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魔術院を出ていない俺が、王立魔術法務団のエースに拾われて法務官になった件  作者: 御蔭
魔術法務官の条件

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9/10

2-1


 朝の王都は、もう動き始めていた。


 カイは本部に着くなり、レオンの執務室に向かった。扉を開けると、レオンは外套を羽織りかけたところだった。片腕だけ袖を通して、もう片方の手でデスクの上の書類をめくっている。これから出かけるようだった。カイには一瞥もくれなかった。


「子爵家から回答が来た」


「知ってる」


 レオンは書類から目を上げずに言った。


「『魔力契約に基づき正当に解除した。異議はない』。一行だけだ」


「たった一行?……相手にする気がないってことか」


「そういうことだ」


 レオンは書類をデスクに放り、もう片方の腕を袖に通した。外套の襟を立てもせず、崩したまま。


「来い、飯を食う」


 先に歩き出した背中を、カイが追った。本部を出て、裏手の通りにある屋台で足を止めた。串焼きを二本買い、一本をカイに放った。カイは片手で受け取った。


 レオンが串焼きをかじりながら歩く。上席法務官が路上で立ち食いをしている。仕立てのいい外套に串焼きの油が落ちそうだったが、本人はまるで気にしていなかった。カイは少し驚いた。この男はどこまでが計算で、どこからが無頓着なのか、まだ掴めなかった。


「依頼人のことは気にかけてるか」


「当然だろ。あの人は——」


「やめろ」


 レオンが串焼きを振って遮った。油が一滴、石畳に落ちた。


「法務官は医者だ。患者に感情移入する医者は手が震える。お前の仕事は勝つことだ。親身になることじゃない」


 カイは口を閉じた。レオンの横顔を見た。串焼きをかじる顔に、冗談の色はなかった。経験から出た言葉だった。何度も勝ってきた人間の、何度か負けたこともある人間の声だった。


「勝てば依頼人は救われる。負ければどれだけ親身になっても意味がない。わかるな?」


 カイは串焼きを噛んだ。反論したかった。けれど言い返す言葉が見つからなかった。エルダの腕に刻まれた術式の痕と、あの息子の小さな手が頭に浮かんだ。勝てばいい。勝てば、あの手が母親の裾を握らなくて済むようになる。


 通りの向こうに乗合荷車が止まっていた。御者が荷を降ろしている。カイが足を向けた。


「おい。どこ行く」


「帰りの足を確保しておかないと。あの御者、今日はいつまで走ってるか聞いとく」


 レオンの足が止まった。串焼きの骨をくず箱に放り込んで、カイを見た。目が細くなった。何かを踏んだ時の、あの顔だった。


「……何でここまで来た」


「乗合荷車だけど」


「あの、野菜と一緒に乗るやつか」


「今日は鶏だった、もちろん人もね」


 レオンの目がカイの肩に向いた。羽が一枚ついている。白い羽だった。上席法務官の隣に立つ男の肩に、鶏の羽。カイが指で摘んで払い落とした。羽が風に乗って、石畳の上を転がっていった。


 レオンは数秒だけ黙って、それから前を向いた。


「……わかった。次の話をしよう」


 歩き出した。カイが横に並ぶ。


「痛むところを押せと言った。子爵がこれを一回だけやったと思うか?」

「……やってない」

「やってたら?」

「前にも被害者がいる」

「そいつを見つけろ。子爵家に仕えた人間の魔術記録を全部出させろ」


 カイは頷いた。それから口を開いた。


「……どうやって出させるんだ」


 レオンが足を止めた。振り返った。カイを見る目に、呆れと、かすかな既視感があった。自分にもこういう時期があったのかもしれない。あるいは、なかったのかもしれない。どちらにしても、この目は見覚えがあった。セレナが自分に向けていた目と、同じ種類の目だった。


「……そこからか」


 ---


 午前中、カイはレオンに渡された紙を持って王都の中央区画に来ていた。


 仕立屋の前に立つ。磨かれた木の扉、真鍮の取手、ガラス越しに見える壁一面の生地見本。店内の空気が違うのが、外からでもわかった。カイは扉を開けずに、ガラスの外から中を覗き込んだ。自分の姿がガラスに映った。安い麻の上着、擦り切れた袖口、銀貨2枚分の全財産。ガラスの向こう側の世界と、こちら側の世界。


 ガラス越しに見える店主が、店員に目配せをした。カイの姿を見ていた。カイが扉を押し開けた瞬間、ひそっと呟く声が漏れ聞こえた。


「ひどいのが来たよ」


 カイは懐から紙を取り出した。


「ここの店主は?」


 店主が奥から歩いてきた。仕立てのいい上着を着て、胸にピンを刺している。目がカイの服を上から下まで走った。一秒もかからなかった。結論はもう出ている顔だった。


「私ですが。申し訳ありませんが、麻の仕事着は扱っておりません」


 声は丁寧だった。丁寧さの中に、壁があった。


「……レオン・ヴァルクから聞いてない?」


 店主の背筋が伸びた。顔が変わった。壁が消えた。別の顔だった。


「レオン様が? それは話が別です。……お客様、股下はおいくつで?」


「……中サイズ、だと思う」


 店主が一瞬目を閉じた。プロの忍耐だった。額に皺が寄りかけて、すぐに消えた。


「……左様でございますか。ご案内いたします。その壁沿いが既製の吊るし服のコーナーで、入口に近づくほど金額も控えめとなっております」


 手で示され、カイは歩き始めた。奥につるされている服は、見たことのない光沢をしていた。値札を見た。金貨1枚。指が値札に触れかけて、止まった。


 入口に向かって歩いた。少しずつ値段が下がる。金貨から銀貨に変わった。それでも、吊るしの服でさえ一着で銀貨15枚。カイの足が止まった。懐の中身が、指で数えるまでもなく浮かんだ。銀貨2枚。


 その間に、店員がいつの間にか足元にしゃがんでいた。巻き尺がカイの足首に当たった。


「おっ——」


 カイが飛び退いた。店員は無表情のまま巻き尺を巻き戻した。何も起きなかったかのように立ち上がる。プロだった。客が驚こうが逃げようが、一度測った数字は覚えている。そういう顔だった。


 カイは値札をもう一度見た。銀貨15枚。今の自分の全財産の7倍以上。見るだけで胃の奥が重くなった。


「……また来る」

「お待ちしております」


 店主の声は完璧なまでに丁寧だった。銀貨15枚の吊るし服すら買えずに逃げ帰る小僧だと、完全に見透かしている声だった。プロの愛想で包まれた上等な嫌味が、カイにはひりひりと痛かった。


 扉を閉めて外に出ると、午前の陽射しが白く刺した。ガラスに映った自分の姿は、入る前と何も変わっていなかった。

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