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4.魔女王ハナ

「つまり、あなたは」

 メシュエは怯え、震えた声で問う。もはや部屋は暗く、天井からぶら下がる灯りだけがこの場を照らしていた。目の前の少女が言っていることは所々意味は分からなかったが、彼女が黎明女王と同じ時代の存在であり、暴れまわり、女王その人に倒された、という事だけはよくわかった。そして、そんな人物はメシュエの知る限り一人しかいない。

「そちらの呼び方で言われるのならば、悪名高き魔女王。もっとも今じゃここから一歩も出れないし、世界をどうこうする気も起きない、ぐうたらな庭師」

 足をぶらぶらさせたまま言う少女の態度は投げやりな物であったが、メシュエはそれに恐ろしさを感じた。体が寝台の上で硬直する。逃げ出したいのに逃げられない。果たして先ほどの食べ物は本当に食べ物だったのだろうか。毒を盛られてやしないだろうか?

「皆、あなたは、封印が解けて、蘇ったって」

 メシュエは勇気を振り絞って口にする。舌が振るえてうまく発音が出来なかった。まるで夢の中で喋ろうとして声が出ない時のようだった。腰に剣はなく、そもそも伝説にうたわれる魔女王に拾っただけの剣が効くとは思えなかった。

「ああ、解けたの? 全然気づかなかった。そりゃあ大事件だね。道理できみが入ってきた訳だ」

 万事が万事他人事のような口調で少女は言う。そこには喜びも驚きもなくただ事実だけを復唱している様であった。長い間に感情が擦り切れてしまったのか、わざとそういう調子を気取っているのかメシュエには分からなかった。伝説上の存在の心など、メシュエには想像できる訳がなかった。

「あの、世界を再び支配するとか、そういうのは」

 意を決してメシュエは少女に問う。

「もう疲れた。世界なんて欲しい奴にやる。第二第三の紅奈が現れて、光に溢れた道を歩みながら世界を手に入れればいいんだ」

 ぶらぶらとした足が止まり、少女はメシュエを見る。少女の暗い色の瞳には、力がなかった。

「とにかく、今の私はここを世話するので精いっぱいだ。世話といっても機械がやってくれるから……ま、引きこもるのに忙しいというか。そんな感じ。だからきみを殺しはしないし、きみの体調がよくなったら外に返す。記憶は消させて貰うけど」

「あの、対価は――」

 この世ならざる者の親切には気を付けろ、というのは昔話の定番だ、とメシュエは思い出す。目の前の少女はぶっきらぼうでやる気を完全に失っているが悪名高き魔女王には変わりない。タダの親切を持ち掛けてくるはずはない。

「いらないいらない。第一行き倒れから何が剥ぎ取れるのさ。剥ぎ取ったところでわたしには硬貨なんて何の意味もないし――そもそも、欲しい物は望めばなんでも出せる」

 少女が手を叩くとメシュエの体の上にかかっている布団の上に、様々な煌びやかな宝石が落ちてきた。真珠が転がり、水晶が床に落ちる。黄色に青に赤に緑、メシュエが名を知らない石はどれも大粒で、綺麗に細工がされていた。まるで人間業とは思えないほどの精密な細工であった。

「都心の土地一つ買い取れるくらいの宝石だって出せるし、国一つ潰せるだけの兵器だって出せる。望めばね。もっとも、そんな物があったところで今のわたしには何の役に立たないけど。目の保養になる程度」

 少女はもう一度手を叩く。今度は目の前に焼きたての菓子がいくつも現れていた。甘い香りは蜂蜜の物とは違う。砕いた木の実の香ばしい匂いや、バターの匂いが鼻をくすぐる。少女はためらいもなく菓子の一つをつまみ、もぐもぐと食べ始めた。

「毒、無いから。並ばなくちゃ入れない、本場の名店の菓子もこの通り無限に出せるというね。わたしの好みとしてはジャンクなポテトチップスとかあの辺りのスナック菓子が好きだけど、そっちはこういう方が食べやすいでしょ」

 食べて、と少女はメシュエに目で促す。メシュエは満腹であったが、ここで断れば目の前の魔女王が機嫌を損ねるかもしれない。それは想像するだに恐ろしかった。殺されるならまだしも、獣や庭の木に変えられるのでは……そう思うと無理やりにでも菓子に手が伸びるというもの。

 手を伸ばしたのは丸く、茶色い菓子であった。僅かに艶がある二枚の皮の間に、柔らかそうな茶色のクリームが挟まっている。

「お、マカロン。お目が高い」

 聞いたことのない菓子であったが、メシュエの知らないものを気にせず怒涛のように浴びせかけてくる少女の態度にはそろそろ慣れて来ていた。目を閉じて意を決して口に運ぶ。

 ひたすらに、甘かった。そしてその甘味が心地よかった。

 パリパリとした皮の食感はやがてしっとりとした味わいに変わる。中のクリームは砂糖を混ぜたバターと似た舌触りだが完全に違うもの。香ばしいような、それでいて花めいているような香りが口の中に広がり、苦みと、甘味と、ほのかな酸味が後からやってくる。

「なにこれ」

 メシュエは驚いて思わず二つ目を探す。ためらう気持ちが一瞬あったが、見つけたもう一つに手を伸ばし、また口に運ぶ。美味しい。甘味のせいで喉が渇いたので水を飲む。甘味の残滓が口に広がる。美味しい。そんなメシュエの様子を少女は満足そうに見ている。

「チョコレートマカロン。文明の産物。多分チョコレートはこっちの世界には誕生しないんじゃないかな、気候も違うし……他の大陸があるかも知らないし」

 メシュエは無言で三個目のマカロンとやらを口に運ぶ。今度は覚えのある砂糖入りのバター。それに木苺のソースを混ぜたらしい。さくさくでしっとりして甘酸っぱい。美味しい。

「ま、文字通り異世界の菓子だね。作り方は面倒だし、わたしは暇つぶしに挑戦してみたけど一度も焼くのに成功しないから諦めた」

「魔女と言えばお菓子の家なのに?」

 メシュエの緊張が思わず緩む。目の前の少女、悪名高き魔女王がせっせと菓子を焼いては失敗している所を想像する。妙に、おかしい。

「こっちの世界にもお菓子の家概念があったのか……どう考えてもちまちま焼くより出来上がったお菓子の家どん、と出した方が楽。しかもお菓子の家は耐久性に問題があるからすぐに消した。虫が寄る」

 そう言われてみれば、お菓子の家での生活は色々と問題があるような気がした。

「えっと、話がずれたね。とにかくわたしには何でもあるし、今の生活で一応は不便ない。外に出る気もない。だから安心してくれ、ってこと。で、体力戻るまでここにいていいから。体力戻ったら服と路銀と食料持たせて適当にほっぽりだすってことで。そこから先はきみの幸運次第」

「それは……どうもありがとうございます」

 そして二人は無言で菓子をつまむ。長い間の空腹を埋めるかのように、メシュエはせっせと菓子を詰め込む。少女はつまんだ菓子を弄びながら、メシュエの様子をじっと見ていた。

「あの、何とお呼びすれば……」

 礼を告げようとして名を聞いていないことに気付き、少女に声をかける。名を消された魔女王に名前があるかは不安であったが、それでも本名以外の名前があるかもしれない、と思う。

「ハナ。……そうだった、ハナだ。古臭い名前。そっちは?」

 少女ことハナはつまんだ菓子を弄ぶ手を止め、しばらく何かを思い出そうとする人のように眉根に皺をよせてから、自分の名を告げた。それを聞いてメシュエは慌てて答える。

「ルス村のメシュエ、アリドの娘です」

「あー、その名乗りを聞くといかにもハイファンタジーって感じだわ。じゃあ、メシュエね。こっちはハナでいいから。さんも、様も付けないで。いろいろと気分が辛いから」

 ハナは椅子からよっこらしょ、と立ち上がる。

「じゃ、わたしは上の部屋にいる。面倒は〈小鬼〉に見させるから、気分が乗ったら風呂に入るなりしていて。正直、すごい臭いだからね、メシュエ」

 そうして、ハナは部屋を去っていった。ぱたぱたと階段を上る音がし、それからかしゃんと扉が閉まる音がした。

 カチカチと謎めいた音がする部屋の中で、メシュエはどうするでもなく、クッションにもたれかかり、布団の上に残された宝石の数々をじっと見ていた。


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