【第3話】あなたがくれたもの(上)
休日前——。
帰宅したノゾミは、シャワーを出ると、濡れた髪をタオルでぎゅっと包んだ。
リビングのソファーに腰を下ろし、テーブルの上のQ-Phoneをちらりと見る。
「こんばんは。明日、予定はありますか? もしよかったら、お買い物、ご一緒しませんか?」
(Q-mail、送る? 送らない? 送る……)
ためらううちに、うっかり親指が送信を押してしまっていた。
ロマンからの返信は早かった。
『喜んで。何時がよろしいですか?』
「10時はどう?」
『承知しました。では、10時にクルマでお迎えにあがります』
(……ほんとに、来るんだ)
ノゾミは、クッションに顔をうずめて、興奮のあまり小さく悲鳴をあげた。
(明日が楽しみすぎて、今夜は眠れそうにないかも!)
——翌朝。
ノゾミは、早めに設定したアラームが鳴る前に眼が覚めてしまった。
「時間はたっぷりあるわ! 落ち着いて私。彼とは毎日会ってるじゃない。普通よ、普通……」
シャワーを軽く浴び直し、パックをしながら髪にドライヤーをあてる。
ふと、鏡の中の自分と目が合う。
「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは——この私よ!」
メイクは薄めに、ピンクのリップグロス。
前髪は軽く内巻きに、あとは毛先だけ緩く巻いてふんわりと。
仕上げにヘアオイルを少しだけ。
着る機会も無かった、とっておきの白いワンピース。
アクセサリーは、ハーキマー・ダイヤモンドのピアスとネックレス。
仕上げは、バイオ香水を耳たぶの裏と手首に。
(効果はヒ・ミ・ツ……)
時計を見て、慌ててバッグの中の忘れ物チェック。
(やだ、落ち着かない。まるで初めてのデート前の子みたい)
最後に、姿見の前でひと回りして全身を確かめた。
「うん、悪くないかも!」
見計らったようにQ-Phoneが小さく震え、画面に通知が浮かぶ。
『到着しました』
エントランスの前で、ノゾミは深呼吸をひとつ。
スマート・マンションの前に停まっているのは、テセラ(TESSERA)社製の高級セダン。
パール・ホワイトのボディにメタリック・ブルーのライン。
ガラスの反射が宇宙の乗り物のようだ。
運転席から降りてきて、ロマンが軽く会釈をする。
病院で見る白衣姿ではない、いつもと違う彼の姿にノゾミはドキリとした。
「どちらのお姫様かと思いましたよ! 今日はまた一段とお美しい……」
ロマンの少し芝居がかった言い回しに、彼女は目を丸くして思わず口元を手で覆った。
(あなたこそ王子様にしか見えない!)
「さあ——姫、どうぞこちらへ」
ロマンが助手席側を軽くタップすると、静かにドアがスライドし、段差のないフロアがせり出す。
彼は、指で柔らかくノゾミの手を取る。
「お足元にお気をつけください」
「足元に気をつけるほど段差はないけど……」
彼女は心の中で苦笑しつつ、恐る恐る腰を下ろした。
シートが体温を感知すると、快適な温度に変わり、まるで包まれるようにフィットする。
システムが起動し、眼前に半透明のパネルが静かに浮かんだ。
「こんなの……宇宙船のコックピットみたい!」
ノゾミが恐る恐る触ろうとして思わず手を引っ込めると、ロマンが横目で微笑んだ。
「触っても大丈夫ですよ。誤作動はしませんから」
「だ、だって……これ、押し間違えたら空に飛んでっちゃいそうで」
「飛ぶ仕様はまだ試作段階です。今日は道路を走りますから安心してください」
ノゾミは吹き出しそうになりながらも、背筋を伸ばした。
自動シートベルトの軽い仮想音が“カチッ”と響く。
まるで生き物のように滑らかに発進し、窓の外の街並みが静かに流れていった。
午前の光に包まれた休日の街は、まだ人通りもほどよい。
クルマを降りたノゾミは、ロマンの隣で少しだけ歩幅を合わせながら並んだ。
(彼は何を着ても似合うのよね……。そして、いつもいい匂いがする)
シンプルなコーデでも、その“すらり”とした長身が歩くだけで周囲の視線を集めてしまう。
「見た? あの人、反則級に整ってる…」
「脚、長いっ…モデルかと思った」
「モデルじゃないの? あんな人、初めて見た……」
「隣の人、彼女? うそでしょ」
道の向こう側に停まった高級車の後部座席では、ファビュラスな女性が艶っぽく言う。
「あら、こんなところに、グッドルッキング・ガイ……」
通り過ぎる女子たちも、キャッキャと小声で騒ぎ、断りもなく撮影する始末。
ロマンは淡笑みを浮かべたまま歩みを進め、歩行者信号が青になるとノゾミに手を差し出した。
「まったく、あなたって歩くだけで目立つんだから……」
彼は他には目もくれず、いつも彼女しか見ていない。
(ちょっと鼻が高いけど、ちょっと恥ずかしい)
ノゾミは頬の奥がほんのり熱くなるのを感じた。
(まるで“この人と歩いているのは私です”と宣言しているみたい)
「どうしました?」
ロマンが尋ねる。
「な、なんでもない」
ノゾミはあわてて笑顔で誤魔化し、視線をそらした。
(付き合ってもないのに、こんな気分になるなんて)
心の中でそう呟きながらも、繋いだ手をそっと握り返した。
ハイブリッド・モールでは、AR試着用のブースや、ショー・ウィンドウのアクセサリーが並ぶ。
「お目当てのお店は決まってますか?」
「特にないけど、見て回りたいな。休日はこういうの久しぶりだから」
目新しい表示にノゾミが視線を奪われていると、ロマンが控えめに囁く。
「試してみますか?」
「えっ、いいの?」
「もちろん。そのために来たんですから」
ノゾミは興奮を抑えながら、指輪やネックレスをARで試着してみる。
試着室に入ると、彼女の頭上から細いラインのようなスキャンの光が走る。
次の瞬間、目の前の鏡に、選んだワンピースを着た自分が映し出される。
「これ……ほんとに着てないのに、着てるみたい」
体を左右に少し捻ると裾が自然に揺れ、素材の質感までリアルに映し出した。
その様子を外から見守っていたロマンは、確信していたような言葉を添える。
「似合いますね。やっぱりお姫様だ」
フード・コートのエリアには、甘いワッフルの匂いと焼きたてピザの香りが漂っていた。
(お昼どきだし、どこも列ができてる……)
ノゾミはロマンと並んで歩きながら、ずらりと並ぶ店の看板を見回す。
アジア料理、イタリアン、ベジタリアン向けのボウル……どれも美味しそうだ。
「おや、マウルタッシェがある」
ロマンがそう言って立ち止まったのは、ドイツ料理のパネルだった。
懐かしそうな彼の声に、ノゾミは顔を向けた。
「マウル……?」
「ドイツ南部の郷土料理です。スープに浮かべて食べる詰め物パスタなんですよ。昔、母がよく作ってくれていました」
ノゾミの心が、何となく温かくなる。
(ロマンにも、そういう思い出があるんだ……)
「じゃあ、私も同じのにしようかな」
楽しげにメニューを覗き込み、二人分オーダーした。
トレーを受け取ると、湯気から柔らかい肉と野菜の香りが立ち上り、ノゾミの胃をくすぐる。
「あー、美味しそう。いただきます!」
テーブルを挟んで、ロマンが聞いた。
「他のメニューにしても、君の好きなものでよかったんですよ?」
「どうして?」
「だってノゾミは、体が小さい割にたくさん食べるでしょう」
「小さいって言っても、私、165cmあるわよ。まぁ、あなたより20cmくらい低いけどね」
ロマンは何か想像したようで、「ふっ」と笑って口を拳で押さえた。
「何を考えたの?」
ノゾミは眉を寄せて尋ねる。
「昔のドイツだったら、ノゾミなら七人の大男たちを引き連れて、大ジョッキでビールを飲んでたかもしれませんね。でっかいソーセージにかぶりつきながら」
「ナニソレ! 私って、どんなイメージよ?」
「そうですねー。わかりやすく言えば……豪快な白雪姫?」
「矛盾を合体させないでよ! 意味わかんない。まったく失礼ね」
そんな会話をしながら、ノゾミとロマンは楽しいひとときを過ごした。
食事を終えてトレーを返却口に戻すと、テーブル番号が自動で精算端末に表示される。
セルフレジで清算しようと、ノゾミがバッグからQ-Phoneを出そうとした。
すると、ロマンが先に自分のQ-Watchをかざし、清算を済ませてしまう。
「あっ、払っちゃったの?」
ノゾミが目を瞬かせると、ロマンは軽く肩をすくめて微笑んだ。
「今日は僕に払わせてください。デートですから」
「……じゃあ、ごちそうさまでした。ありがとう。おいしかった!」
ノゾミは少し照れくさそうに、素直に頭を下げた。
「気に入ってもらえたなら良かったです」
「それにしても便利な世の中ね」
ノゾミが感心したように言うと、ロマンは同じ景色を眺めながら言う。
「発明は“人間の夢を叶えるため”にあるんですよ」
フード・コートを出て、二人はエスカレーターで上階へ向かった。
通りを彩るウィンドウの中に、柔らかな照明のランジェリー・ショップが見える。
ノゾミは一瞬ためらい、けれど視線を逸らさずに言った。
「ちょっと、あそこ見てきてもいい?」
ロマンは微笑で頷いた。
「もちろん。僕も少し見たいものがあります。ここで合流しましょう」
ノゾミは胸をそっと押さえながら店の奥へ向かう。
ロマンはその背中を見送ると、反対側にある小さなジュエリー・ショップへ足を運んだ。
ショーケースの中、目を引いたのは18金のシンプルなネックレス。
揺れるゴールドの小さなトップは、控えめで上品だった。
「これなら、きっと彼女の白い肌に映える」
ロマンは迷わず購入し、ケースごとジャケットの内ポケットに忍ばせた——。
約束の場所で落ち合い、路地にあるテラス・カフェに席をとった。
ロマンは買い物袋をすでにドローン配送で送ってしまい、ゆったりとコーヒーを飲んでいる。
ノゾミはケーキ・セットを注文した。
アップル・ティーのスプーンをくるくる回しながら、ちらりと周囲をうかがった。
(やっぱり目立つんだよね、この人……)
通りすぎる学生や女性たちが小声で何かを言いながら、さりげなくロマンへ何度も振り返る。
ノゾミは少し呆れながら、おもむろにカップに口をつけた。
「歩き疲れていませんか?」
ロマンは周囲を無視して、穏やかな目でノゾミを見ている。
「ううん、楽しいよ。こんなにゆっくり街を歩くの、いつ以来だろう……」
「休みの日って、いつも何してるの?」
ノゾミが、何気なく尋ねる。
「……秘密です」
ロマンは少しだけ目をそらす。
「えー!」
「冗談ですよ」
ロマンは口元だけで小さく笑い、さらりと言った。
「休みの日は、AIセンターを手伝ったりしています」
ノゾミがテーブルにカップを置いたタイミングで、ロマンが小さなケースを彼女の前に置いた。
「さっき……君に似合うと思って……」
ノゾミは一瞬きょとんとしてから、照れくさくなった。
「え……でも、こんな……」
「初めてのデートの記念です。受け取ってもらえたら嬉しい」
そう言うとロマンは、紫に染まる瞳で彼女を見つめている。
ノゾミはそっと箱を開け、目を細めて微笑む。
「私のイニシャル! これ、チャームになってるんだ。着け替えられるようにってこと?」
ロマンは少し得意げに提案する。
「ええ。“N”じゃなくてもいいですし、季節や気分で君の好きにトップを変えられます」
ノゾミは小さく首を横に振った。
「でも、たぶん変えないと思う。だってこれが一番きれいだから……」
その言葉に、ロマンがふっと表情を和ませる。
「“700”のチャームも売ってあれば良かったんですが。“N”と一緒に着けたら最高です」
「ん?」
ノゾミは首を傾げた。




