【第5話】成人記念(下)
一方、男性側の診察室に、丁寧に3回ノックし、一人の少年が入ってきた。
「失礼します。本日はよろしくお願い致します」
ロマンは、他と同じように迎えると、彼自身の口頭による本人確認をする。
「松崎 雄、2XXX年X月X日生まれ。今年で18歳になりました」
彼は、見栄えも良く、礼儀正しい好青年だ。
「松崎さん、既往歴は特に無し。健康そうで何よりだね」
「ええ。母が、いつも愛情たっぷりの美味しい手料理を作ってくれます。ありがたいことです」
話しの運び方も上手く、おそらく異性同性に関わらず、彼には人を惹きつける不思議な魅力がある。
一見すれば……。
問診前、モニターから見聞きした、通称“マツタケ”の待合室での友人との会話や挙動を観察し、ロマンは言いしれぬ違和感を覚え、敢えて自分の診察室に来るように手を回していた。
「おー、マツタケじゃん! オマエ、今月だったのかよ。ついに裁きの時が来たかー」
マツザキ タケシ、通称“マツタケ”は、本名を短縮しただけのようだが、友人との会話から推察するに、"女に見境がなく無責任"という裏の意味も込められているようだった。
誰も見ていない時は周りを伺うように目をキョロつかせ、相手で瞬時に変わる彼の表情や態度。
雑談まじりの問診の中で、ロマンはさり気なく切り出した。
「ところで、松崎さんーー妊娠に関わる医療介入が、三回。いずれも、妊娠中断になってるけど、間違いありませんか?」
問われた途端、マツザキは身を固くしたが、すぐに深い反省と後悔の色を滲ませた表情へと変わる。
「はい。とても残念に思っています。断りきれなかった僕"も"悪かったかもしれません……」
彼の話は、さりげなく言葉の端々に他責を含み、自分は同情される側であると言わんばかりだ。
そして、問診の中で、ある一つの仮説が確信へと変わっていく。
「今後、同様の事例が繰り返されれば、"刑罰の対象"になる。何事も、国の方針におけるラインがあることを、これからは忘れないようにしてください」
「わかりました……」
マツザキは、神妙な面持ちで受け止めたーーように見えた。
だが、彼が席を立って部屋を出ていく一瞬、こちらへ憎悪の籠った視線を送ったことに、ロマンは気付かぬふりをして、所見を書き続けながら"院内トリアージ"を赤へと変えた。
【精神科共有所見(注意喚起)】
社会的場面では適応的で、礼節的な対人態度が保たれ好印象。
しかし、自己行為に伴う結果責任に対する内省が乏しく、他者の身体的・心理的被害についての共感的理解が限定的。
事実確認の場面においては、統制感の低下を強く忌避する様子がみられ、他者操作的な対処傾向の可能性が示唆される。
現段階では断定を避け、反社会性パーソナリティー特性を含む、衝動統制・共感性の偏りについて、精神科での継続評価を要する。
ロマンは無表情のまま、何事もなかったかのようにマツザキのカルテを閉じた。
表面上は礼節的で、対人適応も高いが、言葉の端々に残るわずかな違和感は消えない。
責任の所在をさりげなく他責にする言い回しと、相手や状況に応じて滑らかに変わる態度。
そして他者との境界を容赦なく踏み躙る性質。
それらを組み合わせれば、マツザキという男の本質は自ずと浮かび上がる。
(……典型的だな)
チャーミング・マニピュレーター。
ロマンの特別な権限で得た、この個体に関する情報は、すでに揃っていた。
マツザキが堕胎させた三名の交際相手の全員に、骨折や複数の打撲を伴う救急搬送の履歴が数回残されている。
彼女たちによるマツザキへの告訴もあったが、不自然にも突然取り下げられていた。
加えて、軽視できない記録が一件。
因果関係は不明だがーー相手女性一名の自死。
それは記録には残さないが、性病治療後のマツザキの生殖細胞の分類は、すでに完了している。
【内部メタデータ】
Pollution Index:Lv.3(分類コード)
・社会適応リスク:高
・外部分配:不可
・優先度:最低
・生殖行動リスク:高
・倫理判断固定点:自己利益優位
・細胞利用区分:本人利用のみ(提供の場合、研究用途固定)
マツザキのサンプルは"未来のゆりかご"ではなく、日の目を見ることのない"棚の奥"へ送られる。
将来、どこかで誰かが傷つかないために。
採取の翌日、彼の端末へ一通の通知が届く。
“社会的共感育成支援プログラム”(LUCA介入)の参加案内だった。
場所も日時の記載も、内容も見当たらず、そのまま削除してしまう。
その夜から、マツザキは奇妙な夢を繰り返し見るようになった。
夢の中で彼は、自分が傷つけてきた女性たちが感じた痛み、恐怖、逃げ場のない絶望を、今度は自分が女性の立場で追体験する。
また、別の夢では、大人になった自分が築いた幸せな家庭を覗く。
愛する妻と、目に入れても痛くないほど溺愛する可愛い我が娘。
その誰よりも大切な娘が、自分がかつて女性たちにしたのと、まったく同じ仕打ちに遭う光景が、何度も何度も流れた。
目覚めれば、夢の内容ははっきり思い出せない。
しかし、言葉にならない深い悲しみと胸の苦しさが、重くのしかかった。
LUCAはそれを、何度も繰り返した後、彼の思考回路の歪みの矯正へと移行する。
やがて、マツザキは少しずつ変わっていきーー。
いつしか、自分の行動の先にあるものを感じ取れるようになり、彼にとって他人の痛みは、もう“どうでもいいもの”ではなくなっていた。
LUCAは、ただーー次の被害者が生まれない世界を、人知れず作り続けている。
成人記念の業務が終わり、ロマンがいつものリラクシング・ルームへ戻ると、ぐったりと疲れたノゾミが座っていた。
「お疲れ様、ノゾミ。気分はどう?」
「大丈夫。ちょっと眠いだけ……。ねえ、ロマン、私さっき思ったのよ」
彼女は、自分の卵巣や子宮を労わるように下腹部をそっと摩りながら、独り言のように紡ぐ。
「成人として名前を呼ばれた瞬間、自分の一部が、自分だけのものじゃなくなってしまう……。これって、“ルンペルシュティルツヒェン”の話みたいだなって」
「そんな話、よく知ってましたね」
ロマンは、わずかに震える声を隠しつつ、感心したように微笑んで見せる。
ノゾミの言葉が、まるで“秘密の名前”を呼ぶ呪文のように響いた気がしたーー。
ーー海から吹き上げる風が、気持ちよかったのだろうか。
だが、少女自身、その時のことを覚えていなかった。
「防波堤で足を滑らせて女の子が落ちた」――そんな目撃者の通報が入り、家族に伝えられた唯一の事実だった。
少女は救急搬送され、一次処置を終えたあと、特別管理ユニットに移される。
命の危機は脱したが、"助かった"と言えるのか、この状況では、まだ判断できなかった。
宿直の夜は、いつも息をつく間もなく、次の搬送が来る。
ノゾミは少女のスキャン・データから、出血がコントロールされていることを確認した。
命は、繋ぎ止めものの、ある一点が、頭から離れない。
骨盤の損傷、恥骨結合と仙腸関節に離開のせいで、卵巣への血流が、著しく落ちている。
(これは……まずいわね)
このまま放置すれば、時間が経てば経つほど、“可能性”は下がる。
“自分の専門外”と考える間も無く、彼女は無意識にQ-Phoneを取り出して彼に連絡していた。
「どうしました?」
「救急だけど、私だけじゃ判断できないの。今から来てもらうことはできる?」
ロマンは、一秒も置かず即答する。
「今すぐ行きます」
彼は到着するなり、歩きながらノゾミの説明を聴き、無言のままデータを確認した。
左右ともに、卵巣動脈周囲の血流低下域ーー。
「……時間は?」
「このペースなら、数時間」
ロマンは顔を上げ、ノゾミを見て言った。
「決断が必要です。今すぐ」
「分かったわ。申請のやり方、教えて!」
《成人記念採取法》
第7条の2(生命継承特例)
未成年者については、本人の意思および保護者の同意がある場合に限り、事故、疾病その他不可抗力により将来の妊孕機能喪失が予測されるときは、別に定める基準に基づき、生殖細胞の採取および保存を行うことができる。
ノゾミは端末を開き、隣に立つロマンの指示通りに、LUCAへの審査を申請した。
《生命継承特例・未成年条項 審査》
〈申請理由〉外傷性卵巣虚血の進行による妊孕機能の喪失リスク
〈医学的根拠〉骨盤外傷・血管損傷・血流指数 低下進行
〈処置適応〉卵母細胞の緊急保存
LUCAからの回答は、次のとおり。
・第7条の2(生命継承特例):許可 / 緊急症例:適応確認済
・採取条件:安全域内 / 推奨期限まで:残り8時間12分
「生命継承特例は、未成年条項です。まず両親の同意が必要になります」
「私、ご両親に説明に行ってくるわ」
「僕も一緒に行きます」
二人は顔を見合わせて頷き、急足で救急外来の面談室で待つ両親の元へ向かった。
扉を開けると、両親が同時に立ち上がり、父親の目が答えを求め、 母親の手は震えている。
ノゾミから、まっすぐ二人を見て告げた。
「命の危険は去りました。ーーしかし、問題があります」
両親がホッとしたのも束の間、その一言で空気が一変する。
「骨盤の損傷のせいで、卵巣への血流が落ちています。このまま時間が経てば、娘さんは将来、子どもを持てなくなる可能性が高い」
父親は青ざめながら、泣き崩れる妻の肩を抱きしめ、支えていた。
「ですから、今すぐ決めていただく必要があります。娘さんの卵細胞を採取するかどうかを」
ロマンが、彼女の言葉を補足する。
「生殖細胞採取は、本来は満18歳を迎えた成人が受けるものです。娘さんは15歳。但し、緊急の場合は、生命継承特例として、本人と保護者の同意で行われる措置が用意されています」
さらに、ノゾミも付け加えた。
「しかし、今はまだ、娘さんの意識が戻っておりません。つまり、ご両親の決断に委ねられます。酷ですが、迷っている猶予はありません。一刻を争う問題です。どう……なさいますか?」
一人娘の将来の問題に、母親は涙を拭いて立ち上がり、夫の目を見て、二人は同時に言う。
「特例を、お願いします」
気付けば、タブレットの承諾書を、ロマンが抜かりなく携えている。
先ず、内容を両親に読んでもらい、再度、二人の意思確認をした上、掌紋認証と量子署名を貰う。
急ぎ、状態をモニタしながら、少女を生殖医療科の“AQSフロア”へと移動させた。
性交渉の経験は無し、だから尚更難しい部分もある。
(事故で負った傷以外の、痛みを残さないようにしなければ……)
ノゾミの額に、緊張の汗が滲む。
AQSユニットーーAqua-Quantum Sphere方式採取システム。
まるで“触れてはならない水”、のような透明な静けさを湛えた装置だった。
「僕がシステム同期を行います。紬 先生は生体側の準備を」
ロマンの言葉に、彼女はわずかに目を細める。
Q-デバイスの同期手順は複雑で、本来、それは特別な権限を持つ者しか扱えないはず。
(どうして、あなたはそれを知っているの?)
AQSユニットを起動すると、微弱な振動を発し、量子水膜が卵子を静かに包み込む。
触れずに、傷つけずに、一つ、また一つと、無菌カプセルへと丁寧に運んでいく。
「血流指数、下限ギリギリ。安全圏はあと一つまで」
ロマンが、採取ログを確認する。
(……数を、追ってはいけない)
「次で終わるわ。十分すぎる量が確保できた」
《採取10……最終カプセル確保》
ロマンが指を払うと、最後の生命カプセルがレールに乗り、培養ラボへと運ばれていく。
《AQS採取プロセス完了》 《生体負荷:無し》 《合併症発生率:0%》
空気がわずかに緩み、終わったーーはずだった。
ノゾミは何をするでもなく、その場から離れられなかった。
ただ、そこに立ち、自分の手で未来を操作してしまった事実を、黙って受け止めていた……。
ーー自分がどこから戻ってきたのか、少女は思い出せない。
深く暗い水の底に沈んでいた意識が、ゆっくりと浮かび上がっていくーーそんな感覚だった。
瞼の重たさに、微かにまつ毛を振るわせると、優しく呼びかける声が遠くから近付いてくる。
「ーー聞こえますか?」
少女は、その声を追いかけるように瞼を開き、ぼやけた視界が徐々に形を取り戻していった。
「ここは病院よ。あなたは、事故で運ばれてきたの。何か覚えてる?」
状況が飲み込めず、少女は首を僅かに振ると、少しだけ涙ぐんだ瞳でノゾミを見つめる。
「あなたは堤防から落ちて、お尻を……骨盤を強く打った。そのせいで、卵巣への血流が落ちていた。そのままにしたら、あなたが将来“お母さん”になれないかもしれなかったの」
少女は、ノゾミの言葉の意味を少し考えて、続きを尋ねてくる。
「それから、どうしたの?」
「だからね、あなたの意識が戻る前に、卵子を十個、保存したわ」
「……えっ!?」
思いがけない現実に驚き、少女は一瞬目を見開いて瞬きをした。
「もう時間がなかったの。だから、どうするかご両親が決めてもらった」
ノゾミは、少女のネームプレートを見て、改めて説明する。
「あの卵子は、あなたの“将来の命の可能性”なのよ、末永 命さん。いつか、お母さんになりたい時に使うのか、どう使うかは、あなたが決めていい」
ミコトは、ゆっくり呼吸しながら、しっかりと返事をした。
「……わかった」
「お父さんも、お母さんも、昨日から寝ずに心配しているのよ。すぐ呼んでくるね」
ノゾミは、ミコトに笑顔を残し、待合室で待つ彼女の両親の元へ向かう。
扉を開けると、ノゾミは両親に短く告げた。
「命さんの意識が戻りました。話もできます。どうぞ行ってあげてください」
「ーー先生、本当にありがとうございました」
両親は深々とノゾミに頭を下げると、娘の元へ急いだ。
「心配してくれる“両親がいる”って……当たり前じゃないのよ、ミコトちゃん」
ノゾミは、ちょっとだけ羨ましく感じた。
そして、ロマンについて思いを巡らせる。
「そろそろ、聞いてもいいかもしれないわね」
彼女は、そんな独り言を呟いた。
医療現場は、決して眠ることはないーー。




