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魔術院を出ていない俺が、王立魔術法務団のエースに拾われて法務官になった件  作者: 御蔭
魔術法務官の条件

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1-7


 執務室の扉が開く音がした。カイは顔を上げた。


 レオンが入ってきた。顔に何の表情もなかった。表情がないことが、最も雄弁だった。ディアナはレオンの顔を一目見て、何が起きたかを理解した。書類を閉じ、壁際に下がった。


 レオンはデスクの前に立ち、カイを見下ろした。


「帰れ」


 カイは一瞬、聞き間違えたと思った。


「……え?」


「昇格がなくなった。お前を雇う理由もなくなった」


「ちょっと待ってくれ」


「待たない」


 レオンの声は平坦だった。怒っているのではなかった。もっと冷たいものだった。計算だった。


「お前がここにいること自体がリスクだ。魔術院を出てないことがバレたら、俺が終わる。帰れ」


 カイは椅子から立ち上がった。しかし出口には向かわなかった。足が動かなかった。ミーシャの顔が浮かんだ。首筋に浮かぶマナの筋。呼気に混じる青い粒子。金貨20枚。ここを出たら、もう二度と手に入らない。


「バレたら解雇されると心配してるなら、解雇しない方がいい」


 声は、自分でも驚くほど冷静だった。


「クビにしたら、俺が陛下に全て話す。あんたの免許が飛ぶことになる」


 レオンの目が細くなった。


「俺を道連れにするのか」


「あんたが自分の利益を俺の上に置いたから、俺も自分の利益をあんたの隣に戻しただけだ」


 沈黙。レオンがカイを見た。数秒。怒りではなかった。目の奥で、何かが動いた。面接の時にも見た目だ。退屈が消えて、別のものが入る。あの目だった。


「……座れ」


 カイは座った。膝が震えていたが、見せなかった。


「いいか。お前が魔術院を出ていないことは、この部屋の外では存在しない事実だ。聞かれたら王立だと答えろ。バレたら俺もお前も終わる。わかってるな」


「わかってる」


「免許もないな?」


「ない」


「幸い、準一級魔術士免許なら試験のみで取れる。べらぼうに難しいがな。お前なら通るだろう」


「一級は?」


「魔術院の課程を修了しないと受験資格がない。つまり、お前には取れない。だが準一級があれば、実務上は問題ないはずだ」

 

 カイは黙って頷いた。天井のない階段を登り始めたようなものだった。途中までは行ける。けれど最上階には届かない。


 ディアナが壁際で、微かに口元を動かした。笑ったのかもしれない。あるいは、この場面をどこかで見たことがあるような顔だった。


 ---


 レオンが再びセレナの執務室に向かったのは、カイとの会話から十分も経っていなかった。カイの言葉が、まだ耳に残っていた。「自分の利益を隣に置いただけだ」。あの男は、自分を守るためにレオンを脅した。同じことを、もう一度やればいい。相手が違うだけだ。


 セレナの執務室に入った。セレナはまだデスクにいた。レオンが戻ってきたことに、驚いた様子はなかった。


「昇格させないなら、俺が抱えてる案件を全部持ってこの国を出る」


 セレナの目が、静かにレオンを見た。


「脅しのつもり?」


「それと、もう一つ」


 レオンは一歩前に出た。


「アルシュ伯爵の件、殿下も報告を受けた上で俺に任せた。結果を見て何も言わなかった。俺が倫理審査にかけられるなら、殿下も報告義務を果たさなかった責任を問われる」


 部屋が静まった。窓の外で鳥が鳴いた。それだけが聞こえた。


 セレナが背を向けた。窓の方を向いた。長い沈黙が続いた。


 レオンにはセレナの顔が見えなかった。けれど、背中の空気が変わった。怒りではなかった。もっと別のものだった。


 セレナの口元が、微かに動いていた。背を向けたまま、笑っていた。嬉しそうに。


「……条件があるわ」


「何でも」


「鍋底案件を引き受けなさい」


 セレナが振り返った。目はもう穏やかに戻っていた。


「民間が持て余して、どこにも回せない案件。報酬はないけど、評判は上がるわ」


「鍋底を俺に?」


「あなたには人を思いやる心を持ってほしいの。ちょうどいいわ、必ず自分でやりなさい」


 レオンの歯が噛み合った。音にはならなかった。けれど顎の筋肉が動いたのを、セレナは見ていた。


「……わかった」


 レオンが出ていこうとした時、背中にセレナの声が届いた。


「レオン」


 足が止まった。振り返らなかった。


「あなたの新しい部下。面白い人間だといいわね」


 レオンは何も答えずに部屋を出た。


 ---


 執務室に戻ると、カイがまだ椅子に座っていた。行儀よく座っているわけではなかった。足を投げ出し、天井を見上げていた。ディアナがその横で、何事もなかったかのように書類を整理していた。


 カイが顔を向けた。レオンの表情を読もうとしている目だった。


「鍋底案件だ。お前の最初の仕事だ」


「鍋底?」


「民間が持て余したどうしようもない案件だ。報酬もない。名誉もない。こびりついてて、誰もやりたがらない」


 カイの目が動いた。鍋底という言葉ではなく、「お前の最初の仕事」という言葉に反応していた。案件の中身がなんであれ、最初の仕事をもらえた。それだけが大きかった。


「やる」


 レオンが書類の束をデスクから取り上げ、カイに放った。カイは片手で受け取った。ロビーで受け取った時と同じ動作だった。反射的に受け取れる人間の腕だった。


「読んでおけ。明日までに全部頭に入れろ」


 カイが書類を開いた。その間にレオンの目がカイの服装に向いた。安い麻の上着。新しいが、仕立てが悪い。布が安い。この建物の中でこの服を着ている人間は一人もいなかった。


「まともな服を買えと言ったはずだ」


「買ったさ。銀貨3枚もかけた」


「何着で」


「……3着」


 レオンの目が細くなった。道端の糞を踏んだ時と同じ目だった。


 カイの常識にはない価値観だった。


「服に金をかけるのがなんでそんな大事なんだ」


「人は見た目で判断する。好むと好まざるとに関わらず、それが仕事だ」


「それ、なんか気にかけてくれてるように聞こえるけど」


「気にかけてない。お前は俺の映し鏡だ。俺は自分のことは確実に気にかける。だからまともな格好をしろ」


 レオンは懐から紙を一枚取り出し、カイに放った。紙には仕立屋の名前と住所が書かれていた。


「俺の行きつけだ。行って、名前を出せ。見た目に金をかけろ」


 レオンは外套を掴んでデスクの横から抜け、部屋を出ていった。カイは紙を見つめた。仕立屋の住所は王都の中央区画だった。カイが足を踏み入れたことのない区画だった。


「行っておきなさい」


 ディアナが書類から目を上げずに言った。


「ただし、あの店の値段を見て卒倒しないようにね」


 カイは紙を懐にしまった。銀貨3枚で3着の上着を買った自分が買えるものがあるのか?想像するだけで、胃が重くなった。


 けれど、手元には鍋底案件の書類があった。最初の仕事だ。


 カイは張り切って書類の一行目を読み始めた。


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