冒険者編⑭
山道を下っていくうちに、空の色はゆっくりと変わっていった。
夕焼けの橙は消え、藍色が広がり始める。
やがて山の向こうから、月が顔を出した。
アルマが空を見上げて言う
「まずいな」
「暗くなってきた」
ノエルも辺りを見回す。
山の中は日が落ちるのが早い。
レオナは落ち着いた声で言った
「野営できそうな場所を探しましょうか」
三人は湖の方向へ進みながら、平らな場所を探す。
だが、岩が多く、木の根も多い。
なかなか良い場所が見つからない
「もう少し先かな」
アルマが言い、さらに進む。
そして――
木々がふっと途切れた。
視界が開けるとそこには――
‘‘湖‘‘が見えた
三人は思わず足を止めた。
空が広い。
森に囲まれた湖は、まるで鏡のように月を映していた。
満月の光が水面に落ち、静かな波紋が揺れている。
湖の奥には、小さな滝。
さらさらと流れ落ちる水が、静かな音を立てている。
その音だけが、夜の森に響いていた。
草の間には、小さな花。
月明かりに照らされ、淡く光っている。
まるで星が地面に落ちたようだった。
ノエルが小さく息を飲む
「……綺麗……」
思わず声が漏れる。
普段よく喋るノエルが、しばらく言葉を失うほどだった。
アルマも何も言わない。
ただ湖を見つめている。
大きな体をした彼が、少し子供のような顔になっていた。
レオナも同じだった。
月・湖・滝。
そして静寂。
まるで時間が止まったような空間だった。
風もなく水面は穏やかで、月がゆっくり揺れている。
小さな滝の音だけが、遠くで響いている。
アルマがぽつりと呟く
「すげぇな……」
ノエルが湖に近づいて水面を覗き込む。
月が映っている。
星も映っている。
まるで空が湖の中にあるみたいだった。
レオナはその光景を静かに見つめながら思った
(こんな場所が)
(王都の近くにあったんですね……)
誰もいない。
魔獣の気配もない。
ただ静かな湖。
トリニティの三人は、しばらく言葉を忘れてその景色を見つめていた。
三人は少し高い岩場の近くに荷物を下ろしていた。
アルマが大剣を岩に立てかける
「ここで野営しよう」
ノエルがすぐに手を挙げた
「賛成!」
レオナも静かに頷く
「水もありますし、風も弱い。良い場所ですね」
アルマは薪になりそうな枝を拾いに行き、ノエルは簡単な食事の準備をし、レオナは周囲の安全を確認していた。
湖は相変わらず静かだった。
滝の音、夜の森、月の光。
それだけが世界のすべてのようだった。
――その時
「……?」
ノエルがふと顔を上げた。
耳を澄ます
「何か……聞こえない?」
アルマも手を止める
「……ん?」
レオナも周囲を見渡した。
その瞬間、風がふわりと吹いた。
冷たい山の空気のはずなのに――
どこか暖かい。
優しい春の風のような感触だった。
三人の髪がそっと揺れる。
そして聞こえてくる**歌声**
遠くからとても澄んだ声が湖の上を漂うように響く。
柔らかく、優しく。
それでいて胸の奥に直接触れてくるような歌だった。
ノエルの目が大きくなる
「……綺麗……」
気づくと、足元の草の間で小さな花が咲いていた。
ぽん。
ぽん。
まるで歌に合わせるように。
月明かりの下で、小さな光の花が増えていく。
レオナが息を呑む
「……これは……一体……?」
そのときアルマが湖の方を指差した
「お、おい!!」
声が震えている
「湖の上!!」
湖の中央。
月が映る水面の上に――
**人影**
いや、それは人ではなかった。
一人の女性。
いや――
【天使】
湖の上に立っている。
水面に足が触れているはずなのに、波紋すら立たない。
月光に照らされて、白い翼が淡く輝いていた。
その天使は、くるりと回る。
楽しそうに。
舞うように。
歌いながらまるで踊っている。
長い金色の髪が、月光を受けて流れるように揺れる。
湖の景色、月。滝。
そして歌う天使。
そのすべてが重なり、まるで夢のような光景だった。
アルマがぽつりと言う
「……天使って……」
喉が乾いたような声だった
「実在したんだな……」
レオナは言葉を失っていた。
先日、神殿で聞いた言葉がよぎる
(君は神を信じるかい?)
あの時、答えられなかった。
だが今、目の前には――
【天使】
レオナは小さく呟いた
(神を信じますか、の問いには答えられませんでしたが……)
胸の奥が静かに震える
(天使……いるんですね……)
ノエルはというと。
胸の前で手を合わせていた。
目がキラキラしている
(すごい……)
純粋な感動だった。
やがて天使が歌を止め、ゆっくりと三人の方を見る。
目は閉じている。
けれど――
確かに、こちらを見ている。
天使は湖の上を歩き始めた。
水面の上をゆっくりと静かに。
まるで当たり前のように月光を背に、近づいてくる。
金色の髪は腰まで届いている。
真っ白な翼。
頭の上には金色の輪。
顔立ちは、驚くほど整っていた。
人形のような美しさ。
そして柔らかな微笑み。
やがて三人の前まで来ると、天使は足を止めた。
湖面の上。
月の光の中。
そして――
にこっと笑った
「こんばんは」
その声は歌声と同じく優しく、澄んでいた。




