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29話 最強の騎士改め

 クマさんが、丸い手を一生懸命にグーパーしようとしている。


 だが、当然ながら指はない。

 茶色いお饅頭のような丸い手が、ただムニムニと伸縮するだけだ。


「……そ、それに、この感触は……」


 ナガクは、今さらながら自身の肉体の違和感に気づいた様子で、おずおずと自分の腹を叩いた。


 ボフッ。

 ボフッ。


 いい音だ。

 最高級の綿がパンパンに詰まっている証拠だね。

 でも、中の人にとっては悪夢の音だったらしい。

 ナガクの動きが、ギギギ、と油の切れたブリキのおもちゃのように停止した。


「き、筋肉の張りが……ない!?」


 クマがのけぞってる。

 その顔は固定されたパーツのはずなのに、なぜか驚愕に見開かれているように見える。


「馬鹿な……! 私の鋼の腹直筋はどこへ行った!? これではまるで、マシュマロではないか!」


 ナガクは、信じられないといった様子で、自分の太ももや二の腕をペチペチと叩き始めた。


 ペチッ、ボフッ。

 ペチッ、ボフッ。


 鳴り響くのは、どこまでも平和で、情けない音だけ。

 さっきまでの「剣さえ握れば無敵」という渋いバリトンボイスの余韻が残っているだけに、その悲壮感は半端なかった。


「おおおおおッ!! なんということだ! 鍛え上げた大胸筋も! 自慢の上腕二頭筋も! すべてが『綿』に置換されているぅぅぅ!!」


 クマが頭を抱えて絶叫した。

 いや、頭を抱えようとしたけれど、腕が短すぎて頭頂部に届かず、こめかみのあたりを空しくフリフリしている。

 その必死な姿が、申し訳ないけれどコミカルすぎて直視したら、笑っちゃうそう。


「これでは剣が握れぬ! いや、それ以前に……関節がない! どうやって可動しているんだ私の体はぁぁぁ!!」


 クマがベッドの上で、のたうち回るように身をよじった。

 ゴロンゴロンと転がるたびに、ボフボフと柔らかい音がする。


 さっきまであんなに綺麗に立ってたでしょ!?

 わたしは心の中で鋭くツッコミを入れていた。一度意識してしまったせいでできなくなったのかな。


 ……うん。

 ナガクさんが目覚める前、襲ってくるかもと思っていたわたしが馬鹿みたいだよ……。

 相手は、自分のボディイメージと実際の体のギャップに苦しむクマさんだ。

 殺意どころか、生存能力すら怪しいのかも……。


「ぬううぅぅ……! 立て! 立つんだ私の脚ッ! ……って、脚も短ぁぁぁぁいッ!!」


 ドサッ。


 ナガクが決死の覚悟で立ち上がろうとするが、アンバランスな二頭身ボディが言うことを聞かない。

 起き上がりこぼしのように揺れては、またベッドに顔面からダイブしてしまう。


 もがけばもがくほど、シーツに絡まっていく哀れなテディベア。

 その必死な姿を見ていると、わたしの胸にチクリと良心の呵責が刺さった。


 ……ごめん。

 ごめんね、ナガクさん。


 最強の戦士だったあなたを、こんな動くのもままならない綿の塊にしちゃって。

 彼から奪ったものの大きさを思い、わたしは罪悪感に苛まれた。

 戦士にとっての筋肉と指。それは命よりも重いものだったはずだ。


 うぅ……、わたしはなんて残酷なことを――。


 そこまで考えた時だった。

 わたしの脳裏に、もう一つの、抑えきれない感情がマグマのように噴出したのは。


 ――で、でも……。


 目の前で、フカフカのクマが動いている。

 一生懸命、短い手足をバタつかせている。

 これって……これって……!

 全人類の夢、「動くぬいぐるみ」だよね!?


 そう思うと、やっぱり――。


 かわぁいいいいいいいいい……!!


 って、感情が抑えられない!!

 わたしはベッドに飛び乗ると、犯罪者のような仕草でクマさんにジリジリと詰め寄る。


「ごめんねナガクさん! 辛いよね? 悲しいよね? それはそれとして、もふもふしてもいい……?」


「ぬおっ!? あるじ、殿……っ!?」


 我慢できずに、その最高級の綿が詰まったボディに顔を埋めた。


 ボフゥッ!


 あああああ! 極上! 極上の吸い心地!

 お日様の匂いと、高級な布の感触。そして、生きているからこその、ほんのりとした温かさ!


「でもごめん! わたし、もう我慢できないよぉぉぉ!」


「あ、あの、主殿!? 苦しい、苦しいでござる! 関節が……関節のない方向に曲がって……!」


 わたしはナガクの胴体に抱きつき、頬ずりし、その丸い耳を甘噛みした。

 まさに、欲望の解放!


「大丈夫だよナガクさん! 綿だから折れないよ! あー、もう、このお腹! このポヨポヨのお腹!」


 わたしはナガクの悲鳴を無視して、その豊満な腹部に顔をうずめて深呼吸した。


 スーッ、ハーッ!


 キメる。モフモフをキメる。

 レベル上げのストレスも、公爵令嬢としての猫かぶりも、すべてが浄化されていくようだ。

 これは中毒になる。合法的な癒やしドラッグだ。


「……あ、あ、主殿……。わ、私は……戦士……」


「うんうん、そうだね! 最強の戦士だね! よしよし、偉いねー!」


 わたしは抵抗できないナガクを赤ちゃんのように揺らしながら、恍惚の表情を浮かべた。

 罪悪感?

 そんなものは、この圧倒的な「モフみ」の前では無力なんだよね。

 わたしは計算高く、ニヤリと唇を吊り上げた。

 フカフカの毛並みに顔を埋めたまま、確信する。


 最強の騎士改め、最強の癒やしアイテム、ゲットだぜ!











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