63話 相反する存在
「――ヴィンセント、舌を噛むでないぞッ!」
ルスラ・フォン・ナディガルが取手を強く握ると、極限まで魔改造された黒檀の箒が猛獣のような駆動音を鳴らし、夜の帳を強引にこじ開けた。
立ち並ぶ屋敷の屋根が瞬く間に流動する光の帯へと変わり、凄まじい風圧がルスラの髪を激しくなびかせる。
箒といいつつも、その見た目は本来の箒から著しくかけ離れている。二人分の椅子も小さな翼も備え付けられている魔改造っぷりだ。
この箒は、屋敷を売っても買えないような特級魔導具だが、普段は厳重に保管されており滅多なことでは使用されない。
なぜなら、その代償が凄まじいから。
術者の魔力を文字通り「燃料」として爆食いし、並の魔術師ならば数秒で魔力を吸い尽くしてミイラにしてしまうほどの莫大な魔力を要求する、極めて危険な代物なのである。
「大奥様、スピードを出しすぎですよ……! このままだとあっという間に魔力がなくなってしまいますよ……!?」
後ろで必死に主の腰を支えるヴィンセントが、風の咆哮に負けじと叫ぶ。
しかし、ルスラは、そんなの知ったことかと内心吐き捨てる。
魔力の心配より、集中しないと途切れてしまいそうな魔力的な細いつながりを辿って、怪人を見つけることのほうがなによりも優先だ。
「逃がさぬ……! ワシの庭で、これ以上の不敬は万死に値するわい!」
ルスラは体内の魔力タンクを強引にこじ開け、箒へさらに魔力を注ぎ込んだ。
領都オーベニールの巨大な城壁を一瞬で飛び越え、一行は誰も寄り付かないような荒野へと突入する――。
月光に照らされた荒野のど真ん中に、「そいつ」はいた。
「……ようやく見つけたぞ、オーベニールの怪人」
ルスラの低い、地を這うような声が静寂を切り裂く。
数十歩先、不気味に立ち尽くしている影が、ゆっくりとこちらを振り向いた。
漆黒の外套に、ドクロの仮面。 その手には、黒塗りの剣。そこにあるだけで周囲の温度が下がるような、圧倒的で冷徹な「死」の気配。
だが、その立ち姿はどこか退屈そうで、まるで夜の散歩のついでに待ち合わせでもしていたかのような余裕すら感じさせる。
「貴様が……街の連中を玩具にした外道か」
箒を地上に着地さえつつ、ルスラは問いかける。
そして、思っていたよりも怪人の背丈が低いことに気がつく。
「……そうですよ」
その端的な返事は、どこかくぐもっていて、男か女かもわからなかった。どんな人物像か推測すらできないように、意図的ぼかしたような声。
「ルスラ・フォン・ナディガル侯爵夫人。大陸に十人しかいない『死の賢者』。そんなすごい経歴のお方に、こうして合間見れるなんて、光栄です」
怪人の淡々として声。
ルスラは杖を強く握りしめ、魔力を練り上げた。
「……怪人め。ワシをただの老婆だと舐めておるなら、その無知、死をもって後悔させてやる」
一方は、死の深淵を誰よりも深く見つめ、その尊厳を慈しむ「賢者」。
一方は、オーベニールの闇に嘲笑を響かせ、死を無邪気に弄ぶ「怪人」。
決して相容れぬ二人が今、月下の荒野にて交差する。
◆
ルスラの杖が荒野の土を強く突いた。
ドゴォォォンッ!!
地脈が震え、紫黒の瘴気が渦を巻いて巨大な召喚陣が地表に展開された。
「ヴィンセント、下がっておれ。……ワシは最初から、一切の出し惜しみをするつもりはない」
ルスラの言葉に、ヴィンセントは音もなく後方へと跳躍した。
怪人は、目の前に現れた陣を見ても、逃げるどころか、興味深そうに立ち尽くしている。
「出でよ、『第七座、刑戮の巨腕』!」
ルスラが声高に叫ぶと、陣の中から突如として常人の数倍はあろうかという巨大な白骨の腕が飛び出した。その手には、身の丈を越える大斧が握られている。
空気を裂き、圧倒的な質量が怪人の脳天へと一直線に振り下ろされた。
「……まさか、このようなものを隠し持っているとは」
怪人は低く、感情の読めないくぐもった声で呟き、黒塗りの剣で受け流そうとする。だが、その重すぎる一撃に耐えきれず、後方へと大きく跳躍して距離を取った。
ズドォォォォンッ!!
大斧が荒野を叩き割り、土砂が爆ぜる。
直後、巨大な腕は役割を終えたかのように、瘴気と共に召喚陣の奥へと引きずり込まれ、一瞬にして消滅した。
「ふん、余裕ぶるな。……ワシが使役するこれらが、その辺の墓場から掘り起こした安物だと思ったら大間違いじゃぞ」
ルスラは杖を振りかざし、再び新たな召喚陣を空中に描いた。怪人が間合いを詰めてくるより早く、次なる手を打つ。
「これぞ我が系譜にのみ伝わる『円環の秘儀』じゃ。死霊魔術を極めし歴代の『師』たちをアンデッドとして己の支配下に置き、その骸を新たな手駒として継承していくこと。……底の知れぬ怪人であろうと、何百年分もの叡智と暴力に、いつまで耐えられるかの?」
得意げに自身の魔術の真髄を語りながら、ルスラは杖の先で空中の陣を叩いた。
「穿て、第四座、氷炎の賢帝!」
空中の陣から現れたのは、豪奢なローブを纏い、いくたもの宝石のついたアクセサリーを多く身に着けた不死者の王のような骸骨だった。
現れるや否や、リッチの周囲に数十もの灼熱の炎球と氷の槍が同時展開される。アンデッドとは思えないほどの卓越した魔力操作。
それらが一斉に、逃げ場を塞ぐように怪人へと降り注いだ。
「……ッ」
直撃するかと思われた瞬間、怪人の外套の下の肉体が、まるで泥のようにぐにゃりと液状化して歪んだ。
いや、泥という生易しいものではない。外套が激しく翻った隙間から見えたのは、玉虫色に鈍く光るおぞましい粘液の塊だ。ブクブクと泡立つその不定形の肉体の表面には、瞳孔のない無数の不気味な眼球が浮かび上がっては消えていく。
悪夢のような、得体の知れない肉体。だが、ルスラから見れば、その動きにはどこか余裕がないように映った。
絶え間ない十字砲火に、怪人は防戦一方に追い込まれていく。
そして、賢帝もまた魔法を放ち終えると同時に、スッと空間に溶けるように陣の中へ消え去った。
出しては攻撃し、即座に消す。
この変幻自在の波状攻撃こそが、死の賢者の真骨頂だ。
標的となった怪人には、反撃の的を絞ることすら許されない。常にルスラが主導権を握り、怪人を一方的に削りにかかっているのだ。
「どうした怪人。ワシの庭を荒らした威勢はどこへいった?」
ルスラは冷酷な笑みを浮かべ、さらに追撃の召喚陣を展開しようとした。
だが、怪人は無言のまま、液状化した足元の肉体から無数の触手を爆発的に伸ばした。先端を鋭利な刃に変えた玉虫色の粘液が、地を這う毒蛇のようにうねりながら、四方八方からルスラの首へと殺到する。
「……遅いわ」
ルスラは杖の石突きで地面を軽く叩き、即座に足元へ陣を展開した。
「――捕らえよ、第八座、貪食の肋骨」
陣から突き出したのは、幾重にも連なる巨大な白骨の壁だ。粘液の触手がその壁に激突した瞬間――肋骨が獣の顎のように内側へ曲がり、触手をがっちりと挟み込んだ。
ただの強固な盾ではない。その骨は極限まで乾燥し、無数の微細な孔が空いたトラップだ。
骨が触れた端から怪人の粘液をスポンジのように猛烈な勢いで吸い上げることで、触手の組織を骨の内部へと強引に絡め取っていく。
液状の肉体であることが完全に裏目に出たのだ。自ら攻撃を放ったがゆえに流動性を奪われ、骨の檻と癒着するようにその場に縫い止められた怪人の本体に、致命的な隙が生まれた。
斬撃や打撃を無効化する液状の魔物など、この世界には決して珍しくない。
厄介なスライムや肉体を持たない怨念などを迅速に処理する術理など、高位な魔術師であれば一つや二つ、備えていて当然。
物理攻撃を受け流す不定形の肉体は決して無敵ではない。その瑞々しさごと、根こそぎ奪い取ればいのいだから。
相手がもがくより早く、ルスラはすでに次なる陣を中空に描いている。
「――涸れ果てよ、第三座、渇きの呪杭」
中空に浮かんだ陣から飛び出したのは、包帯がびっしりと巻き付いた一本の巨大な白骨の杭。
怪人はトラップによって回避も防御も間に合わない。音速を超えた杭が、がら空きになった怪人の胴体の中央を正確に貫いた。
物理的な破壊を目的とした攻撃ではない。杭が突き刺さった瞬間、怪人の液状の肉体から凄まじい勢いで『水分』が奪われ始めたのだ。
触れたもの全ての潤いを吸い尽くし、灰燼へと変える極度の乾燥魔術。水風船が萎むように、怪人の粘液ボディが瞬く間に干からび、ボロボロとひび割れていく。
完璧な相性。これならばスライムの如き肉体であろうと塵と化す。完全に仕留めた。
ルスラがそう確信した瞬間。
「――ほら、やっぱりわたくしがついてきてよかったじゃないの!?」
怪人の外套の内側から、甲高く、ひどく高慢な女の声が響き渡った。
直後、干からびて崩れかけていた怪人の身体の内側から、まばゆい黄金の光が膨れ上がった。
魔力によって強固に編み込まれた結界魔術だ。
ガァァァァンッ!!
内側から展開された黄金の防壁は、怪人の肉体を貫いていた渇死の呪杭を粉々に砕き散らし、さらには触手を絡め取っていた多孔質の骨の檻をも力任せに弾き飛ばした。
結界に守られながら、怪人は干からびた肉体をあっという間に元の玉虫色の粘液へと再生させ、悠然と体勢を立て直す。
ルスラは驚愕に目を見開いた。
必殺の絡め手を防がれたこともそうだが、何より不可解なのは、怪人の首元――漆黒の外套の隙間から、ひょっこりと「それ」が姿を現したことだ。
「それにしても随分と、泥まみれで野蛮な戦い方ですわね。わたくしの美しいドレスが汚れたらどうしてくれるの?」
文句を垂れながら顔を出したのは、豪奢なフリルドレスに身を包んだ、手のひらサイズのアンティーク・ビスクドールだった。
その精巧なガラス玉の瞳が、見下すようにルスラを睨みつけている。
使い魔、か……!?
ルスラの背筋に、数十年ぶりに冷たい汗が伝った。
このオーベニールの怪人は、単独ではなかったのだ。まさか外套の中に、高度な結界魔術を行使する使い魔を潜ませていたとは。




