したテイクアウト用の窓口に近づいて軽くノックする。窓の向こうで退屈そうに突っ立っていた依頼者の彼は、「あ、『DE☆N☆MA』さんじゃないすか!」と笑顔で窓を開いた。
「らっしゃい! さてはレビュー見て食ってみたくなったんスね? あれ、でも俺、働いてるザンギ屋がここだって教えましたっけ?」
「いや目星をつけて運よく辿り着いたのだ。そしてすまないが買い物に来たわけではない」
「はあ、じゃあ何の用スか?」
「君の様子を窺いに来たのだ。昨日から今日までの間に何か変化がなかったか、とな」
「変化っスか? 特段、話すことないっスよ? 恋愛についても進展してないんで」
軽薄に笑う彼を見て、「……何だか普通だね」と相乃が耳打ちしてくる。
「……いや、普通なものか。『波動結晶』を奪われているのだぞ? 例え本当に譲渡したのだとしても『話すことはない』と答えるのはおかしいだろう」
「……た、確かにそうかも」
「あのぉ、二人で何コソコソ話してんスか? 俺、何か変なこと言いました?」
「ああ、すまない。何でもないんだ。幾つか質問したいのだが、体は何ともないか?」
「体ぁ? いきなり何スか、俺の健康心配してくれてんスか?」
「ある意味そうだ。実は君の『波動結晶』を別の人間が持っているのを見てしまってな、何か酷いことをされて奪われたのではないかと心配して来たのだ」
すると店員は、「ああ、そういうこと!」と手を叩いた。
「いやいや、全然そんなんじゃないんスよ! あれ、譲ったんです!」
「なっ、それは本当か!? 昨日の今日で何があった! 意中の相手と友だちになりたいのではなかったのか!?」
「あー、まあ、そうだったんスけど、やっぱやめたんスよ。なんつーのかなぁ……俺みたいなやつがいっちょ前に純愛気取ることに申し訳なくなってきたんスよねぇ。そう、罪悪感みたいのが湧いてきて、どうでも良くなってきたんスよ」
「む、むむっ! ざ、罪悪感、だと……?」
カウンターに頬杖をついた店員は深々と溜息を吐く。数秒前まで溌剌としていたのに、今は目が淀んでいて倦怠感が窺える。
様子の急変、そして『罪悪感』という言葉を口にする……俺はこのパターンを見たことがある。何年も前のことだが、まさか――
「おい君、俺に体を見せてみろ」
「は? 体を見せろって……あっ、ちょっと何で襟引っ張るんスか! 脱げちゃう、脱げちゃう! イヤァーーッ!!」
「あ、愛多知君!? 見られるのに飽き足らず、見る方の性癖まで……!?」
「断じて違う! 見ろ、首筋を!」
「首筋? あ、なにそれ、ハート模様の入れ墨?」
相乃が言うように、店員の首筋には黒いハート型の模様があった。中心には罅が入っており、まるで失恋マークのようである。
それを指先でこすり、「あっ、ちょ、ぬふぅ! んっ、あっ、あはぁ!」どうにか消し去ると、店員の目に輝きが戻った。
「あ、あれ? 何か体が軽くなったような……しかも気分すっきり!」
「元気になったようで何よりだ。だが、気持ちの方はどうだ? 恋をしている女性客への想いは、まだ残っているか?」
「あーそうっスねぇ、昨日はあんなに盛り上がってたのに、今はすっかり冷めちゃった感じっス。ま、きっとまた店来てくれるんで、そん時話せればいいかな」
そこで奥から店長らしき男の声が聞こえてきた。「すんません、ちょっと」と言って中へ引っ込んで行く店員を、俺は悔しさと申し訳ない気持ちで見送った。
「ねえ、あのハートマークは何なの? 今回のことと何か関係でも?」
「……あれは、『波動痕』だ」
「『波動痕』? 波動って、愛多知君が見ることができる感情の発露ってやつ?」
「ああ、そうだ。あの痕は、『嫉妬の波動』より作られた結晶をぶつけられた時に現れるものなのだ」
「『嫉妬の波動』……そんなものがあるんだ。でも……あれ? 愛多知君が見て触れるのは『愛の波動』だけって話だよね?」
「ああ、そうだ。実はな、この町には俺以外にも超能力者が存在する。そいつは『嫉妬の波動』を見ることができ、具現化することができるのだ」
「ええ? 超能力者が二人もいるわ、動き回ってしゃべるスチール棚が生息しているわ、この町どうなってんの……」
「俺が『愛の波動』を使ってそうするように、そいつも『嫉妬の波動』を結晶化させることができる。いつも小さな球体状に作るのだが、それをぶつけられると破裂し、中に仕込まれた液体状の『嫉妬』が黒いハート模様として肌に付着する。それが『波動痕』だ」
「そ、その『波動痕』を貼られたら、どうなっちゃうの?」
「それはな――」
答えようとした時、「じ、自分の愛に嫉妬しちゃうのよ。そして、ンフ、自分が恋していることが許せなくなって、愛を燃やし尽くしてしまうの」と何者かが割り込んできた。
はっ、とした俺は、店のすぐ横に設置されたベンチに顔を向ける。
声から察していたが、やはりそこにはそばかすが残る顔にボサボサの髪を垂らし、前髪の隙間から暗く卑屈な目を覗かせる女子が座っていた。
「やはり君の仕業か! 宇梅益華!」
「ふへ……お、お久しぶりね、師匠」
益華はザンギの入ったパックを片手に立ち上がり、かつてと同じように、背筋を丸めて俺を見上げてくる。まるで恐れ多いかのように、または自分を卑下するかのように。
「し、師匠って……え、なにこの子、愛多知君のお弟子さんなの?」
「…………、出会いは俺が小六で彼女が小四の時だ。俺はその時すでに力をものにしていたから、力の制御に困っていた彼女に使い方の指導をしていたのだ」
「小学生時代からそんなドラマが……」
「だが益華はある日、突然姿を消した。その後は何の音沙汰もなく、ずっと心配していたのだが……まさか、こんな形で出会うとは」
益華はもっしゃもっしゃとザンギを頬張りながら、「お、驚いたでしょう。いきなり姿現すんだものねぇ。ンフ、か、感動の再会ね」とニタニタ笑った。
「益華よ、ここの店員の『波動結晶』を奪い、波之良氏に与えたのは君だな? なぜこんなことをした! 君の力は神より授かった贈り物、人の幸福のために使うべしと教えたはずだろう!」
「なぜって、だ、だってこれがあたしの仕事だから」
「なに? 仕事だと?」
「じ、実はあたし、師匠を見習ってこの力で商売を始めたの。同じく恋愛カウンセラーなんて名乗ってるけど、こ、恋敵の排除が主な仕事。今は波之良さんから桃地ヶ丘一檎に近づく者を排除してくれと依頼されてるわ」
俺と相乃は顔を見合わせる。波之良氏が俺たちを追い出したのは、つまりそういうことだったのだ。
「や、やっぱりあの人ももっちーを狙ってたのね! 友だちとか言っておいて、べたべたし過ぎだったもん!」
「恋敵の排除を依頼する、ということは恋人関係ではないはず。だというのに、まるであの家を二人の城だとでも言うかのような態度……癇に障るはずだ」
「は、波之良さんは親衛隊とかいうハーレムを持ってて、桃地ヶ丘一檎をその一員にしたいんだってぇ。ンフ……でもどれだけアプローチしてもなびいてくれないから、近づく者を排除することで独占しようとしてるみたい」
「その力を下劣な人間に貸すとは……忘れたのか、益華! その力の使い道を探ったあの日々を! 寝食をともにし、時には寝るのも惜しんで力の制御に勤しみ、俺たちは高めあったではないか! だというのに、どうして俺と逆の道へ進んでしまったのだ!」
「ま、まるで蜜月みたいな言い方……ふへ、ふへへ、師匠ったらいやらしいんだから」
益華は茶化すように言ってふへふへ笑うと、その眼差しに力を込めた。
「こ、この仕事を始めたのは師匠と対立するため。あ、あたしは師匠と勝負がしたい」
「俺と戦うことに何の意味があるのだ。君は俺の今の地位に嫉妬しているのか? だから評判を落とそうと結晶を奪うような真似を?」
「ち、違う! 地位とかどうでもいいし師匠を貶めるつもりはなくて……あたしはただ、その……」
語尾を濁した益華は、すすす、と視線を斜め下へとスライドさせる。
そして、ぽっ、と頬を染めた。
「ま、また、前みたいにお話できるかなって思って……」
「む? 話? それなら俺のもとへ来ればいくらでもできただろうが。なぜそうしない?」
「それは、無理……わ、話題が思いつかないというか、どんな立場で話せばいいのか分からないし……そ、それに、いきなりいなくなっちゃったことを何て謝ればいいのかも思いつかないから……」
「ふむ? 謝罪したい気持ちがあるということは、何か事情があって俺のもとから去ったということか? 益華よ、今からでも遅くはない。俺のもとへ戻って来い!」
「そ、それはできない! し、師匠の傍にいたら、あたしの力……どんどん弱くなっちゃうから……」
「弱くなる? どういうことだ、なぜそんな大事なことを相談しくれなかったのだ!」
「ふへ……だ、だって、師匠が原因だから……」
「なっ、俺が原因? そんな……俺は無自覚に君を追い詰めていたのか……?」
「ち、ちがっ、むしろ逆……し、師匠といると、心が満たされて……あたし、ど、どんどん嫉妬の力というか、自分の中の毒が薄れていっちゃうの……そのまま力が消えちゃったら、一緒にいる理由がなくなっちゃうから、は、離れるしかなくて……」
ぼそぼそと聞こえない声でつぶやく益華。声が小さくなるのと反比例して顔はどんどんと赤く染まって行き、最早ゆでダコ状態である。俺は彼女を相当怒らせてしまったらしい。
「何だかよく分からんが……益華、本当にすまないっ! 俺は知らず知らずのうちに君のことを傷つけてしまったということなのだろう?」
「ふへ? き、傷つける?」
「益華、俺にチャンスをくれ! 必ずや君の心を癒してやる! そして改めてその力の使い道を示そう! だから頼む、進む道を見定めろ! 俺のこの胸に飛び込んで来い!」
「なあ!? む、胸に飛び込む!? だ、駄目よ、師匠! あ、あたしたち、ま、まだ高校生と中学生なのに、そんな大胆なこと……!」
「む? 大胆? 何を言っているのだ?」
訊ねながら近づいていくと、益華は「あ、ああっ!」と言いながら鼻血を噴き出した。
「と、とととにかく、師匠は何も悪くないのでっ! で、でも……ンフっ! またこうしてお話したいから、商売敵としてまた会いにくるわっ! か、覚悟しておくことねっ!」
益華は捨て台詞を吐き、鼻血をそのままに走り去って行く。その見事な逃げ足を見るに健康そうではあるので、その点に関してはほっとした。
「むぅ……結局何が原因でこんなことになってしまったのやら。相乃はあいつの言っている意味を理解できたか?」
顔を向けると、「私は何を見せられてるんだろう」とでも言うかのように相乃は遠い目をしていた。
「あのさ、愛多知君。あの子の体から『愛の波動』が出てるの見えなかった?」
「いや、何も。姿を眩ます前、あいつは俺よりも波動のコントロールが上手になっていてな。愛や嫉妬を抱いていても波動を出さずにいられる技術を身に着けているのだ。ところで相乃、まるで自分には見えていたかのような言い草だが……まさか君も俺と同じ力が目覚めたわけではないだろうな?」
「いやぁ、見えなくても分かるよ、うん……愛多知君ってば罪な人だね」
「む、どういう意味だ?」
「めんどくさいからその話はまた今度……それより今は先輩だよ! あの人ももっちーが好きってことはさぁ、色々とまずいよね? だって二人っきりで暮らしてるんでしょう?」
「親衛隊が傍に控えているようだが、まあほとんどそのようなものだろうな」
「もっちーと話してた『イタズラ』がどうこうとかって話……何かさ、ふしだらな気配するんだけど……」
「ああ、今のところは大したことはしてなさそうだが……」
しかし俺たちの脳裏には桃地ヶ丘さんの乳房を揉む波之良氏の手つきが焼きついていた。けしからんあの手つきには迫真に迫る情熱と情欲が感じられた。このまま放っておけばエスカレートしていくことだろう。桃地ヶ丘さんの貞操の危機だ。
「相乃、こうなったら――」
「うん、分かってるよ」
言葉を交わさずとも、俺が考えていることを理解したらしい。相乃は決意のこもる目を向けてくる。俺たちは頷き合い、全速力で駆け出した。




