会いたかった
「待てよ、こらぁ~」
「うふふ、捕まえてごらんなさぁい~」
浜辺で男と女が追いかけっこを楽しんでいる。
イワンはほんやりと、その様子を城のバルコニーから眺めていた。
他人ならば、特に気にも留めない。ああ馬鹿がいる、と鼻で笑うだけだ。
それがこんなに薄ら寒い気持ちになるには、あれがまぎれもなく自分の父と母だからだ!
つい力んだのか、手にしていたグラスにビキッとヒビが入った。
王家のプライベートビーチは今日もうららかで、王と王妃は、今日も臆面もなくいちゃこき合っている。
「ほぉら、捕まえた!」
「きゃあ」
ああ、目も当てられない。
イワンは掛けていた椅子の背にもたれ、空を仰いだ。朝食の後をメイドたちが片付け、横では弟のジークが静かに本を読んでいる。兄弟間は薄い。兄は弟に興味がないし、弟は誰にも心を開かない。
家族で取る朝食など、本当は嫌で嫌で仕方がない。だが、苦痛で仕方なくても、抵抗するより黙って従う方をイワンは選ぶ。無駄な労力は極力使わないと決めている。
立ちあがったイワンを、ジークはちらりと目を上げたが、すぐに本に落とした。
空気のように付いてきた女剣士のリンジーと道化師のジャックを従えて、イワンはのどかな浜辺を歩きだした。
「どちらに行かれます?」
「散歩だ」
白い砂浜は、あの時の事を思い出させる。
赤毛のあの女。気絶しているイワンのズボンをずり下げようとし、悲鳴を上げたら海に逃げた。
幻想だったのか。
いや、確かに現実だった。イワンは娘の歌を聞いた。調子っぱずれで聞いた事のないような音程の外し方で、それでいて優しい鼻歌。
まさか。
自分の想像にイワンは青ざめて、パシッと口元に手を当てた。
まさか、妖怪ウミボウズ……!
いやいやいや、そんなはずはない。ハゲてはなかった。
人魚か。しかし人魚にしては音痴すぎるだろう。彼女らに美声は時に漁師を死に誘うほどなのだから。
黙々と歩く王子の後ろで、リンジーとジャックがひそひそと話している。
「あの嵐の日から、イワン様の様子がおかしいわ」
「えらい大人しいやんか。どないしはったんやろ」
そしてジャックは己の職務を思い出したらしい。こういう時こそ笑わせねば、と拳を握りしめて、テトテトと主人に追いすがった。
「えー、ここで一発、謎かけを」
こほん、と咳払いして声を張り上げた。
「海と掛けましてー、イワン様の御心と解きますー」
ザザ、と波が鳴いた。
「その心はー」
ザザーン。
「心はー……」
ザプーン。
「……」
「オチが無いなら、謎かけなんぞするな!」
「すまへん! ……きゃーーー!」
放おりなげられたジャックの小さな体が軌道線を描いて海にポチャンと消えた。
「ひどいわあ……」
「鈴虫の脳味噌で謎かけなんかやるからだ、あれはもっと……」
イワンはそのまま棒立ちになった。目の前の光景に。
少し離れたその場所、娘が一人、海からあがってきた。全裸で。
匍匐前進で浜まで這った娘はそのままうつ伏せになり、そして微動だにしなくなった。
くるりとイワンは身を翻した。
――あれに関わってはいけない。
頭の中の警報がそう告げる。
――あれはヤバい。おれのサムシングを危機におとしいれた、あの女だ。
「どうされたのです、イワン様」
不審がるお付き二人の肩をがっしり抱いて、王子は足を速めた。
「いいか、振り返るな」
「は?」
「振り返れば奴がいる」
そうだ、このまま立ち去ってしまえ。
ところがどっこい。
「ちょっとっ! 命の恩人、見捨てる気っ!?」
当の娘がガバリと身を起して怒鳴ってきた。チッとイワンは舌打ちした。
「命の恩人!?」
犬の如く反応したのはリンジーだ。イワンの手を振り切って、娘の元へ猛ダッシュで駆け付けた。
「おい、こら、リンジー! 戻ってこい!」
主人の命令を無視して走ってゆくその様は、まるで世界選手権100m走を駆け抜けるウ○イン・ボルトのようだったと、後にジャックは語る。
「ああ、王子のお命を救っていただき、本当にありがとうございました!」
リンジーに抱きあげられた娘は、海からあがってきた割には元気いっぱいで、生意気そうに顎を上げる。
「寒そうなご様子。こんなものでよければどうぞ」
リンジーのマントにくるまれた娘が礼を言った。
「まあ、親切なお方。どうもありがとう」
逞しい女戦士にお姫様だっこされた、華奢な赤毛の娘。その姿は何だかとってもヅカ風味。
娘は安堵したのか、そのままころりと寝入ってしまった。
「寝るか!? このシュエーションで普通、寝るか!?」
イワンのツッコミもまるで処置ナシ。
「きっと溺れて疲れていたのでしょう。このままお城へお連れいたしましょう」
「リンジー! もっと状況をよく見ろ! どう考えたって不自然じゃないか、全裸の女が海で溺れて浜に打ち上げられるか!? 干物や海草じゃねえんだ、おかしいだろう!」
「干物は打ち上げられまへん」
三人がギャーギャー言いあいしていると、女の声がした。
「どうしたのです?」
三人はびくりと肩をすくめ、おそるおそる振り返った。イワンの母、王妃が騒いでいるイワンたちを不審に思ったのだろう。後ろには水のかけあいっこでびしょびしょになった王様もいた。
リンジーから理由を聞いた王妃の顔が曇る。
「ではその娘がイワンを助けたというのですね」
「母上、それは……」
「黙れや!」
王妃の一喝で、その場の全員が固まった。
「命の恩人見捨てるような恥知らずに育てた覚えはないわ! その根性叩きなおしたろか、ちょっとそこの岩間に顔かせや、ああ!?」
この王妃さま、実は貴族出身ではなく、城下で有名な「南瓜馬車」の頭をはっていたバリバリのヤンキー(死語)であった。
お忍びで城下に遊びに来ていた王様がゴロツキに絡まれているのを
「アタイ(死語)のシマでなにぬかしてんじゃあ、いてこましたろかワレェ!」
と助けたのが縁で惚れられ、王妃になった。
ちなみに腕には
「王様命 貴族上等」
の刺青が彫ってある。
セルフコントロールの甲斐あって、普段はたおやかであるが、激高すると地がでてしまう。
つまり、今現在、非常にお怒りなのだった。
「その娘はあんたが責任もって面倒見ぃや。捨てたりなんぞしたらマジぶっ殺すで」
「……分かりました」
「王妃ちゃん、王妃ちゃん。怒ったら皺が増えちゃうよ。イワンも反省したことだし、はいはい、カムダウンカムダウーン」
王様の取りなおしに王妃がきゃっと叫んだ。
「やだ、またやっちゃった! 王様、あたしのこと嫌いになった!?」
「そんなことないに決まっているじゃないか! 王妃ちゃんはいつも最高だよ!」
「王様!」
「王妃ちゃん!」
せーかいのためー ふーたりはあるのー せーかいのためー ふーたりはあるのぉぉー♪
なんてBGM流しながらオンワールドに入ってしまった両親を尻目に、イワンは踵を返した。
絶対にあの女、追い払ってやる、と固く決意しながら。




