冒険者編⑩
神殿の外。
重厚な扉をくぐると、再び王都の空気が戻ってきた。
人々の話し声、馬車の車輪の音、屋台から漂う焼き菓子の香り。
さっきまでの静寂が嘘のようだった。
レオナは階段をゆっくり降りると、朝の光が街を照らしている
(……)
胸の中で、神殿の光景を少し反芻する。
祈る人々・巨大な十字架・神官の言葉。
だが、レオナの頭はすぐに別のことを考え始めていた。
歩きながら、街を観察する
(こうして一人で歩いていると)
周囲を見渡す。
普段なら通り過ぎてしまうようなものが、自然と目に入る
(普段見えないものが見えてきます)
石畳の脇、木箱の横。
そこに――
小さな猫が丸くなっていた。
日向で眠っている。
尻尾を体に巻き付け、微動だにしない。
人通りがあるのに逃げない。
レオナは少し足を止めた
(例えば)
(ほら)
(あそこで丸くなってる猫ちゃん)
猫はゆっくり尻尾を動かした
(安心しているんですね)
レオナはくすっと笑って再び歩き出す。
すると、少し先の露店の横で――
奇妙な光景が見えた。
男が立っている。
眼鏡、白衣。
そして――
**焼き菓子に向かって話しかけている。**
「……」
レオナは一瞬立ち止まった。
見覚えがある。
いや、見覚えしかない。
レオナは小さく声をかけた
「ニールさん……?」
男が顔を上げると眼鏡の奥の目が少し動く
「おや」
「よく会いますね」
やはり――
魔法研究所の上級研究員、ニールだった。
ニールは露店の前で焼き菓子を見つめながら腕を組んでいる。
レオナは少し微笑む
「今日はお菓子ですか?」
ニールは真面目な顔で頷いた
「ええ」
「私の紅茶ブレンドが完成したので」
眼鏡を指で押し上げる
**クイッ**
「次は」
焼き菓子を指差す
「合う茶菓子を求めています」
露店の店主が少し困った顔をしている。
ニールはまったく気にしていない。
真剣そのものだ。
レオナは思わず小さく笑った。
ニールはその様子をちらりと見て言う
「ふむ」
「私の宿題は」
少し目を細める
「きちんと終えたようですね」
レオナは少し驚く
「わかるんですか?」
ニールは当然のように言った
「ええ」
指で空中を軽くなぞる。
まるで魔力の流れを見るように
「魔力を見ればわかります」
レオナの周囲の魔力・流れ・質。
以前とは違うことくらい分かるらしい。
ニールは小さく頷いた
「紫電の流れが変わっています」
「過剰回復を意識した魔力構造になっていますね」
レオナは少し驚いたまま立っていた
(この人……)
やはり普通ではない。
ニールは再び焼き菓子を見る
「ふむ」
一つ手に取って少し匂いを嗅ぐ
「これは」
真剣な表情で
「紅茶に合うでしょうか……」
レオナは思わずまた小さく笑った。
焼き菓子の甘い香りと、ニールが淹れた紅茶の香りが混ざって漂っていた。
ニールは小さな紙袋を二つ買うと、その一つをレオナに差し出した
「奢りますよ」
眼鏡の奥の目が少し細くなる
「女性の意見も聞きたい」
紙袋の中から焼き菓子を一つ取り出し、真剣な顔で尋ねた
「この茶菓子は紅茶と合いますか?」
レオナは少しだけ考える。
指先で焼き菓子を持ち、香りを確かめる。
そしてニールの紅茶を一口。
深く、香りの高い味。
レオナは静かに答えた
「好みは別れるかと思いますが……」
「この香りの高い紅茶ならば」
焼き菓子を見ながら続ける
「もう少々控えめな甘さの菓子がよろしいかと」
ニールは目を閉じて頷いた
「なるほど」
そしてすぐにメモ帳を取り出し、何かを書き込む。
レオナはその様子を見て思わず笑ってしまった
「魔法は凄いのに」
「紅茶とか茶菓子は不得手なんですね」
ニールは少しだけ肩をすくめた。
眼鏡をクイっと押し上げる
「恥ずかしながら」
焼き菓子を見ながら言う
「私の尊敬する方が」
「最近紅茶を嗜むようになりましてね」
レオナは静かに頷くとニールは続けた
「お力になりたく研究している次第です」
「せっかくなら」
静かな声
「美味しくいただいて欲しいので」
レオナは少し驚く
「ニールさんほどの方が尊敬されるなんて」
「余程の方なんですね」
ニールは少しだけ遠くを見るような目をした
「ええ」
「それはもう」
迷いなく言った
「尊敬以外の何物でもありません」
少し言葉を区切る。
「私にとって主……」
一瞬、言葉を止めて言い直す
「いや」
「王と言っても過言ではありません」
レオナは目を少し丸くする
(そんなにすごい方なんですね)
ニールほどの魔法使いが、ここまで言う人物。
想像もつかない。
ニールは焼き菓子を袋に戻す
「さて」
「私はそろそろ行きます」
レオナを見る
「今日のこの会話が――」
一瞬、意味深に言葉を置く
「貴方をさらに強くしますよ」
そう言って、ニールは静かに歩き去っていった。
白衣が人混みに紛れていく。
レオナはその背中を見送った
(……)
少し首を傾げる
(紅茶とお菓子の話しかしてないような……?)
だがこれまでのニールの言葉を思い返すと
魔法は紅茶、配合、抽出、味。
ならば――
(茶菓子は……?)
レオナはゆっくり歩きながら考える。
王都の街を進む。
人々の声、屋台の香り。
その中で、思考だけが静かに進んでいく
(紅茶に合う合わない)
(女性の意見を聞きたい)
(私に意見を聞いた……)
レオナの歩みが少しゆっくりになる
(もしかして)
(茶菓子は)
(アルマとノエル?)
紅茶は魔法・術式。
ならば、それを引き立てるもの。
合うか合わないか。
それを判断するのが――
【自分】
(2人に聞いてみる?)
その瞬間、ニールの言葉が蘇
「あなたは制御に目が行きがちです」
レオナは小さく息を吐く
(確かにそう言いました)
(出力の高いノエル)
(魔法を知らないアルマ)
(2人に意見を聞いてみろってこと……)
空を見上げる
(なのでしょうか……)
王都の空は青く広がっていた。
レオナは静かに歩き続ける。
答えはまだ出ていない。
だが――
確実に、何かに近づいている気がした。




