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10.異邦人の庭

 目が覚めると、薄手の毛布が掛けられていた。

 太陽は中天に。さわさわと心地よい風が吹く中、向かい合った椅子にハナが何をするでもなく座っていた。ハナの目の前のテーブルには黄色と白の二種類、恐らく切られた果物と思われるものが盛られた皿があった。皿の中身は手を付けられていないようで、綺麗に積みあがっている。

「あ、起きた」

「おはようございます」

 そう言ってメシュエは黙る。あのような夜の後、会って何を話すべきか迷っていたが答えは出なかった。

「あの、〈小鬼〉から聞きましたけど、バナナとマンゴーですよね、これ。マンゴー美味しそうですね」

 わざとらしくないように気を付けながら、メシュエは場を取り繕うように果物に手を伸ばす。どちらがマンゴーか分からなかったので、メシュエの目から見てマンゴー的な果物を取る。粘り気のある白い輪切りの果物は、口に入れると少しだけ酸っぱく青みがあったが、コクのある甘味を持っていた。

「美味しいです、マンゴー」

「メシュエ……」

「美味しいです」

 そろそろ場を取り繕う一人芝居も苦しくなってきたので次々白い物体を口に運ぶ。美味しくはあるが、食べた気がしない。

「それ、バナナ」

「バナナ」

 メシュエは手元の白い物体を見た。恐ろしく間抜けな顔になっているだろうな、と馬鹿馬鹿しい思いがふと浮かぶ。

「うん、バナナ。朝ごはんに食べる方」

 また会話が止まり、ハナはメシュエから視線をそらした。太陽から顔をそむける人のように。

「〈小鬼〉がべらべら喋ったと思うけどさ。メシュエ。変に同情とか気に病んだりとかしなくていいから。〈陰〉っていうのはそういうものなんだ」

「そういうものって?」

 マンゴー改めバナナを食べるでもなく手に持ちながら、メシュエはこだまのように返す。手元のバナナはぬるぬるとして、つかみにくいことこの上ない。

「痛いところをいじくって来たり、欲しいものをちらつかせたり、怖がらせたりして、で、考えるのを止めさせて……自分のものにするというか、そういうありきたりな奴」

「でも、とても、……恐ろしかった」

「ありきたりだけど、慣れてるからね。誘惑してくるの。わたしはまんまと引っかかった」

 ハナは黄色い果物を口に運び、苦々しい顔をした。

「不味かった……?」

「いや、マンゴーは美味しいよ。ただ、思い出して、あんちくしょうって顔になっただけ」

 ハナは言葉を続ける。メシュエからは目をそらしたまま、思い出すように、ぽつぽつと。

「わたしは、歴史に出てくる酷い人達みたいに世界を弄んで、人を沢山殺して、紅奈をここに縛り付けた。〈陰〉の影響もあったけれど、やったのはわたしの意思だ。メシュエ達の世界をわたしの為だけの世界、わたしの為だけの物語だと思って、荒らしまわった。良くしようとか最初は少しは思ったかな。でも、世界を良くする方法なんて、考えたことなかったし――知らなかった。そもそも、わたしの世界なんかじゃなかった。メシュエ達の世界にはバラはなかったから。ユリも、オレンジも、何もかにも……完全な、異世界」

 ハナの様子は、神殿でゆるしを請いながらも神官を見つめられない人の姿にどこか似ていた。もっとも、ここにいるのは徳高い神官ではなく、ただの代官の娘であったのだが。

「わたしは人だったけど、やったことで、人じゃなくなってしまった。紅奈は、わたしを光で焼くことで〈陰〉を追い払って、わたしだけでも帰そうとした……でも、無理だったんだ。わたしも紅奈も、この世界のルールに深く縛られすぎていたし、そもそも、わたしは殆どが〈陰〉になっていた。だから、せめてとお優しい黎明女王様はわたしと〈陰〉がこの世に出ていかないように……この庭園を作って、この世の向こうへと飛ばした。もしくは、わたしが永遠に殺され続けないように。不死のわたしを殺しても殺したりない輩は、沢山いたからね」

 何時しかメシュエの手から、バナナの白い実は滑り落ちていた。目の前のハナは最初はぽつぽつと、しかし、今やだれも止めることのできない勢いで語り続ける。初めてハナから聞いた、他人事ではない調子の、ハナの話だった。

「そうして、魔女王はこの世の外の庭園で、黎明女王は自分の故郷ではない所で、永遠を過ごしたり、一生を終えたりした。わたしは〈陰〉から得た能力で故郷の本とゲームを次々呼び出して、読んだり遊んだりして長い時間を過ごしていた。肉体は夜になれば契約を結んだ十四才の六月に戻ってしまう。伸ばしかけの髪の毛は、いつまでたっても肩のあたりにつくかつかないかのまま。百年は暇と後悔のうちで過ぎた。次の百年からは覚えていない。〈陰〉にうなされ、自分の行いに追いかけられ、永遠に『何時も』が続く中で……メシュエ、きみが来た」

 ハナはメシュエを見る。年に似つかわしくない、疲れ切った人の目で。

「わたしは故郷には帰れないから、いつまでたっても異世界からの来訪者のままだった……だけど、きみという客が来てくれたおかげで……自分がこの庭園にいるのだ、ということを……少しは、認められたと思う。塀の中、囲われた所の中が、わたしの居場所だって」

 ハナの口元に浮かぶ笑みは無慈悲なものではなく、苦みを伴うものだった。

 ハナは、永遠を生かされ続ける。人が裁くには大きすぎる行いの結末として。

「だから、最後に感謝だよ。ありがとう。さ、荷物は用意したから。寝台の所に服と必要そうな品詰めたリュックがあるから、それ着て背負ってさっさと出ていって……また、いつ〈陰〉が来るか分からないからさ。あ、チョコレートマカロンも詰めたから道中食べなよ……そうだ、メシュエ」

 ハナは悪戯っぽく笑った。

「これは人生の大先輩からのアドバイスだけどね、幾ら、剣が上手くても……寝ているわたしの首を取れないお優しい奴に、戦場で生きる雇われ戦士は向いてないよ」

 笑みを浮かべようとする痛々しいまでの努力の跡が、年若いメシュエにも見て取れた。


 メシュエは服を着替え、サンダルをはき、荷物と一緒にあった護身用の小剣を腰に佩いた。重すぎる剣とは違い、自分の手にしっくりと馴染む剣であった――だが、忘れてはいけない。これで人を殺すことが出来るのだ――自分に言い聞かせる。ハナを殺そうとした瞬間の金属の重みと冷たさを、メシュエは忘れることが出来なかった。

 着替えた自分の姿は、代官の娘とはいかないまでも、それなりに恵まれた旅人といった具合。ハナの話によれば『外をちょっと調べたらうまいこと戦に巻き込まれていない都があったから、そこに飛ばす』とのこと。上手く行けばやがては衛兵かどこかの屋敷の護衛くらいにはなれるかもしれない……という希望が浮かんでくる。メシュエにもお付きの護衛がいた。姉程度の年であったが礼儀正しく、剣の技も確かだった女性。彼女のように、護るための剣なら自分にも振るうことが出来るような気がしてきた。


 ハナは庭園で鋏片手にバラを剪定していた。最も剪定はあまり進んでいないようで、一輪の青みがかったバラを持ってはくるくると回しているのみ。

「あの、ありがとうございました」

「ん、さっさと行っちゃいな。ここのことは変な夢だと思って忘れた方がいい。縁起が悪いからね……そうだ、お守り」

 メシュエの髪の毛に、何かが飾られる。

「青いバラは不可能の象徴かも知れないけど、珍しいものだから……まあ、ちょっとはいいことあるでしょう。それに、この花はわたしの好きな話の作家と同じ名前だから、好きなんだ。旅に出る人に好きな物を送るって、悪くないじゃない」

「どんな話なの……」

 思わず引き込まれる。髪に飾られたバラに触れると、優しい肌触りがした。

「夢で見た花を求めて、若者が旅するという話。……未完だけど。あれ、やっぱり縁起が悪い? まあ、いいか」

 ぶつぶつと言うハナであったが、やがて我にかえり、鋏を持った手をぶんぶん振る。

「さあ、行った行った。さようなら、こんなところに長居するものじゃないよ」

 そうして、メシュエは促されるまま、入り口へと続く長い小道へと追いやられていく。


 庭園の入口は蜃気楼のようにぼやけていて、向こうから祝祭の音が聞こえてきた。戦の手がまだ伸びていない場所がまだあるのだ……とメシュエは思う。新しい故郷。新しい人生。そう自分に言い聞かせて、一歩、踏み出そうとした。

 踏み出そうとするが、理由もわからず後ろを振り向く。噴水、バラ、ユリ、その他沢山の植物達。人を沢山殺し、世界をめちゃくちゃにして閉じ込められた、一人のひと。

「メシュエ様」

 見れば、〈小鬼〉が足元にいた。〈小鬼〉の声にはどこか惜しむような響きがあった。

「奥様の話し相手であったことに、感謝します……それでは、私は庭掃除があるので、これで失礼します」

 〈小鬼〉は去っていく。後に残されたのはメシュエ一人。

 祝祭の音のする方に足を伸ばそうとする。背からは、涼やかな噴水の音が聞こえている。

 ――告白する人間がいないまま、〈陰〉と共に、長い時を過ごしてきました。

 〈小鬼〉の言葉がふと、蘇る。

 立ち止まったまま、メシュエは一歩も動かず、祝祭と噴水の音に挟まれ続ける。

 とんでもない愚行だと、メシュエは思う。もしくは魔女王に呪いでもかけられたか。いや、違う。メシュエは庭園の噴水のごとく沸き上がる己の意思を感じる。

 ――私は、どうあがいても弁護のしようがない、大罪人の告白を聴き続ける気なのだ。ゆるしを与えられる偉い存在ではない癖に、それでも、ハナの吐き出す言葉を受け止め続けたいのだ。

 いつか〈世界〉がハナをゆるす日が来るとしても、その時にはメシュエは死んでいるだろう。ハナの永遠の中では、メシュエの行いなど一瞬の邂逅にすぎないだろう。それでも、メシュエはハナに向き合いたいと思った。もっとおぞましい話を聞くこともあるだろう。ハナの過去の行いに胸がひっくり返るような気持ち悪さを抱くことがあるだろう。それでも、退くつもりはなかった。

 一時の同情なのか、それよりも深い感情なのかどうかは、メシュエにはまだ、分からなかった。ただ、〈陰〉が『ハナを殺せ』と言っても二度と殺す気が起きないことを心が知っていた。

 ――それに。

 メシュエは思う。恐らく、黎明女王の力が消え去った今、メシュエのように庭に迷い込む人は増えて行くだろう。やがて、望まぬ来訪者も増えて行くだろう。ある者は魔女王を倒して名誉を得るために。ある者は〈陰〉の力を手に入れるために。

 そしてハナは望まぬ来訪者を、虫を潰すかのように殺すだろう。もしくは、無気力に殺されるだろう。そんなことは、させたくなかった。


 それで十分だった。

 

 メシュエは歩き出す。祝祭を背に、噴水を目指しながら。


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