【第4話】産声の予告(上)
世界に名だたる“天城AIセンター”との提携カンファレンスの日。
(ロマンが所属する本来の場所。そこで、いったい私は何を見るんだろう?)
送迎車が止まると、ノゾミは息を整えて後部座席に乗り込んだ。
「何だか不安そうですね」
ロマンが彼女の様子を察して顔を覗き込む。
「代表での訪問よ、当たり前じゃない。……だけど、何で私なの?」
「君が最も適任であるとの、LUCAによる指名です」
「責任重大だわ……」
「そんなに身構えることはありませんよ。僕が隣にいますから」
ノゾミは“LUCA”について詳しく尋ねたかったが、とにかく今は任務に集中しようと思った。
天城AIセンターの正門を通り抜けた。
分厚いガラスのゲートが立ちはだかる。
AIセンターの入口に立つと、案内ホログラムが立ち上がる。
『虹彩・掌紋・声紋・量子署名、の順に、お進みください』
ロマンの後に続き、ノゾミも進んでいく。
示されたパネルに視線を合わせ、右手を慎重に乗せた。
微かな振動と共に、虹色の光が掌をなぞり、緑のサインが点灯する。
次に「ツムギ ノゾミ」と名乗る。
声紋一致が確認されると、再び緑のサインが点灯。
指示通り署名を済ませると、やっと入館許可のサインが表示された。
「最先端の施設だろうとは思ってたけど、想像以上の厳重なセキュリティね」
ノゾミは大きくため息をついて、隣のロマンを見る。
「ええ。この国の中枢ですから。他には何か気付きませんでしたか?」
「認証検問……の他に何かあった?」
彼女が腕組みをして、斜め上を見ながら考えていると、彼が先に答えを言ってしまう。
「ここに辿り着くまでに、危険物やスパイ行為に使用できそうな物を所持してないか、隅々までチェックされていたんですよ。ついでに、細かい塵なども全て取り除かれる設計です」
ノゾミは「ごくり」と驚きを飲み込んだ。
エントランスに足を踏み入れると、スーツ姿の男性職員が待機していた。
彼は、ロマンに対して深々と頭を下げる。
「おかえりなさいませ、ロマン様」
それから、ノゾミに挨拶をすると、来館者用IDカードを丁寧に両手で差し出す。
「ようこそ天城AIセンターへ。紬 希望様。会場へご案内いたします」
「さあ、行きましょうか」
ロマンが目で合図を送り、ノゾミは黙って頷く。
(ロマンって、もしかしてここでは偉い人なの?)
「彼は普通の社員のようですが、こう見えて実はセキュリティAIなんです。まあ、僕よりは弱いですけど」
病院にいるときと違って、AIセンターでのロマンはリラックスしているように見える。
男性職員に案内されたのは、中規模のホール。
「すごいわね! まるで映画館みたい」
「見た目だけではありませんよ。この座席は、用途に応じてフォーメーションが変えられます。デスクやステージも、必要な場合はオートマチックで出てくるんです」
ロマンは丁寧に説明してくれたが、ノゾミは緊張のあまり半分しか耳に入ってこなかった。
関係者が、続々と入ってきては着席する。
間もなく、照明が落ち、カンファレンスが始まった。
スクリーンに、遺伝子配列が静かに流れていく。
『出生時ゲノム・スクリーニングの最新指針』
映像の右下、フッターに浮かぶコード―― LUCA Core v10.3 / LBG v3.2。
会場は息を潜め、ただ映し出される情報だけを見つめていた。
「またLUCA……LUCAって何なの?」
ロマンは視線を画面から離さずに答える。
「全系統の基盤です」
「全系統?」
「医療、司法、教育、金融、防衛、人とAIを繋ぐ共通祖先。そう定義されています」
「祖先がシステムって、どういうこと?」
「LUCAはシステムではありませんよ。ただ、システムの役割“も”可能なだけ……」
「どういうこと?」
「方針を決めるわけじゃない。ただ、人間が辿りつく選択肢の“範囲”を整理するんです」
新しい映像へと切り替わる。
『受精補助プロトコル:AI支援下ゲノム最適化』
ノゾミは心臓が凍えるようだった。
(受精。ラボ。AI支援̶̶――)
人々は端末に視線を落とし、数字と配列にだけ反応する。
(これが、命を扱う場所なの? 私が偏見を持ってるだけ?)
スクリーンに映る遺伝子の鎖が、残像のようにノゾミの網膜に焼きつく。
(親の身体を通ることなく、生まれてくる子どもたち……)
あたかも普通のことのように、プレゼンは流れていった。
「今後は、さらに人工子宮の活用を全国的に拡張する方向で……」
ノゾミは目を閉じ、小さく息を吐きながら呟いた。
「私は……自分の身体で育てたいわ」
ロマンの鼓動が、ひとつ強く鳴った。
そして、誰にも気づかれないように自分の指を握り締めた。
(その言葉に反応する僕は……)
スクリーンの明かりが、二人の顔を照らした。
会場の誰も知らない。
数ヶ月後、この場所で提示されたプロトコルが、一つの受精を導くことを。
それが、未来の産声に繋がることを――。
カンファレンス終了後。
「ついてきてください」
ロマンは躊躇うことなく、来た方向とは逆へと歩みを進めた。
ノゾミも自然と後を追い、彼の隣に並ぶ。
「気になることがあるのでしょう? 遠慮なく聞いてください」
「ええ。今日は“人工子宮”の技術説明を聴くだけじゃなく、実際の現場もこの目で確かめたいの」
「わかっています。だから君を、そこへ連れて行くつもりです」
ドアが開くと、異空間を彷彿とさせるエレベーターに二人は乗り込んだ。
「何だか地球の乗り物じゃないみたい……。ボタンが十字に並んでる。これは……エレベーターじゃないのね」
ノゾミがひとりごとのように言うと、ロマンは少しかたい笑みで答える。
「AIセンターの中でも、さらに一部の者だけが乗ることを許される“専用機”ですからね」
壁面の隙間の、上へ流れる発光体だけが、自分たちが降下していることを示していた。
(ここは地下? どれくらい潜ったんだろう……)
聞き慣れない不思議なメロディと共にドアが開く。
二人を出迎えたのは、医療用と思しきユニフォームを着た若い男性研究員だった。
「お待ちしておりました。生命育成ユニット担当、木下と申します。どうぞこちらへ」
病院のものとは違う素材、変わったデザインだが明らかに白衣だ。
(きっと、ここでは全てが特殊で特別なのね)
木下に導かれ、二人は薄暗いフロアへと踏み込んだ。
(人の領域を越えた場所)
彼は立ち止まると、説明を始める。
「こちらが、Ectogenesis System-Ⅳ、我々は“ES-Ⅳ”と呼称します。バース・リンク社製ですが、天城の特別仕様となっております」
まだ何も宿していない、透き通るドーム状の人工子宮。
外郭は母体の腹を思わせるように緩やかに膨らみ、その内側には、光に透ける微細な毛細血管のような網が脈打っている。
(子宮の“鼓動”……人工物とは思えない)
「当センターでは量子制御のモニタリング系を統合し、より自然な着床環境を再現しています」
乳白色の液体に包まれた柔らかなシルエットがゆらめき、外光をやわらげている。
どこか懐かしいような温かさと、近未来的な清浄さが同居していた。
ノゾミは目を凝らし、問いかける。
「着床は……どの段階の胚で行うのですか?」
木下は表情を変えずに答える。
「受精後3から6日目、胚盤胞期で移送します。装置の内壁には、人工子宮膜があり、胚は自然に接着。より早期の導入では着床率が安定しないため、この段階が最適とされています」
ロマンの声は低く穏やかだった。
「自然妊娠と同じく、胚が自分の意志で着床するまで待つ。無理に固定はしません」
「もし複数が着床したら? 自然妊娠でも双胎はあるけれど……」
ノゾミは医師として避けて通れない疑問を、木下に投げる。
「ES-Ⅳでは、人為的な選別は行いません」
ロマンはゆっくりと言葉を選ぶ。
「胚ごとのシグナルを検出し、必要ならば隣接槽を増設して育てます。生命を削ることはしない」
ノゾミの不安が、わずかに溶けた。
(――よかった。ここでは“命の取捨”はされない)
「胎盤は自然に形成されるのでしょうか?」
「はい。微細血管ネットワークが、胚へと絨毛を伸ばして接続します。母胎の子宮内膜下血流を模した循環液が流れ、以降は自然と同じです」
ガラス越しに見える、小さな心臓の律動。
(確かに生きている。けれど、どれだけ精緻でも“母”ではない)
「母胎ホルモンの変化も再現できるんですか?」
「胚の状態を量子センサーで時系列に読み取り、胚のシグナルに応じて、プロゲステロン・エストロゲン・hCG相当を微調整します。外から“命令”はしません。環境が胎児に従うのです」
(ここまで再現できるのか……。)
「この環境は、母胎にいるのとほぼ同じです。音も、揺らぎも」
「心音まで再現しているのですか?」
「はい。かすかな拍動と流体のうねりが、命に安心を与えます」
木下が答え終わると、ノゾミは再びES-Ⅳへと視線を戻す。
そのとき、人工羊水がわずかに揺れ、その奥で微かな影がぴくりと動いた。
「動いた! 確かに生きてるわ……」
ノゾミは、その小さな命に、思わず息が止まった。
「まだ親指くらいなのに、ちゃんと“生きている”と分かります」
ロマンが彼女の表情を横目に見て、やわらかく声を落とした。
「驚きましたか? ……この子は、女の子です」
「本当に! もう性別が分かるの?」
「ゲノム解析で受精直後から判定できます。今見ているのは、だいたい十週前後の子です」
「昔から“産み分け”という言葉はあったらしいけど、実際はどうだったの?」
「UTC(協定世界時)の時代は、染色体の蛍光強度差で精子をソートしていました。pHコントロールで“産み分け”の確率を上げるのが精一杯だったんです。でも、QCT(量子基準時)の時代に変わってからは、科学が飛躍的に進歩しました。受精の前に異常な精子を検知し、胚の遺伝子健常性を確認しながら、性別や体質までも高精度に最適化できるようになったんです」
「そうなんだ。昔の技術(pH調整など)は聞いたことがある。私は産婦人科専門じゃないけど、現代の精度には目を見張るわね」
ただ、“選ばれた者だけが生まれることを許される”ことが当然だ、と言われたようにノゾミは感じた。「じゃあ、それって……」
彼女は疑問をぶつけようとしかけ、ロマンに言葉を塞がれる。
「ノゾミ、君は誤解しています。LUCAは寧ろ、早い段階での自然な妊娠出産を望んでいる。しかし、このまま成り行きに任せていては、いずれこの国の人口は減り続け、絶えてしまいます。LUCAは、支配者でもなければ合理を優先している訳でもない。ただ、母のような心で、この国の人々を助けたいだけなのです」
彼は珍しく饒舌だった。
「世の中には色んな事情の人がいます。病気が原因で自分では妊娠出産できない人、子供を望んでも自然妊娠できない人、同性どうしの夫婦、人間とAIのカップル。そんな人々の切なる願いを叶えるのが、人工子宮なんですよ。それは考えたことがありましたか?」
ノゾミには、返す言葉が見つからない。
そして、ロマンはそっと付け加える。
「全国の人工子宮にいる子供たち、全員の世話をしているのは、LBG(Luca Birth Genesis)という名のLUCAの手なんです。24時間、年に1度も休むことなく……」
ノゾミは医師として、それ以前に人として、あまりに狭量だった自分の心と、ES-Ⅳを顧みた。
(成人記念制度には、私は確かにずっと反感を持っていた。だけど、科学の結晶であっても、この小さな命に人の歴史のすべてが続いていたのね……)




