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ユ・ファオヴィス ~完全支配とそれに至るまで~  作者: 工藤十七


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はじまり 後半

「お、お前は何者なんだ!」


一際優雅さを散りばめた、この世界の象徴とも言える一室に、人間が少々。

壁や天井には、贅に拐かされた者が、絶対と信じて疑わない、装飾品の数々。


シャンデリアが煌めいて、絨毯が暖を保って、絵画が色彩を与えて、そんな退屈さの真ん中で、箒で集められたかのような人間、ポツポツと、堪えきれないのか、声を荒げる。


節々が掠れ、辺りを舞う埃とまるで区別がつかない声は、埃だからか、遠慮を知らない。


「そうだ、こんなことをして、わかってるのか」


釣られ出でたか、前の語尾に尻を叩かれ、溢れ出して、備えのない二人目は掠れ、機を逃す恐れに負けた三人目は捩れ、それでも怒りは怒りで、彼らは燃え盛るこの世界の惨状を理解しているようである。

「そうだ、許さんぞ」「我々を見くびるな」


それは沸騰し弾ける気泡、割れると呼ぶには硬さと重みが足りない、空気の玉、騒音となり果てようとも、しかし、気泡にも尊厳と自信があった。


彼らはこの世界を統括する「世界連合」の中核人物で、言うなれば支配者である。

武力と経済を両手に抱え、投げつけるでもなく偶に揺らして、暴発があれば首でも落として、不満はワインの香りで誤魔化して、繰り返した先にある権力の集団。


そんな彼らが座すここは連合本部、文字通り、世界の命運を握り、また、気の赴くままに左右する為の議事堂である。


そんな所にいるのだから、さぞ偉いのだろう。

そして偉さとは、包括的で、使い勝手が良く、銀の弾丸、これを巡って人々は争う訳であって、その効用は計り知れない。


親だから偉いのだ、貴族だから偉いのだ、連合だから偉いのだ、神の存在を認めても、神だから偉いのだ、つまり、誰も偉さの呪縛からは離れられず、同じ土俵での力比べでしかない。

そして連合は何よりも偉いのだ。


彼らの支配者たる自覚は容易には崩れないようで、自尊で満たされたヒビのない器は、迸る声をよく響かせて、増幅し、形そのままに、怒りを放つ。


「連合に盾突こうなど、愚か者が」「おい誰か、この馬鹿共を殺せ」


血走る瞳、飛沫もあるだろう、頬は捻じれたように歪んで、


「死ね、死んでしまえ」「殺せ、早く殺せ」


があがあがあがあ、空気の振動、共鳴するように、身体を震わせる、ぞっとした固形、百鬼夜行の群を、ただ一言が終わらせた。


「うるさい」


一言だった。

しかし、瞬間、振動は失する。


それは、人間の行動を完全に止めてしまった。


美しさに一切のヒビが入らない、小さな声。


喧噪の前ではかき消されるが常であろう声。


不変の美から発せられた、声。


美が望んだ理想郷、静寂の規範とも呼べる落ち着きを強いて、唾を飲むことさえ憚られ、暴力的なまでに人間たちを支配する。


頭が割れるほどの、静だった。


「しばらくそのまま黙ってなさい」


静に命令が重なって、また静が生まれる。


これこそが、命じるということだと、人間たちは思い知る。


言葉一つで、一切の自由を奪われてしまった。


陳腐に語るなら、まるで自分の身体ではないかのようで、金縛りにあったかのようで、世界から動くという概念が切り取られてしまったかのようで。


恐怖から来るものなのか。

魔法か何かか。

この美の力か。

私たちはどうなるのか。


疑問は浮かび、何一つとして解決されないまま、また次の疑問が生まれる。

そんな詰まりのない檻の中、ガシャガシャと揺れる鉄柵はなく、ただ静かに恐ろしさを飲み込んで、疑問に殴られて。



「毛玉のような騒音を、絶対なる御存在の前で巻き散らすなど」


今度は男の声がした。


声が発せられた場所を中心として、核となって、空中に霧散していた不吉の粉が、ぼあっと纏まって、段々と立体を帯びて、単純を区切るように、遂には、人の形になった。


白と黒、モノクロの時代を想起させる様相に、天上に窮屈を押し付ける長身痩躯、痩けた肌と、腰にまでかかる長い髪、そのどちらも生気を感じさせぬ白、身を覆う着衣、そして深い眼窩から覗く目玉は黒。


悪魔そのもの。


その悪魔は、固まる人間たちの眼前までつかつかと寄って、巨大な目玉で一杯に見下ろして、頬を歪めて、人間でないことを隠すつもりはないようで、巻き散らした悪意で空気を黙らせて、ただ一つ、「死ね」と、言い放った。


不自然なほど上がった口角は、死を身近に感じさせるには十分な役割を果たし、その口角が作る破滅的な笑顔が、黒による眩しさを演出して、瞬き、瞬きをと、切に願う人間の本能を、ズリズリと、悪魔の輪郭から滲み、揺れる、煙のような、瘴気、なのか、容易に命を奪いそうなソレが、たっぷりと弄んだ。


連合お抱えの料理人が作るメインディッシュはそれはそれは美味で、贔屓の職人が仕立てる衣服はそれはそれは優雅で、何事にも本職というものがあって、それはこの場も同様、眼前の悪魔は「死」の本職だった。


不幸にも、こんな状況だろうと、人間たちは動くことができない。

当然、逃げることも、抵抗することもできない。


固まった身体の中、かろうじて動く眼球が、恐怖に支配され、使い物にならない脳の最後の隙間に、己と扉までの道筋を示そうとも、間には聳え立つ壁があるのか、それとも永遠が分かつ溝があるのか、断言を嫌う現実においてさえ、確実であると、確然であると、全ての不可能をあしらった高々数メートルの絶対が、彼らの身勝手全てを否定した。



「セラテシア、大丈夫だよ」


きっかけが、落ちる。


惨状の機嫌を逆撫でするかのような、和らげで、とろけるような声、それは、災いの言葉だった。


「畏まりました。ーーー様」


継ぎ目なく、美は頭を垂れる。

瞬間、糸が切れたように、人間たちはその場に、落ちて、座り込む。


へたりと萎んで、足元の絨毯が受け入れた、己の身体の頼りなさは、精々、尻もちの気の抜けた音をほんの少し残したのみで、依然として動きそうもなく、しかし、解放された筋肉は、引き裂くような、溺れているのかのような、ズタズタとした、生を渇望する荒々しい呼吸を巻き起こした。


この美の名前はセラテシアというのか、美人には正にも負にも関心深いのが人間というもの、しかしこの場の誰一人として、その名をしたためる余裕は残っていなかった。


恐怖だ。彼らには恐怖しかない。宇宙の歴史の何倍も深くて重い恐怖だ。


嗚咽と共に込み上げる胃液が、唾液と混じって、残酷な風味になって、口端から垂れて、人間の、人間らしさを強烈に否定して、濁濁と、醜さを増していく彼らは、その醜悪から漏れる視線で、恐怖の源である、惨たらしいまでの美を捉え、白目を向くように見上げていた。


災いは続ける。


「ネヴィラエル」


悪魔に対して、この、悪意に満ちたネヴィラエルという存在に対して、撫でるように、優しい表情で包みながら、


「悲劇は進んでいるかな。例えば、君が生まれた世界のように」


と、尋ねた。


ネヴィラエルは頷く。


「まさしく、まさしくで御座います。この世界をスプーンで掬い上げる度に、いつだって悲劇のみを味わえるような、飽きが来てしまうほどの死のフルコースを、まさしくーーー様が望む情景を、お約束いたします」


長い身体を器用に折り畳んで、長髪一本の勝手も許さない、徹底された低頭、そして敬意に満ちた返答は、災いを満足させたのか、その美溢れる口角を、少し上げて、また和らげで、緩やかな、恐ろしい声を放つ。


「世界連合の首脳たちよ」


過去か、現在か、未来か、人の営みから、惑星の運動まで、それら全てを纏めたものが、仮に世界というのであれば、世界を創るのは、この災いの言葉だと、感知した者は死に、不知なる者も死に、かろうじて生を掴んだ、中途半端で揺蕩う彼らも、やはり死を覚悟して、言葉に耳を傾けることしか、残されてはいない今、身体の震えも止まる。


「私は、レルディオス・ウルスタートという」


それは、名を名乗る、という、児戯にも等しい、有り触れた行動だった。

連合の誰もが名前を持っていて、山間部の、または、湾岸部の、禄でもない生活を強いられている誰かも名前を持っていて、大声で挨拶して、パタパタと拍手が鳴って、第二第三がいて、そんな春の、吐いて捨てるほどの光景の一端が、目の前で、しかし、それはこの世界の運命を改めて決定して、止まった震えの、活用はここかと、一人の人間が決意した。


「待ってくれ」


足元の影が急に実体となるように、ふいの存外、馬鹿みたいな声がした。


「待ってほしい、交渉をしよう。望みを教えてくれ」


目的は交渉のようで、荒い呼吸の中、取り繕って、剥がれ落ちないよう、何とか笑顔を拵えて、未来を掴もうと、足掻きを見せる。


その、木枯らしのような光景は、考えを巡らせるに至ったのか、レルディオスは口元に、細い指を置いて、少し静止して、吐く息は、整った爪の表面を、引っ掛かることなく滑って、その姿が好感触だと判断した、例の人間一人は、


「金は勿論、土地でも良いぞ、立場だってくれてやる、私にはそれができるだけの力がある。本当、だとも、きっと貴方の望みを叶えることができる」


と、早口で続けた。

そんな言葉の終幕に際して、次となる者は現れず、彼一人の佇まいとしては、相応しい笑顔を添えて、少し背筋を伸ばして、ただ静かに快い返答を待つのみだった。


そして、考えが纏まったのか、レルディオスは手を下ろして、彼の元へ、コツコツと、靴の音が響いて、その軽快さにちょっとした現実らしさがあって、安堵した人間の、意地汚い顔に、代わりとなるように、撫でるように、美しい右手をかざした。


人間の、一瞬の困惑が垣間見えた。


あっ、と、断ち切る風が吹いた。


掌が、何かをしたのか。


その人間は、構造を無くして、物となって、その場に倒れ込んだ。


ごどっと鈍い音が余韻を残した。人間の硬さが響いた。


動かない。


死んだのか。今の一瞬で命が終わったのか。


近くで見ていた人間たちは、最後の幸せか、何も理解できなかった。


それでも、一呼吸おいて、理解の外側、我慢ならなくなった本能は、一寸先を捨て置いて、今の限りの命を使って、けたたましく、獣のように、山火事のように、叫んで、本能が叫んで、己と害悪だけしか、この場に存在しないと、視界を捨てて、聴力を捨てて、隣も上も、形を捨てて、どろどろになりながら、力づくで走り出した。


「うわああああ」「たすけてくれえ」


人間たちは扉へ走る、壁も溝も、些細なことと、今以上の地獄はないのだと、逃げるのだ、逃げるのだ、そう急かす本能の暴走に、身体は付いて行けず、溶けた一歩は、鼻水、縺れながら、それでも何とか扉に手をかける。


「あかない、あかないぞ!」「はやくあけろ」


しかし、扉は応じない。


いつかの夕焼け、あの日の公園に置いてきた、腕白な乱雑さで、たかり遊ぶような滅茶苦茶で、扉を、殴って、蹴って、押し込んで、それでも彼らは大人になったのか、ドコドコと、自分の身体をぶつけて奏でる鈍重な音が、何の愉快も落とさずに、少年の夏とは違って、望む結果には至らず、扉は壁となって、役割を忘れてしまって、どうやったって開かない。


開かない。


終わりを描けない、混沌となった人間たちの叫びという汚物を、隠すように、レルディオスは、また、美しい右手をかざした。


やはり、あの、風が吹いた。


そして、風の後の風景は一つ。


人間たちは倒れて、その場に重なった。


積みあがった身体は、重みとなる上が、下の脂肪を押し潰して、あまり、高さはなく、無作為にしては、整頓された、綺麗な状態で、重なった。


また、静寂が返った。



「レルディオス様に交渉など、見当はずれも甚だしく、あやうく吐血するところでした」


ネヴィラエルは口元を抑えながら天を仰ぐ。


シャンデリアの光如きが、悪魔に眩を強いらせることなど出来る訳もなく、むしろ、チカチカと点滅を繰り返すのみで、その瘴気が故か、先の風に当てられ、文字通り風前の灯となったか、美への遠慮か、心当たりは、絶えず沸いて出でる中、


「悪魔に血は流れていないでしょう」


と、セラテシアは、溜息とともに、呆れを流した。


「そうであれども、ワタクシに血の自覚を与える彼は実に、実に愚かですから。ああいう輩の蛮勇は、それはもう、派手に、盛大に、命のように叩き折っておかなくては。

レルディオス様、このワタクシにお任せいただければ、必ずや、ご期待に添えるような結果をお渡し致します。何卒ご命令を」


これ以上ない低頭の結果、その表情は見えないものの、ネヴィラエルの、楽しげで、使命感に満ちた、雰囲気というもの当てられて、レルディオスの表情はまた少し緩んで、


「そうだね。ありがとうね、ネヴィラエル。でも大丈夫だよ。一番、うん、一番に飛ばしておいたから」


その慈愛を持ったまま、扉を塞ぐ、嵐の後の砂浜の、情けない塊のような、これ以上ない人間そのものを見て、


「それじゃあ、少し待とうか」


と呟き、天井を指さし、過去となったシャンデリアを、優雅な、まさしく神の物であるような、美しい椅子に作り変えて、日常に溶け込ませ、ゆっくりと腰を下ろした。


とある夜の出来事だった。



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