涙とカノジョ 5/前
放課後になってから結構時間が経ってしまった。
帰りのHRが終わってすぐ渡せばよかったが、周りの目を気にして後回しにしたのは失敗だったな。
もう家に帰ったかもしれない。
だとしたら押しかけるか、一応、去年のクリスマスパーティーに招いてもらったおかげで家の場所は把握している。
でもあと少しだけ校内を探そう。
西日が射しこむ廊下を駆ける。
今頃は校内もすっかり人がまばらだ、俺の足音だけが辺りに響く。
「健太郎」
思いがけず呼ばれて、立ち止まった。
―――いた。
「やあ」
天ケ瀬。
見つけた。
窓から差し込む夕日に照らされた姿はオレンジ色に染まっている。
やっぱり綺麗だ。
「よかった、君を探していたんだ」
え、お前も?
戸惑う俺の傍へ天ヶ瀬はゆっくり近づいてくる。
「その、これから僕に少々付き合っては貰えないだろうか」
「いいよ」
「よかった、有難う」
控えめに微笑んで歩き出す天ヶ瀬についていく。
後ろ姿も綺麗だ。
色素の薄い髪、スッと伸びた背筋、細い首から肩に掛けてのライン、漂ってくるいい匂いも全部―――惹きつけられる。
目が離せない。
さっきから動悸がして、手汗まで掻いている。
それと、また―――頭痛だ。
でもこんなもの、今更構うもんか。
いい加減うんざりしているんだ、邪魔をするな。
歩いているうちにふと気付く。
もしかして、屋上に向かっているのか?
階段を上りきった先のドアを開けると風が強く吹く。
打ちっぱなしのコンクリートの上を這いまわる太い配管、ろくに寛げるような場所じゃないが、あの老朽化して使われなくなった給水塔の奥に俺だけが知る秘密のスペースがある。
―――天ヶ瀬はそこへ向かっていく。
どうしてだ?
なんでお前が知っている、ここに来たことがあるのか?
躊躇いもなく配管を何本も乗り越え、給水塔を抜けて、その先の小ぢんまりとしたスペースに辿り着くと、天ヶ瀬は振り返る。
不意に西日が目を刺した。
「健太郎」
眩しい。
茜色の日差しが、いや―――天ヶ瀬が。
「君に、これを」
そう言ってポケットから取り出した何かを俺に差し出す。
同時に両手が包帯と絆創膏まみれなことに気付いた。
怪我したのか?
昨日はこんな状態じゃなかったはずだが。
「その、一緒に作る約束は果たせなかったが」
えっ?
―――思い出せ。
「初めてのバレンタイン、これだけはどうしても贈りたくて」
切なく微笑む天ヶ瀬の手にある箱。
綺麗にラッピングされた、それはもしかして俺へのプレゼントなのか?
「既に交わしていた約束だ、この契約に今回の件は含まれない、故に、特例として見逃してもらおう」
「約束?」
「受け取ってもらえるかな」
俺が約束したのは、お前だったのか?
―――そうだ。
ああそうだ! そうだ! そうだ!
約束した。
確かに俺は約束したんだ、お前と一緒にチョコを作ろうって!
たった今、思い出した。
それなのに俺はどうして―――ッツ!
「ぐあッ!」
あ、あッ、あッ、たま、ガッ!
いッ、痛ッ、ぐううッ!
わ、割れ、るぅぅぅッッッ!!
「あがッ、グッ、ぐぁッ、あ、あ、あがぁぁぁあああああああぁッッッ!!」
「け、健太郎?」
「アガァッ! ぐぅッ、ぐうううううううッ、あッ! は、はぁッ! アッグァああぁぁァァアッ! あッ! ああッ! ぐうううぅぅぅッ!」
「おい、どうした健太郎!」
「うぐぅッ、ガッ、はッ、あぅッぐッ、ああッ! あああぁぁぁああぁあ!!」
「健太郎ッ!」
痛い。
痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い!
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいいいいいいいいいッッッ!!
ぐうううううううぅぅぅううぅぅぅうッ!!
「しっかり! しっかりしてくれ健太郎ッ、健太郎ッ!」
あ、天ケ瀬の、声。
呼んでいる。
俺を、呼んでる。
天ヶ瀬、天ヶ瀬―――
―――り、お。
「ああアアアッ、あぁッッッ、あッ、ぁアアぁぁぁあああァッッッ!!」
頭の中で何かがひび割れていく。
そこから少しずつ、少しずつ、忘れていた記憶が流れ込んでくるッ!
「ああッ! あああアアッッッ! あッああアアアあああッッッ!!」
思い、出せ!
俺の大切なものを封じ込められた箱を、ブッ壊せ!
「りおおおおおおおおおおおおッッッ!」
叫ぶと同時に、何かが砕け散るのを感じた!
途端に痛みがスッと引いて消えていく。
力尽きてふらつき、倒れかけた俺を誰かが支えてくれる。
理央だ。
―――取り戻せた、全部思い出した。
俺は、大磯 健太郎。
3年に進級を控えた、現在17歳の高校2年。
血液型はB型で、好きな食べ物はカレーとから揚げ―――と、理央が握ってくれたおにぎり、それから和えてくれた和え物!
天ヶ瀬 理央は俺にとって特別で大切な、かけがえのない女の子。
この俺のッ、彼女だあああああああああッッッ!!
視線をゆっくり移す。
理央と目が合う。
俺を労わる苦しげな表情だ、俺も涙と鼻水でグシャグシャになって見れた顔じゃないだろう。
「理央」
理央の両目が大きく見開かれる。
「やったぞ」
「健太郎?」
「俺、思い出した、全部」
「ッツ!」
息を呑む理央の目にじわっと涙が滲む。
「遅くなってごめん」
「ほ、本当、に?」
「ああ―――ただいま」
背中にそっと腕を回すと、ギュッと抱きしめ返された!
ああ、気持ちいい。
あったかいな。
「おかえりッ、なさいッ!」
「うん」
「し、信じて、いたッ! 待っていたんだ、ずっと!」
「有難う、辛い目に遭わせてごめん」
「もういい! いいんだ―――僕を思い出してくれただけで、充分過ぎる」
肩を震わせてしゃくり上げる理央の髪を撫でる。
本当にごめん。
ずっと寂しかっただろう、それにきっと何度も失望したよな。
俺も、ここ数日の出来事を思い出すと居たたまれない。
理不尽だし最悪だ、まさかずっと不貞を働いていたなんて、腹が立ってやりきれない。
―――あの、よく分からない理由で。
俺は理央への想いを強制的に封じられていた。
そして、それ自体も忘れさせられたんだ。
なんだよ『協会』って。
裁定だの試練だのと、俺達を酷い目に遭わせやがって。
よくも俺の理央を泣かせてくれたな、ふざけるなよ。
「僕のだ」
理央の手が俺のジャケットの背中をギュウッと握り締める。
「君は、僕のものだ」
「ああ」
そうだよ、俺はお前のものだ。
理央、理央、俺の理央。
髪に鼻を埋めて嗅ぐと堪らない匂いがする。
甘い花みたいだ。
胸に堪らなく幸せが満ちてくる。
「お前も俺のだ、理央」
「うん」
「もう離さない」
「僕も、離れない」
「ああ」
「誰にも君を譲らない、絶対、二度と奪わせない」
理央は俺の胸に顔を埋めたままでいる。
その背中や髪を撫でてやりながら、こうなった原因も思い出した。
試練の期限は一週間。
今日で四日目、いや、正確には三日と半日か。
そう思えば早かったような気もするが、日数や時間は問題じゃない。
俺はずっと不誠実だった。
他の子を彼女だと思い込んで理央を裏切った。
死んでも浮気はしないと誓っていたのに、こんな形で破るなんて。
不甲斐なくて恥ずかしい。
この汚名をそそぐ術はないだろう、もし理央が許してくれても、俺が自分を許せない。
だから、二度とないと改めて誓おう。
この先なにがあっても俺は理央だけを愛して守り抜く。
今度は絶対だ、死んでも裏切らないぞ。
―――俺はバカだったから、あの時そこまで物事を重く受け止めなかったんだ。
記憶を封じられても次の日には思い出せる程度に考えていた。
その自信もあった。
なのにどうだ、この体たらくは。
情けなくて吐き気がする、あんな頭痛如きに苦しむくらいなら、こんな能天気な頭はいっそ本当に割れてしまえばよかったんだ。
でも、思い出せた。
もう誰にも文句は言わせない、俺は理央に相応しいと証明してみせた。
理央を想う―――本気で本物の、愛の力だ。
「理央」
顔を上げた理央の長いまつげが濡れて光っている。
泣き顔も綺麗だ。
でも笑っている顔の方がいい、理央は笑顔が一番似合う
「好きだ、愛してる」
「僕もだよ、健太郎」
見詰め合ったまま唇を寄せてキスをした。
柔らかくて甘い―――蕩けそうだ。
もう離さない。
「なあ、あのさ」
そっと唇を離して、そのまま鼻先がくっつく距離で色素の薄い目を見詰める。
「ところで、今更だけど俺、いまいち状況が理解できていないんだ、そもそもの理由を教えてくれないか?」




