43話 リビングアーマーのパラドックス
屋敷の一室。
豪奢な調度品と、ホルマリン漬けの瓶が不気味に共存するその部屋で、ネネムーは上機嫌に鼻歌を歌っていた。
「目玉はひとつ~、カエルの足はよっつ~♪ まぜっこ混ぜ混ぜ~、ドロドロ~♪」
彼女は、ビーカーに入った紫色の液体をマドラーでくるくるとかき混ぜている。
時折、液体からボコッという気泡と共に悲鳴のような音が漏れるが、彼女は気にした様子もなく、砂糖菓子を作るかのように楽しげだ。
――バンッ!!
唐突に、部屋の扉が乱暴に開かれた。
転がり込んできたのは、息を切らせた部下の魔術師だ。
「マ、マスター……ッ!!」
彼は肩で息をしながら、恐怖と興奮がないまぜになった顔で叫んだ。
「や、やりました……! 地下保管庫のゲート、すべて解放しましたッ!」
「んー? そっかぁ、ごくろうさまー」
ネネムーは手を止め、ニコリと笑う。
その直後だった。
――ズズズズズズズッ……!!
地鳴りのような振動が、屋敷の床下から伝わってきた。
それは、ただの地震ではない。無数の何かが、地下の闇から地上を目指して這い上がってくる音だ。
オオオオオオオオオッ……!!
ギャアアアアアアアッ……!!
次いで響いたのは、この世のものとは思えない怨嗟の産声。
そして肉が擦れ合うグチャグチャという音と共に、生理的嫌悪感を催す大合唱が鳴り響く。
「あ、聞こえる聞こえる! 元気な産声だねぇ!」
ネネムーは嬉々として窓際へ駆け寄り、中庭を見下ろせるテラスへと出た。
そこからは、地下施設へと続く巨大な搬入口が見える。
今、その暗い穴の奥から、汚泥のような「波」が溢れ出そうとしていた。
複数の人間の手足を適当に縫い合わせたような多脚の怪物。
皮膚がなく、剥き出しの筋肉が異常増殖した肉の塊。
あるいは、獣と人間を融合させようとして、ドロドロに溶け合ってしまったナニカ。
それらは皆、ネネムーが『完全なる生命』を目指す過程で生まれた、愛すべき失敗作たちだ。
その数、およそ二百。
地下の檻から解き放たれた異形の群れは、飢餓感に突き動かされ、新鮮な肉を求めて地上へと雪崩れ込んでくる。
「すごいすごーい! まるで、夢の国のワンダーランドだー!」
ネネムーは手すりから身を乗り出し、我が子を見守る母親のように目を細めた。
失敗作たちの知能は皆無に等しい。あるのは、尽きることのない食欲と、生ある者への破壊衝動のみ。
たとえ一個体の戦闘力が低くとも、これだけの数が津波のように押し寄せれば、一流の冒険者パーティであっても骨すら残さず貪り食われるだろう。
「さあ、行ってらっしゃい! ごはんの時間だよぉ!」
ネネムーが楽しそうに手を振った、その時だった。
――ガシャンッ!
肉の津波を割り、正面から二つの影が飛び込んできた。
全身を分厚いフルプレートメイルで覆った、重戦士だ。
「うおらぁぁぁッ! どけえええッ! 雑魚どもがぁッ!」
先頭を走る大柄な騎士が、巨大な戦斧を豪快に振り回す。
その一撃で、飛びかかってきた多脚の怪物がミンチになって吹き飛んだ。
「ヒャハハハッ! すげぇ! マジですげぇぞこの体! 全然重くねぇ!」
もう一方の騎士も、長剣を風車のように回転させながら、失敗作の群れを次々と切り伏せていく。
ネネムーは、きょとんと目を丸くした。
「ん~? 随分と元気なお客さんだねぇ」
彼らの動きには迷いがない。
おぞましい失敗作の群れを見ても怯むことなく、むしろ自分たちの力を試すように楽しんですらいる。
――ギチチチチッ!
筋肉が膨張した怪物が、先頭の騎士の背後から襲いかかり、その太い腕で兜ごと頭を鷲掴みにした。
普通なら首の骨が折れるか、兜ごと頭蓋骨が砕けるような握力だ。
「ますたぁっ! や、やりました! 捕まえましたよ!」
隣に控えていた部下の魔術師が、期待に声を弾ませる。
だが。
「――あん? なんか止まったぞ?」
兜を掴まれた騎士は、痛がる素振りすら見せず、鬱陶しそうに首を振った。
「なんだテメェ、肩揉みか? もっと強く揉めよオラァ!」
騎士は裏拳で怪物の顔面を殴り飛ばし、粉砕した。
「いってぇ~! ……って言おうとしたけど、全然痛くねぇ! マジで無敵じゃん俺ら!」
「バカ、調子乗んなよヨルグ! お嬢様の見てる前で無様なマネ晒したら、あとで何されるかわかんねぇぞ!」
「おっと、そうだった! へへっ、見ててくださいよ姐さん!」
二体の鎧の騎士は、軽口を叩き合いながら、暴風のように進撃を続けていく。
「……んー?」
ネネムーは、小さく首を傾げる。
彼女は懐から試験管を取り出すと、それを放り投げた。
「発火」
パリンッ。
空中で割れた試験管から紅い液体が飛散し、次の瞬間、爆発的な炎の渦が巻き起こった。
ただの炎ではない。錬金術によって生成された、骨まで溶かす高熱の火炎だ。
「うおっ!?」
直撃を受けた二体の騎士が、炎に包まれる。
「あははっ! さすがに熱いでしょー? 中身が蒸し焼きになっちゃうね!」
ネネムーは無邪気に笑いながら、次々とフラスコを投擲する。
紫色に煙る毒ガス。
触れたものを石化させるガス。
それらが次々と炸裂し、騎士たちの周囲を死の領域へと変えていく。
「げっ、なんか臭ぇ!」
「視界が悪りぃな! おい、突っ切るぞ!」
しかし、煙の中から飛び出してきた彼らは、煤で鎧を汚してはいるものの、動き自体はまったく鈍っていなかった。
「ひぃっ……! な、なんなんですかコイツら! 毒も熱も効かないなんて……!」
部下の魔術師が、ガタガタと震え出した。
「マスター! きっとあいつら、リビングアーマーですよ! だから、毒も熱も効かないんだ……!!」
「バカじゃないの?」
ネネムーは、怯える部下を冷めた目で見下した。
「冷静に観察しなよ。あいつら、喋ってるでしょ?」
「は、はい……」
「アンデッドっていうのはね、魂の残滓を無理やり現世に留めただけの存在なの。だから、基本的には『あー』とか『うー』しか言えないし、命令に忠実なお人形にしかなれないんだよ」
ネネムーは、まるで講義をするように指を振ってみせた。
「霊を鎧に憑依させた『リビングアーマー』もそれは同じ。……あんなふうに、仲間同士で軽口を叩いたり、連携をとったりする『知性』なんて残らないの」
それが、死霊魔術の限界だ。
死んだ人間の魂を、生前と同じクオリティで保存し、使役することなど不可能。
それは、彼女が専門とする錬金術における『人工生命体』の創造だって同じことだ。
泥と肉を捏ねくり回して、どれだけ精巧な器を作ったとしても、そこに「自我」という魂を宿らせるのは不可能。
だからこそ、彼女の可愛い『失敗作』たちには、原始的な食欲と破壊衝動しか芽生えない。
もし仮に、イチから完璧な魂を創ったり、あるいは死んだ魂を完璧に定着させたりできるとしたら、その術者は神にも等しい領域にいることになる。
そんな術者が、自分より格上の存在が、この街にいるわけがない。
「だから、結論は一つ」
ネネムーは断言する。
「あれは、中身入りの人間だよ。ただ凄く丈夫な鎧を着て、毒耐性の魔法でも掛かっているだけの、タフな人間」
うん、それ以外の結論はあるわけがなかった。




