28 魔王と悪魔
どろろは面白かったよ……。
悪魔とは敗北した神々のことである。
敗北し、次元を超えた地底の奥、地獄に住んでいる。
その数は人間よりも圧倒的に少なく、しかしながら個体としては超越していた。
その野望、あるいは悲願とも言うべきは一つ。
地上への進出。そして神々の打倒。
数千年もの間続いてきた、ほぼ全ての悪魔の、渇望。
それがついに果たされた。
魔王の名はアスモデウス。
狼の頭に蝙蝠の羽。その肉体は巨人に並ぶ。
地獄においても屈指の実力者であった。
ちなみに地球の悪魔であるアスモデウスとは単に同名なだけである。
「12000年の時を超え! 地上よ! 私は帰ってきたーっ!」
大地を踏みしめたアスモデウスの、第一声であったという。
頭の悪い魔王の絶叫を、エルメスは頭を痛くしながら聞いていた。
困ったことにこの頭の悪そうな魔王は、ノリが変なだけでそれほど頭は悪くないそうだ。
悪魔と言えば極悪非道、残虐無比の存在だと思われているが、実のところは違う。
彼らはごく単純に言えば、過去の敗者であった。
地獄という環境に封印されながらも、時には地上に影響を与える、強大な存在である。
そんな悪魔の中でも、遂に自らの力で地上への進出を果たしたのがゴンベスの属する魔王であった。
まあ手段の構築はほとんどゴンベスが行ったのであるが。
そしてダンジョンにおいて牛鬼が倒された時、魔王とゴンベスは方針を転換した。
地上への脱出方法を、巧妙に偽装しながらもわざと流したのだ。
これは魔王には及ばないが強力な悪魔であった牛鬼が、かなり早い段階で殺されたことが原因である。
地上の人間どもの戦力を測るのに、わざわざ自分たちの陣営が苦労をすることはない。
悪魔とは強大であるが、その力は個体差が激しく、己の力を高めるという意識が弱い。
弱者に対してはいくらでも残虐な思考が浮かぶが、強者に対して策略でもって対抗するという意識が薄い。
生来の力に頼っていては、知恵を巡らすこともあまりなくなる。その中でゴンベスとその主である魔王は違った。
謀略、計略、戦略。これらに相対的に優れていたゴンベスの陣営は、驚くほどに慎重になったのだ。
まあおおよそはエルメスの存在による。
あんな化物が人間の中に混じっているようでは、複数の魔王が一気にかかりでもしない限りは、倒すことは出来ない。
ゴンベスはエルメスの能力を、想像しうる中で最大に想定していた。
魔王と同等か、あるいはそれ以上。つまり神だ。
エルクレントの寵愛というエルメスのギフトは、そのままの意味だとゴンベスは考えた。
加護、祝福、寵愛。それぞれの意味を考えれば、エルクレントという大神にとってエルメスは、ほとんど子供のようなものではないだろうか。
神と同じ次元に立つ悪魔達でさえ、ある意味大神以上に権能を持つエルクレントという神は、謎のベールの奥にある。
エルメスの存在を知りえたというだけで、ゴンベスの属する魔王は損害を避けることが出来た。
地上ではついに悪魔の行進が始まった。
それまではなんとか整然と退却していた軍は、悪魔達の個体としての力に、圧倒されて壊滅していった。
エルメスの用意した特別製のゴーレムでも、まだ性能が足りなかった。
「まずい。戦線が崩壊する」
「おい! すぐに回せる部隊はどれだ!?」
エイルは幕僚を伴い、ワールの街の城壁の外へ、臨時の本陣を置いていた。
少しでも指示を早く、という意図である。一応魔術で連絡する手段はあるが、電波による連絡と同じく、これを阻害することが出来る。
よって狼煙や、馬を使っての直接の連絡が必要となった。
地面に広げられた地図の上には、部隊を示す駒がある。その中のいくつかを、エルメスは除いた。
「全滅か?」
エイルの問いに、エルメスは頷く。
一応事前に、エルメスの魔術により、一方的な情報の収集は出来ていると説明はした。
送信も出来ればいいのであるが、それにはエルメスの使い魔のことも話さなければいけない。
混乱するであろう首脳部のことを考えると、それは避けておくべきだと判断した。
予備兵力を向かわせるが、そもそもまだ戦線が長すぎる。
かといって戦線を縮小すると、魔物の密度が……。
「一気に撤退させましょう。罠で魔物の進路は限定されますから、種類によっては同士討ちが起こるでしょう」
「それしかないか」
人間の軍と違って魔物の群れというのは、それぞれが味方なわけはない。
魔物と一括りで言っても、捕食者と被捕食者がいる。両者がぶつかり合えば、そこに混乱が発生する。
足止めにはいいはずだ。
あとは悪魔の動きであるが、どうやら地上に出た位置から、それほど移動していない。
おそらく周囲の様子を偵察しているのだろう。
それにしても――。
「思ったより少ない」
エルメスは口内で呟いた。
ゴンベスからの情報によると、悪魔というのは人間に比べて、個体数が少ない。
一人の魔王が従える悪魔の数は、数千から数万というのがほとんどだという。
例外的に多い魔王もいるが、アスモデウスの配下の数は平均に属する。
ただ個体の戦闘力は、悪魔の平均よりも上回っている軍なのだとか。
エルメスはおよそ500体の悪魔に対して、人間の軍がどう動くべきか考える。
考えるが、とりあえずの選択は一つしかない。
「全力の撤退を」
「撤退! 魔弾上げ!」
エイルの指示と共に、既に用意していた魔術兵が、撤退の信号弾を上げる。
魔力うんぬんは関係なく、視覚として分かるものだ。動ける人間は全力で退却を開始するだろう。
魔物の動きはお互いの牽制が始まり、悪魔達は状態の把握に務めている。
動ける人間は、どうには退却出来そうであった。
もちろん動けなくなった人間は、そこで魔物の餌となるか、あるいは悪魔に食われるか。
地獄の撤退戦は、ここから始まる。




