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70話 期待

 怪訝に思いながら通話ボタンを押すと、スピーカーからひどく慌てた、それでいてどこか清々しい男の声が飛び出してきた。


「大奥様! ああ、よかった、繋がりました!」


「お主……死んだのかい?」


「ええ! いやはや、アリス様にはまったく敵いませんでしたよ! 手も足も出ず、圧倒的な暴力で粉砕されました! あははははっ!」


 自分が惨殺されたというのに、ヴィンセントは心の底から楽しそうに高笑いしている。

 死霊術の真髄まで受け継いで挑んだはずの愛弟子が、こうもあっさりとやられたという事実に、ルスラは頭痛を覚えてこめかみを押さえた。


「ったく、笑い事じゃないだろうに……」


「そんなことより大奥様! メッセージ、見てないんですか!? 早く来てください、みんな待ってますよ!」


「みんな? なんの話だ……?」


 言葉の真意を問い質す前に、ヴィンセントから一方的に一つのURLが送られてきた。

 それは、現実世界に無数に存在するメタバース空間の、あるプライベート・ルームへの招待リンクだった。





「あ、魔女のお婆ちゃんだ!」


「お婆ちゃん、来たー!」


 ログインした直後、足元にわらわらと集まってきたのは、見慣れたボロボロの服を着た子供たちのアバターだった。

 驚いたことに、彼らは皆、いくらでも自由に設定できるはずのアバターを、わざわざ『Gnosis Online』で着ていた泥だらけの姿とまったく同じ外見に設定して、この空間に集まっていたのだ。


「お、おぉ……お婆ちゃんと改めて言われると、なんだか少し複雑じゃな」


 ルスラ自身もまた、慣れ親しんだシワだらけの『死の賢者』の姿でここへログインしていた。思わず頬を緩め、子供たちの泥だらけの頭を優しく撫でる。

 顔を上げると、広いパーティー会場のようなメタバース空間に、数十人、いや百人以上の人々が集まっていた。

 全員が、あのスラム街で共に過ごした面々だ。そして誰もが皆、あのみすぼらしくも懐かしい『Gnosis Online』とまったく同じ姿を身に纏っている。


「おお、ルスラ様! お待ちしておりましたよ!」


 燕尾服を着こなした長身の男のアバターが、恭しく一礼して出迎える。ヴィンセントだ。

 その隣には、純白の法衣を纏った若い女性――あのスラムの施療院で共に患者を看取っていた神官の姿もあった。


「これは……一体なんだ?」


 ルスラが目を瞬かせると、ヴィンセントは嬉しそうに微笑んだ。


「いわば、同窓会ですかね? 現実世界では住んでいる場所もバラバラな赤の他人ですが、僕たちはあのスラムで苦楽を共にした、何よりも強い絆で結ばれた家族同然ですからね」


「死んだ後も、こうして皆様と笑顔でお会いできるなんて……本当に感激です」


 神官も、涙ぐみながら深く頷く。


 心地よい喧騒。笑い声。

 ルスラは、この温かな空間を見渡して静かに息を吐いた。

 完璧に管理され、誰もが孤立して退屈を貪るだけのこの現実世界において、これほど熱を帯びた、本物の繋がりを持つコミュニティが存在するだろうか。

 間違いなく、『Gnosis Online』という過酷な地獄を共に生き抜いたからこそ、彼らは手を取り合い、ここへ集うことができたのだ。


「ルスラ様、これを見てください! 運営が気を利かせて、僕たちが暮らしたスラムの風景や、記録映像をいくつか用意してくれたんです」


 ヴィンセントが指差した先には、巨大な空中のスクリーンが浮かんでいた。

 そこには、泥だらけの路地や、粗末だが活気があった広場の映像が流れている。人々はそれを見て、「ここは雨漏りが酷かったよな」とか「あの屋台のスープ、泥水みたいだったけど癖になる味だった」などと、懐かしそうに思い出話に花を咲かせていた。

 それからも、スラムの日常を切り取った様々な動画が次々と再生されていく。子供たちが鬼ごっこをして泥まみれになる姿や、酔っ払いがドブに落ちて皆で大笑いする様子など、ありふれた風景の数々。


 やがて、画面にひと際目を引く映像が再生された。

 薄汚れたスラムには不釣り合いな、輝くような絹糸のような髪とフリルのついたドレス。アリスがスラムを訪れ、住人たちと無邪気に遊んでいる記録映像だった。

 

「わぁ、お姫様だー!」

 

「アリス様、相変わらずきれい~」

 

 映像の中の子供たちだけでなく、今このメタバース空間にいる大人たちまでもが、スクリーンに映る可憐な姿にうっとりとため息を漏らしている。

 泥まみれの子供たちに微笑みかけ、優しく手を引くその姿は、どこからどう見ても慈愛に満ちた本物の天使だった。


 ルスラは画面を見上げながら、密かに自嘲の息を吐き出す。

 これほど天使のように愛らしい娘が、その皮の下にああも底なしの残虐性を隠し持った化け物だったとは。死の賢者として、人を見る目は確かだと思っていた自分でさえ、この完璧な美貌と無邪気な振る舞いにはすっかり騙されてしまっていた。


 ひとしきり天使のようなアリスの映像を堪能し、皆がほぅっと満足げに熱い吐息をついた頃だった。


「あの、皆様! せっかくですから、この映像も見ませんか?」


 神官が声を弾ませて、一つの動画ファイルをスクリーンに投影した。


「そ、それは……!」


 ルスラは息を呑んだ。

 画面に映し出されたのは、純白のドレスを血に染めたアリスと、その眷属である異形のアンデッドたちが、自分たちの住むスラムを情赦なく蹂躙し、巨大な死体のオブジェを築き上げていくという、正真正銘の虐殺映像だった。


「ちょ、ちょっと待ちたまえ! いくらなんでもそれは不謹慎ではないかの!?」


 自分たちが無惨に殺される映像だ。

 トラウマを刺激するどころの騒ぎではない。

 慌てて止めに入ろうとしたルスラだったが、周囲の反応はまったく違っていた。


「えーっ、見たい見たい!」


「いいじゃないですか! ド派手で面白そう!」


「よしっ、ポップコーン持ってこーい!」


 スラムの人々は、まるで最新のスプラッターホラー映画でも鑑賞するかのように、歓声を上げてスクリーンの前に陣取り始めたのだ。


「ぎゃあああ! 俺の腕が飛んだぁぁっ!」


「うわっ、神官様の首が転がってる! ひぇええええッ!!」


「ちょっと、アリス様のあのドヤ顔見ました!? 最高に可愛くないですか!?」


「あんな可憐な姿で、容赦なく肉片をミンチにするギャップがたまんねぇよなぁ!」


 阿鼻叫喚の殺戮ショーが繰り広げられるスクリーンを見上げながら、皆がキャーキャーと大騒ぎしている。

 そこには悲壮感など微塵もない。


 こいつら、とルスラは頭を抱える。

 ダイブポッドの完璧な医療ケアが、ログアウトと同時に大脳辺縁系への治療を緩和させたのはあるのだろう。

『恐怖』や『苦痛』といった生々しい感情の起伏だけを化学的に緩和させ、PTSDの発症を未然に防ぐ安全装置。

 それゆえに、彼らはお化け屋敷を完走した後のようなノリで、自分の惨殺映像を客観的なエンターテインメントとして直視できているのだ。


 だが、治療による精神保護は、あくまで彼らが『発狂していない理由』に過ぎない。この異常な熱狂の本質は、もっと別の、根深いところにあった。


 なぜ人間は、わざわざ金を払ってまでホラー映画で惨劇を鑑賞し、絶叫マシンに乗って高所から落ちる恐怖を楽しんでいたのか。

 それは『最終的な安全が保障された場所』から、死の恐怖という非日常を疑似体験し、生存本能を揺さぶられるスリルを求めていたからに他ならない。

 しかし、怪我も競争もなく、すべてが完璧に予測可能なこの退屈な現実世界では、脳が危機を感じてアドレナリンを分泌する機会など皆無に等しい。


 だからこそ、死の瞬間に味わった極限の痛みと絶望は、彼らの停滞した脳を劇的にショートさせ、人生でかつてないほどの莫大な脳内麻薬を分泌させるのだ。


 絶対に安全な現実へと帰還できた今となっては、あの凄惨な記憶すらも『圧倒的な没入感を持った究極の絶叫アトラクション』へとすり替わってしまっている。

 刺激に飢えきったジャンキーたちにとって、あの理不尽な暴力と命を刈り取られる瞬間のヒリヒリとした熱こそが、自分が生きていると実感できるたまらない劇薬だったというわけだ。


 そしてなにより、アリスの存在を忘れてはならない。


 彼女のあまりにも完璧なルックスと、洗練されすぎた殺戮の所作は、ただの野蛮な虐殺をひとつの芸術作品へと昇華させていた。

 圧倒的な暴力による蹂躙すらも神の天罰か極上のファンサービスのように受け取り、彼らはもはや「あんな美しい存在に殺されるなら本望だ」と、アリスの放つ絶対的なカリスマ性に魅了され、狂信的なアイドルのファンのように熱狂している。


 やがて映像は進み、荒野でのルスラとアリスの死闘、そして絶望の底でルスラが切り裂かれる最期のシーンへと切り替わる。

 自分の悲痛な叫びと、してやったりと嘲笑うアリスの完璧な笑顔が、大画面に映し出された。


「……なんとも、不思議な気分じゃな」


 己が惨殺される様をポップコーン片手に眺める日が来るなど、死の賢者と呼ばれた時代には想像すらできなかった。


「まさか、死んでからこんなにも楽しい時間があるなんて、思いもしませんでしたね」


 隣に並んだ神官が、スクリーンを見上げながらくすくすと笑う。


「まったくじゃ。……狂っておるよ、この世界も、あのゲームも」


 ルスラは苦笑し、深く同意した。

 だが、その狂気がたまらなく愛おしく、そして心地よかった。


「ところで、ルスラ様」


 不意に、神官が真剣な声音に変わった。

 周囲のスラムの人々も、ヴィンセントも、スクリーンから視線を外し、一斉にルスラの方を振り返る。その何百という瞳が、強い期待を込めて真っ直ぐに彼女を射抜いていた。


「もちろん、ルスラ様のところにも『オファー』、来ていますよね?」


 神官の問いに、ルスラは静かに頷いた。


「私たち、決めたんです。ルスラ様についていこうって」


「大奥様。僕たちはずっと、あなたが決断し、ここへ来てくれるのを待っていたんですよ」


 ヴィンセントの言葉に、ルスラは思わず天を仰いだ。

 どいつもこいつも、あんな猟奇的な殺され方をしたというのに。トラウマを抱えるどころか、あの圧倒的な美貌と残虐性に完全に魂を魅了されている。

 この同窓会に集まった全員が、アリスの眷属になりたくて、今か今かとウズウズして待っているというのだ。


 彼らの気持ちは、ルスラにも痛いほどよくわかる。

 このまま安全で退屈な現実世界に引きこもっていても、AIに管理されるだけの『何者にもなれない』人生が死ぬまで続くだけだ。社会的な役割も存在意義もない、そんなものはただ呼吸をしているだけで、死んでいるのと同じである。


 それならば、あの血と暴力にまみれた仮想世界で、もう一度、魂を燃やして精一杯生きてみたい。

 しかも今度は、ただの弱々しいスラムの住人ではない。このふざけたデスゲームを終わらせる、世界を救う救世主の眷属という『英雄』になれるのだ。

 それも、アリスという他では絶対に味わえない規格外のカリスマを間近に浴び続けることができる。

 そんな特等席をチラつかされて、刺激と役割に飢えきった彼らが興奮しないわけがなかった。


「それにね、大奥様」


 ヴィンセントが、ひときわ熱っぽい瞳で真っ直ぐにルスラを見つめてきた。


「僕たちは、ルスラ様がまた最前線で大活躍する姿を見たいんですよ。あの圧倒的なアリス様に、死の賢者であるルスラ様が協力すれば、間違いなく最強の軍団になる!」


「そうじゃん! お婆ちゃんの死霊魔術、超かっこよかったもん!」


「俺たち、スラムにいた頃からずっとルスラ様のファンですからね!」


「アリス様とルスラ様が組むなんて、絶対に見逃せるわけないですよ!」


 次々と上がる歓声と、自分へ向けられる純粋な尊敬の眼差し。

 そこでルスラはハッと気がついた。ここにいる連中は、アリスという劇薬に魅了されているだけではないのだと。

『死の賢者ルスラ』として、思っている以上に期待されているんだと。


「……わかった、わかった。お主らの熱意には負けるわい」


 ルスラは呆れたように肩をすくめると、そっと己の視界の端で点滅を続けていたシステムウィンドウを呼び出した。


【プレイヤー『アリス・フォン・クライネルト』から『眷属化』の申請が届いています。承認しますか? YES/NO】


 かつて自分が命を懸けて守ろうとした領民たち。

 彼らが望むのなら、付き合ってやるのが保護者たる者の役目だろう。

 それに、この退屈で無味乾燥な現実世界で息を潜めるより、あの規格外の悪魔の隣で踊り狂う方が、よっぽど極上の暇つぶしになるに違いない。


「今度はワシたちが、あのアリス様の救世の道とやらを、盛大に手助けしてやろうじゃないか」


 ルスラは、満面の笑みを浮かべて歓声を上げる家族たちに見守られながら、迷うことなく『YES』のボタンを押し込んだ。

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