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メッキの剥がれた聖女

「いやぁぁああ! 離して、離してよぉ! 私は『聖女』なのよ! こんな汚い男たちに触られていいわけないじゃないぉおおお!」

 白亜の鳳凰宮の床に這いつくばり、マリアはなりふり構わず絶叫していた。

 先ほどまでの「うるんだ瞳」も「か弱い涙」も、どこへやら。ピンクのフリルドレスは冷たい床の埃で汚れ、髪は振り乱れ、顔は恐怖と醜い怒りで般若のように歪んでいる。

 彼女の細い腕をがっしりと掴んでいるのは、帝国の屈強な近衛兵たちだ。彼らは、ゴミでも見るかのような冷徹な眼差しでマリアを見下ろし、容赦なくその身を拘束していく。

「お、おい、マリア……! お前、今なんと大声を上げた……? 『全部殿下がやったこと』だと……?」

 その隣で、同じく近衛兵に組み伏せられていたレイナルド元王子が、信じられないものを見るような目でマリアを見つめていた。

 王籍を剥奪され、王位継承権も失い、ただの「罪人」となったレイナルド。だが、彼の心を最も深く抉ったのは、国家の喪失ではなく、自らがすべてを投げ打って愛し、守り抜こうとした「最愛の女性」からの無情な裏切りの言葉だった。

「当たり前じゃないのよ、このバカ王子!!」

 マリアはレイナルドを睨みつけ、蛇のように鋭い声で吐き捨てた。もはや語尾の「〜ですぅ」などというあざとい偽装は微塵も残っていない。

「私はただ、男爵家の庶子から這い上がりたかっただけよ! あんたが私の泣き真似とおねだりにコロッと騙されて、勝手にエリザベートお姉様を追い出したんでしょう!? 結界が動かなくなったのも、あんたが『マリアは何もしなくていい、僕が全部解決してあげる』って言ったからじゃない! 私は悪くないわ! 全部、この無能な男が私をそそのかしたのよぉ!」

「な……な、何だと……!?」

 レイナルドの頭の中で、何かが音を立てて崩れ去った。

 自分が「健気で、自分を頼ってくれる、守るべき本物の聖女」と信じていた女は、ただ自分を都合の良い道具としか思っていなかった。それどころか、窮地に陥った瞬間、すべての罪を自分に擦り付け、真っ先にトカゲの尻尾切りにしようとしたのだ。

「ああ……ああ、なんてことだ……。僕は、こんな、こんな醜悪な女のために、エリザベートを……国を、捨てたというのか……!」

 レイナルドは血の涙を流さんばかりに絶望し、床に額を打ち付けて慟哭した。

 自分が「冷酷で可愛げがない」と罵ったエリザベートは、裏で誰よりも王国のことを考え、過酷な激務を寡黙にこなしていた。そして自分を「お優しいヒーロー」と呼んでくれたマリアは、その努力の結晶を横取りし、国を滅ぼした吸血ダニだった。

 その真実に、今さら気づいたところで、すべては手遅れだった。

「往生際が悪いな」

 ジュリアス皇帝が冷ややかに言い放つ。

「連れて行け。我が帝国の神聖な夜会をこれ以上汚すことは許さん」

「待ってくださいぃ!!」

 引きずられていくマリアが、突然、狂ったように火事場の馬鹿力を発揮して近衛兵の手を振り払った。彼女は床を這いずり、エリザベートの足元へとしがみつこうとする。

「お姉様! お姉様助けて! 私、お姉様に憧れていただけなの! お姉様みたいになりたくて、ちょっと我儘を言っちゃっただけなんですぅ! 同じ王国出身じゃないですか! お願いだから帝国皇帝様に言って、私を許してって頼んでくださいぃ!」

 必死に「いつものあざとい顔」を作ろうとするマリア。しかし、涙と泥にまみれたその顔は、ただただ不気味でしかない。

 エリザベートは、マリアが自分のドレスに触れる前に、すっと一歩後ろへ下がった。その紫の瞳には、怒りすら浮かんでいない。ただ、深い、深い「虚無」だけがあった。

「お断りいたしますわ、マリア様。私を散々泥棒猫と罵り、国家反逆人として身柄を要求しておきながら、都合が良くなれば『同じ国の出身』ですか? あまりにも身勝手が過ぎますわ」

「な……なんですって……!? この、冷血女が……! 完璧ぶって威張り散らして、あんたなんか、魔導具がなければただの不気味な置物じゃない! 私にはね、これがあるのよぉ!!」

 絶望が極限に達したマリアは、頭のネジが完全に吹き飛んだのか、懐から一本の歪な魔導杖を取り出した。それは、王宮から逃げ出す際に神殿から盗み出してきた、攻撃用の神聖魔導具だった。

「死んじゃええええええ!!」

 マリアは杖をエリザベートに向け、体内の全魔力を無理やり絞り出した。

 杖の先端から、パチパチと不規則な、しかし狂暴な光の弾丸が形成され、エリザベート目掛けて放たれる。

「エリザベート!」

 ジュリアスが瞬時に剣の柄に手をかけた――が、その必要はなかった。

 エリザベートは、眉一つ動かさなかった。

 彼女はただ、手にしていた扇を優雅に、美しく一閃させた。

「――消えなさい」

 呪文の詠唱すらない。ただの魔力放出。

 しかし、エリザベートから放たれた紫光しこうの障壁は、マリアが放った不完全な光の弾丸を、まるでおもちゃの風船を割るかのように、一瞬で、完全に霧散させた。

 それだけではない。

 エリザベートの放った絶対的な魔力圧の余波が、大広間全体を優しく、しかし圧倒的な質量で支配する。その清らかで強大な魔力を肌で感じた帝国の貴族たちは、改めて「このお方こそが本物の女神だ」と、感嘆の吐息を漏らした。

「ひ……っ、あ……ああ……」

 一方、自慢の「聖女の力」を赤子のように一瞬でねじ伏せられたマリアは、その場にへたり込んだ。あまりの魔力差と恐怖に、彼女の股間からじわりと冷たい液体が染み出し、ドレスを汚していく。

「化け物……。本物の、化け物よ……!」

 マリアは腰を抜かしたまま、カタカタと歯を鳴らして怯えることしかできなかった。

 自分が「ちょっと勉強すればできるはず」と侮っていたエリザベートの実力は、自分のような有象無象が一生をかけても届かない、天の上の領域にあるものだったのだ。

「もう十分だろう。連れて行け」

 ジュリアスの冷徹な命令により、今度こそ二人は完全に拘束され、引きずられるようにして大舞踏会から退場させられた。床に残されたのは、マリアが失禁した跡と、安っぽいドレスのちぎれたフリルだけだった。

「……お騒がせいたしました、皆様」

 エリザベートは、何事もなかったかのように周囲の貴族たちに向き直り、完璧な微笑みでお辞儀をした。

 その凛とした美しさに、大広間には割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。

「実に見事だった、エリザベート」

 ジュリアスが彼女の隣に並び、その細い腰を抱き寄せる。

「ありがとうございます、ジュリアス。……これで、私の過去の『お荷物』はすべて片付きましたわ」

「ああ。あとは、あの愚か者たちが本国でどのような裁きを受けるか……遠くから楽しませてもらおう」

 二人はグラスを掲げ、不敵に微笑み合った。

 哀れなピエロたちのメッキは完全に剥がれ落ち、ここから本当の「地獄の終着駅」へと、彼らは護送されていくことになる。

(第12話・最終回へ続く)

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