38 魔王とエルメス
戦闘が始まった。
悪魔の軍団はエルメスの作った土壁に攻撃を開始する。本来の城壁より強固なそれに襲い掛かるのは、本来なら悪手である。
しかし今北から攻めるのは、ある程度合理的な理由がある。それは土壁と城壁の間に、放棄された民家があるからだ。
やや脆弱な東西のどちらからか攻める場合、障害物のない場所から城壁を攻めることとなる。それよりは障害物、つまり盾の多い北から攻めた方が損害はすくないということだ。
実際、普通の魔術や弓矢の攻撃では、その程度の壁でも充分に役に立つのだ。
しかしながら投石器による巨大な質量攻撃や、大規模な魔術の攻撃は、たやすくそういった防御を突破する。
かつて城壁であった北と、現在の防壁であり南で、対峙する両者があった。
北には魔王アスモデウス。その素早さにおいては魔王の中でも屈指。戦闘力にも優れた実力者である。
南には魔術師エルメス。おそらく現在の人間では唯一の、魔王と対等に戦える男。
二人は相手から目を切らず、戦闘の推移をうかがっていた。
戦局は魔王軍の優位にある。
単純に兵の質の差だ。
これまでエルメスが戦ってきた悪魔達は、人間に比べればはるかに強いとはいえ、悪魔の中では一般人にあたる。
だがアスモデウスの指揮下には、ゴンベスのような四天王級の悪魔がいるのだ。これまでよりもはるかにこちらの消耗は大きい。
しかし人間側が圧倒的に不利であっても、勝負はまだ決まらない。
ワールの街のような巨大都市には必ず存在する、防御用の巨大魔道兵器が発動するからだ。
ワールの街ほどでなくても、神殿のある街には、対悪魔用の防御がある。
王都や旧都ほどではないが、人口を考えれば大きな力を持つのは当然だ。
神の力の源は、人間の祈りであるという建前があるのだ。
そして建前はどうであれ、ワールの街の神殿には、強力な魔術結界が存在する。
これまでそれが使われなかった理由は二つ。
それは装置が非常に巨大な魔力を必要とし、一度使えば相当の期間をおかなければ再使用できないこと。
そしてもう一つが、悪魔の軍勢による危機を、ある程度割り切っていたからだ。
以前の悪魔の攻勢では、抜かれたのは城壁までである。中枢部である代官の住む城館までには至らなかった。
悪く言えば多少一般民衆が死んでも、その力は使うべきではないと判断されたからだ。これはエイルにとっては実は腹立たしいものであった。
しかしこの期に及んで、エイルはその代官の判断が正しかったと言わざるをえない。装置の温存により、より強力な悪魔に対抗出来るのだから。
命の価値は平等ではない。街の中枢に住む要人が失われれば、それだけ国力は減るのだ。
そんな、ある意味エゴイスティックな考えからの選択だったが、今度の魔王の襲来には、代官も装置の発動を決めた。
今度は魔王なのだ。そしてエルメスもさすがに、魔王と戦いながら他の悪魔の相手は出来ない。
さらなる追加の悪魔というのも考えたが、ここで魔王軍をとめなければ、もう退くべき余裕はない。
よって神殿にある対悪魔の結界が発動した。
神殿の対悪魔の結界というのは、単純に言えば悪魔専用の弱体化装置である。
神々が作ったという神器を核として、悪魔の魔力を制限するというものなのだが、実はこの装置、王都と旧都に比べれば、はるかに出力は低い。
なぜなら旧都はまさに神々が残した対悪魔結界があり、王都のそれはパガン王国が全力でそれを模倣したものだからだ。
ワールの街は重要な拠点だが、それらに比べると優先順位は劣る。
だがそれでも、悪魔達の動きは鈍った。
「一気に行け! 長くはもたないぞ!」
冒険者達が洗練されたコンビネーションで悪魔を殺す。やがて力尽きるとしても、どんどん悪魔も減っていく。
騎士団は最精鋭を温存していたが、おびただしい消耗と引き換えに、軍は悪魔を倒していった。
最上位の魔術師でなくても、強化の付与を重ねることで、騎士や兵士の戦闘力を高めることは出来る。
神殿の結界が発動してから、戦局は逆転していた。
それを魔王は悠然と見ていた。
エルメスはもどかしくも思いながら、何も出来ないでいた。
魔王を監視し、戦局に従って援護をするというエルメスの考えは、完全に裏目に出ていた。
アスモデウスの目に身を晒したことにより、彼の攻撃を防ぐのに注意がいってしまっている。
片手間に戦える相手ではない。鑑定は通らないが、魔力だけで実力はある程度知れる。
(予想通りとは言え……どうすんべ?)
鑑定が通らないので、敵の攻撃方法などが分からない。
ゴンベスから聞いた限りでは、アスモデウスの戦闘の特徴は速度だという。
凄まじいまでの速度で翻弄し、強烈な一撃を与える。
魔術の障壁を張っていたならともかく、生身に一撃食らえば、人間のエルメスに勝ち目はない。
というか、魔王なんてどうやって倒せばいいのだろうか。
エルメスでこれなのだから、普通の人間が軍を用いても、とても倒せそうにない。
……だから神が必要なのか。
エルメスは神を憎んでいるが、普通の人間なら確かに神を必要とするだろう。こんな超越者を相手にしては。
エルメスがアスモデウスと睨み合う間に、戦況は変化している。
多大な犠牲を払いつつも、人間は悪魔達に勝利していった。
騎士団長のエイルまでが前線に立っているのは非常識だが、もうこの際そんなことも言っていられないのだろう。
そしてエルメスはアスモデウスを見つめる。
一瞬でも目を離してしまえば、その瞬間に殺されるかもしれない。
そう思いながらもエルメスは、即興で魔術を作っていた。
アスモデウスの攻撃を、少なくとも一度は防げるだけの魔力障壁。
これがあるのとないのとでは、勝率は圧倒的に違うだろう。
また装備も替えた。
魔術兵団の長に見せた杖は、確かに高度な品物だ。
だが魔王と戦うためには、戦闘に特化した杖が必要である。
エルメスの取り出した杖は、完全に戦闘用の物である。
杖というのはその中に魔術の術式を込めておいて、魔力で発動するだけの状態にしておくものだ。
エルメスがここで取り出したのは、飛行し、強力な防御力を持ち、絶大な攻撃力を持つ敵を想定したものだ。
アスモデウスが相手では、速度の点でやや懸念が残るが、それでもこの杖を選ぶしかないだろう。
魔王というのは明らかに、並の悪魔よりも魔術に対する抵抗力が強いのだから。
やがて、時が訪れる。
エルメスは気を張っていたが、それが長く続くことはない。
集中力も異常な彼ではあるが、消耗しないかと言えばそれは別の話である。
出来れば眼下の情勢が勝ちに傾き、アスモデウスの方から仕掛けてくるのを待つつもりであったのだが。
もう、ここいらが限界だろう。
これ以上はむしろ、不利な状況で戦うことになる。
エルメスは手に持った杖を掲げた。
その先にはアスモデウスの姿がある。
腕を組んで傲然と佇むその姿は、さすが魔王の貫禄と言うべきか。
だが、勝算がないわけではない。
エルメスの選択した魔術が、一瞬で発動する。
その烈光が、死闘の始まりの合図であった。




