71話 最強の眷属
あのスラム街での一大騒動から二日ほどが経った、クライネルト公爵家の私室。
柔らかな午後の日差しが差し込む部屋で、わたしは極上のアールグレイを優雅に傾けていた。
平和なティータイムだ。
わたしの足元で、眷属たちがそわそわと落ち着きなく動き回っていることを除けば、だけど。
「あぁ……どうしましょう。ルスラ様からの承認、まだ来ませんねぇ。やっぱり、わたしが調子に乗って煽り過ぎちゃったせいでしょうか……?」
自身の死体を取り込んでスライム状の美少女ボディを安定させたネネムーが、わたしの膝にすがりつきながら不安げに涙目になっている。
「うむむ。死の賢者ともあろう御仁が、あのような圧倒的な蹂躙と屈辱を受けて、素直に首を縦に振るとは考えにくいのも事実……」
クマのぬいぐるみの姿をした最強の騎士ナガクが、短い綿の腕を組んで渋い声で唸った。
「あら、わたくしという高貴なお方の部下になれるというのに……逃げるとはとんでもなく無礼なお方ですわね」
アンティークのビスクドールに宿った第三王子ドゴルゴンも、ティーカップの縁を歩きながらため息をつく。
眷属たちは皆、強力な死霊魔術の使い手であるルスラが仲間にならないのではないかと、すっかり弱気になっていた。
なんせ申請を送ってから、二日も経ったのだ。
まだキャンセルされていないとはいえ、このまま放置というのは流石に心臓に悪いような……。
「みんな、落ち着きなさい」
わたしはソーサーにカップを置き、ふふっ、と余裕の笑みを浮かべてみせた。
「あの人が来ないわけがないよ。なにせ、このアリスちゃんの眷属になれるんだからね。こんだけ魅力的なわたしを前にして、断れるわけがないじゃない」
堂々たる主の宣言に、眷属たちが「おお……っ! さすがアリス様!」と感嘆の声を上げる。ドゴルゴンちゃんだけは「ふんっ」と鼻を鳴らしていたけど。
彼らの尊敬の眼差しを一身に浴びながら、わたしは優雅に微笑み続けた。
――が、内心では冷や汗を滝のように流していた。
ど、どどどどどうしよう、やりすぎちゃったかなあ!?
流石に、スラム街を虐殺して、アートを作ったのはまずかったかな!? だって、そのぐらいやって心を折らないと、あのおばあちゃんに勝てないと思ったんだもん!
そもそも、死体のオブジェは眷属たちが勝手にやったことだし! わたしは「死体を目立つように積み上げといて」といっただけなのに、なんか眷属たちが勝手にパズルみたいに積み上げていただけだし。
内心、やりすぎでしょ!? と思ったけど、やっぱ止めておくべきだったかなあ。
ああっ、わたしの貴重なUR級の死霊術師ユニットが!
ここであのチートお婆ちゃんを取り逃がしたら、今後の救世の道、デスゲームのクリア計画に大幅な遅れが出ちゃうよ!
お願い、お婆ちゃん! 意地張らないでYESを押してぇーっ!
ピロリンッ!
その時、視界の端に待ち焦がれていたシステムウィンドウがポップアップした。
【プレイヤー『ルスラ・フォン・ナディカル』が眷属化の申請を承認しました】
キタァァァァァッ!
わたしは内心でガッツポーズを決め、完璧な令嬢の笑みをさらに深める。
ほーらね、やっぱり来た! この天才的で完璧で宇宙一かわいいアリスちゃんの魅力に抗える人間なんて、どこにも存在しないってことよ! あははははっ、チョロいチョロい!
「さあ、みんな出迎える準備をして。新しいお友達の到着だよ」
「おおおっ! さすが主殿!」
歓喜に沸く眷属たちを横目に、わたしはステータスウィンドウを開く。
さて、魂は無事にストックされた。
問題は、あの気難しい死の賢者様を入れるための『器』だ。
ナガクはクマのぬいぐるみ。ドゴルゴンはお人形。ネネムーは自身の最高傑作であるホムンクルス。
せっかくの最強の死霊術師だからこそ、圧倒的な魔力を十全に振るえるだけの、最高位の『最強の器』が必要だ。
わたしは部屋の隅に鎮座している、禍々しい結界の鎖が何重にも貼られた巨大な棺へと視線を向けた。
昨夜の戦闘の後、ネネムーとドゴルゴンが中心となって眷属たちと共に厳重に保管しておいた特注品だ。
先ほど、お父様の目を盗んでこっそりこの部屋へ搬入させたのである。
「ネネムーちゃん、早速開けてみてよ」
「うぅ……これ、厳重に封印するまで、ずっと暴れまわっててすっごく大変だったんですよぉ……。結界を何重にも張って、ようやく封印できたくらいで……」
ネネムーが涙目でぼやきながら、棺の封印を解いて重い蓋をずらす。
中から噴き出したのは、どす黒い紫色の瘴気だ。
そこに横たわっていたのは――他でもない、ルスラ・フォン・ナディガル自身の亡骸だった。
だけど、ただの死体ではない。
わたしがヴィンセントを物理で粉砕した後、彼が身に纏っていた『第十座・怨念の老婆』たる怨念の塊が、主を失ってこの亡骸へと憑依したのだ。
ドロドロの怨念と呪いが亡骸に絡みつき、今もなおギリギリと不気味な音を立てて暴れ狂っている。
怨念、ねえ。
ここが仮想世界で、全員がプレイヤーだと知っているわたしからすれば、怨念だの呪いだの言っても、所詮はシステム的なエフェクトやパラメータの一種でしかない。
でも、だからこそだ。
自分が遺した怨念と、愛弟子が遺した絶望。
そのすべてを煮詰めた呪いの塊となってしまった己の亡骸。これ以上に死の賢者様にふさわしい、そして最高に皮肉の効いた最強の器はないだろう。
「さあ、ようこそ。わたしの愛すべき新しい眷属!」
わたしはステータスウィンドウをポチポチして、呪いにまみれた己自身の亡骸へと、ルスラの魂を定着させた。
新たな波乱の始まりを予感させるように、紫色の瘴気を纏った亡骸がギチギチと不気味な音を立て、その虚ろな瞳に青白い魂の炎が灯る。
ズガンッ!!
突如、棺の中から爆発的な瘴気が噴き上がり、部屋の空気が凍りついた。
「――ヒッヒッヒッヒッヒッ……! ワシの眠りを妨げ、深淵より引きずり起こす命知らずな不届き者は、どこのどいつじゃあーッ!」
怨念と呪詛が物理的な重圧となって部屋中を吹き荒れる。
棺から這い出たのは、まるでホラー映画から抜け出してきたような、悍ましい悪霊そのものだった。
ドロドロの怨念を纏った亡骸が、ギチギチと不快な骨の音を立てながらゆっくりと首を巡らせる。
その眼窩で燃える青白い炎からは、生前の高潔な威厳など微塵も感じられない。あるのは、生ける者すべてを呪い殺そうとする純粋で暴力的な悪意だけだ。
「ア、アリス様、お下がりを! こいつの気配は危険すぎます……ッ!」
あまりの禍々しい気迫に、ナガクが慌ててわたしの前に立ち塞がろうとする。
だが、わたしはナガクを片手で制し、堂々と一歩前へと踏み出した。
「お帰りなさい、ルスラおばあちゃん。新しい身体の寝心地はどう?」
わたしが純白のドレスの裾を揺らして無邪気に微笑みかけると、怨念の老婆はギチギチと首の骨を鳴らしてわたしを見下ろした。
「……小娘か」
地の底から這い出たような、しゃがれた声。
老婆は自身のドロドロの身体を値踏みするように見つめ、やがて喉の奥で気味の悪い笑い声を漏らした。
「ヒッヒッヒ……。ワシ自身の亡骸と、このどす黒い怨念ごと器にしたか……。そんでもってワシを力ずくで従属させるとは。……なんという度胸。なんという不道徳極まりない外道じゃ」
それは怒りともまた違う。
アンデッド化による精神の変容と、怨念の器がもたらした強烈な影響。
より童話にでてきそうな『魔女』へと成り果てた彼女は、わたしが用意したこのあまりにも悪趣味で冒涜的な処遇を、心底愉快そうに受け入れていたのだ。
「ふふっ。期待しているね、ルスラ」
「ヒッヒッヒッ……。ああ、任せておけい。……小娘が敷く死と呪いの道行き、このワシの怨念のすべてを懸けて、どこまでも恐ろしく彩ってやろうぞ……イーッ、ヒッヒッヒッ……」
わたしは、最凶の魔女を新たな手駒に加え、極上のドヤ顔を浮かべた。
こんな全方位をところかまわず呪いそうな魔女を手駒にしてしまうなんて。流石、アリスちゃんって感じ。
薄暗い部屋に響き渡るルスラの不気味な笑い声を心地よいBGMとして聞き流しながら、わたしは最高の気分でティーカップへと手を伸ばすのだった。
◆
さて、と。
新しい眷属たちを出迎えた真夜中。わたしはひとりで、バルコニーにて、夜風に触れていた。
髪を揺らしながら、空中に自分のステータス画面を展開する。
弟子のヴィンセントをはじめ、あのスラムでの大立ち回りを経て、わたしのレベルは、ついに『84』まで跳ね上がっていた。
大陸に十人しかいない賢者のレベルでさえだいたい80以上だったことを考えれば、ついにわたしも歴史上の英雄を超える領域に足を踏み入れたってわけだ。
ふふん、順調順調。
そして何より、視界の端でキラキラと自己主張しているスキルの項目。
【累計殺害人数:100人を達成!】
【殺人鬼の加護:レベル4にレベルアップしました】
『NEXT:あと1000人殺害でレベルアップ』
これだ。
パンドラの構成員たち、ネネムーの部下たち、スラムの住民たちを経験値に変え続けた結果、ついに累計殺害数が三桁の大台に乗ってしまったらしい。
そして、次の必要人数は千人って。流石に、無理すぎる。
それにしても、だ。
わたしはレベル3の効果欄をじっと見つめて、呆れたようにため息をついた。
【レベル3:『粛清』】
効果:自身の眷属を殺害することで、莫大な経験値と『粛清ポイント』を獲得する。
ポイントが一定値に達すると、特別な権能を解放。
一度も使わずにレベル4になっちゃったよ。
いや、だってこんなの使えないでしょ……。
苦労して集めた有能な手駒を自分で壊すなんて、効率が悪すぎる。
いくら経験値やポイントが美味しくても、仲間を裏切るような真似、流石に心が痛いよねー。
それに、特別な権能を手に入れるのに、何人の眷属を犠牲にすればいいのかもわからないし……。
こんな悪辣なスキルをわたしに押し付けた『悪いAI』とやらは、相当性格がねじ曲がっているに違いない。
そう毒づきながら、わたしは新しく解放されたレベル4へと視線を移した。
またどうせ、血みどろで猟奇的な使いづらい効果なんだろうな。
そう思って詳細テキストを読み込んだわたしは、思わず「えっ」と間の抜けた声を漏らしてしまった。
そこに書かれていたのは、これまでの「殺害」や「死霊の傀儡」といった物騒なベクトルとはまったく違う、あまりにも想定外な『変化球』の効果だったのだ。
「……なにこれ」
わたしは瞬きを繰り返し、そのテキストを三度読み返した。
完璧な令嬢の仮面が剥がれ落ち、純粋なゲーマーとしての困惑が顔に出る。
このふざけたデスゲームの法則を根底からひっくり返しかねない、その珍妙なスキルの効果に、わたしはしばらくの間、夜空を見上げたまま立ち尽くしていた。




