29 軍隊とエルメス
果たしてこの出来事の詳細と、そして正しい脅威度がパガン王国上層部に衆知されたのは、いつのことだったのだろうか。
少なくともエイルは、例年にない設定の訓練を行うと、国軍の本部には伝えていた。本部も変わったことをするな、とは思ったものの、予算内で行われるものであるし、変な金銭の流れもなかったので軽く承諾した。
魔王の復活どころかダンジョンの発生まで、実はまだこの時点では、国王の耳には入っていない。
だが実際に魔王の軍団が地上に現れ、ワールの街の軍が完全に撤退を開始したとき、ある程度目端の利く者は、なんらかの危機感を持ったであろう。
特に直感スキルを持っていた者ならばなおさらだ。
たとえばリックなどは今回の事態において、ワールの街の外に出ることはなかった。
彼は初めての討伐でエルメスを頼るなど、凄まじく直感に優れたところがある。
またターニャなども、都市内の神殿の仕事に従事していた。
村までの道のりを行くのは、若い男性神官に限られていた。
もちろんアーノルドがこれに手を出すことはない。
エルメスには実はバレバレなのだが、どうやら既に復興に備えて、建材などの確保をしているようだ。
まあ色々な意味で悪人ではあるが、気前の良いところはあるので、エルメスにも何か還元してくれるだろう。
最初の混乱から立ち直った軍は、損害を出しながらも着実に撤退し、立ち直りつつあった。
その陰ではエルメスのゴーレムがかなりの頻度で戦闘を行い、人的被害を抑えはしたが、それに比例して動作を停止していった。
エルメスの手に入れる、換金出来ない魔石は、主にゴーレムや魔道具の製造に使われる。
凄い物を作っても、結局その技術や素材が疑われるので、ひっそりと使うしかないのだが。
計算よりもゴーレムの消耗が激しい。
しかも計算よりも、悪魔の動きが遅い。慎重だ。せっかくのゴーレムを、魔物相手に消費してしまうのはもったいない。
魔物が最前線で潰しあってくれるので、退却はそれなりに上手くいっている。ならばゴーレムに与える命令も変更しよう。
エルメスはゴーレムの運用を、遅滞戦闘から攻撃へと変化させた。
魔物と違いまがりなりにも魔王に従う悪魔達は、同士討ちはしないであろうと判断したからだ。
そしてその判断は正しかった。
エルメスのゴーレムはアイアンゴーレム。つまり鉄を主な素材としたゴーレムであったが、実際のところは合金による物だ。
そして集団戦にも対応出来るように、統率ユニットとしての司令順位が組み込まれている。
もちろん防御力に富んだ個体がその順位は高い方にあるが、それが潰されても次々と自動で指揮権を委譲していくため、集団戦の戦闘力はそうそう落ちるものではない。
これはゴンベスにも話していない。というかゴンベスであっても、これを理解出来るとは思えない。
昆虫などのごく限られた生物では、そこそこ見られるものであるが、悪魔の思考とはかなりかけ離れているからだ。
悪魔は魔王を失うと、まず離散する。
それから構成員は再び集結するか、他の魔王の下へ行くか、とにかく新たな集団を組み立てる。
そこにおいては権限の決定、または順位付けは、自動ではなされない。人間のように、力を背景にした応酬が行われる。
基本的に後継者というものは存在しない。地盤や配下を引き継いだとしても、その政策や意図は全く別のものとなるからだ。
当然ながらここで、他の魔王の元へ行く者も多い。
つまり今回の魔王の地上顕現は、あくまでアスモデウスの方針によるものなのだ。
ゴンベスの言葉が正しいなら、彼の属する魔王は、アスモデウスが地上に出た隙を突いて、勢力を拡大しようと意図している。
しかしエルメスがゴンベスから聞いていた地上派遣軍より、その数はおよそ半分ほどになっている。
これは事前に何か数を減らす要因があったのか、それとも単に地獄に残る戦力を増やしたのか。
前者であればそもそも、地上へ侵攻することがないように思える。すると後者なのか。
いや、後者であっても、魔王が倒されたならば、魔王軍は瓦解する。本拠地を守るのが必要ならば、それもやはり侵攻は取りやめるだろう。
地上へ顕現するのがこの機会しかないというなら方針がぶれるのは分かるが、少なくともゴンベスは自分が地上に出ることは出来るようになっている。
いや、だからと言って他の悪魔も、簡単に地上に出られるわけではないはずなのだが。
それとエルメスが気になったのは、魔王アスモデウスの目的であった。
地上を悪魔の手に、というのは悪魔達の悲願であると、多くの文献が残っている。
だが現実問題、この戦力で地上を支配するのは無理だ。少なくともワールの街を落とすのも難しいだろうし、全ての悪魔が出てきたとしても、世界の国々を襲うのは無理だろう。
いや、それ以前に。
悪魔は人間を必要としている。
悪魔の主食は人間の魂と言われているが、正確には負の感情だ。
これは悪魔と問答した魔術師たちによる報告であり、複数の筋から同じ情報が得られている。
人間の負の感情を食する悪魔にとって、人間を絶滅させることは絶対に行ってはいけないことである。
そして実は、人間を支配するというのもダメなのだ。
人間の負の感情というのは、相対的に正の感情があるから生まれる。
幸福を知らない人間の不幸より、幸福から叩き落された不幸の方が甘いそうである。
つまり悪魔は地上に出たいし人間に敵対もしているが、人間との全面対決を望んでいるとは言えないのだ。
これもまあ、悪魔が本当のことを言っているという前提の話なのだが。
「魔境の中に悪魔の姿を確認」
エルメスの声は小さく、混乱と恐怖で騒然となりつつある司令部では、ほとんどの者に聞こえることがなかった。
だがもちろんエイルは聞いている。
「数と脅威度は?」
「およそ500。その中でも魔王級が一体」
「なんてこった……」
エイルは仰け反ったが、すぐに気分を切り替える。
「援軍要請は必要か?」
「ええ。たとえ悪魔を倒しても、その後の治安維持に」
エイルの指示は早い。とりあえず悪魔の姿を確認したということを、他の軍にも通達する。
まともな人間であれば、それだけで事態の重大さは分かるだろう。
……起こったことがまともでなさすぎるので、信じないかもしれないが、それは事前に広めていた噂の効果に期待しよう。
エイルは腕を組んで考える。
席を用意してもらっていたエルメスは、考えながらも悪魔達の様子を窺っている。
悪魔の習性としては、人の密集した場所か、逆にほとんど人のいない場所を狙う。
前者は獲物が多くいるからで、後者は獲物を狩るのが簡単だからだ。
それを念頭に置いた上で、ワールの街に人間を避難させ、決戦する予定だったのだが。
「エルメス、ゴンベスという悪魔は信用出来るのか?」
「まさか。ただ今回の話に関しては、情報は正しいと思います」
「一応悪魔は、侵攻に失敗した時、地獄に帰る手段があるということだったな?」
「そう言っていましたね。まあ悪魔が傲慢であっても、退路のない侵攻はしないと思うので、間違いないでしょうが」
悪魔は直情で陰惨だが、無謀ではない。
だから退却という手段は必ず用意しているはずだ。
ただそれが容易な手段とは限らない。簡単に帰れるなら、それこそ戦力は大量に持ってきただろう。
「まだ一つ、どんでん返しがあるのかもしれないな」
エイルの考察に、エルメスは頷いた。




