30話 魔物化したクマさん
「アリスお嬢様、紅茶が入りましたよ」
甘い香りと共に、セーラが湯気の立つティーカップを目の前に差し出した。
琥珀色の液体が、午後の光を受けてキラキラと輝いている。
「ありがとう、セーラ」
わたしはカップを両手で包み込むように持ち、そっと口をつけた。
華やかな香りが鼻腔をくすぐり、温かい液体が喉を潤していく。
「ふぅ、おいしいー」
ほっと息をつきながら、わたしはさきほどのナガクさんに対する検証のことをぼんやりと思い返していた。
まず驚いたのは、ナガクさんの種族が変わっていたことだ。
ステータス画面には、はっきりとこう記されていた。
【種族:アンデッド】
アンデッド。
つまり、今のナガクさんは人間ではなく、れっきとした魔物ということ。
わたしの死霊の傀儡で蘇生したからってことよね。
それから生前から引き継いだ、ナガクさん本人のレベル64という高ステータスと、スキルである【戦士の加護:レベル7】。
うん、ちゃんと引き継がられているようで安心だ。
そして、もうひとつ。
ぬいぐるみになったことで、新しいスキルがポンッと生えていたのだ。
・ポルターガイストの加護 レベル1
ポルターガイスト。
なるほど、今のナガクさんはアンデッドでもありポルターガイストでもあるってことかな。
そして、一番の懸念だった「指がないから武器が持てない問題」は、このスキルがあっさりと解決してくれた。
そう、念動力が使えたのだ。
『ぬんッ!』
さっき、わたしの部屋でナガクさんが気合を入れた時のことを思い出す。
彼の丸っこい手のひらが、ブワッと淡い魔力を帯びた。
すると、少し離れた机の上に置いてあった羽根ペンが、見えない糸に引かれたようにカタカタと震え出し、フワリと宙に浮いたのだ。
『お、おお……ッ! 浮いた! 浮きましたぞ主殿!』
クマのぬいぐるみが、驚きと喜びで目をパチクリさせていた。
どうやらこの【ポルターガイストの加護】は、自分の意志と魔力で物体に干渉するスキルらしい。
指がなくても、この不可視の力を使えば、剣だって槍だって自在に操れるじゃん。
というか、そもそもだ。
『ナガクさん。そもそもさっき、どうやって立ってたの?』
『ぬ? どうやって……とは?』
『だってナガクさん、今の体、ただの綿だよ? 骨も関節もないのに、なんで二本足で立ててたの?』
わたしの指摘に、ナガクさんはハッとして自分の脚を見た。
短くて丸い、あんよ。
そこには膝の皿もなければ、体重を支える骨格も存在しない。物理的に考えれば、グニャリと潰れてしまうはずだ。
『……た、確かに! 意識していなかったが、なぜ私は直立できていたのだ!?』
ナガクさんが狼狽する。
そう、彼は無意識のうちに、この【ポルターガイスト】の力を使って、自分のフカフカボディを内側から念動力で支えていたのだ。
すごい。
無意識のうちにすでに使っていたということだ。
……ただ、まあ。
だからといって、自在に制御できるわけではないみたいで。
『ぬ、ぬぬぬ……ッ! こ、これは、繊細すぎる……ッ!』
さっきまで部屋で、短剣の制御にものすごく苦労していた。
……うん。
あのときのナガクさん、かわいかったなあ。
「ふふっ」
紅茶を飲みながら、わたしは思わずニヤけてしまった。
視線の先、向かいの椅子には、特訓に疲れたのか、ぐったりとお行儀よく座らされているクマのぬいぐるみ――ナガクさんの姿がある。
「あら? アリスお嬢様、何かいいことでもありましたか?」
セーラが、わたしの笑顔を見て嬉しそうに尋ねてくる。
わたしはティーカップを置き、向かいの席に座るクマさんに手のひらを差し向けて、にっこりと微笑んだ。
「うん! 見て見てセーラ! 今日からこの子、アリスの『ナイト様』になってもらうことにしたの!」
「ナイト様……ああ、奥様から頂いたクマちゃんですね?」
セーラが微笑ましそうにクマ――ナガクさんを見る。
わたしは、えへへと恥ずかしそうに笑って、少しだけ寂しげに眉を下げてみせた。
「うん。お父様もお母様もお仕事で忙しいでしょ? だからね、お母様だと思って、この子にお話を聞いてもらおうかなって」
わたしはクマさんの短い手をそっと握りしめる。
「この子がいてくれれば、アリス、一人でも寂しくないもん」
ズキュンッ!!
効果音が見えるほどの衝撃が、セーラを貫いた。
彼女は胸の前で両手を組み、潤んだ瞳で天を仰ぐ。
「……っ!! アリスお嬢様……ッ! なんて、なんて健気で愛らしい……ッ! ご両親からの贈り物を心の支えにして、気丈に振る舞われるなんて……天使……いえ、女神の化身……ッ!」
セーラがハンカチを取り出して、滝のような涙を拭っている。
相変わらずチョロい。
まさかこの「母様の代理」が、本当に意思をもって動くなんて夢にも思わないだろうな。
さあて。
紅茶を飲んだら、ナガクさんの特訓の続きに付き合ってあげないとね。
それで、協力してレベル上げできるといいな。もちろん、人間を対象にしたね。
わたしは残りの紅茶をグイッと飲み干すと、計算高く、そして楽しげに目を細めるのだった。




