闇に歌えば
「最近、あなたおかしいわよ?」
「どうしたのかしら、溜息ばかり」
平たい岩が円形状に置かれた室内でぼんやりそよぐ海草を眺めていたアーリアは、はっと顔を上げた。5人の姉たちが心配そうにアーリアを見つめている。
人魚姫たちは今日も海面からうららかな光の柱が差し込む宮殿の一室で思い思いの格好でおしゃべりに興じている所だった。
「何でもありません、お姉様方」
微笑む顔も弱々しい。
「うそよ、この間のお父様もお誕生会でも、ダンスの一つも踊らなかったじゃない」
「いつもは鯛や平目を従えて見事に舞踊るのに」
「隅っこの方でずっと昆布をかじっているだけ」
「ねえ、やっぱり変よ。本当にどうしたの?」
姉たちの追求の声にアーリアは曖昧に微笑む。
「わたしたちに言えないことなの?」
本当は大声で叫びたかった。
お姉様、お姉様。あたし、人間の王子様に恋をしてしまいました。
そんなこと、言えない。
あの方を思うと、夜も眠れないんです。胸が苦しくて、切なくて堪らないんです。勝手に涙が溢れてくるんです。お腹が空いて、食欲が無限大に広がるんです(あ、これはいつものことでした)。
「……陸の上が、あまりにも違う世界だったので、未だに驚いているの……」
「なあんだ、そうだったのね」
姉たちは素直に納得した。わたしたちの可愛い妹はなんて純粋なんだろう、とおしなべて相好を崩す。
そこへ、年老いた赤カニがトコトコとやってきた。
「あら、セバスチャン。どうしたの?」
「この間のお父様のお誕生会、見事な活躍だったわね」
「あなたの引退も花を飾れて良かったわね」
「ありがとうございます、姫様方。これより諸海を回ろうと思いましてな」
赤カニのセバスチャンは丁寧にお辞儀をした。宮廷音楽隊隊長であった彼は、今は旅装束を身につけ、背負っている木の枝の先には唐草模様の風呂敷。その頭に頂くのは被り笠。しぶい。北風小僧の寒太郎か。
「取りあえずは西に参ろうと思うておりますじゃ。それでは姫様方、お達者で」
ちゃっと笠を上げて挨拶すると、セバスチャンは人魚姫たちの別れの言葉を背に聞きながら去って行った。
西。
その言葉はアーリアのぼんやりした頭の中に、鮮明に入ってきた。
西には魔女がいる。
海面から差し込む光が儚げに消える頃、二匹の人魚が西へ猛進している姿があった。
「駄目です、姫様! お待ちください!」
「待てって言われて待つ馬鹿はいないわよ!」
アーリアとハロルドだった。とにかくアーリアはカジキも真っ青なスピードで泳ぐ。ハロルドも全速力で追いかける。途中、セバスチャンがその勢いに流されていった。
気が付けば、ハロルドは洞窟の奥にいた。大釜がくつくつと煮えたぎっているうす暗い不気味な部屋に。
「たのもー!」
「なんじゃい、騒々しい」
アーリアが張りあげた声に、のっそりと巨大な蛸が出てきた。いや、蛸の足を持った魔女だ。その顔はぼってりと丸い厚化粧の女で、上半身はつつけば破裂するのではないかと思われるほど贅肉がのっかっている。動くたびに、ゆるるんゆるるんと波打った。
ハロルドの背に冷や汗が流れた。
何をしようとしている、この天然ド級の馬鹿娘……!
「なんの用だね。ポセイドンの娘、アーリアよ」
蛸足の老女はウケケケケと嬉しそうに笑った。
「水晶玉で見物させてもらったから、分かってはいるのだけどね。さあ、お前さんの望みを言ってごらん」
「あたし、人間になりたいの。そして陸に行きたいのよ」
「なんてことを、姫様!」
ハロルドはもはや卒倒しそうだ。
「たやすい御用じゃ。しかし、無料というわけにはいかん。そうさな、お前の……」
値踏みするように魔女はアーリアを尻尾の先から頭まで眺める。
「声はいらんぞ。音痴なぞなんの役にも立たん」
「まあ、変ね。設定じゃあたしは美声なはずなのに」
首を傾げたアーリアだったが、次の瞬間、後ろにいたハロルドをずいと前に突き出した。
「じゃあ、この男で!」
「よし、乗った!」
魔女が膝(足?)を打った。
「姫様ぁああああ!」
「ありがとう、ハロルド。いつも小うるさくて仕方なかったけど、こんな所で役に立ってくれて。あなたもあたしの為なら喜んで犠牲になってくれるわよね」
「誰がなるか! 一体どこまで自分本位なんですか、あなたは!」
「よく言うわよ。あなたがあちらこちらでナンパしまくっているのは知っているんだから。乙女連合会からも苦情がきているのよ。まあ一つ、年上女に可愛がられるのも悪くはないわよ、ね?」
「年上いっても上限があるでしょう! すでに限界突破していますよ!」
「ほっほっ、苦しゅうない、ちこう寄れ」
蛸足に絡め取られ、ハロルドは血の涙を流した。
「この小瓶をやろう。陸近くになったら飲むがいい。ただし、足は歩くたびに猛烈に痛むからな」
「構わないわ」
人間になれるのだったら、なんでもいい。
「それから、もう一つ。お前の正体を知られてはいけないよ。そうなればもうワシでも、どうしようもできない」
アーリアは深く頷いて、礼を言った。図らずも若い男を手に入れた魔女はもうそちらに夢中だ。
ほくほくと小瓶を抱えて、アーリアは洞窟を出た。
「あーーーーーーーーーー!」
そして背後から聞こえたハロルドの絶叫に少しだけ涙した。
――さようなら、ハロルド。あなたの事はいつまでも忘れないわ。




