【第5話】成人記念(上)
成人記念、前夜――。
「何度経験しても、こればかりは慣れないわ」
ノゾミが湯船に浸かりながら、浴室の天井を見上げて吐き出した独り言は湯気に消えていく。
しかし、AIセンターで人工子宮の現実や背景を知る前と後では、自分の気持ちに大きく変化があったことは明らかだ。
(それでも……誰かの“他人には知られたくない事情”に触れてしまうことには変わりはない)
彼女はベッドに横たわり、いつもより早めに灯りを消した。
それでも、寝返りばかりでなかなか眠れない。
気づけば、視界の隅でQ-Phoneが点滅している。
「ロマンからだわ!」
ノゾミがQ-Phoneをタップすると、ホログラフィック・メッセージ(立体映像通信)が立ち上がり、暗がりの中にモノクルを掛けた執事の姿のロマンが現れた。
彼の隣には、艶やかに飾られたテーブルの上に、チョコレート・フォンデュ・タワー。
「ノゾミお嬢様。明日、私はお傍でお仕えできません。代わりと言っては何ですが、お嬢様にお楽しみいただきたく、お好きなスイーツをたくさんご用意し致しております」
ロマンはしばしば、演技じみた真似をするが、ここまで演出するのは初めてのことだ。
セリフの後、彼は右肘を曲げて左胸に手を当てながら会釈をすると、一呼吸置いてから正面に向き直って穏やかに語りかける。
「ノゾミ、明日を恐れないで。君の頑張りを、僕はちゃんと見てるから。心はいつも君と共に」
彼女がセント・モード(嗅覚モード)をONにすると、チョコレートの甘くほろ苦い香りがほのかに漂う。
ロマンの心遣いに目頭が熱くなるのを堪え、ノゾミは瞼を閉じて自分自身を抱きしめた。
「ありがとう……。でも、いま私が何より感じたいのは、あなたの香りと温もりなのよ」
彼の不在が、こんなに心細いなんて——。
彼女が再びQ-Phoneを覗くと、ミラー・データ(残響記録)が残っている。
ロマンの顔の静止画――彼の“世界一優しい”紫の眼差しは、ノゾミだけのものだと思えた。
成人記念日、当日——。
医科大学附属病院の付近では、いつもとは違う光景を目にする。
まだ幼さを残した顔に、大人になりきれない緊張が混じる若者たちの姿だ。
学生バッグを肩に掛けた少年たちと、小型のキャリーバッグを引く少女たちが、大きくも密やかに『成人記念』と表示された“特別玄関”へと吸い込まれていく。
入館ゲートでは、虹彩認証と掌紋スキャンの光が、一人ずつを丁寧に読み取る。
そこは、一度踏み込めば二度とは引き返せない、子供から大人への境界線。
通過すると同時に、個人量子データが格納された、予約番号のリストバンドが手首に巻かれる。
《成人記念採取法》
第3条(目的)
本法は、成人時における生殖細胞の採取・保存を通じ、個人の将来の生殖選択を保障し、遺伝疾患の予防および国家医療基盤の安定に資することを目的とする。
第7条(採取の義務)
満十八歳に達した国民は、最長でも満二十歳までに、国の指定する医療機関において、精子または卵母細胞の採取を受けなければならない。
要は、劣化と汚染の前に良質の生殖細胞を採取し、国が管理する制度である。
それはこの社会において、生まれた以上、免れることのできない国民の義務だった。
殆どの対象者は、18才の誕生日を迎えると、週に2回行われる成人記念採取日の予約状況から、最短で空いた日程を選ぶ。
採取対象の年齢に達した日から、拒否のできない通知が端末に執拗に届くことも煩わしかった。
しかし、何より無視して怠れば、重い罰則があるのだ。
入院や病気治療中など、やむを得ない場合でも、主治医の正式な連絡が無い限り、それは続く。
男性は(Male)水色、女性は(Female)桜色。
プレートと壁色で示された分岐地点を、AIスタッフに導かれ、流れるように歩みを進める。
“生殖医療科”までの通路は、まるで人生のように、想像していたより長いようでずっと短い。
自動ドアの前では、この先に待ち受ける試練への不安を和らげるためか、モーツァルトのBGMと爽やかな声のアナウンスが流れていた。
「午前9時より、成人記念ガイダンス・ビデオを上映します。多目的ホールにご着席になり、暫くお待ちください」
エリアごとの担当は、医師、看護師、カウンセラー、その他のスタッフから自動音声に至るまで、すべて同性で構成され、異性への羞恥心を意識しない配慮がなされていた。
案内係に従いホールへ入り、自分の番号の席を探すと、それぞれ複雑な面持ちで着席していく。
間もなく、照明は落とされ、成人記念ガイダンス・ビデオがはじまる——。
女性側のホール。
月の満ち欠けを想起する穏やかな曲。
色とりどりの花畑で、花粉を付けたミツバチが一輪の花に止まり、懸命に動き回る様子が映る。
「あなたの身体には、未来へと受け継がれる可能性が宿っています。成人記念の“採取制度”とは、その命の設計図を安全に守り、未来に託すための大切な儀式です」
〈中略〉
「採取された卵子は、あなたが望む時に使用することも、他の命を支える形で提供することもできます。今日の決断が、未来のあなた自身や誰かの希望にもなるのです」
最後に、ドラマチックに花びらが舞い散る中、煌めく金色のメッセージが浮かび上がる。
「愛は、つなぐこと。安心して、未来へ歩んでください」
同時刻、男性側ホール。
寄せては返す波を思わせる音楽が響く。
夕暮れ、泡立つ波打ち際に立つ少女の後ろ姿、やがて細い肩から、あどけない横顔へとズームされる。
「あなたの身体には、命を紡ぐ力が秘められています。成人記念の“採取制度”とは、その力を正しく保存し、未来へと活かすための重要な儀式です」
〈中略〉
「採取された精子は保管され、あなたの意志に基づき、自己利用・他者提供・研究提供のいずれかに用いられます。その一滴が、新たな命の礎となるのです」
赤い背景に、無造作に飛び散る白いスパッタリングが、メッセージを描き出す。
「可能性を託してください。あなたの提供は、未来への証明です」
多目的ホールでのガイダンスを終えると、対象者は問診エリアの待合室へ誘導されていく。
問診の後、フル・スクリーニング、精神科医によるカウンセリング、病理結果に問題が無ければ、採取へと進む。
生殖細胞採取後、男性は当日に帰宅、女性はリカバリー・ルームへと移り、一泊の入院となる。
病理結果に問題があった場合や、それ以外にも何らかの問題があった場合には、ケースによって、病院以外の専門分野、国や自治体が定めた福祉機関などの介入や援助を受けることになる。
問診——。
待合室は、自己申告の問診端末に回答中の人で溢れかえっていた。
『虚偽の申告を行なった場合は、法的に厳しく処罰されます』と記載されている。
各々のリストバンドの番号がモニターに表示され点滅すると、呼び出しアナウンスが流れ、指定の診察室へと休む間も無く人が出入りしていた。
女性側、ノゾミの診察室。
数名の問診を終えたころ、担当医師として加わっていたノゾミの前に現れたのは、他の健康的な対象者たちとは明らかに様子が違う、今にも折れそうに細い一人の女子高生だった。
ノゾミは平静を装ったまま、データをスキャナーで確認してから問診を始める。
「お名前と生年月日、今の年齢を教えてください」
「……挟間 深雪、2XXX年X月X日生まれ。えっと……18才、です」
一目見れば分かる、極端な栄養状態の悪さ、心にも深い傷を負っているであろうということ。
そして、少しでも彼女の緊張を解すよう、寄り添い型の対話形式が適切であると判断した。
「私は紬 希望と言います。今日、あなたのお話を聴く担当のお医者さんよ。ミユキちゃんって、呼んでいいかしら?」
「……はい」
彼女はこくりと頷ながら、小さな声で短く答えた。
「今朝は何か食べてきたのかな?」
「……家には食べる物がありません。でも、チョコレートを一粒食べました。もうしません」
簡単な質問にさえ、ミユキはしばしば答えを探すように、下を向き、黙り込んでしまう。
彼女から言葉を引き出すのに時間は掛かったが、悲惨な現実が浮き彫りになっていった。
父親の、名前も顔すらも覚えていないこと。そして、頑張って語ってくれたのは——。
「お母さんが連れてくる男の人たちも、他の男の人たちも、私がいい子にして言うことを聞いたら、時々お金をくれるんです。抱きしめてくれることもあります。あの……怒らないでください」
ミユキは、母親からはネグレクトされ、周囲の男性たちから性的搾取を受けながら育ってきた。
そのせいで、何が“健全”で何が“不健全”なのか、判断ができていないのかもしれない。
ノゾミとの会話の中でも不必要に繰り返される、謝罪と自己否定の言葉。
それが、ミユキが置かれてきた環境を、痛いほど物語っている。
ノゾミは、ミユキのカルテ上部の、“院内トリアージ”の色を赤に変更し、保護介入優先度をあげて、精神科・福祉連携チームへの即時共有を指定した。
【共有所見】
対象者は母子家庭にて養育されており、長期にわたるネグレクト状態が示唆される。加えて、同居または出入りする母親周辺の成人男性らによる、継続的な性的搾取が行われてきた可能性が高い。
精神的外傷反応が顕著であり、複雑性PTSD(C-PTSD)を含む重度ストレス関連障害のリスクが高いと判断する。
フルスクリーニング、採取・処置・カウンセリング等、以降のすべての工程においては、PTSD対応マニュアルに準拠し、再トラウマ化を回避するための繊細な配慮をもって対応されたい。
必要に応じ、精神科・心理職・福祉連携チームへの即時介入を推奨する。
(——この子は、「採取」の前に、ちゃんと生き直さなきゃいけない。この制度は、その為でもあるはずでしょう……)
ノゾミは、所見を素早く書き終えると、看護師に付き添われ、スクリーニング・ルームへ向かうミユキの後ろ姿を、祈るような気持ちで見送った。
結果は、やはり性病陽性であったが、彼女が置かれている環境そのものに原因ありと判断され、18才ではあるものの親元から離し、回復居住区へと保護が決まる。
公式管理名:第七調整域、 院内略称:静域、LUCA内部識別:Θ-07。
ここから、通院と心理的矯正プログラム(LUCA介入)を含む、ミユキの新生活が始まった。
第七調整域――通称「静域」。
外界から切り離された、穏やかな環境。
ここでは時の流れすら、ゆっくりと感じられた。
アイボリー基調の居住空間に、監視はなく、AIと人の手による"見守り"とケアが共存する。
緑の中庭では、風が葉を揺らし、木漏れ日が足元に落ちる。
水のせせらぎと小鳥の囀りが、静けさをより深くしていた。
澄んだ空気が、深く呼吸することを、自然と思い出させてくれる。
"静域"は、誰もが一度立ち止まり、自分自身を取り戻す時間が与えられる――そんな領域だった。
ミユキの、もつれ絡まった心と人生を、ほぐしていくために。
――数ヶ月後の、ある晴れた日。
庭の片隅で、ミユキは胸いっぱいに緑の匂いを吸い込み、のんびりと過ごしていた。
ふと、何かが頬を、そっと撫でていく。
ただの風にしては、温かな気配がした。
「ミユキちゃーん」
中から呼ぶ声が近づいてきて、彼女は振り返る。
「はーい」
少しふっくらした頬に、やわらかな笑みが浮かんだ。




