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47話 ログアウト、そして――

 視界がブラックアウトした。

 まるでテレビの電源を唐突に切られたかのように、ネネムーの世界は闇に沈んだ。

 最後に網膜に焼き付いたのは、月明かりを背負って微笑む、この世で最も美しい少女の顔。そして、首に感じた、慈愛に満ちた死の感触だけだった。


 全てを捧げると言ったのに。奴隷でも、肉壁でも、なんにでもなると懇願したのに。

 あの方はネネムーを拒絶した。

 暗闇の中で、ネネムーの意識は急速に遠のいていく。死ぬことへの恐怖よりも、あの完璧な存在の側にいられないことへの絶望が胸を締め付けた。


 その時だった。

 漆黒の視界に、無機質な青い文字が浮かび上がったのは。


『死亡判定を確認』


『プレイヤー「ネネムー・シュタイン」の活動停止』


『――ログアウト・シーケンスへ移行します』


 ログアウト。

 その単語が意味するところを理解するよりも早く、脳髄を直接揺さぶられるような感覚が襲ってきた。

 濁流のように流れ込んでくる、膨大な情報の波。

 

 思い出した。

 

 さっきまでいた世界はゲームなんだと。

 記憶の蓋が開く。自分が何者であったか、鮮明に思い出した。

 現実の自分は……どこにでもいる普通の人。

 AIによって完璧に管理された世界で、飢えも競争もない代わりに、死ぬほど退屈な世界に飽き飽きしていた、そんなどこにでもいる人間。

 ただ、少しでも刺激を求めて、血肉が飛び散るFPSや、グロテスクな怪物が跋扈するホラーゲームを好きでよくダイブポッドに潜っていた。


 あの日もそうだった。

 ハマっているハードコアなゲームを遊ぼうと、ダイブポッドに潜り込んだ。

 そのはずだったのに……。


 ゴボッという音がして、気管に詰まっていた異物が抜け、激しく咳き込んだ。

 鼻孔を突くのは、無機質な消毒液と、生暖かいジェルの匂い。

 

 ネネムーは重たい瞼を開けた。

 そこにあったのは、石造りの天井でも、月明かりでもない。薄暗いカプセルの中。目の前には、バイタルサインを表示するホログラムが明滅している。身体中が、粘着質のある液体に包まれていた。


 自分の手を見る。

 白くて、細くて、血管が浮き出た、弱々しい手。ゲームの中のネネムーと見た目は変わらない、けれど決定的に違う、現実の肉体。

 

 ああ、不快だ。

 戻ってきてしまったのだ。あの美しく狂った夢の世界から、この退屈で腐った現実へ。


 最悪だ。

 コードに繋がれたまま、涙が流れた。

 せっかく、完璧で美しく神がかり的にかわいい人間に出会えたのに。

 どうして、こんなゴミ捨て場みたいな世界で目覚めなければならないのか。


『ピンポーン!』


 その時、思考を遮るように、脳天気なかわいらしい声が響いた。

 ふと顔を上げると、カプセルのすぐそばに、一人の少女が立っていた。

 虹色の羽を生やした、いけ好かない笑顔を浮かべた妖精。

 その肌のきめ細やかさ、髪の揺らぎ、纏う空気感に至るまで、そこに確かな質量を持って存在しているとしか思えない、圧倒的なリアリティがあるが、それが作り物であることはすぐに知れた。

 カプセルの分厚いガラスを無視して、視界の距離感を狂わせるように浮かぶその姿こそ、彼女が網膜へ直接投影されたARの幻影に過ぎないことを如実に物語っていたからだ。


『おはようございますぅ! そしておめでとうございますぅ! プレイヤーID:8940021番! ネネムー様ですね!』


 妖精のアバターは、くるくると宙を舞いながら、甲高い声で喋り出した。

 ネネムーは掠れた声で誰だと問うた。


『私はアシストAIのピュピュアです! いやー、素晴らしい死にっぷりでしたよぉ! まさか、あのアリス様に首をへし折られるなんて、全プレイヤーの中でもトップクラスの幸運です!』


 アリス様。

 その名を聞いた瞬間、ネネムーの心臓が跳ねた。

 あの、完璧な美少女。自分に真理を突きつけた、絶対的な存在。


『そうです! あなたを殺したのは、このクソったれなデスゲームを終わらせるために選ばれた、7人の救世主のお一人! アリス・フォン・クライネルト様です!』


 ピュピュアと名乗るAIは、ペラペラと事情を説明し始めた。

 世界中のダイブポッドが「悪いAI」によってハッキングされ、接続していた全人類が『Gnosis Online』という仮想空間に強制収容されたこと。

 彼らだけが現実の記憶を保持し、ここが作り物であると理解している唯一の希望であること。  脱出条件は、世界のどこかにいるラスボスの討伐。それは救世主自身の手によるものでなくとも、誰かが成し遂げればその時点でクリアとなるが、事情を知らない一般プレイヤーにそれを期待するのは不可能であり、実質的に彼女たちに全てが委ねられていること。

 しかし、もし救世主が全滅すれば、その瞬間にゲームオーバーとして、囚われている全プレイヤーの脳が破壊され、本当の意味で全員死ぬこと。

 そして何より、一般のプレイヤーは死ねばこうしてログアウトできるが、救世主だけは死んでもログアウトが許されず、意識をポッドの中に囚われたまま、終わりのない闇を彷徨い続けなければならないこと。


 けど、ネネムーにとって、そんなことは、どうでもよかった。世界の危機とか、人類の人質とか、そんな些末なことは興味の範疇外だ。

 だって、ネネムーにとってさっきまでの楽しかったゲームは終わってしまったのだから。


 けれど、次の言葉が状況を一変させた。


『そしてですねぇ! ネネムー様に、特別なオファーが届いております!』


 ピュピュアは、もったいぶった仕草で、一通の封筒のアイコンをウィンドウに表示させた。


『アリス様は、あなたのそのイカれた頭脳と、生命を冒涜する錬金術の才能を、いたく気に入られたようです』


 気に入られた。その言葉が脳内で反響する。


『はい! そこで、アリス様固有の権能、死霊の傀儡による、眷属化の申請が届いております!』


 眷属化。その言葉の意味を理解した瞬間、背筋に電流が走った。


『つまりですね、もう一度あの世界にログインして、今度はアリス様の忠実な下僕として、第二の人生を歩んでみませんか? っていうお誘いです。あ、ちなみに拒否権はありますよ? このまま現実で平穏に暮らすのも自由で――』


 行く。

 ネネムーは、食い気味に叫んでいた。カプセルの硝子にへばりつき、ARウィンドウを食い入るように見つめる。絶対に行く、今すぐ戻せと叫んだ。


『えっ、即決!? いやいや、ちょっと待ってください。リスクの説明がまだですよ? 眷属になったら、もうログアウトはできませんし、もしアリス様が失敗して死んだら、あなたの脳みそも一緒にポポポポーンって弾け飛びますけど……』


 それがどうしたというのか。

 ネネムーは、満面の笑みを浮かべた。きっと、今の自分の顔は、現実世界で一度も見せたことがないくらい、幸福に満ち溢れているはずだ。


 この退屈で、潔癖で、希望のない現実で、あてもなく生きながらえることに、なんの価値があるのか。

 そんなものより、あの完璧な少女の一部になれるなら。あの方の手足となり、その覇道を支える礎になれるなら。それは、ネネムーにとってなによりも価値のあることだ。


 アリス様は、自分を殺したのではない。選別してくださったのだ。

 なんと慈深い。なんと合理的で、美しい愛の形なのだろう。


 私は、アリス様のものだ。

 骨の髄まで、魂の欠片まで、全て差し出そう。

 震える指で、ウィンドウに表示された『YES』のボタンへと手を伸ばした。


『うわぁ……この人、ホンモノだぁ……。まあ、他の眷属さんたちも、大なり小なり、アリス様の魅力に狂わされている人たちばかりですが……。とはいえ、この人はわかりやすずきますねー』


 ピュピュアが呆れたように呟くが、そんなのは褒め言葉でしかない。

 さあ、早く連れて行ってくれ。私の御主人様が、待っているのだから。

 迷いなく、ボタンを押す。


『――契約成立です! では、行ってらっしゃいませ、アリス様の新しいおもちゃ……じゃなかった、忠実な下僕さん!』


 再び、意識が吸い込まれていく。

 現実の肉体の感覚が消え失せ、魂がデータとなって再構築されていく。

 待っていてください、アリス様。

 ネネムーのすべてをあなたに捧げる所存です。







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出禁溶けたかぁ
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