戸惑いとカノジョ 2
「あらケンちゃん、大丈夫?」
ハッと我に返ると、受け取り口でオムライスセットとカレーを用意してくれた調理場の女の人が心配そうにこっちを見ている。
この食堂で働く調理員さんだ。
俺がよく食うからっていつの間にか顔を覚えられて、ついでに薫のせいであだ名で呼ばれるようになった。
今じゃ食堂の人達全員、友達みたいに話す仲だ。
「具合悪いの?」
「あ、はい、なんか風邪気味で」
「あらまあ、無理しちゃダメよ? 食欲はあるみたいだけど」
「ハハハ」
カレーとオムライス、俺が両方食べると思われてるな。
まあ、確かに普段ならこれくらい余裕だ。
料理が乗ったトレイをそれぞれ手に持ち、サラが待っているテーブルへ向かう。
「遅い」
オムライスをサラの手前に置くと同時に怒られた。
「ごめん、混んでてさ」
「あっそう、それより飲み物は?」
「水でいいか?」
「はぁ? 紅茶に決まってるでしょう、早く」
「分かった」
オムライスと一緒に飲むならストレートティーのアイスかな。
自販機でペットボトルを買って戻ると、サラは先に食べ始めている。
「ちょっと! 何よそれ、気が利かないわね!」
「あ、悪い、他のが良かったか?」
「もういいわ、いらない」
「そうか」
だったら勿体ないし、俺が飲むか。
席に着いて、さて、カレーを―――ん?
なんだ、これ。
全然味がしない。
いつもはメチャクチャ美味いのに、どうしたんだろう?
「はあ、このオムライス、美味しくないわね」
サラがため息交じりに持っていたスプーンをトレイに放り投げる。
オムライスは半分も食べていない。
「こんなものを私の口に入れさせるなんて、失礼にも程があるわ」
サラも味がしなかったんだろうか。
おかしいな、ここの厨房で働いている人達は有名店からスカウトされた凄腕の料理人ばかりで、食育の一環で本場の味が楽しめるっていうのが売りなのに。
光輝学園名物の一つだ。
本当か嘘か知らないが、この食堂を目当てに受験する奴がいるってくらい、いつも最高に美味いのに。
「それじゃ、俺のカレーと交換しようか?」
「は? 嫌よ、貴方の食べかけなんて、冗談でしょう」
まあ、それもそうか。
一口しか食ってないが確かに食いかけだ、それはやっぱり嫌だろう。
「ケン、デザートを用意してちょうだい」
「デザート?」
「何かあるでしょう? 早く!」
ええと、今日のデザートはチーズケーキかプリンだな。
あとは市販品のアイス、お菓子、カップ自販機でココアやミルクセーキも売っている。
「どれがいい?」
訊くとサラは「いらない」と言って席を立つ。
「はあ、もういいわ、戻りましょう」
「あ、でも俺、まだ食い終わってなくて」
「知らないわよ、さっさとして、私を待たせないで」
残すのは心苦しいが、どうしても食欲が湧かない。
仕方ない、このままだとサラの機嫌を損ねそうだし、申し訳ないが返却しよう。
どっちもほぼ手つかずのオムライスセットとカレーが乗ったトレイを返却口へ持っていく。
後ろめたい気持ちでコソコソとトレイを置くと、中にいた調理員の女の人が気付いて「あら、ケンちゃん!」と目を丸くした。
「いやだ、本当に具合が悪いのね、大丈夫?」
「はい、すみません、残して」
「そんなのいいのよ、無理しないで、それより今日はもう帰った方がいいんじゃない? ケンちゃんが残すなんて」
「えっ、ケンちゃん、お残ししたの? 大丈夫?」
「そういえば顔色が悪いわね、もしかしてお腹痛い?」
「無理しちゃダメよ、すぐ保健室に行きなさい、ね?」
他の人まで集まってきた。
皆、俺を心配してくれる。
それなのにカレーを残して、むしろ立つ瀬がない。
「すいません、有難うございます」
「子供が気なんて遣うもんじゃないわよ、元気になったらまたいらっしゃい、待ってるからね」
「その時は大盛りにしてあげる! お大事にね」
優しいな。
改めて礼を言って、急いでサラが待っている席へ戻る。
―――あれ、いない?
先に教室に戻ったのかな、待たせ過ぎたか、悪いことをした。
それにしても。
ぽつんと佇みながら思う。
彼女って、こんなもんなんだろうか。
一緒にいても楽しくない、むしろ疲れる、それに虚しい。
だからって嫌いになったりしないが、なんだろうな、これ。
友達よりよっぽど気を遣うし、なんなら一人の方が楽だ。
これじゃ、あいつの方がずっと―――
脳裏にふっと誰かの笑顔が浮かぶ。
優しい声で俺を呼んで、嬉しそうに目を細める、あの、甘くて暖かな。
ッツぅ! ま、まただッ!
頭の奥からズキズキと痛みが広がっていくッ!
今思い出しかけた誰かの姿が細切れになって消えてしまう。
チクショウ、何なんだよこれッ!
俺はどうしちまったんだ。
分からない、くそッ、痛い!
痛い、痛い、痛い、痛い、痛いッ―――
気が付くとどこかの廊下いる。
あれ、えっ?
さっきまで食堂にいたはずなのに、どうしてこんな場所に。
「健太郎!」
突然腕を掴まれて振り返った。
天ケ瀬?
なんでここに?
「君、ここで何をしている、今朝より酷い顔色じゃないか!」
「えーっと、それが俺にもよく」
「今日はもう帰宅するべきだ」
じっと俺を見る天ヶ瀬と見詰め合いながら、今いる場所に何となく察しがついた。
校庭に面した校舎の最上階、一番奥の廊下だ。
行き止まりにあるドアの向こうには美術用具室がある。
「健太郎?」
ああ、天ヶ瀬は綺麗だな。
色素の薄い髪の影から覗く、髪と同じ色の瞳。
まつ毛が長くて、肌は滑らかで艶やか、触るとフニフニして柔らかい。
くっきりした二重の瞳、鼻筋はスッと通って、その下の淡い色の唇。
キスするとすごく気持ちがいいんだ、甘く蕩けるようで。
―――は?
俺、今、何を考え―――ぐッ!?
いッ、痛いッ! まただッ、ちくしょう!
「健太郎!」
ふらつくと天ヶ瀬がすぐ支えてくれる。
お前はいつもそうやって、俺のために一生懸命で。
なのに俺はッ、うぐッ! な、何なんだッ、分からないッ!
ごめんな、天ヶ瀬。
いつも頼ってばかりで俺はッ、おれ、はッ!
「保健室へ行こう、休んで少し落ち着いたら、君の家まで送ろう」
「お前が?」
「ああ、うちの車を呼ぶよ」
そこまでしてもらうわけにはいかない。
流石に世話になり過ぎだ。
「だ、大丈夫、帰るくらいは自力で」
「バカを言え!」
急に怒鳴られて驚いた。
天ケ瀬はやけに必死だ、俺のために? どうして?
「それくらいはさせたまえ! だって僕は君のッ」
言いかけてハッとなった天ヶ瀬を見る。
お前は、俺の?
急に戸惑ったように視線を迷わせて、軽く唇を噛む表情はなんだか辛そうだ。
―――今の言葉の続きは?
天ケ瀬、お前は俺になんて言おうとしたんだ?
「とにかく、君を保健室へ連れて行く、いいな?」
「あ、ああ」
朝と同じように俺を担いで歩き出す天ヶ瀬を窺う。
今日はこいつに助けられっぱなしだ。
俺はいつでもそうだった。
これまでも何度もお前に助けられて―――って、そんなこと、他にあったか?
覚えはない。
でも、何かあったような気がする。
ッツ! ああクソ、頭が痛くて考えがまとまらない、いい加減にしてくれ!
まるで頭痛に思考を邪魔されているみたいだ。
「天ヶ瀬」
無意識に呼びかける。
「俺、どうして」
「なんだ? どうした、健太郎」
「お前のことッ、くッ! あッ、ああッ!」




