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51話 賢者へのアポイントメント

 ゴトゴトと、石畳の上を車輪が転がる音が響く。


 領都オーベニールのメインストリート。

 行き交う人々の波に紛れるように進むのは、地味で目立たない普通の馬車だ。

「お忍び」という名目のもと、公爵家の紋章すら隠されたその狭い空間の中で、わたしは今、非常に窮屈な思いをしていた。


 ぎゅうぅぅぅぅ……。


 物理的な圧迫感。

 わたしの小さな体は、隣に座る専属メイドのセーラによって、これでもかというほど強く抱きしめられていた。


「……あの、セーラ? ちょっと、苦しいかも」


 わたしが上目遣いで訴えると、セーラは涙ぐんだ瞳で、けれど決して腕を緩めようとはせずに首を振った。


「いやです! 離しません! もう二度と、アリスお嬢様を離したりなんてしませんから!」


 彼女の鼻息は荒い。

 その瞳の奥には、狂気にも似た執着の炎が燃え上がっている。


「前回、この街に来たとき……あの一瞬の隙をついて、お嬢様が迷子になられた悪夢! 私は片時も忘れてはおりません! 二度と同じ過ちは繰り返しません! たとえこの身が朽ち果てようとも、お嬢様のお手は絶対に離さないと、あの日の夕日に誓ったのです!」


 うん、重い。

 物理的にも、精神的にも、愛が重いよセーラ……。


 前回、わたしがこの街でこっそり抜け出して、路地裏で経験値稼ぎ――もとい、殺人を楽しんでいた時のことだ。

 あの時、セーラたちは半狂乱になってわたしを探し回ってたもんね。

 おかげで、今回の外出の警戒レベルが最高ランクに引き上げられてしまった。


 馬車の窓の外には、並走する二騎の騎馬が見える。


「ハッハッハ! ご安心くださいアリス様! このグオーク、蟻一匹たりとも馬車には近づけさせませんぞ!」


 大柄な巨漢騎士、グオークが頼もしげに胸を叩く。


「ええ。前回の失態は、騎士としての恥。……今回は、命に変えてもお守りしますよ」


 優男のルスカーも、いつになく真剣な表情で剣の柄に手を掛けている。


 もう、これじゃあ、ちょっとトイレに行くふりをして路地裏の悪党を狩りに行く、なんて芸当はできそうにないや。

 まあ、今日の目的は経験値稼ぎじゃないからいいんだけどね。


 わたしは、セーラの腕の中で大人しくしながら、数日前の父様との会話を思い出していた。



 ◆◇◆



 数日前、公爵家の執務室にて。


「ルスラ・フォン・ナディガル侯爵夫人の屋敷に、行きたいだって?」


 書類仕事の手を止めた父様が、驚いたように顔を上げた。


「はい、お父様! わたし、もっともっと魔術のお勉強がしたいんです! だから、この国で一番の物知りな賢者様に、お話を聞いてみたくて!」


 わたしは机の前に身を乗り出し、目をキラキラと輝かせて訴えた。

 けれど、父様は難しそうな顔で唸った。


「ふむ……。まあ、ここ一ヶ月、『オーベニールの怪人』の被害はピタリと止んだからな。騎士団の方でも、捕縛した強盗団こそが真犯人だったと結論づけている。おかげで、治安の方は落ち着きを取り戻しているが……」


 お父様は、顎髭をさすりながら、安堵したように息を吐いた。


 そう。

 ここ一ヶ月ほど、領都での「怪人騒ぎ」はピタリと止んでいる。

 理由は単純。わたしが、街の外れにあるネネムーの実験場を襲撃したり、軍団の強化に忙しかったりして、街中で狩りをする暇がなかったからだ。

 騎士団が捕まえた強盗団とやらには悪いけど、わたしのスケープゴートになってもらおう。


「それに……ルスラ殿は腐っても『十賢者』の一人。あの方の屋敷の近くほど、この国で安全な場所もないだろう」


 お父様は自己完結して頷いている。

 よしよし、流れは悪くない。

 けれど、お父様はそこで再び難しそうな顔で唸った。


「問題は、治安よりもルスラ殿本人だ。あのご婦人は、少々……いや、かなり気難しいところがあってね。アリスのような純真無垢な子供が行って、もし傷つけられでもしたら……」


 なるほど、そっちがネックか。

 もう心配性なパパだなー。

 でも、大丈夫だよお父様。わたし、お年寄りの相手は超絶得意だから。


 わたしは内心で舌を出しつつ、必殺の「うるうる攻撃」を発動した。


「……だめ、ですか? アリス、ずっといい子にしてたのに……。お外、出ちゃだめですか……?」


 瞳を潤ませ、上目遣いで見つめる。

 小首をかしげ、両手を胸の前で組んで祈るようなポーズ。

 完璧だ。

 この角度、この表情。これで落ちない父親は、この世に存在しない。


「ぐぅっ……! か、かわいい……ッ!」


 父様が胸を押さえて仰け反った。

 効果は抜群だ。


「わ、わかった! アリスの頼みだ、無下に断るわけにもいくまい。……公式な訪問となると手続きが面倒だが、『お忍び』としてなら、まあいいだろう」



 ◆◇◆



 ――とまあ、そんな経緯で、わたしは今こうして馬車に揺られているわけだ。


 それにしても、みんな呑気だねぇ。

 お父様も、騎士団も、街の人々も。

 「怪人はもういなくなった」なんて安心して、日常を謳歌している。

 まさか、その元凶が、厳重な警備に守られた馬車の中にいるなんて夢にも思わないだろう。


 ちなみに、一人で乗り込んでいるわけじゃないよ。

 馬車の座席の下には、縮こまったクマのぬいぐるみのナガクと、人形のドゴルゴンちゃんがこっそりと隠れているし、荷物置き場のトランクの中には、液体状になったネネムーちゃんもしっかり潜んでいるからね。


 さて、そろそろ目的地だ。

 わたしは、ぎゅうぎゅうに抱きついてくるセーラの腕を軽くトントンと叩いた。


「ねえ、セーラ。ルスラ様って、どんな人なの?」


 わたしの問いに、セーラは少しだけ表情を曇らせた。


「そうですね……。私もお会いしたことはありませんが、噂によれば、少々……いえ、かなり気難しいお方だと聞いております」


「気難しい?」


「はい。『死の賢者』なんて二つ名があるくらいですから。偏屈で、人嫌いで、気に入らない相手には平気で呪いをかける魔女だとか……。ご主人様も、あの方との付き合いには相当苦労されているようです」


 セーラは心配そうに眉を下げた。


「アリスお嬢様のような純真無垢な天使が、そんな恐ろしい魔女の元へ行くなんて……。もし、お嬢様に何か失礼なことをしたら、このセーラ、相手が賢者だろうと噛み付いてしまいそうです」


 物騒なメイドさんだ。

 まあ、でも誰が相手だろうと、このアリスにかかればイチコロだろうけどね。

 わたしは、とびきり無邪気な笑顔で答えた。


「大丈夫だよ、セーラ。わたし、おばあちゃんとお話するの得意だもん。きっと、仲良くなれるよ」


 そう。

 仲良く、ね。

 まあ、みんなが想像する仲良く、とは違うかもだけど。


「さあ、着きましたぞ! ここがナディガル侯爵邸です!」


 外から、グオークの太い声が響いた。

 馬車がゆっくりと停止する。


 わたしは、スカートの皺を伸ばし、完璧な令嬢の仮面を被り直した。

 さあ、楽しいお茶でも飲みながら、まずはゆっくりとルスラ夫人を観察しよう。




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