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魔術院を出ていない俺が、王立魔術法務団のエースに拾われて法務官になった件  作者: 御蔭
魔術法務官の条件

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3/10

1-3

 王立魔術院の試験場は、王都の北区画にある石造りの講堂だった。高い天井から差し込む朝の光が、整然と並んだ机の上を白く照らしている。受験者たちは背筋を伸ばし、緊張した面持ちで術式の展開を待っていた。


 その中に一人、場違いな男がいた。暗い茶髪を無造作に伸ばし、安い麻の上着に擦り切れたブーツ。痩せた体つきだったが、目つきだけが妙に鋭い。カイ・レーヴェン。手元の受験票には、自分のものではない名前が書かれていた。


 試験官が合図を出す。受験者たちが一斉に術式の構築に入った。外部マナを取り込み、指定された形に練り上げる実技試験。周囲の受験者たちが額に汗を浮かべ、唇を噛みながら集中している中で、カイの指先だけが淀みなく動いていた。退屈そうですらあった。


 他の受験者がまだ半分も終えていない頃には、カイはもう腕を組んで椅子にもたれていた。


 ---


 試験場の外。裏手の路地に回ると、貴族の息子が壁に寄りかかって待っていた。仕立てのいい上着に磨かれた靴。カイとは別の世界の人間だった。


「どうだった」


 カイの顔を見ず、爪先を眺めながら聞いた。


「受かってる」


「点数は?」


「高すぎず低すぎず。疑われない範囲にしてある」


 貴族の息子はようやく顔を上げ、満足そうに頷いた。懐から金袋を取り出し、カイに放る。カイは片手で受け取り、紐を解いて中を確かめた。指が止まった。


 銀貨が4枚。約束は銀貨8枚だった。


「半分しかない」


「合格を確認してから残りを払う」


 声に悪びれた様子はなかった。カイの目が細くなった。


「そういう話じゃなかった」


「不当だと、憲兵にでもいえば?」


 貴族の息子は壁から背を離し、カイの前に立った。半歩分だけ背が高い。その差を楽しむように、見下ろして言った。


「誰にも言えるわけないよな?」


 カイの拳が握られた。指の関節が白くなるほど。けれど口は開かなかった。開けなかった。貴族の息子は鼻で笑い、身を翻して路地の向こうへ消えていった。


 カイは銀貨4枚が入った金袋を握ったまま、しばらく動かなかった。


 ---


 安酒場の裏口は、日が当たらない代わりに人目もなかった。


 カイが木箱に腰を下ろし、銀貨を一枚ずつ数え直していると、角を曲がって人懐こい丸顔が現れた。ニコ・バルト。カイと同い年、同じ孤児院の出身。ただし身なりはまるで違った。仕立てのいい外套に革のブーツ。孤児院育ちの割にやたらと小綺麗で、それが何を意味するか、カイは知っていた。


「おう、どうだった」


 ニコは隣の木箱に腰を下ろしながら言った。座る前に一度、路地の奥に目を走らせた。癖のようだった。もしくは、癖にしなければいけない暮らしをしていた。


「半分しかくれなかった」


 カイは金袋の紐を結び直した。ニコが覗き込んで、眉を上げた。


「まだそんな小遣い稼ぎやってんのか」


「小遣いでも稼ぎは稼ぎだ」


 カイは目を合わせなかった。ニコは外套の襟を摘んで見せた。袖が少し上がり、手首に真新しい火傷の痕が覗いた。魔術の痕だった。ニコはすぐに袖を戻したが、カイの目はそれを捉えていた。


「俺なんか先月だけで金貨10枚だぞ。この外套も仕立てたばかりだ。どうだ、似合うだろ」


「何の仕事をしたら、そうなるんだよ」


 カイが初めて顔を上げた。ニコは肩をすくめて笑った。歯を見せる、屈託のない笑い方だった。けれどその目は、一瞬だけ背後の路地を確認していた。


「聞かない方がいいこと」


 間を置いて、ニコの目が少しだけ真剣になった。


「……なあ、お前もやらないか。運ぶだけだ。中身には触らない」


「断る」


 カイは即座に言った。声に迷いはなかった。ニコは引かなかった。


「報酬は金貨5枚。一回でお前の替え玉何件分だ?」


 銀貨4枚が、約束を反故にされた末の報酬だった。金貨1枚は銀貨20枚。金貨5枚は銀貨100枚。替え玉を25回やってようやく届く額を、一晩で稼げる。カイの指が金袋の上で止まった。一瞬だけ。ニコはそれを見逃さなかったが、あえて触れなかった。


「……やらない」


「お前の妹、最近どうなんだよ」


 カイの顎が僅かに引かれた。目の温度が下がった。


「関係ない」


「替え玉の小銭じゃ足りないって、お前が一番わかってるだろ」


 ニコの声に悪意はなかった。むしろ心配している響きがあった。だからこそ、カイは何も返せなかった。金袋を懐にしまい、木箱から腰を上げて、何も言わずに歩き出した。


 ニコは追わなかった。木箱に座ったまま、カイの背中が角を曲がるのを見送った。それから、もう一度だけ路地の奥を確認してから、新しい外套の袖を引き下ろし、火傷の痕を隠した。


---


 孤児院は王都の外れにあった。石壁にひびが入り、屋根の一部が歪んでいる。立派な建物ではなかったが、中は清潔に保たれていた。


 カイは裏口から入り、廊下を抜けて療養室の前に立った。扉を開ける前に、一度息を整えた。顔を作る。それからノックもせずに入った。


 ミーシャ・レーヴェン。14歳。カイと同じ茶髪だが、色素が薄く、陽に透けると金に近い色になる。ベッドに横たわった顔色は青白く、首筋に沿って淡い光の筋が浮いていた。血管ではない。マナの流れだった。体内のマナが制御を失い、皮膚の下で行き場をなくしている。本来は見えないはずのものが、透けて見えるほどに溢れていた。


 兄の姿を見た途端に、ミーシャの目が明るくなった。その目だけが、兄に似て強かった。


「お兄ちゃん、来てくれたの」


 体を起こそうとして、咳き込んだ。呼気に微かな青い粒子が混じった。外部マナを取り込む力が暴走し、体が外と内の境界を保てなくなっている証だった。カイは慌てず、けれど素早くベッドの横に座り、背中を支えた。


「約束しただろ」


 果物の包みを枕元に置いた。ミーシャは包みを覗き込んで、少しだけ笑った。


「今日の仕事はどうだった?」


「……まあまあだ」


 カイは視線を窓に逃がした。ミーシャはそれを見逃さなかった。


「嘘。顔が怒ってる」


「怒ってない」


「怒ってる。眉の間にしわが寄ってる」


 カイは無意識に眉間を指で押さえた。ミーシャが小さく笑う。その笑い方は母親に似ているのだと、院長から聞いたことがある。カイは覚えていない。


「お兄ちゃんさ、もっとちゃんとしたことできるのに」


「ちゃんとしてる」


「してない」


 ミーシャの目が真っ直ぐにカイを見た。14歳の目だった。嘘を見抜く目ではなく、信じたいものだけを映す目だった。


「頭いいのに、もったいないっていつも思ってる」


 カイは何か返そうとした。けれど言葉が見つかる前に、療養室の扉が開いた。


「カイ、少しいいか」


 院長だった。白髪混じりの初老の男で、穏やかな顔をしているが、今日は目元に疲れが滲んでいた。カイは立ち上がり、ミーシャに「すぐ戻る」と言って廊下に出た。


 院長は廊下の窓際まで歩き、振り返った。声を落とした。


「ミーシャの容態が悪くなってる。外部マナへの耐性が落ちていて、体が外のマナを勝手に取り込み続けている。今の治療では限界だ。王都の専門医に診せる必要がある」


「いくらかかりますか?」


 カイは聞いた。声は平坦だった。平坦にした。


「……金貨20枚」


 数字が、廊下の静けさに落ちた。替え玉を銀貨8枚で請け負って、半分しか払われない世界で、金貨20枚。銀貨に換えれば400枚。替え玉を100回やって届く額だった。仮に毎日やっても3ヶ月以上かかる。ミーシャにその時間はない。


 カイの表情が固まった。


「なんとかします」


「無理はするな」


 院長の声には、本当の心配があった。カイはそれを受け取らないように、目を逸らした。


「無理じゃないです」


 自分でも信じていない声だった。


 ---


 夜だった。


 カイはニコの溜まり場に向かっていた。安酒場の裏口を通り過ぎ、さらに奥の路地。灯りの届かない場所に、ニコは仲間と酒を飲んでいた。


 カイの姿を見て、ニコの目が丸くなった。酒杯を仲間に渡し、立ち上がった。


「おう。珍しいな、お前から来るなんて」


 ニコの声にはからかいがなかった。カイが自分から来ることの意味を、わかっていた。


「一回だけだ」


 カイは真っ直ぐにニコの目を見て言った。ニコは笑わなかった。数秒だけ黙って、それから頷いた。


「……マジか」


「条件がある。一回きり。それ以上は絶対にやらない」


「わかったわかった。一回だけな」


 ニコは両手を上げて見せた。軽い仕草だったが、目は笑っていなかった。


「いつだ」


「明日。受け取り場所は王都の東区画、チルトン亭。部屋番号は当日伝える」


「相手は?」


「知らない方がいい。荷物を受け取って、届けるだけだ」


 カイは唇を引き結んだ。聞きたくない質問が、喉まで来ていた。


「……中身は」


「聞くなって言っただろ」


 ニコの声が、初めて低くなった。カイを守ろうとする低さだった。


 沈黙が落ちた。路地の奥から酔っ払いの笑い声が遠く聞こえた。


「お前の妹のためだろ。悪い話じゃない」


「ミーシャの名前を出すな」


 カイの声が尖った。ニコは肩をすくめたが、目を逸らさなかった。


「はいはい。……っと、待て」


 ニコが背後の木箱から布の塊を拾い上げ、カイに放り投げた。カイは反射的に受け取った。仕立ては悪くないが、カイの体格には明らかに大きい上着だった。


「明日、それを着てこい。チルトン亭に行くのに、そんなボロ布じゃ入り口で弾かれるからな」


 カイは手の中の上着とニコを交互に見た。文句を言おうとしたが、事実なので飲み込んだ。踵を返し、路地を出る。夜風が頬に当たった。冷たかった。


 背後でニコが仲間の輪に戻る気配がした。笑い声が再開する。カイは振り返らず、夜の王都を歩いた。ミーシャの「もったいない」という言葉が、耳の奥に残っていた。



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