12 学院のエルメス
パガン王国には七つの王立学院がある。言うまでもなくこれが、王国の最高学府である。
これからさらに学ぼうという場合は、それはもう学生ではなく、自ら考える研究員となる。給料も出る。
この中でも一番格の高いのは、当然ながら王都の学院である。
しかしながら王都の学院は政治的な学問を主としておリ、将来の官僚や軍人を育てることに長けている。地理的な問題もあって、貴族階級の生徒が多い。
次に格式が高いのは、ヤコの街の学院である。これはもう単純に、歴史が古い。パガン王国の前身となる王国の首都が長く置かれており、多くの研究者がこの学院から出ていた。
そんな中でワールの街の学院の特色は、実学的な学問が重視され、特に魔道具などの開発では随一とされている点である。
まあエルメスがワールの街の学院を選んだのは、そういった方針もある程度考慮してはいたのだが、もっと卑近で現実的な問題があった。
ワールの街は比較的物価が安く、それと連動して家賃なども安かったのだ。
地理的なことを言うなら南に海を持つ港町であり、その他の三方向には大きな街道がある。そして身近に魔境があるのは、ワール以外の学院ではセーダとフォッカ。その中では故郷に一番近かったのだ。
そんなワールの街の学院に、エルメスはやって来た。
既に籍は置いていないが、学院の卒業生には図書館の利用が認められている。あとは資料とか。
もっとも貸し出しは許されていない。例外は研究室などに持っていくことだが、それには責任者の名前と本の所在が明記されることになる。
それでもとにかくワールの王立学院には、王立に相応しい書籍が揃っている。
研究機関としての性格もあるので、最先端の論文なども、目にすることが出来る。
そんな図書館への道を、エルメスはこそこそと早足で進んでいた。
卒業から三年。教員の中にはまだエルメスを憶えている者がいるだろう。エルメスは悪い意味で有名だった。
だが教員ならまだいいのだ。かつて同窓であった者たちが、エルメスよりもはるかに劣った者たちが、エルメスの残した課題を研究し、自らのものとする。
そんなやつらに出会いでもしたら、ちょっと魔術で仕返しする誘惑に耐えられないかもしれない。
実のところエルメスに接する者のうちの大半は、はるかな高みにありながらもスキルを持たないという、エルメスの異常さに怖れを抱き、無謀な絡み方をしようとはしない。
だが残る少数が、現実でエルメスが遭遇する事実なのだ。
それにしても『隠蔽』の魔術まで使って人目を避けるのは、さすがに異常であるのだが。
「ふむ、やっぱり過去の文献にはないか……」
図書館の分厚い本を何冊か読み終え、エルメスは呟いた。
本の貴重な時代である。活版印刷は既にあるが、それでも本が貴重であるということに変わりはない。
印刷に耐えるだけど紙がなかなか生産できないという、おかしな部分で技術が遅れているということもある。
そもそも学院に置かれるような本は、既に確立した理論を集大成したものである場合が多く、あとは研究中の論文などが冊子となっている。
異端や異説とも言えるような理論や学説は、それなりに有名でないと学院に置かれるようなものではない。
研究という学院の一面を考えるなら、むしろそういった異端異説こそが重要だとエルメスなどは思うのだが。
図書館に置かれるような本を執筆する者は、高いスキルを得ている者がほとんどだ。
そういった者は突出していなくても、能力の平均値は高いと言える。
やはり異端異説や、そもそも学問として成立する以前の神話、そして厳然たる事実である考古学に目を向けるべきか。
エルメスはそう思うのだが、神話は歴史によって洗練され、本来持っていた記述が歪められている。
太古の昔に神々が伝えたという言葉さえ、神殿の政治的な考えにより歪められているのだ。
魔術師とは本来、真理の探求者である。
政治を学ぶのはいい。それは政治というのが、学問というよりは単なる現実への対応手段であるからだ。
しかし真理の探求に政治を導入し、政治のために真理を歪めるというのは、魔術師としての本質からかけはなれている。
そうは言っても研究にも金がかかるわけで、その金を準備するためには、現実的な利益を出す必要がある。
この点に関してだけは、エルメスはスキルというシステムに一定の意義があると認めている。
この世界ではスキルの高さこそが、人間としての価値の高さと錯覚されている。
つまりいかに政治的人間であり、研究さえも政治力で歪めようとしても、スキルの高い人間の一言に、敗北せざるをえないということだ。
もっともこれは、スキルの高い人間が政治力を行使すれば、それは止めようのない腐敗へと導かれてしまうということでもあるのだが。
エルメスは最新の論文までざっと眺めてみたが、やはり満足のいく情報は得られなかった。
そもそもダンジョンの発生初期という状況自体が、これまでには観測されていなかったのだ。それも無理はない。
ならば神話などの伝聞や考古学に頼るべきかと思ったが、そういった研究はワールでは比較的少ない。
今ここで自分の力だけで出来ることは限られている。
だが今のうちにやっておかないと、後からものすごく面倒なことになる気もする。
不本意であるが、他人の力を借りざるをえない。
そして重ねて不本意であるが、エルメスはそういったことに詳しそうな人間を知っていた。
事務所に寄って、出来ればいてほしくないなと思いつつも確認すれば、丁度相手は講義などの予定もなく、与えられた部屋にいるとのこと。
別にエルメスが相手を嫌っているというわけではない。そして幸運とでも言うべきか、相手はエルメスに対しても一定の理解がある。
その理解の仕方が、あまりにも機能的過ぎるという点はあるが。
エルメスは導師たちの個室がある灰色の塔へ向かう。
研究棟とはまた違った、狂気が洩れ出る場所である。
そもそもまともな人間が、エルメスというまともでない人間を評価してくれるわけはない。つまりこれから会う人間は、まともではない。
見事な三段論法である。こんな考えに逃避しながらも、エルメスは目的の部屋の前へと到着した。
導師ペンタス・ダグリス。貴族出身であり、元はヤコの学院出身であったが、権力闘争に敗北してワールの学院に流れてきた男。
学問に対する執念は常軌を逸しており、その知識と洞察力は誰もが認めるが、個人的な付き合いを求めようとは思わない。
エルメスの恩師のような人格者であっても、擁護不能の性格破綻者である。
ノックをしてすぐに返事があった。
「失礼します」
壁面全てが書籍や紙束の書棚に占拠され、それでも足りずに書棚が置かれ、さらに床にも本や冊子が積まれている。
異常なほどの情報量。学説として洗練される以前の原知識。
その持ち主が、奥の椅子からエルメスを睨みつけてきた。
まだ40歳ほどのはずだが、頭髪はほとんど白くなっている。皮膚にたるみはないが、灰色がかったところもある。
エルメスは現地調査の一環で、この導師に連れまわされたことがある。
恩師の手によって救い出されたが、当時のエルメスではあのまま扱われていれば、精神的に死んでいた可能性もある。
「ほう。記憶にはあるが名前は憶えていない顔だな」
ペンタスは余計な記憶は持たない。そんなことを言われているが、ある程度は事実だ。
彼は基本的に、教え子であっても人の名前を憶えない。ただ扱っているテーマなどで判別している。
ヤコを追い出されたのは権力闘争の敗北ではなく、単に人間的に嫌われたのではないかと学生達は噂していた。
「以前にシンナの遺跡発掘で、お世話になったことがあります。エルメスです」
「シンナ!」
その単語はペンタスの記憶中枢を刺激したようだ。
「記憶にあるぞ! スキルを持たない優秀な学生がいたな!」
「ええ、多分それは私のことだと思いますが」
ペンタスに記憶されていたのは幸いのはずだが、どうにも正直にそうは思えないエルメスであった。




