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28話 最強の騎士

 ――ギギギ……。


 不自然な音が響いた。

 それは、関節が軋む音ではない。綿と布が擦れ合い、縫い目が悲鳴を上げている音だ。


 目の前で、巨大なクマのぬいぐるみの首が、ゆっくりと持ち上がっていく。

 ガラス玉の瞳に、窓からの朝陽が反射してギラリと光った気がした。


 ゴクリ。

 わたしの喉が鳴る音が、やけに大きく聞こえる。


 ……ま、待って。

 ちょっとタンマ!


 今さらながら、わたしの背筋を冷たい汗が伝った。

 うん、少し冷静になって考えてみよう、アリスちゃん。


 この中に入っているのは、誰だっけ?

 ナガク・アインベル。この国の裏社会でもトップクラスの実力を誇る剣士。


 そして、重要なことがひとつ。

 わたしこそ、昨日、彼を殺した張本人だということ。


 これ、ヤバくない?

 普通に考えて、自分を殺した相手に「忠誠を誓います!」なんてなる? ならないよね。絶対にならない。

 もしわたしが逆の立場だったら、蘇生した瞬間にその場にある鈍器で殴りかかってる自信があるもん。

 プレイヤーキルされた恨みは、プレイヤーキルで返す。それがゲーマーの仁義なき掟だ。


 じゃあ、なんで彼は「承認」ボタンを押したの?


 答えはシンプル。

 わたしを殺すため、だったりして!?


 蘇生されたフリをして近づき、寝首をかく。

 あるいは、この部屋で暴れまわって、公爵令嬢としてのわたしの立場を破滅させるつもりとか……!?


 いや、そもそもその前、ひとつ考えなければならないことがある。

 これから目覚める彼は、「どっち」なんだ……?


 この世界の住人たちは、自分がゲームの中にいると気づいていない。記憶を封印され、このファンタジー世界を現実だと信じ込んでいる。

 もしナガクがその状態のまま蘇生されたのなら、「なぜかクマになっちゃったけど、とりあえず目の前の少女は敵だ!」って認識になるはずだ。


 でも、もし。

 一度死んだことで、ログアウトを経て「プレイヤーとしての記憶」を取り戻していたら?


『ふざけるな! 俺をクマにしやがって! 運営に通報してやる!』


 なんて叫び出したら、それはそれでなんか面倒くさい!

 どっちに転んでも、地雷臭しかしないや!


 わたしはジリジリと後ずさりながら、スカートの下に隠したダガーナイフの柄に手をかけた。

 いつでも抜ける。

 相手は所詮、綿と布の塊だ。

 もし襲いかかってきたら、今度は八つ裂きにして、ただの手芸用品に戻してやる。


 ――ズズッ。


 クマが、動いた。





 それは、ぬいぐるみ特有のコミカルな動きではなかった。

 重心を低く保ち、無駄な揺らぎを一切排除した、武人の所作。短い手足を器用に使い、音もなくベッドの上で立ち上がる。


 その威圧感。

 丸っこくて愛らしいフォルムなのに、そこから放たれるプレッシャーは、昨夜の倉庫で対峙したあの「剣鬼」そのものだった。


 来る……ッ!


 わたしは身構えた。

 呼吸を止め、筋肉を緊張させる。先手必勝。クマが飛びかかってくるその刹那、カウンターで首の縫い目を切り裂く――!


 クマが、ゆっくりとわたしの方を向いた。

 つぶらな瞳が、わたしを見下ろす。


 そして。


 ――サッ。


 クマは、流れるような動作でベッドから降りると、わたしの足元に膝をついた。

 短い右手を胸に当て、深く、恭しく頭を下げる。それは、王族に仕える騎士が見せる、最上級の臣下の礼だった。


 ……え?


 わたしが拍子抜けしていると、クマの縫い合わされた口が、わずかに歪んだ気がした。


 そして、腹の底に響くような、渋くて低いバリトンボイスが響き渡った。


「――お初にお目にかかります、我が主」


 えええええええ!?

 声、渋っ!!

 見た目はファンシーなテディベアなのに、声帯だけは歴戦の将軍クラス!?


「……えっと、な、ナガク、さん……だよね?」


 わたしがおそるおそる尋ねると、クマのぬいぐるみ――ナガクは、重々しく頷いた。


「ハッ。確かに、かつてはそのように呼ばれておりました」


 クマのぬいぐるみは、恭しく答えた。


「ですが、今のわたくしをどのようにお呼びになろうと構いません。確かなのは、この魂が貴方様の忠実なる剣である……その一点のみにございます」


 敵意は……なさそう?  殺気も感じない。あるのは、鋼のような忠誠心だけだ。

 わたしは少しだけ警戒を解いて、ベッドの縁に座り直した。


「じゃあ……ナガクさん」


 わたしは、一番気になっていたことを口にした。


「あなたは……あなたを殺したわたしのこと、恨んでないの?」


 ナガクは数秒、沈黙した。

 ガラス玉の瞳が、じっとわたしを見つめ返す。


「……恨み、ですか。滅相もございません」


 彼は静かに首を横に振った。


「あの時の私と、今の私は明確に違いますゆえ。今の私は、理解しております。この世界が作り物の『――』だということを」


 ――ザザッ。


 不快なノイズが、彼の言葉を遮った。


「……む?」


「……あ」


 わたしとナガクは、同時に顔を見合わせた。

 今のノイズ。わたしがドゴルゴンお兄様を殺す前に言おうとした時と同じだ。

『ゲーム』という単語。

 それが、この世界のシステムによって強制的に検閲されている。ナガクにも、そのノイズが聞こえなかったわけではないらしい。


「……なるほど。『禁句』に触れた、といったところですな」


 ナガクは短い手で顎に手を当てるような仕草をして、納得したように頷いた。


「では、こう言い換えましょう」


 彼は居住まいを正し、改めてわたしに向き直った。


「私は知っております。貴方様が、選ばれし『救世主』であることを」


「えっ……」


 わたしは、その言葉にピクリと反応した。

 救世主。それは、あのムカつくAI、ピュピュアがわたしに与えた「役割」。この世界の住人であれば、知り得ないはずの情報。


「……ねえ、ナガクさん。なんで、わたしが『救世主』だって知ってるの? それ、誰かに聞いた?」


 ナガクは、コクリと――ぬいぐるみの首を器用に縦に振った。


「ハッ。其れは、私が一度……死後の世界にいた時のことでございます」


 死後の世界。

 ここが『ゲーム』だと知っているわたしからすれば、現実のこと――。


「『眷属として蘇るか否か』と問われた、正にその時でございました」


 ナガクはガラス玉の瞳をどこか遠くへ向け、その時の光景を思い返すように語った。


「虹色に発光する、奇妙で……いささか騒がしいナニカが現れまして。その者は、自らを『ピュピュア』と名乗りました」


「……あー」


 わたしは思わず天を仰いだ。ピュピュアが恩着せがましくドヤ顔で語ってるその光景が、まぶたの裏にありありと浮かんでくる。


「私が承認を迷っておりますと、そのピュピュアなる者が、横から口を挟んできたのです。『あなた様を殺したのは、世界を救うためにあえて泥をかぶった救世主様!』と。『だから、恨むどころか感謝して、馬車馬のように働くべきですよー!』……と」


「…………」


 うん、言いそう。すごく言いそう。

 まあ、今回に限ってはピュピュアのおかげでナガクさんがこうして眷属になってくれたんだから、素直に感謝してもいいのかも。


 わたしは小さくため息をついて、肩の力を抜いた。


「なるほどね。……うん、正解。あいつの言った通りだよ」


 わたしはニッコリと微笑んだ。

 嘘は言っていない。救世主であることは事実だし、ラスボスを倒して世界を救うつもりなのも本当だ。

「レベル上げ楽しー!」っ内心思っていたことは、墓まで持っていけばいいだけの話。


 ナガクは深く頷いた。


「なればこそ、協力を惜しむ理由などありませぬ。……私とて、この理不尽な世界に囚われた同胞たちを救いたいと願う気持ちに、偽りはございません。そのためならば、この身がどうなろうとも、喜んであなた様に捧げる所存でございます」


 ナガクは、短い手を胸に当てて断言した。


 おお……。

 なんて立派な心がけ。

 わたしなんて「レベル上げ楽しー!」とか「SSR級のレア素材ゲット!」とかしか考えてないのに、この人はガチで聖人君子だったよ。

 アリスちゃん、自分が恥ずかしいよ。

 クマの姿になっても損なわれないその崇高な精神に、思わず感動しちゃった。


「お任せください、主様」


 ナガクは力強く頷き、自信満々に言い放った。

 その声は、相変わらず鼓膜が震えるほどダンディだ。


「一度死んだ身ではございますが、この魂に刻まれた武の腕はいささかも衰えておりませぬ。私にかかれば、お嬢様に群がる有象無象を蹴散らすことなど造作もないこと」


 彼はスッと右手を掲げ、ガラス玉の瞳で虚空を見据えた。


「剣さえ握れば、どのような敵であろうと斬り伏せて――」


 なにかを言おうとして固まっていた。

 ナガクは、不思議そうに「ぬ?」と首をかしげ、自分の右手を見ている。そこにあるのは、茶色くて、丸くて、爪すらない、愛らしい布の塊だ。


「……ゆ、指が、ないだと!?」


 あ、今、自分がクマのぬいぐるみだって気がついたんだ……。






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