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魔術院を出ていない俺が、王立魔術法務団のエースに拾われて法務官になった件  作者: 御蔭
魔術法務官の条件

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1-4


 翌朝。王都の東区画は、朝から人の往来が絶えなかった。石畳の通りに面した宿屋、チルトン亭。白壁に蔦が這い、磨かれた真鍮の看板が朝日を弾いている。格式のある建物だった。少なくとも、カイ・レーヴェンが普段足を踏み入れるような場所ではなかった。


 借り物の上着は肩幅が合っていない。ニコから押しつけられたものだった。懐には布に包んだ禁制呪具が収まっている。胸に当たるその重みを意識するたびに、心臓が嫌な脈を打った。


 ロビーに入ると、高い天井と磨き上げられた床が目に入った。宿泊客は上等な服を着た商人や旅行者ばかりで、カイの安い靴音だけが場違いに響いた。


 壁の掲示板に、一枚の案内が貼られていた。「王立魔術法務団 入団選考 — 3階大広間にて」。カイは一瞥しただけで通り過ぎた。自分には関係のない世界だった。


 2階の廊下を進む。指定された部屋は突き当たりのはずだった。


 廊下の角に、ベルボーイが客と話をしていた。客は部屋の鍵が開かないと困っている様子だった。カイは足を緩め、ベルボーイに声をかけた。


「すみません。ここの浴場はどこですか?」


「申し訳ございません、本日は改装中でご利用いただけません。ですが、チルトン亭は王都随一の設備を誇っておりますので——」


 ベルボーイが丁寧に説明を始めた。カイは頷きながら、隣に立つ客に目を移した。旅装の男。上等な外套を着ているが、荷物がない。宿泊客なのに、手ぶらだった。


「今、何時かわかりますか?」


 カイは何気なく聞いた。男は反射的に腕を上げた。外套の裾が開き、腰に吊られた短剣の柄が見えた。旅人の護身用ではなかった。王都の取締官が使う、制式の拘束具だった。


「九時を少し回ったところだ」


 男は答えた。カイは礼を言い、その場を離れた。


 心臓が跳ねたが、足は止めなかった。歩く速度を変えずに廊下を進んだ。指定された受け渡し部屋が近づく。扉の前を通り過ぎる瞬間、横目で見た。扉の向かい側の壁際に、もう一人。こちらも荷物がない。腕を組んで壁に寄りかかっているが、目だけが廊下を行き交う人間を追っていた。


 三人。少なくとも三人は配置されている。


 カイは受け渡し部屋の前を何事もなかったかのように通り過ぎた。角を曲がったところで、足が止まった。


 ロビーの掲示板が頭に浮かんだ。3階。王立魔術法務団の入団選考。


 追手は2階にいる。下に降りれば出口は塞がれている可能性がある。上に逃げるしかなかった。


 カイは階段を上がった。走らなかった。走れば目立つ。一段ずつ、宿泊客と同じ速度で。3階に着いた時、背後で2階の廊下に足音が増えた気がした。


 ---


 3階の廊下には、カイとは別の世界の人間が並んでいた。


 正装の若者たち。仕立てのいい上着に磨かれた靴。姿勢が良く、顔つきに余裕がある。王立魔術院を卒業した、育ちのいい候補者たちだった。


 受付にはディアナが座り、隣室ではレオンが面接を行っていた。


 最初の候補者が入った。レオンは椅子の背にもたれたまま、一つ質問をした。候補者が教科書通りの答えを返した。レオンの指がテーブルを二度叩いた。候補者が退室した。


 二人目。三人目。四人目。どの顔も同じに見えた。仕立てのいい服、自信に満ちた声、魔術院の成績、教授の推薦状。そして、レオンの目を真っ直ぐ見返す度胸のない目。


 五人目が退室した後、レオンが立ち上がり、受付のディアナのところまで来た。


「全員同じ顔をしてる」


「魔術院の首席が二人もいたわ」


「首席が二人いたら、どっちも首席じゃない」


 ディアナは書類から目を上げなかった。


「で、どうするの。まだ何人か残ってるけど」


 レオンは廊下に並ぶ候補者たちを一瞥した。同じ服、同じ姿勢、同じ空気。


「お前がさばけ。面白いのが来たら教えろ」


「どんな人がいいの」


「もう一人の俺だ」


 ディアナが初めて顔を上げた。レオンを見て、小さく口の端を上げた。


「つまり、自信家で自分が一番優秀だと思ってる人間ね」


「だからお前が側にいるんだ」


 レオンは隣室に戻った。ディアナは廊下の候補者たちに目を向けた。一人ずつ名前を呼び、短い問答を交わし、隣室へ通す。レオンの反応を確かめるまでもなかった。書類を閉じる音が聞こえるたびに、次を呼んだ。


「次の方」


 ディアナが呼んだ。間が空いた。候補者名簿に一人分、名前の空きがあった。誰も答えない。


 そこへカイが滑り込んだ。息が上がり、上着の肩がずれている。候補者たちの洗練された空気の中で、明らかに浮いていた。


 ディアナが顔を上げた。カイを上から下まで見た。一秒もかからなかった。


「五分遅刻ね。それで通ると思ってるの?」


「面接を受ける気はないんだ。追われてるからどうでもいい」


 ディアナの手が止まった。候補者名簿を持ったまま、カイの目を見た。今度はゆっくりだった。息が上がった顔、肩のずれた借り物の上着、それでも逸らさない目。


 数秒、黙ったまま見つめた。


 それから、隣室のレオンにウィンクを一つ送った。


「……中へ」


 ---


 隣室は、候補者の面接に使われている広い一室だった。窓から午前の光が差し込み、テーブルの上に書類が積まれている。


 レオン・ヴァルクは椅子の背にもたれ、退屈そうに書類をめくっていた。カイが入っても、すぐには顔を上げなかった。


「座れ」


 カイは向かいの椅子に座った。テーブル越しにレオンの顔を見た。黒髪をオールバックに流した長身の男。崩して着た外套と、緩めた襟元。けれど目だけは鋭かった。この男が何者かはわからなかったが、この部屋で一番偉い人間だということはわかった。


 カイは椅子に深く腰を下ろした。息を整えようとした拍子に、肩幅の合わない上着の内側から包みが滑り落ちた。テーブルの縁に当たり、布がほどけ、中の呪具が半分露出した。


 金属と石の複合体。刻印された術式の紋様。見る者が見れば、それが何かは一目でわかる。


 沈黙が落ちた。長い沈黙だった。


 レオンの目が呪具に留まり、それからゆっくりとカイの顔に移った。


「……趣味が悪いな」


「そういうつもりじゃない」


 カイの声は乾いていた。言い訳にしかならないことは自分でもわかっていた。


「禁制呪具を懐に入れたまま、選考に来たのか」


「選考に来たんじゃない。逃げてきたらここだった」


 レオンの眉が微かに上がった。嘘を聞いた時の反応ではなかった。予想外の正直さに対する反応だった。


「下で何があった」


「受け渡しのはずだった。取り締まりが入ってた」


「運び屋か」


「一回だけだ」


「みんなそう言う」


 レオンは呟くように言って、テーブルの上の呪具を手に取った。布越しに重さを確かめ、刻印に目を走らせた。眉がもう一度動いた。安物ではないと、わかったのだろう。


 呪具をテーブルに戻し、カイに目を向けた。


「名前は」


「カイ・レーヴェン」


「魔術院は」


「出てない」


「じゃあ、なぜここにいる」


「ここしか逃げ場がなかった」


 レオンが初めて、書類から完全に手を離した。椅子の背から体を起こし、カイをまともに見た。値踏みとは違う目だった。何かの気配を嗅ぎ取った獣のような目だった。


「魔術は使えるか」


「もちろん」


「ほう?」


 レオンはテーブルの端から小さな球体を取り出した。術式の核だった。外部マナを取り込み、指定の形に展開する実技試験の道具。候補者たちが汗を流しながら取り組んでいたのと同じものだった。


「やってみろ」


 カイは一瞬だけ核を見つめた。それから、右手を伸ばした。


 指先が核に触れた瞬間、空気が動いた。外部マナが流れ込み、核が淡く光り、術式が展開された。速かった。正確だった。迷いがなかった。今日ここを訪れたどの候補者よりも、圧倒的に滑らかだった。


 レオンの目に力が入った。退屈が消え、別のものが宿った。


「……どこで覚えた」


「本を読んで、試した」


「一度読めば覚えるのか」


「忘れたことがない」


 沈黙が、今度は重さを持って落ちた。レオンは術式の核を手に取り、カイが展開した痕跡を見つめていた。


 それから、椅子から立ち上がった。


「素性も知れない。免許もない。禁制品まで持ち込んでる」


 カイは何も言えなかった。


「それでも、今日見た連中よりお前の方が使える」


 レオンの声に、冗談の響きはなかった。


「うちで働けば、初月の契約金は金貨で支払われるんだがな」


 カイの目が揺れた。金貨。ミーシャの治療費。院長の「金貨20枚」という声が、頭の中で反響した。


「……働きたい」


 カイの口から出た最初の言葉は、絞り出すような声だった。だが、すぐに顔を上げ、レオンの目を真っ直ぐに見返した。目の奥に、野良犬のような強気が戻っていた。


「お前は無資格者だろう?おまけに学院も出ていない。」


「資格試験にも、学院にも、何度も受かっていると言ったら?」


 カイは強気に続ける。


「外に並んでる優等生どもを選ぶっていうなら、止めない。でも、俺より使える奴はあの中には一人もいない。俺を雇わないなら、あんたは馬鹿だ」


 レオンの口の端が、ほんのわずかに上がった。


 レオンはテーブルに両手をついて、カイを見下ろした。


「条件がある」


「何でも」


「まず、それをどうにかしろ。今すぐだ。二度と俺の前にそのゴミを持ち込むな」


 レオンの目が、テーブルの上の禁制呪具を冷たレオンの目が、テーブルの上の禁制呪具を冷たく射抜いた。カイの指が一瞬だけ動いた。

 階下で網を張っていた手ぶらの客たち。ただの受け渡しじゃない。これは当局の(スティング)だ。ニコはカイの首を括るための縄として、これを押し付けたのだ。

 はめられた。その事実が、逆にカイの思考を冷たくクリアにした。絶対にすべてを吐かせてやる。

 

 カイは包みを手に取り、再び懐へと押し込んだ。布越しに伝わる呪具の冷たい感触が、今は命綱のように感じられた。レオンはそれ以上、呪具の行方に興味を示さなかった。


「次。お前にこれを持たせた相手と縁を切れ」


 ニコの顔が浮かんだ。丸い顔。屈託のない笑い。火傷の痕を隠すように袖を引き下ろす仕草。同じ孤児院で育った、唯一の幼馴染。


 カイは黙った。


「切れないなら終わりだ」


 レオンの声には猶予がなかった。


「……切る」


 声が掠れた。レオンはそれ以上何も聞かなかった。


「最後に。お前の過去が表に出たら、俺も終わる。無資格者を団に入れたと知れたら、筆頭どころか除名だ」


 カイは頷いた。レオンの目を見た。


「わかってる」


「外の優等生どもより働けるか」


「誰よりも」


 レオンが手を差し出した。カイはその手を見た。骨ばっていて、硬い手だった。上に立つ者の手というよりも、自分で何かを掴んできた者の手だった。


 カイはその手を握った。


「月曜に来い。遅れるな。それまでに魔術学院の全てを、頭に入れておけ」


「……全部?」


「読めば覚えるんだろう」


 レオンが手を離した。それから、カイの借り物の上着を一瞥した。肩幅が合わず、袖が余っている。ニコから押しつけられた、安い上着。


「あと、その上着は捨てろ。似合ってない」


 カイは何も返せなかった。返す言葉が見つからなかった。


 選考室を出ると、廊下には候補者たちの姿はもうなかった。窓から差し込む午後の光が、白い壁を照らしていた。カイは立ち止まり、一度だけ振り返った。


 扉の向こうで、ディアナの声がした。


「面白いのを拾ったわね」


 レオンの声が、低く返した。


「もう一人の()()を探せと言われたからな」


 カイには、その意味がわからなかった。けれど、懐にある呪具がずしりと重い。


 カイは振り返るのをやめて、階段を駆け下りた。 

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