表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AIの遺伝子  作者: 藤本イオ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/10

【第2話】鼓動と香り(下)

復帰初日。

この三日間、何事も無かったかのように、日常が戻ってくる。


エレベーターで偶然ロマンと乗り合わせ、ノゾミは何食わぬ顔をして小声で挨拶する。

「天城先生、おはようございます。この度は、突然ご迷惑をお掛けしまして申し訳ありません」

「いえいえ、お気になさらず。紬先生は、もうお加減は良くなられましたか?」


(この人は、今日もいい匂いがするのね)


一番奥で他人行儀な会話を交わしながら、二人は手の甲をさりげなく密着させていた。

「ありがとうございます。おかげさまで、まるで生まれ変わったかのように体調良好です」

「それは良かった。でもまだあまりご無理はなさらないでくださいね。ではお先に失礼します」

ロマンはノゾミより先の階で降りた。


病棟の大部屋。

ノゾミは、術後患者の経過を確認していた。

ティッシュ・スキャナー(組織診断スキャナー) を手に取り、患者の患部に淡い光を走らせた。

「……内部の炎症はありませんね。経過は順調です」


患者は安堵したように笑ったが、患部を指差して首を傾ける。

「ところで先生、この格子みたいなのは何ですか?」

ノゾミは穏やかに微笑み、答えた。

「これは スキン・ラティス といって、ナノゲルでできたフィルムです。皮膚の内側を寄せて、自然につながるのを助けているんです」

患者は、さらに表面の膜を指差す。

「じゃあ、表面のこの透明な膜は?」

「それは バイオ・シール。外側を覆う自己修復型のスキン・パッチです。傷ついた皮膚の代わりみたいな物ですね。外の菌や乾燥から傷口を守って、役目を終えると自然に剥がれますよ」

「はあ……私にはちょっと難しいですけれど、早く治って家に帰りたいんです。家族がちゃんと食事しているか、ペットが寂しがっているんじゃないかと、あれこれ気になって……」

「そうですよね。気になりますよね。でも今は、ご自身が元気になることだけを考えてください。順調にいけば、予定より早く退院できるかもしれませんよ」

患者の表情が緩み、ノゾミもほっと笑みを返した。

「次に、歩行チェックをしてみましょう。違和感があったら言ってくださいね」


患者が立ち上がった、そのとき――。

「失礼します。紬先生、カルテの確認よろしいでしょうか」

開け放したままのドアをノックしながら、落ち着いた声とともに、ロマンが病室に入ってきた。

「分かりました。後ほど」

ノゾミは患者に向き直る。

「では、少し歩いてみましょうか」

二人の医師に見守られながら、患者は廊下の手摺りの側を数メートル歩いて見せる。

「うん、大丈夫そうですね」

ノゾミは患者の様子を見ながら頷いた。

そこにロマンがさりげなく言う。

「念のためニューロ・スキャン(神経伝導走査)、しておきましょうか」

(……今のタイミングで?)

ノゾミは怪訝に思ったが、表情は崩さずに微笑んでいた。

「はい、もういいですよ」

彼女は患者をベッドにそっと横たわらせ、シーツを整える。

「先生……私まだ、他に何か……悪いところでもあるんでしょうか?」

「そうじゃありません、形式的なものですよ。元気に退院するためにも、“念には念”ですからね」

ノゾミは操作パネルに触れ、スマート・スクリーン(防音除菌パネル)を上げた。

淡い光のシールドがベッドを包み込み、外の視線と音を遮断、空気まで清浄な空間へと変える。


病室を出ると、少し離れてロマンが待っていた。

「どうして追加検査を?」

歩きながら思わず問いかけるノゾミの声が、わずかに上ずっていた。

ロマンは前を向いたまま答える。

「歩行のとき、足先の運びがわずかに硬直していた。大腿神経に軽い圧迫が残っている可能性があります」

ノゾミの心臓がどくんと跳ねた――。

(そんな微細な変化、私には見えなかった。……なぜ気づけたの?)

医師としての“プライド”とロマンへの“感心”がないまぜになり、彼女は唇を震わせながら言う。

「……本当に、よく見ているんですね」

ロマンはカルテを閉じて、やわらかい表情をノゾミに向けながら告げる。

「腰椎麻酔の影響は消えています。だから、他の要因も考慮すべきかと思いました」

彼の冷静な声色に、ノゾミは心中穏やかではなかった。

(やっぱり、ただ者じゃないのね……。)


数日後。

ノゾミの背後から、ナース・ステーションの看護師たちのひそひそ話が届いた。

「天城先生って、ミステリアスで素敵よねー」

「でも、なーんか無愛想って言うか……」

「そうそう。私たちには愛想笑いひとつしないのに、患者さんにはすごく優しいんだから」

「ねぇ、誰か特別な人でもいるんじゃないの?」


気にはなったがノゾミは何食わぬ顔で通り過ぎ、自分の担当患者のもとへと向かった。

途中、手前の病室から漏れ聞こえる声に立ち止まり、壁際にそっと下がり覗きこむ。

そこには、老女の患者とロマンの姿があった。

「先生、息子はまだですか? 息子は来てくれるんでしょうか?」

彼は老女の手を握り、穏やかに微笑みかけている。

「息子さん、きっと来てくれますよ。それまでは僕が会いに来ますから。一緒に待ちましょう」

ノゾミは、そのやり取りを見て、胸がいっぱいになった。


リラクシング・ルーム。

癒しの空間は、二人の貸し切りだった。


ソファーに腰掛け、ノゾミが口を開いた。

「ロマン、あの患者さんは——」

彼女が言いかけると同時に、ロマンは立ち上がり飲み物を取りに行く。

「僕は栄養ドリンクですが、君はいつものココアで?」

「えっ、ええ……」

彼は無言のまま飲み物を注ぐ。

ノゾミにココアを渡すと、彼は間に二人分空けて腰をおろした。

「知っています。彼女に息子はいない。もう、ずいぶん前に亡くなったと聞きました」

「だけど、昨日は……」

ロマンは正面を向き、遠くを見るような目をしている。

ふいに――しばしの沈黙を破った。

「彼女はもう長くはない。今更、真実を告げても、傷付けるだけ。病が治る訳でもありません」

「優しいのね」

ノゾミは、言って後悔した。


「息子を亡くした悲しみが、彼女に忘れさせたのか。忘れてしまうことで救われているのか」

ロマンは、思いを巡らせながら話した。

「僕も家族を……母を亡くしました。立場は逆ですけど“気持ち”は痛いほど分かりますよ。でも、同情だけが理由でもないんです。これも医師の務めなのではないかと、僕は思ったから……」


しんみりとした空気の中、ノゾミは何も言えなくなってしまった。

(ずっと独り身のままなら、私もいつかは彼女と同じようになるのかもしれない……)

ロマンがこの病院に来た初日、自分が言ったことをノゾミはふいに思い出した。

私が医師になった理由、「人を助けたい」という初心。

そして、気付いてしまった。

“人を救う”日々の中で、いつの間にか誰かを“(オク)る”ことにも慣れてしまっていたことに——。

「ごめんなさい……」

ノゾミがやっと言葉に出来たのは、これが精一杯だった。


彼女がぼんやりしていると、気が付けばロマンが隣にいた。

彼は青い瞳を紫に染め、きっと今日いちばんであろう優しい笑顔をノゾミに向けて言った。

「だけど、僕が誰よりも優しくしたいのはノゾミ、君なんです。知っていましたか?」


ノゾミは俯き、ロマンへ心の距離を置くような態度で言った。

「この前はありがとう。おかげで命拾いしたわ。あの三日間も、まるで夢のような時間だった。でも分からない。まだ出会って間もないのに、あなたはなんで私にそこまでしてくれるの?」

ロマンは答えた。

「僕にも……。自分でも分からないんです。君から目が離せない理由が。いつも気になる訳が。非科学的な喩えですが、もし前世があるとしたら、出会うずっと前から君を知っていた気がする」


「あなたほどの人が、なんで私なの?」

「あなたほど?」

ロマンは彼女の言葉を拾い、その意味を探った。

「よく“天は二物を与えず”と言うけれど、あなたは、二物どころか、三つも四つも、何もかも持ってるように私には見えるから……。こんな劣等感はじめてよ」

自分の気持ちに素直になれないノゾミがいた。


「君からそう見えているだけ。知らないだけで、本当は、僕には欠けているものばかりなんです」

ロマンは寂しげに呟いた。

「ノゾミを追い詰めるつもりはなかったんです。難しいんですね。“距離感”というのは……」

彼は寂しげな背中を向け、リラクシング・ルームを後にした。


(どうして私って、いつもこうなの……)

ノゾミは膝を抱え、首をうなだれた。


翌朝。

ノゾミは無意識のうちに、ロマンが担当する老女の元へと足を運んでいた。


「えーっと……あなたは?」

老女は少し不安げに、ロマンを探すような素振りを見せた。

ノゾミはベッド横の椅子に座り、老女に聞こえやすいように話しかけた。

「天城先生なら、後で来ますよ。私はただ、お顔を見に寄ってみただけです」

「あら、そうなの? 誰かが来てくれるのは私も嬉しいわ。お名前は……何と読むのかしら?」

胸のバッジを前に出し、老女が近くで見えるようにして、ノゾミはハッキリと自己紹介した。

「私は、ツ、ム、ギ、 ノ、ゾ、ミ、と言います」

すると老女は、目を輝かせて微笑んだ。

「つむぎ、のぞみ、さん……とても縁起のいいお名前ねぇ……。希望(ノゾミ)をつむぐ……。こうして、あなたが来てくれたおかげで、私もまだまだ長生きできそうな気がしてきましたよ」

ノゾミは、できる限りの笑顔を老女に向けた。

内心、どんな表情をしていいか分からなかった。


ロマンは廊下のドアの側で、その一部始終を静かに聞いていた――。


それから間も無く、老女は亡くなった――。


ロマンはこっそり遺体安置所へ行き、指を組んだ彼女の手にそっと自分の手を重ねる。

白い布の上から顔の方を向き、彼は小さな声で亡骸に語りかけた。

「お疲れさまでした。やっと息子さんに会えますね。どうか——安らかに。光の中へ……」

ロマンは目を閉じ、手を合わせてから、姿勢を正して深く頭を下げた。


翌日、ロマンを見つけると、ノゾミが声を掛けてきた。

「天城先生、少しお時間ありますか?」

産婦人科へ行こうと誘われる。

お互い担当でもないし、理由も分からなかったがロマンはおとなしく彼女に同行した。


「亡くなったそうね。あの患者さん」

ガラス越しに見える新生児。

“生まれ出たばかりの命”と“失われてゆく命”との対比。

「……紬先生は、なぜこんなところへ?」

「私ね、担当の患者さんが亡くなった後は、必ずここへ来るの」


ノゾミは、しばしの沈黙のあと口を開いた。

「この前、あなたからお母様を亡くした話を聞いたでしょ。実はね、私には両親ともいないの」


ロマンはなにも言わず、彼女の話の続きを待った。

「父は考古学者だった。私が学生時代のある日、“まだ誰も見つけていない発見をしたかもしれない。帰ったら報告する”と言い残したきり、母と二人、そのまま行方不明に……。Q-Phoneの位置情報も掴めず、忽然と消えてしまったのよ。いまだに何の手がかりも無いわ」

ノゾミは続けた。

「だから私には、血縁者は誰もいないの。ひとりっ子だったから……。医者になるときは、結婚よりも仕事!って思ってたけど、やっぱり家族がほしいなって、最近は思ってる」

「家族……」

ロマンは少し考えて呟く。

「紬先生は、どんなお母さんになるんでしょうね……」

沈黙のまま、二人はしばらく並んで新生児を眺めていた。


——天城グループ 佐賀支社・会長室。


重厚な机の後ろの窓から眩しい光がさし込み、逆光の中に一人の男が佇んでいる。

ノックの音。

「失礼いたします」

秘書の百武(ヒャクタケ)が静かに入って一礼した。

「本日の報告でございます。……例の件は、予定どおり順調に進行中とのことです」

男は、ため息を吐く。

「百武、ロマンは、いま何をしている?」

「医療現場での研鑽をなさっておいでです。“人体”を知ることも研究の一環だと仰って……」

「そんな暇はないだろう。早く呼び戻せ」

「承知しました」百武が静かに退室する。

扉が閉まると、室内はふたたび静けさに沈む。


男は机の引き出しを開け、幾つかの写真立ての中から、ひとつの写真立てを取り出した。

そこに映るのは、妻・ルカの変わらない微笑み。

「やっぱり、どうしても似てしまうのか……」

肩を落とした影の、かすかな独り言が、窓に吸い込まれていった――。

「なぁ、ルカ……」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ