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2.庭園と館

 澄んだ心地よい音がする。

 ――水の音……。

 メシュエは朦朧とした記憶の中から音の正体を思い出し、それにつられて目が覚め、胸から広がる突き上げるような痛みにうめき声が出る。

 涼しい風が肌を撫でる。嗅いだことのない華やかな香りが鼻をくすぐる。ぼんやりと開いた目に映ったのは、沢山の花びらが重なり合った見たこともない花。炎を思わせる赤、輝くばかりの黄色。一点の穢れもない白……単色の花もあれば、二色三色が斑のように混じりあった物もある。それらが細い道を作るかのように、几帳面にまっすぐに植えられている。メシュエの周りは色こそ違えど、ひらひらとした香り高い花でまとめられているようであった。

 ――ああ、とうとう死んだのね。

 メシュエは思う。しかし、話に出てくる死後の国はこのように色鮮やかな物ではなかった。白い石で出来た道と灰色の空が延々と続いているはずの死後の国にしては、メシュエがいる場所は生気に溢れていた。美を争うように咲き乱れる花達は、暗い死後の国には似つかわしくない。そもそもメシュエの飢えも渇きも残ったままだ。胸に手を当てる。鼓動はある。まだ、生きているのかもしれない、とメシュエはぼんやりと思う。

 ――魔に騙されているの? それとも、妖精に?

 どちらにせよ喉の渇きは限界だ。のろのろと立ち上がり、水の音を辿る。道こそ話で聞いた死後の国と同じく白い石で出来ていたが、石の上には花びらがいくつも落ちていて、さしずめ絵のよう。空は朝ののどかな光であふれていて、どこまでも青い。

 やがて、花びらが重なり合った香り高い花の道は途切れ、一気に目の前が開ける。白い石で作られた装飾の多い階段から、広場が続いている。花壇にはやはり見たことのない花が沢山。見たことのない木にはたわわに様々な種類の果実が実り、やはり同じく白い石で作られた小さなあずま屋が木陰に一つ。中央にはきらきらと水を噴き上げている大きな石作りの泉があった。

 メシュエは水場を見つけた動物的な喜びに突き動かされ、力を振り絞って泉に駆け寄り、水に口を付ける。

 喉を冷たい物が通りすぎ、カラカラになった喉に、胃に、心地よい痛みが走る。

 ひたすら我を忘れて飲み続ける。生への執着心がここにきて一気に噴き出したかのように。冷たい、冷たい、冷たい……。

 水を飲み終わったメシュエは、石造りの広場の上でごろんと横になる。石の床も、ひんやりと冷たい。

 ――そういえば、大人たちが言っていたっけ。この世のどこかでは、善き仙女や妖精が暮らしていて、時折手助けしてくれるって。

 何時から生まれたか分からぬ物語は、メシュエの心の中に救いのように広がる。もしかしたら、仙女が助けてくれたのかもしれない。

 メシュエは再び眠りに落ちようとする。今度は、ただひたすらに安堵の思いに包まれて――。

 瞬間、遠くからぱたぱたと駆けてくる足音が聞こえた気がした。否、足音は近づいている。無理やり甘い疲労感から意識を呼び戻せば、目の前には年のあまり違わぬ少女が一人。苛立ちを顔に浮かべてメシュエをじっと見ている。

「ちょっと、どこから入って来たの――」

 少女は中腰になり、メシュエの顔を検分するように覗き込む。少女の肩につくかつかないかの暗褐色の髪の毛がメシュエの顔にかかる。あまりにも暗いので、黒と見間違いそうになるような髪色であった。様々な花を束ねたような甘い芳香がふわりと広がる。覗き込んできた瞳もまた黒と見間違いそうになる暗褐色。少女の色味の強い肌や奇妙な短い衣とズボンもあいまって、メシュエは東からくる放浪の民の姿を連想した。話で聞く仙女は色白く、波打つ髪の毛を持つ大人の女性だった。少女ではない。

「あなたは、仙女様の小間使い?」

 やっとのことでメシュエは問いを口にした。何日ぶりか分からない他者との会話であった。

 少女は肩をすくめ苦々しい顔になる。一番聞きたくない言葉を聞かされた人のように。しかし、数拍の後疲れたような諦めを顔に浮かべ、メシュエに手を差し出した。労働を知らなそうな、染みも傷も一つもない綺麗な手であった。

「生憎、わたしは仙女でもその小間使いでもないから。あえて言うなら、ただのぐうたらな引きこもり庭師。……つかまって。家に連れてくよ」

 少女は吐き捨てるように言う。敵意とは違う、無関心でいて欲しいといいたげな棘のある態度ではあったが、ここから追い出すつもりはまだ無いらしい。メシュエは差し出された少女の手を掴もうとするが、力が入らず手は見当外れの方に弧を描いた。それを少女は目ざとく捕まえ、メシュエを立たせようとする。しかしメシュエの足は疲れ果てたと立ち上がることを完全に放棄していた。腰に佩いた剣の重みも忘れていた。故に、体勢を崩し、少女が引っ張られる形になる。結果出来上がったのは、メシュエの上に奇妙な恰好で乗っかった少女の図。

「んあああああもうっ! ゲームの最中だったのに! わざわざ来てやったのに! どうして全部上手く行かないのかな!」

 メシュエはあまりにも子どもじみた少女の様子に思わず笑いだし。

 気が緩み。

 眠気が襲い掛かり。

「あーあーちょっと待ちなさい眠るなっ……」

 意識が遠ざかる。

 ぼんやりと、少女が何かを呼ぶ声が聞こえたような、そんな中でメシュエは今度こそ眠りに落ちていった。


 再び、メシュエは目覚める。天井は木で作られていて、灯りがぶら下がりながら、こちらを照らしていた。嗅いだことのない、それでもどこか美味しそうな匂いが鼻をくすぐる。起き上がろうとすれば、柔らかな寝台に体が沈んでいく。それ以前に、メシュエの体は動くことを拒否していた。両手両足に力が入らない。力を入れようとじたばたした後に結局諦め、メシュエはぼんやり天井と、わずかに揺れる灯りを見た。

「起きた?」

 少女の声が聞こえる。刺々しさは減っていたが、不思議と万事投げやりな感じを持つ声であった。見れば、少女は陶器の皿に銀色の匙を持ち、白くつぶつぶとした何かに茶色い汁をかけたものを持ってきていた。料理なのだろう。

「面倒だから、レトルトで済ませた。でも、味は確かだから。ああ、素晴らしきかな文明……離れて久しいけど」

 寝台の側の棚に皿を置き、少女は宙を睨み手を大きく振る。何もない場所からいくつかのクッションがメシュエの目の前に落ちてくる。どれも色鮮やかで、新品のようで、見るからに柔らかそうだ。

 それから少女はああ面倒くさい、とぶつぶつ言いながらメシュエの体を起こしにかかる。見た目よりも力があるようで、ぐい、と起こされたメシュエはいきなりのことに少し咳き込んだ。少女はそれにもお構いなしで片手でメシュエの体を支えながら、次々にクッションを彼女の背と寝台の後ろにぎゅうぎゅうと詰め込んでいく。

「ほら、これでちょっとは体を起こせるでしょ。ほんとの所、布団は白いから、カレーなんて何かあったらめんどいんだけど。どうせ汚れたらシーツごと捨てればいいわけだし」

 ぶつぶつとメシュエには意味の分からぬ言葉をこぼす少女。メシュエは渡されるがままに陶器の皿を受け取り、どうしたらいいかわからぬという風に嗅ぎ慣れぬ匂いの間に僅かに肉汁の香りが混じった料理を匙でつんつんと突く。

「食べ方説明してなかった。白いのと混ぜて。辛かったら水を持ってくるから」

 言われるがままに白い粒と茶色い汁を匙で混ぜ、口に運ぶ。辛い? その言葉とともに燃えるような辛みが口の中を走り、メシュエは咳き込む。肉の味がほんのりとし、コクと酸味のある茶色い汁は最初の一口こそ美味だったが、ひたすらに辛かった。食べ物をいきなり得てしまった空腹の胃からも痛みが走る。

「あー、こっちの文化じゃスパイスが一般的じゃないのを忘れていたわ……一応中辛選んだんだけどな……」

 また少女は意味の分からない言葉を呟いた。一応はメシュエに気を使ってくれた、のだろうか。

「待ってて、今クリームシチューあたり温めて来るから」

「いえ、いいです、食べられなくはないので……おいしいので……」

 慌ててメシュエは銀色の匙で辛い食事をかき込んだ。粘り気のある白い粒と粘り気のある茶色い汁は辛みこそ非常に強かったが、慣れれば食べられないこともなかった。その上、正体不明の少女の機嫌を損ねるのはまずい、と思ったのもある。代官の娘にふさわしい礼儀も何も投げ捨てて、辛みに耐えながら一心不乱に食べるメシュエ。その姿を、少女は珍しいものを観察するように眺めていた。

「水、置いといたから。むせる前に飲んで」

 水はいかにも高価そうな透明ガラスの盃に入っていた。メシュエは手を伸ばして盃を掴み、飲む。冷たい水が喉を一気に辛みが一瞬和らぐ。また食べる。それを繰り返しているうちに辛さにも段々慣れる。

 ――あ、これ。案外おいしいかもしれない。

 そう思いはじめた頃には、皿の上は空になっていた。空腹と安堵がメシュエの体を満たす。

「御親切に、ありがとうございました」

「……どうも」

 少女は感謝を言われ慣れていない人のように、メシュエから視線をそらした。

「あなたは、一体」

 仙女ではない、と己を称する少女は不思議な料理を持ってきて、目の前で何もない場所からクッションを振らせ、貴人ですら持っていないようなガラスの盃を当たり前のように扱っていた。

「ぐうたら庭師だよ、ここから出られず、出る気もなく、何となく生きているだけの……」

 自嘲的な様子から、メシュエは本当のことを隠している人特有の後ろ暗さを感じた。

「そうだ、あの子の一族……きみたちに言わせれば黎明女王だっけか――は、まだ元気? ここにいると時間の感覚が無くて」

 少女はまるで知り合いのように伝説の中の存在と、それに繋がる血筋のことを口にする。どう考えても本人が言うようなぐうたら庭師ではない。もしくは目の前の少女は、なんでもない人間であることを演じるのを楽しんでいるのかもしれないとメシュエはいぶかしむ。

「輝ける女王陛下とそのお血筋の方々は、皆、身罷られました」

 一瞬少女の暗い色の瞳に驚きが走ったのをメシュエは見逃さなかった。それから、少女はまた先ほどのような万事投げやりな様子に戻る。

「そっかー、くたばったか。何事もハッピーエンドとはいかないわけだね。あの子の人生はそれなりにハッピーだっただろうけど」

「ハッピー?」

 聞きなれぬ単語をメシュエは復唱する。

「お幸せ、ってことさ。悪い魔女王を退治して、主人公になれて、皆に慕われてさ……あの子は昔っからそうだった」

 吐き捨てるような少女の様子は、どこか痛々しかった。

「知り合い、なのですか?」

「知り合いも知り合い、幼馴染だよ。それを嬉しく思ったことは、一度もないけれど――」

 少女は、投げやりな様子の中に、謎めいた笑みを少しほど混ぜた表情を浮かべた。どこか、不気味さを感じさせるような、年とはちぐはぐの笑みを。

「とりあえず、ここから先はわたしの暇つぶしで独り言だ」

 少女は寝台の側にあった椅子に腰かけ、ぶらぶらと足を揺らす。

「昔々の話、黎明女王がただの少女で、わたしもきみと同じただの少女だった頃。昔々、本物の十四才だった頃の話」

 ふとメシュエは部屋の中が薄暗くなってきたのを感じた。灯りがゆらゆらと揺れる。宵闇が近づいてきていた。


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