涙とカノジョ 5/後
俺が思い出したあの時の出来事は、こうだ。
―――四日前、天ヶ瀬の家で俺達が寛いでいる所に、サラが尋ねて来てこう言った。
『自分は協会から派遣された裁定者で、俺が理央に相応しいかを試す』と。
話を聞いた途端に理央は真っ青になって撤回を申し入れたが、聞き入れられなかった。
それどころか拒否すれば理央に何らかの処罰が下されると告げられて、黙っていられず俺は自分から受けると申し出たんだ。
理央は必死に止めてきた。
でも、状況を軽く見ていた俺は、大丈夫なんて無責任な言葉を口にした。
そしてサラは試練の開始を告げて、後の記憶は―――途切れている。
目を覚ました俺は、理央への想いも、俺達の関係も、綺麗さっぱり忘れていた。
そして何故かサラを彼女だと思い込んでしまった。
でも、もしかするとそれも試練の一環だったのかもしれない。
初日からずっと俺を悩ませ続けた頭痛は、警鐘であり妨害だったんだろう。
俺自身が思い出せと起こしていた警告の痛み、そして、掛けられた術か何かが記憶を取り戻すことを邪魔するための痛み。
どちらにせよ散々な目に遭った。
だが、これも理央を裏切り続けた罰だ、そう思えばもっと酷い目に遭って然るべきな気がしてくる。
サラも、試練のためだったから付き合っているのに素っ気なかったんだ。
きっと嫌々フリをしていたんだろう、悪いことをした。
それで周りにも八つ当たりして、あんな態度を取っていたのかもしれない。
「それは」
躊躇って、理央は口ごもる。
「今、ここで話すのは障りがある、僕の家に行こう、今から来られるかい?」
「それじゃ俺の家でもいいか?」
「構わないが、何故?」
「言っただろ、他にもまだあるって」
キョトンと俺を見る理央にウィンクする。
「ケーキだよ、お前のために作ったんだ」
「僕の?」
「ああ、オペラだ、大人っぽくて高級感あって、お前っぽいチョイスだろ?」
また理央の目にブワッと涙が膨らんで零れ落ちた!
お、おい、泣くなよ。
まさかと思うが、オペラは嫌いだったか?
「どっ、どうした?」
「ごめん、嬉しくて」
「あ、そう」
よかった、ホッとした。
こんな後ろめたい状況で泣かれると、かなり心臓に悪い。
「そうだ、僕からも改めてこれを」
そう言ってまた差し出された箱は、何度も握られたようにクシャクシャになっている。
理央が「あっ」と悲しそうに呟く。
「いや、すまない、流石にこれは」
ひっこめられそうになった箱を、すかさず手から奪い取った!
「あっ、待て! 待ってくれ健太郎、それはもう!」
「いいや、これは俺のだ、そうだろ?」
「だがっ」
「貰ったからな、返さないぞ」
それより、と、伸ばした理央の手を掴む。
「この怪我どうした?」
「あ、いや」
「ひょっとして、これを一人で作ったせいか?」
理央はいよいよ困った様子で「そうだよ」と目を伏せる。
「君がいなくて、許可が貰えなかったから、だけど我慢できなくて、夜中にこっそり厨房に忍び込んだ結果さ」
「そうか」
「でも、最中に見つかってしまってね、それならせめて手伝わせて欲しいと乞われてしまって、だから厳密には僕一人で作ったわけじゃない」
「そんなの関係ない」
「有難う、チョコ作りは思いのほか難しいな、やっぱり君は凄いよ」
「理央だって慣れたらそれくらい作れるようになるさ」
前髪の上からおでこに軽くキスして、理央の目を覗き込む。
「来年こそは一緒に作ろう」
「ああ」
「次は絶対に約束守るぞ、そうだ、まずは今年のホワイトデーに一緒に作るか!」
「それは、最高に素敵な提案だね」
嬉しそうに笑った理央が抱きついてくる。
受け止めつつ、また理央の感触や温もりを堪能する。
幸せだな。
「なあ理央、このチョコ、早速食べてもいいか?」
「構わないが、せっかくなら君のオペラと交換したい」
「そうか、了解」
それじゃ、改めて俺の家に行こう。
今日までのすれ違いを埋め合わせるにはまだ全然足りない。
たくさん話して、キスもたくさんしよう。
もっと触れさせて欲しい、不足した理央成分をチャージしたい、お互いのために作ったチョコを食べて二人でまったり過ごそう。
やっと取り戻した俺達の日常、そして無事に迎えた付き合って最初のバレンタイン。
ある意味忘れられない日になったが、ここからが本番だぞ!
「ところでさ、この箱って中身は何だ? どんなチョコ作ったんだ?」
「それは見てのお楽しみさ」
「おお、ワクワクするなぁ!」
「あまりハードルをあげないでくれ、君と違って、僕は正真正銘の初心者だからね」
俺のために手を傷だらけにしてまで作ってくれたんだよな。
有難う、感無量だ。
このチョコは何にも代えられない価値がある。
大切に食べよう。
ふと見上げた空はすっかり藍色に染まって、チカチカと星が瞬いている。
俺の腕の中にも星がいる。
眩しく光る一等星だ。
「そうだ、うちに来るならお前の家の人に連絡しないと」
「天馬に送らせるから無用だよ」
「なるほど」
天馬さんに会うのも三日と半日ぶりだな。
理央が天馬さんも俺に会いたがっていたと教えてくれる、おお!
「君」
いてッ、なんだ? 抓られたぞ。
もしかして妬いたのか?
「そうやってすぐ鼻の下を伸ばす、大概にしたまえ」
「心配するなよ、いつだって理央が一番だから」
「フン」
いてッ! なんでまた抓る?
まあいいか、じゃれつく理央も可愛い。俺の子猫ちゃん。
って、あいたたたッ!
「ニヤニヤするな」
「い、今のはお前にデレついたんだって、許せよ!」
ちょっと照れ気味にツンとしている理央と手を繋ぐ。
これは甘えているんだな、んふ。
老朽化した給水塔を抜けて、床を這うパイプを乗り越え、屋上のドアの前に辿り着いた。
ドアノブに手を伸ばしかけて振り返ると、理央も俺を見上げて不思議そうに首を傾げる。
「健太郎、一体どうし―――」
すかさず唇にチュッとした。
帰る前にもう一回だけ。
「き、君っ!」
真っ赤になって動揺する姿が可愛い。
「不意打ちなんて卑怯だぞ」
「ごめん」
「君がそのつもりなら、僕もやり返すからな」
「えっ、マジ?」
「嬉しそうにするな」
睨まれても顔がニヤける。
デヘヘ。
「反省の色が見えない」
「申し訳ありません」
「罰として抓ってやろう、えい」
「いたたっ」
はあ、堪らない。
幸せだ。
「どうだい? 少しは自分を顧みる気になったか」
「ッえっくしゅッ!」
「おっと、大丈夫か? 冷えたかな」
「ん」
ズズッと鼻を啜る。
二月の屋上は流石にまだ寒い。
それにすっかり夜だ、理央が風邪ひくかもしれないし、早く校内に戻ろう。
女の子は体を冷やすとよくないもんな。
ドアを開けて理央に先に入るよう促す。
後から俺も校内へ入ってドアを閉める。
ッツ!
脇腹に、何か、衝撃が―――
「健太郎!」
これ、ナイフ、か?
誰、が。
「死になさい」
柄を握っているのは、サラ?
赤い瞳がギラギラと俺を睨んでいる。
引き抜かれたナイフが今度は俺の胸にッ! ぐ、うッ!
「かッ、はッ!」
血だ。
「許さない」
「サラ?」
「貴方だけ幸せになるなんて―――絶対に許さない!」
「やめろッ!」
だ、だめ、だ。
にげろ、りお。
痛い。
目の前がどんどん暗くなっていく。
死ぬ。
また、死ぬ。
俺はいい、それよりお前だけでも逃げろ、理央、早くッ!
上手くいけばまたループできるかもしれない。
でも、お前を巻き込むわけにはッ―――ああ、暗い。
何も見えない、理央、逃げてくれ、理央。
サラ、どうして?
なんで俺を殺す、どうして理央を苦しめる。
もうやめてくれ。
理央にこれ以上辛い思いをさせないでくれ。
くらい、いたい。
さむい。
りお。
にげてくれ、りお。
おまえだけは、どうか―――




