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54話 スキルとは人生の物語

 かちゃり、とソーサーにティーカップが置かれる音が、静寂な部屋に涼やかに響いた。


 執事のヴィンセントが淹れた紅茶からは、芳醇なベルガモットの香りが立ち上っている。それは最高級のアールグレイであり、この死臭漂う薄暗い部屋においては、唯一の良心とでも呼ぶべき代物だった。


 しかし、目の前に座る少女――アリス・フォン・クライネルトは、そんな不釣り合いな空間さえも、王宮のサロンであるかのように塗り替えていた。


 彼女は、湯気の向こうで優雅にカップを傾けている。

 その所作の一つ一つが、洗練され尽くしていた。背筋をすっと伸ばし、小指を立てず、音もなく紅茶を口に運ぶ。

 そして、ふわりと花が綻ぶような笑みを浮かべるのだ。


「……おいしいです。こんなにおいしい紅茶を淹れてくれるなんて、ヴィンセントさんにうちのお屋敷で働いてほしいくらいですね」


 その一言で、部屋の隅に控えていたヴィンセントの顔が、とろりと溶けたように緩んだ。


「お、おお……ッ! アリス様のような天使にお誘いいただけるとは、執事冥利に尽きます……ッ! ですが、私の身も心もルスラ様に捧げておりますゆえ……! 心苦しいですが、お断りさせていただきます」


 ヴィンセントは、頬を紅潮させ、恍惚とした表情でニヤニヤと口元を歪めている。

 一方で、アリスの背後では――セーラが、世界の終わりを見たかのような顔で凍りついていた。


「……アリス、お嬢様……? 紅茶なら……私がいつも、淹れておりますのに……」


 聞こえるかどうかの、消え入りそうな震え声。その瞳からはハイライトが消え、ガラガラと音を立てて精神が崩壊していく幻聴が聞こえてきそうだ。


 まったく、見苦しい。

 ルスラ・フォン・ナディガルは、鼻を鳴らして不快感を露わにした。


 死霊魔術師の家系に仕える者が、こんな小娘に手駒にされるとは。

 だが、同時に認めざるを得ない部分もあった。

 この小娘には、奇妙なカリスマがある。

 ただそこに座っているだけで、周囲の空気を支配し、見る者の視線を釘付けにする。それは、単にかわいいとか、美しいといった次元の話ではない。もっと根源的な、生物としての「格」の違いのようなものを感じさせる。


 ルスラは、しわがれた手でカップを持ち上げ、わざとらしく音を立ててソーサーに戻した。


「……茶番はそこまでじゃ。ヴィンセント、下がっておれ」


「は、はい。失礼いたしました」


 ヴィンセントが一礼して下がるのを見届けてから、ルスラは正面の少女に向き直った。

 アリスは、大きなアメジストの瞳をぱちくりとさせ、興味深そうにこちらを見つめ返してくる。その顔には、畏怖も緊張もない。あるのは、純粋な好奇心だけだ。


「さて、クライネルトの小娘。いいか、ワシは忙しいんじゃ。数え切れないほどの職務を抱えておる。本来なら、お主のような子供の道楽に付き合っている暇はない」


 普通の子供なら、この剣幕に怯えて泣き出すか、あるいは無礼だと腹を立てるだろう。

 だが、アリスは違った。

 彼女は、とびきり愛らしく小首をかしげると、鈴を転がすような声で答えたのだ。


「はい、存じております。ルスラ様は、この国で一番……いいえ、大陸でも指折りの『賢者様』だとお父様から伺いました」


 アリスは、小さな両手を胸の前で組んだ。


「わたし、もっともっと魔術のことが知りたいんです。だから、本物の魔術師様のお話を聞いてみたくて」


「……ふん」


 調子のいいことばかりいいおって。

 ルスラは内心で鼻を鳴らした。

 どうせ、「賢者」という名前に釣られて、軽い気持ちでここへ来たのじゃろう。

 将来学園にでも入学した際、「賢者に師事した」と大げさに吹聴し、己の価値を高めるための箔付けにでも利用するんだろう。


 だが、せっかく来たのだ。

 少しばかり、現実を見せてやるのも一興か。


 ルスラは懐から、片眼鏡を取り出した。

 金縁のフレームに、複雑な魔法陣が刻まれた分厚いレンズ。

 これこそは、対象の魔力や身体能力を可視化する【鑑定の片眼鏡(アプレイザル・グラス)】である。


「口だけなら何とでも言えるわ。……どれ、その覚悟とやら、少し覗かせてもらおうか」


 ルスラは片眼鏡を目に当て、アリスを見た。

 レンズ越しに、少女の周囲に漂う情報の光が文字となって浮かび上がる。


 ――ん?


 ルスラの眉が、ピクリと動いた。

 表示されたステータスは、予想を裏切るものだった。


【名前:アリス・フォン・クライネルト】

【レベル:6】

【スキル:魔術師の加護Lv3、戦士の加護Lv3】


 ……レベル6。

 悪くはない。一般的に、何も訓練していない子供はレベル2か3が相場だ。レベル6ともなれば、それなりに修練を積んでいる証拠といえる。


 ふむ、とルスラは内心で頷き、その下の項目に目を留めた。


 スキルレベル。

 魔術師の加護がレベル3。

 戦士の加護もレベル3。


 魔術と剣術、相反する才能をどちらも腐らせることなく、伸ばしているようだった。

 専門的な教育を受けた見習い兵士や魔術師見習いでも、レベル3で止まっている者はざらにいる。

 ルスラは片眼鏡を外し、アリスへと視線を戻した。


「……小娘、お主いくつじゃ?」


「6歳です!」


 アリスは、元気よく指を6本立てて見せた。


 6歳。

 なるほど、ならば上出来だ。

 親バカの公爵が「神童」だのなんだのと騒いでおったが、あながち間違いでもなかったらしい。

 このまま順当に育てば、学園に入学した際、首席の座くらいは余裕で取れるだろう。


 もちろん、一流の魔術師ならば、ステータスを偽装しているのは当たり前なので、こんな鑑定は役に立たない。

 だが、目の前の小娘に限っては、その心配はないだろう。わずか六歳の幼児が、そんな工作をする意味なんてないのだから


「……ふん。見た目に似合わず、随分と欲張りなようじゃな」


 ルスラは、わざと憎まれ口を叩いてみせた。


「剣も、魔法も。どちらも一流を目指すつもりか? 二兎を追う者は一兎をも得ず、という言葉を知らんのか」


「えへへ、よく言われます」


 アリスは、照れくさそうに頬を指でかいた。


「でも、どちらも楽しいんです! 剣を振るのも、魔力を練るのも。……がんばってレベルを上げたら、もっといろんなことができるようになる気がして」


「……ほう」


 がんばってレベルを上げた、か。

 その言葉に、嘘偽りの色は感じられない。

 ルスラは、杖をついて立ち上がった。

 コツコツと床を鳴らしながら、本棚の前へと移動する。


「お主、一つ勘違いをしておるな」


 ルスラは、背中を向けたまま言った。


「レベルさえ上げれば、魔術がうまくなると思っておるのか?」


「え? 違うんですか?」


 アリスがきょとんとした声を出す。

 ルスラは振り返り、呆れたようにため息をついた。


「まったく、これだから子供は困る」






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