【第4話】産声の予告(下)
帰り際、元の廊下に出ると、ロマンが口を開いた。
「ちょっと言い方が強すぎました。決して君を傷つけるつもりはなかったんです……」
ノゾミが俯き、両手で顔を覆って肩を振るわせると、ロマンが狼狽して必死で宥めてくる。
その様子に耐えられなくなって、彼女は思わず吹き出して笑い出した。
「嘘泣きよ。これくらいで泣くわけないじゃない」
するとロマンは、思い出したように悪戯な表情に戻り、少し演技風に言う。
「姫様ぁ、姫様ぁ。この前、約束したこと忘れたの? これから僕とディナーに行ってよー」
彼はしばしば“グリム童話”に喩える。
「何だっけそれ……“カエルの王様”ね?」
「正解です。では、ご褒美にディナーをご馳走します」
ノゾミは、一瞬考えて指摘した。
「それ、お願いなのかご褒美なのか。結果が同じなんて巧妙なトリックだわ!」
和やかなムードを取り戻して、ロマンは胸を撫でおろした。
「では、特別な場所へ、ご案内します」
ロマンは、さらに入口とは逆の方向へとノゾミを導く。
センターの廊下の更に奥、掌紋認証でしか開かない、壁と見まごう扉があった。
通り抜けると雰囲気はガラリと変わり、過去へとタイム・スリップしたような感覚になる造り。
「ここは、僕の両親がAI研究を始める前からある旧館の名残です」
「ご両親とも科学者だったの?」
「ええ。それが新世代の天城AIセンターの始まり……」
壁際に古い写真が何枚か飾ってある。
当時の研究者たちのスナップ。
赤いシャツに旧式の白衣を羽織った、美しい女性が笑っている。
「可愛い人ね」
(ロマンにとても似ている……)
ノゾミは立ち止まり、背後のホワイト・ボードの落書きのような文字を何とか読もうとした。
「ロート・イスト・ディー……フィブー……リーベ……ライデン……?」
苦戦している彼女のそばから、ロマンがスラスラと読み上げる。
「Rot ist die Farbe der Liebe und der Leidenschaft.」
ノゾミは、写真を懐かしげに見入っている彼に問いかけた。
「彼女は……もしかして、あなたのお母さん?」
「ええ。これは母の口癖のひとつ。ドイツ語で、“赤は愛と情熱の色”という意味です。だからなのか、母は生前、赤い服を好んで着ていました。名はルカ。光をもたらす者……」
「じゃあ、“あの“LUCA”は、お母さんの名でもあるのね……。光をもたらす者、かぁ。」
ノゾミは、まじまじとロマンを見つめる。
「そう言えば、あなたの目、時々“紫”に見えることがある」
ロマンは気まずそうに視線を逸らす。
「そうですか……。どうしてでしょうね」
「もしかして、あなたの“心の色”かしら」
ノゾミの微笑みは優しく、それでいて残酷なほど正確だった。
階段を降りて地下のドアを抜けると、夜の気配がふっと押し寄せた。
ロマンは周囲を見渡し、Q-Watchを操作すると、AIドライバーの社用車がすぐに滑り込んだ。
彼は後部座席のドアを開け、ノゾミの手首の内側をそっと支える。
「段差に気をつけて」
いつものことながら、ロマンのさりげない紳士的な配慮。
(自覚がない分、よけいに罪作りなのよね)
大和にあるリバー・サイドのレストラン。
入店時の認証システムに、ロマンはQ-Watchをかざした。
すると、支配人と思しきウェイターが慌てて出てきて、姿勢を正して彼に深々と礼をした。
「ロマン様、ようこそおこしくださいました。さぁ、どうぞこちらへ」
ノゾミは驚いて、目を見開いた。
「何ごと!?」
「これは身分証なども一体になっています。後から自動清算される仕組みです」
(いやいや、私はそれに驚いてるんじゃないってば)
彼はノゾミしか見ていなかったが、従業員の態度は、ロマンが“只者ではない”ことを物語っていた。
窓際の一等席に座ると、ロマンはウェイターを呼んだ。
「先にワインでも頼みましょうか。どれがいいですか? 赤か白か、それとも……」
「せっかくだから、“愛と情熱の”ワインを」
ノゾミがそう言うと、彼はワインを飲む前から少しだけ顔を赤らめた。
(ちょっとカワイイ……)
遊歩道の光を横目に、ノゾミがメニューを開いて迷っていると、ロマンは穏やかに言う。
「どんな料理でも、君が選んだものなら正解です。僕も同じものをいただきます」
「別に、私に合わせなくてもいいのよ?」
「いいえ。僕がノゾミと同じ時間を味わいたいだけですから……」
(そんなこと言われて、私はどんな反応をしたらいいのよ)
ノゾミはグラスを持つ指を、意図せず僅かに揺らした。
突然、二人の甘いひとときに割り込むように、誰かが近寄ってくる。
「初めまして。末の弟の天城 瑛です。あ、ここは僕が“趣味”で経営してるお店なんですよ! いらっしゃいませ〜」
彼は愛想良く自己紹介しながら、自分のQ-WatchからHolo-Biz Card(ホロ名刺)を出してノゾミの目の前に浮かべた。
「あ、あの私は紬 希望と申します。浪漫さんとは、同じ病院で働いて……」
ノゾミは、それをQ-Phoneで受け取って、自分も自己紹介し掛けるとアキラが彼女の声を遮るように続けて話し出した。
「いやー、今日は偶然いたんですけど、なんと! カタブツのロマン兄さんが、女性を連れて来ているじゃありませんか。前代未聞のことなんでね、ホントびっくりしちゃいましたよ! しかも、こんな美人を。明日はここで花火あげちゃいたいくらいですよ、花火! ド派手なヤツ!」
アキラの勢いに押され、ノゾミは引き攣った笑顔で何度も小さく頭を下げるのが精一杯だった。
ふいにロマンがちらりと彼を見やると、アキラは何か察したような顔をする。
ちょうど、そのタイミングで料理が運ばれてきた。
「ああ、お邪魔虫でしたね。後で、お詫びのワインをお出ししますね。どうぞごゆっくりー」
二人はアキラの後ろ姿を見送ると、ノゾミがぽつりと呟いた。
「明るくて親しみやすそうな弟さんね」
(“つむじ風”みたいだったけど……)
「そうなんです。アキラは、家族の中でもムードメーカー的な存在です。母が亡くなってからは、父はいっさい笑わなくなり、すっかり人が変わってしまいました。ただ、“厳格”になってしまったんです。そんな父との付き合い方も、アキラは一番上手いんです。昔から、僕とも皆との関係も悪くありませんし」
ロマンの家族語りに耳を傾け、いつも以上に会話は弾んだ。
人が乗っているのかいないのか、対岸の先に見えるライティングされた観覧車は回り続けた。
「同じ親から生まれた兄弟でも、瓜二つの場合もあれば全く似てないことだってある。不思議ですけど。――ノゾミは一人っ子だと言ってましたね」
ノゾミはグラスを傾けて弄んでいた。ワインの赤が揺れるたび、彼女の瞳に小さな火が灯る。
「そうよ。不思議で不公平。兄弟って、絶対にいた方がいいと思うわー」
料理よりも、ついお酒がすすんでしまった彼女は、気が大きくなってしまっていた。
「だから私は子供をたくさん産むの」
ロマンは話の流れのまま、ノゾミに尋ねた。
「何人くらい欲しいんですか?」
「十人!」
「えっ!」
彼は驚いて、思わずナイフを落としそうになった。
「じゅ、十人……ですか?」
「少子化対策よ、しょ・う・し・か・た・い・さ・く!」
ノゾミはテーブルを指で軽く叩きながら調子よく言う。
「私、“成人記念”クリアしてるし、もし全部は産めなかったら、人工子宮に頼るのもありでしょ?」
ニヤけた顔で、そんなことを言いながら、ノゾミはさらにワインを口へと流し込む。
本気で言っているのか、ふざけているのか分からない――だからこそ、彼女は危うい。
ロマンは数秒フリーズしてから、ようやく状況を理解した。
(……これは、飲ませすぎたな)
ノゾミのグラスに残るワインを見つめながら、彼は油断したことを黙って反省した。
食後のデザートをオーダーして、ロマンはプレートをじわじわと彼女の目の前に置く。
「ノゾミ、甘いものは別腹だと聞きますが、さぁ、君の場合はどうでしょう」
「甘いものですって!?……甘やかしすぎよ。お酒を飲みながら食べられるわけないじゃない」
そう言いながらも、彼女のフォークは迷いなくケーキへと吸い寄せられていく。
同時に、ロマンは酔い覚まし効果のある、爽やかなハーブティーを添える。
「カモミールとレモングラスのお茶です。こっちの方がスイーツに合いますよ」
「ん、もう!……優しいんだから」
彼女が無意識に唇を尖らせる癖を、ロマンは堪らなく愛おしく感じた。
レストランを出ると、心地よい風が吹き抜けた。
花の匂いが夜気に溶け、街の灯りが水面に揺らいで、星空を映すように瞬く。
時折、遠くでクレーンの鉄骨が軋む音がして、それがこの街の静けさを逆に際立たせていた。
「……綺麗ね」
ノゾミはロマンにもたれ掛かりながら、小さく息を漏らす。
酔いのせいだけではない熱が、彼女の体温から伝わってくる。
(彼の匂いは……私を恍惚とさせる)
心が、沈黙が、会話よりも多くを語る夜もある。言葉は要らなかった。
ふいに足を止めて、正面から抱きついてくる彼女の表情が訴えている。
今夜はこのまま、流れに身を任せても構わないと。
だが、ロマンは彼女の背後で一度だけ拳を握りしめ、自制の痛みを確かめてから手を開く。
彼は、その手でノゾミを優しく抱き寄せながら静かに告げた。
「ノゾミ。それは、君が素面の時に、本当に僕でいいんだと思ってくれてからでも遅くはない」
ロマンは紫に輝く瞳で彼女を見つめてから、額にそっと口づけを落とす。
魔法にでもかかったように、ノゾミはそのまま彼に身を預けて眠ってしまった。
AIドライバーの社用車を呼び、ロマンは彼女を背負ってマンションへと運んだ。
ノゾミの部屋に入ると、丁寧にベッドへ横たえ、布団を掛ける。
枕元に彼女のQ-Phoneとスポーツドリンクを置く。
彼はノゾミの寝顔を見つめながら、誰にも聞こえない声で語りかけた。
「ノゾミ、実は君に打ち明けなければならないことが沢山あります。僕が"何者"であるかを、君はまだ知らない。このままでは、僕は君の夢を叶えてあげられないかもしれない。だから、僕はその為の方法を探します。だけど、もし君が、こんな僕でも受け入れてくれるのなら、それを二人で探していくこともできるかもしれない……」
ロマンはそっと手を伸ばし、彼女の頬に触れた。触れた瞬間、胸の奥に痛みが走った。
それが“恋”というものだと、彼は初めて痛感する。
唇を寄せ、触れるだけのキスをひとつ残し、部屋を後にした。
嵐のような一日が終わり、ロマンは自室のベッドで横になりながら過去を思い返していた。
瞼を開けると、オペ室とも実験室ともつかない場所。
たくさんの機械に繋がれ、輸血されていた。
眩しいライトを背に、父・ノボルとメロン・マスク氏が自分の顔を覗き込んでいた。
そこには他にも数人がいた、気がする……。
ふいに誰かが問いかけてきた。
「自分が誰だか分かりますか?」
混雑する思考の中、彼は一言だけ答える。
「僕は……ロマン……」
*【断章】:note(不定期・主に木曜更新)https://note.com/aixidenshi




