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52話 ホラーハウスへようこそ

 真っ先に見えたのは、廃墟と見紛うばかりの古城のような屋敷だった。

 生い茂る蔦は壁を覆い尽くし、庭木は枯れ木の如くねじれ、その枝には蝙蝠がぶら下がっている。

 鉄格子の門には巨大な蜘蛛の巣が張り巡らされ、門柱の上に鎮座するガーゴイルの石像は、まるで侵入者を品定めするかのようにギョロリとこっちを睨みつけているような……。


「……ひぃっ」


 隣でセーラが、小さな悲鳴を上げた。

 彼女はガタガタと震えながら、わたしの身体を強く抱きしめる。


「あ、アリスお嬢様……! み、見ないでください! こんなおぞましい場所、お嬢様の清らかな瞳に映してはいけません!」


 セーラは悲鳴に近い声を上げると、わたしの視界を遮るようにギュッと抱きしめてきた。


「帰りましょう、お嬢様! やはり、こんな場所に来るべきではありませんでした!」


 彼女は半狂乱で訴えてくる。


「この様子だとルスラ夫人は、噂以上に恐ろしい魔女に違いありません! 気に入らない客をカエルに変えて庭の池に沈めているとか、若さを保つために清らかな乙女の生き血を毎晩啜っているとか……! そんな危険な人物の元へ、お嬢様を行かせるわけにはまいりません!」


 わたしはセーラの胸に顔を埋めながら、内心ではワクワクしていた。

 この徹底されたゴシックホラーな雰囲気。すごくいいね……!

 厨二心をくすぐる演出だね。

 もしここがわたしの拠点だったら、庭にはゾンビ犬を放し飼いにして、屋根の上にはスケルトンの弓兵を配置とかするんだけどな!

 センスとしては悪くない。さすがは『死の賢者』と呼ばれるだけはある。


「……おいおい、いつになったらここは開くんだ?」


 護衛の騎士、ルスカーが頬を引きつらせて呟いた。


「うむ……事前に使いを出して、訪問の時間は伝えてあったはずです。誰も出迎えが来ないのはおかしいですね」


 巨漢の騎士グオークも、警戒するように様子を観察している。

 公爵家からの正式な訪問だというのに、この静まり返り方は異常だ。普通なら、使用人たちが整列して出迎えるのがマナーというものだろう。


「もしかして、留守なんじゃないか?」


 ルスカーが門に近づこうとした、その時だった。


 ――ギギギギギギギッ……。


 錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、巨大な鉄の門がひとりでに開き始めた。

 まるで、巨大な怪物が口を開けるかのように。


「うおっ!?」


 ルスカーが飛び退く。

 開かれた門の奥、枯れた並木道の向こうから、一人の男が歩いてくるのが見えた。


「……おや。脅かしてしまいましたか?」


 現れたのは、燕尾服を着こなした若い男だった。

 色素の薄い灰色の髪を撫で付け、顔色は病的なまでに白い。

 整った顔立ちをしているが、その瞳の下には濃いクマがあり、どこか生きている人間というよりは、精巧に作られた蝋人形のような不気味さを漂わせていた。

 男は門の前まで来ると、恭しく一礼した。


「ようこそおいでくださいました、クライネルト公爵家の皆様。私はここ、ナディガル邸で執事を務めております、ヴィンセントと申します」


 その声は低く、そしてどこか冷やりとしていた。

 わたしは、セーラの腕の中から抜け出してみせる。


「……あの、はじめまして、執事さん」


 スカートの裾を摘み、完璧な角度でカーテシーをする。

 上目遣いで顎をクイッと15度引いて、少しだけ首を傾げる。この角度こそ、わたしがもっともかわいく見えるのだ。


「アリス・フォン・クライネルトです」


 すると、ヴィンセントと呼ばれた執事は、大きく目を見開いた。

 その死人のような瞳に、明らかな驚愕の色が浮かぶ。


「おお……なんと」


 ヴィンセントは、まるで雷に打たれたように目を見開いた。

 彼は恭しく片膝をつくと、壊れ物を扱うような手つきで、わたしの小さな手をそっと自身の掌に乗せた。

 その死人のようだった瞳に、熱っぽい光が宿る。それはどことなく情熱的で甘美な眼差しだった。


「噂には聞いておりましたが……これほどとは。まるで、常闇の底に咲いた一輪の白百合のごとき愛らしさ……。この薄汚れた屋敷には不釣り合いなほど、美しく、そして眩いとは」


 だよねー!

 わかる。わかるよ、執事さん。わたしって世界一かわいいよね!

 そうなんだよ、わたしのこの国宝級のかわいさは、たとえどんなホラーな場所でも、いやむしろドス黒い闇の中だからこそ、そのコントラストでより一層輝いちゃうんだよね!

 わたしは褒められて照れるように、えへへと頬を赤らめて見せた。


「ありがとうございます! ヴィンセントさんも、お肌が真っ白で、すっごくかっこいいです!」


 わたしは、曇りのない瞳で見つめ返し、心からの称賛を送った。

 もちろん、お世辞じゃないよ。

 彼のどことなく影のある感じが、すごくかっこいい!


 まあ――。

 わたしにはかわいさに、遠く及ばないけど。


「ふふ、恐縮です」


 ヴィンセントが微笑もうとした瞬間、バッ! とわたしの前に影が割り込んだ。


「――離れなさい!」


 セーラだ。

 彼女はわたしを背中に庇い、ヴィンセントを親の敵のように睨みつけた。


「気安くお嬢様に近づかないでください! 穢らわしい! 男が、お嬢様の半径1メートル以内に立ち入らないでくださいッ!」」


「おっと……これは失礼」


 ヴィンセントは苦笑し、両手を上げて後退る。


 セーラはわたしを背中に庇うと、親の仇を見るような目でヴィンセントを威嚇した。

 けれど、ヴィンセントは動じない。それどころか、怒れるセーラに対しても、甘く蕩けるような紳士の微笑みを向けてみせた。


「おっと……これは失礼。あまりの愛らしさに、つい我を忘れてしまいました」


 完璧な所作で一歩下がるヴィンセント。

 その隙のない色男ぶりに、セーラは毒気を抜かれるどころか、余計にムカムカしたようで、不愉快そうに鼻を鳴らした。


「では、中へご案内いたします。主がお待ちですので」


 わたしたちは、ヴィンセントの先導で屋敷の中へと足を踏み入れた。

 中に入っても、その不気味さは変わらなかった。

 窓は厚いカーテンで閉ざされ、昼間だというのに廊下は薄暗い。

 壁には動物の剥製や、謎の儀式に使われそうな仮面が飾られている。


 ――カタカタッ。


 ふと、廊下の隅に置いてあった全身骨格の標本が、首を傾げてこちらを見た気がした。


「ヒッ!?」


 グオークが、乙女のような短い悲鳴を上げて飛び上がる。


「い、今、あの骸骨、動かなかったか!?」


「ははっ、見間違いですよグオーク。図体デカいのだからもっと堂々してくださいよ」


 ルスカーは、努めて明るい声で笑い飛ばそうとした。

 けれど、その優男風の笑顔はどこか引きつっており、本当は怖いのが見え見えだ。もう情けないんだから。


「……あの、アリス様」


 前を歩いていたヴィンセントが、申し訳なさそうに足を止めた。


「事前にお伝えしておかなければならないことがございます。……我が主、ルスラ様は、少々気難しいお方でして」


 彼は困ったように眉を下げた。


「その……機嫌を損ねると、少々言葉が厳しくなることがございます。場合によっては、アリス様のような幼い方には、酷な対応をされるかもしれませんが……」


 なるほど、頑固ババアってことね。

 でも、そんなの想定内だよ。たとえそうだとしてもわたしのこのプリティフェイスがあれば余裕ってもんよ。

 わたしは、キラキラとした瞳でヴィンセントを見上げた。


「大丈夫です! わたし、ルスラ様にお会いできるのを、とーっても楽しみにしてたんです!」


「楽しみ……ですか?」


「はい! だってお父様が言ってました。ルスラ様は、この国で一番魔術が上手な『賢者様』だって! わたし、魔術が大好きなんです!」


 両手を胸の前で組み、うっとりとした表情で語る。


「そんなすごい魔術使に会えるなんて、夢みたいです! きっと、とっても素敵な魔術を見せてくれるんですよね?」


 純真無垢な少女の憧れ。

 この演技を見せられて、絆されない大人はいない。

 すると、ヴィンセントの表情が一変した。

 さっきまでの死人のような無表情が嘘のように、パァッと顔を輝かせたのだ。


「そ、そうですか! わかっていただけますか!」


 彼は興奮気味に、わたしの手を取ろうと身を乗り出した。


「そうなんです! あの方は素晴らしい! その魔術の深淵たるや、まさに芸術! 世間では『死の賢者』などと恐れられていますが、その真髄は生命の理そのものを操る美しさにあるのです!」


 ヴィンセントは早口でまくし立てた。


「実は私、執事をしておりますが、元はと言えばあの方の魔術に惚れ込み、無理を言って弟子入りさせていただいた身でして……。いやはや、アリス様のようなお若い方に、あの方の偉大さを理解していただけるとは……!」


 おっと、思わぬところで彼のスイッチを押しちゃったね。

 どうやらこの執事、相当な「ルスラ信者」みたいだ。

 わたしが適当に相槌を打っていると、


「――離れてください!!」


 再びセーラが、猛犬のように間に割って入った。


「うちのお嬢様に触れないでください! その熱っぽい視線、不快です!」


「おっと、失礼しました。つい嬉しくなってしまいまして」


 ヴィンセントはコホンと咳払いをし、再び冷静な執事の仮面を被り直した。

 彼は重厚な扉を開け、中へと手招きをした。


「さあ、到着しました。こちらでお待ちください」


 通されたのは、アンティーク調の家具で統一された、落ち着いた雰囲気の応接間だった。

 暖炉には火が灯り、パチパチと爆ぜる音が静寂を破っている。


「主をお呼びしてまいりますので、少々お待ちを」


 ヴィンセントは一礼すると、音もなく扉を閉めて去っていった。

 わたしはソファに深く腰掛け、スカートの隠しポケットに入ったダガーの感触を確かめつつ、とびっきりの愛らしい笑顔を浮かべつつ待つことにした。





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