14 日常とエルメス
わずかな冷たい輝きに満ちた地の底で――。
「あの牛鬼が敗れたか……」
「ククク……所詮やつは、四天王の中でも最弱……」
「いや、五人衆に名前変わりましたよね?」
わずかな沈黙の後、また声が続ける。
「元四天王が消え、新たな四天王となったわけか……」
「いや、せっかく書類を五人衆に変えたのに、また全部四天王表記にしないといけない、私の苦労は?」
今度の沈黙は長かった。
あまりのも人間臭い悪魔たちの会話。
頭の悪いやりとりに的確にツッコミを入れる四天王新参の悪魔に対して、主は声をかけた。
「それで、あの牛鬼は、名をなんといったかな?」
「申し訳ありません。私の知る限りでは、個体名として登録されておりませんでした」
また気まずい沈黙が落ちる。
「それでですね。いい機会だからちゃんとした組織図も作って、命令系統を一本化しましょう。悪魔の数は人間に比して圧倒的に少ないですが、戦闘力としてみた場合逆に人間を圧倒します。量より質という戦い方が出来ます」
「お前の言ってることは難しくよく分からん。だからお前に任せた」
いつも通りの主のぶん投げに、管理職の新参悪魔は頭を垂れた。
新参悪魔を見つめる四天王たちのいずれもが、同じことを考えていた。
(誰だよ、こんなめんどくさいやつを出世させたの)
誰でもない。かといって新参悪魔が権謀術数を駆使して成り上がったというわけでもない。
単純に他の誰もがしなかったため、彼が出世しただけである。
「それにしても、あの元四天王を倒すとは、今人間の世界はどうなっているのか」
悪魔達にとって人間は、脆弱な存在であった。
奇しくもペンタスが見抜いた通り、悪魔達の力は神に比するものである。
「ちょっと見てみたいの」
「今調査中ですので、それが終わってからにしてくださいね」
新参悪魔には誰も逆らえない。そう、主である魔王でさえも。
地獄の悪魔達は蠢動を始めたが、それが地上に現れるまでには、まだ少しの時間が必要であった。
エルメスの日常が過ぎていく。
ペンタスとはあれから二度会っているが、状況は特に変化していない。
つまり相変わらずエルメスは不遇なままであるということだ。
ダンジョンの発生という、超重要な事件に関しては、ほとんど無視された。
なぜなら既にダンジョンが、機能停止していたからだ。
ダンジョンの主をエルメスが倒したというのも「ああ、出来たばかりで主が弱かったんだな」と思われて終了した。
あのダンジョンはこのまま、少しずつ崩れていずれは元の地面に戻る。
結局エルメスの扱いは変わらなかった。
本当に変わらなかった。
少しだけでも期待していたエルメスは、また落ち込んだ。
落ち込んだ時には、自分が必要とされる場所に行くのがいい。
そう考えて神殿に行っては、何度も怪我の治癒をする。
病気の快癒も出来れば、手術も出来る。まあ金銭を伴えば違法なのだが。
奉仕活動をして食事を得る。これはエルメスのルーチンの一つである。
「やっぱりエルメスさん、神官になりませんか?」
「いや、めんどくさいから」
ターニャから誘われても、エルメスが頷くことはない。
神殿に神官として就職する。まあそれは最底辺の生活をしている者からしたら、安定した生活と言えるのだろう。
だが出世するならともかく、スキルもなくコネもないエルメスは、階級社会である神殿で出世出来るはずもない。
治癒魔法でこき使われ、そしてスキル持ちの若造の部下になっていくのだ。
ある意味神殿と言うのは、エルメスにとって社会の憎悪の極限である。
そもそもエルメスは神を信じていない。
そう言うと少し語弊がある。
エルメスが信じているのは、神の悪意だ。
いや、もっと卑近な問題がある。
借金の返済だ。
神殿というのは衣食住を保証してくれるが、給与というのがない。現実はともかく、名目はそうなのだ。
だからそもそも選択肢にすら入らない。
面倒というのも本当なのだが。
そしてまたエルメスは、薬草を採取していた。
一人である。まあ薬草の採取などは、前から一人で行っていたのであるが。
ここしばらくは事情聴取もあり、リックたちと共に行動することが多かったので、ソロというのはけっこう久しぶりである。
超さみしい。
エルメスは人から向けられる悪意には耐えられるし、集団の中で孤高であることにも慣れている。
しかし孤立した孤独というのは、久しぶりに体験するとかなり辛い。
クールが許されるのは周囲に人が集まる人間だけであって、エルメスがそれをすると人が全く寄ってこなくなるのだ。
こんな社会、崩壊してしまえばいいのに。
頭がいいくせに馬鹿なことを考えているエルメスであるが、もちろん周囲の索敵は怠っていない。
だからその存在が近づいてくることも、当然分かっていた。
がさがさと茂みを掻き分けて現れたのは、エルメスと同じ年頃の男であった。
「あ、こんにちわ」
「こんにちわ」
「薬草採取ですか、精が出ますね」
「ええ、まあ今が旬ですからね」
こんな普通の会話をしているが、エルメスは地面に置いていた杖をしっかりと握っていた。
会話の内容は普通であるが、男の姿が普通すぎたからである。
ここは魔境だ。
人間である限り、訪れるのは冒険者か狩人か、とにかく戦闘力を持った者がほとんどである。
だが目の前の男は全く武装をせず、かといって村人とも違った、街中の平民のような衣装である。
怪しい。露骨過ぎるほどに怪しい。
「ええと、念のため確認しますが、貴方がエルメスさんで?」
「はい、そうです。貴方は?」
「ええ、私こういう者です」
そして男が差し出したのは、名刺のようなものであった。
いや、おそらくは本当に名刺なのだろう。
『ドーム国 内務長官 ゴンベス』
色々と突っ込みどころが多すぎる内容である。
エルメスは油断することなく、その情報の内容を吟味していた。
知らない国である。当然知らない名前である。
というか職名が一番意味が分からない。
「ええと、とりあえず貴方は悪魔でいいんですよね?」
理性的な悪魔を知るエルメスは、魔力感知の時点で分かっていたことを、念のために確認した。
「ああ、やっぱり分かりますか。まあ話が早くていいのですが」
人の姿をした悪魔。それは古代の昔から伝えられている。
悪魔は人に化けるのだ。
エルメスはわずかに後ずさりながら、杖を構えた。
「もしかして、この間の悪魔の上司ですか?」
「ああ、あの牛鬼のことですね。上司ではなく同僚と言うべきですかね。魔王様の下での序列は同じでしたので」
エルメスはじりじりと距離を取る。
彼は魔術師である。騎士相手でも平気で勝ってしまう魔術師だが、それも魔術の行使を前提としている。
そんなエルメスの姿を見て、悪魔を名乗る男は溜め息をついた。
「ご心配なく。私たちに貴方と敵対する意思はありません。ああ、私たちというのは、私の所属する魔王の組織のことです。他の魔王や、個人としては貴方を狙う悪魔はいます」
エルメスは顔をしかめた。
色々と厄介なことだと思ったが、とりあえず一番最初に確認すべきことははっきりとしている。
「悪魔は通常、地上には現れないものだと思いましたが?」
「その認識は誤っていませんね。私がここにいるのは、かなり高度な魔術を使ったからです。今のところ私一人だけですかね、これを使えるのは」
エルメスはわずかに安心した。
悪魔が断続的に襲ってくるという事態ではないらしい。
「さて、エルメスさん、貴方がそんな質問をしたというのは、我々の襲撃を恐れているからだと思いますが、間違いありませんか?」
「恐れているというか、警戒はしてますね」
ゴンベスはそれを聞いて、にっこりと笑った。
「いえいえエルメスさん、私どもでは貴方に危害を加えようなどとは全く思っていません。それどころか友好的な関係を築きたいと思っているのですよ」
これこそ悪魔の囁きだな、とエルメスは思った。
「エルメスさん、我が魔王様に仕えてみませんか?」
物騒な就職先の勧誘に、さすがのエルメスもドン引きした。
ブラックですらない就職先。
でも雇用条件はホワイトよ。




