幻滅とカノジョ 3
「は? 何?」
迷惑そうに訊き返された。
あれ?
一昨日、その話を二人でしたんじゃなかったか?
「チョコ、作るんだろ?」
「はぁ?」
「俺も一緒に作るって話したじゃないか」
火も刃物も禁止されているから手作りしたくても無理だって、そう言うから、だったら俺と一緒に作ればいいって提案した。
嬉しそうに笑ってくれただろう?
―――サラだったはず。
だって俺の彼女はサラだ、こんな話を彼女以外とするわけがない。
俺は手作りじゃなくてもいいと言った。
でも、どうしても手作りしたいと言ってくれて、すごく嬉しかった。
二人が付き合い始めて最初のバレンタイン。
お互いに作ってプレゼントし合おうって、そう約束したはずだ。
「意味不明だわ、貴方の妄想?」
それなのにサラは、俺をうさん臭そうに見る。
「大体ね、バレンタインにチョコレートを贈るなんて文化はこの国だけよ? くだらないイベントに私を巻き込まないでちょうだい」
「えっ」
「メーカーのいい食い物にされて喜んでいるなんて、貴方達って本当に愚かよね、いっそ滑稽ですらあるわ」
そんな、どうして。
あんなに楽しみにしてたじゃないか。
―――おかしい。
「サラ、君は」
「なによ?」
本当に、俺の彼女なのか?
「ケン?」
不意にはたとした様子のサラは、急に俺の顔を覗き込むようにしながら笑いかけてくる。
どことなく作りものめいた笑顔だ。
「あ、あら! そうだ、そうだったわね! バレンタインよね? うっかりしていたわ、チョコレートでしょう?」
「ああ」
「そうね、言ったわ、うっかり忘れていたのよ、許してちょうだい」
忘れていたのか。
そうか、俺との約束は忘れる程度のことだったのか。
胸にズキリと痛みが走る。
「でも、手作りなんかする必要ないわよね? だって面倒だし、手間だし、何より不衛生よ、市販品の方がいいに決まっているわ、そうでしょう?」
それはそうかもしれない。
手作りはどうしても製作者の衛生観念や製菓の技量が作るものに反映されてしまう。
だけど、それでも俺は。
「だから贈答用の美味しいチョコレートを用意してあげる、精々感謝なさい」
別にチョコなんていらないんだけどな。
バレンタインに欲しいのは思い出だ。
手作りでも市販品でも、そこに込められた想いこそを受け取りたいし、贈りたいんだ。
サラには分からないのか?
―――虚しい。
「普段貴方が口に出来ないようなチョコレートを贈ってあげる、特別にね」
「そうか」
「ええ、ところでバレンタインっていつだったかしら?」
「明後日だよ」
「あらそう」
つい漏れそうになった溜息を呑み込む。
それすら覚えていなかったんだな。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴って、サラは席を立った。
「さあ、戻るわよ、ぐずぐずしないで」
「ああ」
先を行くサラの後に続く。
俺よりずっと小柄な姿、守ってやらなくちゃと思うが、でも。
「っと」
思いがけず足がもつれて転びかけた。
サラは気付かずどんどん先に行ってしまう。
―――遠い、な。
呼んでも戻ってきてくれないだろう。
そんな気がする。
俺はこのまま全てを失ってしまうのか?
取り戻さないと。
―――早く。
でも、なにをだ?
分からない、また頭痛がする。
痛い、痛い―――ああッ、いい加減にしろ!
もう二日過ぎてしまった。
あと五日しかないんだ。
―――五日?
「ケン! 見つけた!」
思いがけず呼ばれて振り返った。
朝稲と星野だ。
二人揃って現れたってことは、園芸部絡みの要件か?
「もーっ、メッセしても既読つかないし、電話も出ないし、どうなって―――」
「健太郎さん」
朝稲の言葉を遮るように、星野が俺に詰め寄ってくる。
「私、貴方を誤解してしまいそうです」
「えっ」
「ですが、同じ園芸部員で友人でもある貴方を、見限りたくはありません」
何のことだ?
朝稲が「ほ、ほしっち」と焦って星野を止めようとする。
「それやめよ? 暫くは様子を見るって話したっしょ?」
「何かしら事情があることだろうとは思っております、貴方はそのような恥知らずではない筈ですから」
「ねえ~っ、ほしっちってばぁ!」
「ですが悲しむ友人を見過ごせないのも道理とご理解ください」
「今日は部の連絡するだけって言ったじゃん、も~マジ待って! マジで!」
「貴方に失望してしまいそうです」
どれだけ朝稲に縋られても引き下がらず、星野は俺をまっすぐ見据えたままだ。
しかし、友人って誰のことだ?
「健太郎さん」
声も表情も硬い。
星野は俺に腹を立てている。
それは分かるが、理由に心当たりが何もない。
だから否定も反論も出来ず、ただ言われるまま受け止めることしかできない。
どうすればいいんだ?
訳を訊くべきだろうか、でも、それさえ今は火に油な予感がする。
「どうか早く目を覚まされますよう、貴方の本当の想いを取り戻してください」
―――その一言にハッとする。
「では」
深々とお辞儀をして、星野は用が済んだとばかりに踵を返し去っていく。
星野と俺を交互に見ていた朝稲が、不意に真顔になって「ケン」と俺を見上げた。
「アタシもさ、その、言いたくないけど、今のケンはちょっとどうかと思うよ、はっきり言ってそういうのダサいから、どっちにしろ気にくわないけどさ」
「朝稲」
「あと! 今週末鉢の土を入れ替えるから! 絶対参加! アンタは力仕事要員! いい?」
「は、はい」
「よし!」
頷くと朝稲も星野を追って行ってしまう。
よく、分からないが―――二人掛かりで叱られたんだよな、俺。
どっちも思い当たる節は何もないのに、酷く申し訳ない気分で胸がいっぱいだ。
俺は誰かを傷つけている。
しかも現在進行形で、そのことを星野は怒っていたんだろう。
朝稲も、ダサいなんて言って、つまり今の俺はらしくないって指摘された。
俺は何をしたんだ? 一体何を見過ごしている?
それはやっぱり、思い出せない何かと関わりがあるのか。
俺には、大切な人がいる。
それは幼馴染の薫、とは、違う。
サラ、でもない。
辛い時、苦しい時、いつも傍で支えてくれた。
不安を受け止めてくれた、力を貸してくれた、俺のために命さえ張ってくれた。
特別で、かけがえのない女の子だ。
でもそれは誰だ?
分からない。
―――頭が痛い。
「ッう!」
もうやめてくれ。
許してくれ。
俺が至らないことは認める、忘れたりして不義理で薄情なことも認める、だからもう勘弁してくれ!
痛いんだ、何も考えられないんだ。
思考がグチャグチャに乱される、思い出しかけたものが全部消えてしまう。
もがいても足掻いても届かない、あの笑顔を、声を、取り戻したいのに!
誰か。
助けてくれ。
俺はもう、一人じゃ―――
「ケン!」
強く腕を引かれてハッとする。
「こんな所でボーっとしていたのね、早く来なさい!」
サラ、だ。
―――あれ?
今、何を考えていたんだ。
「私に手間をかけさせないでって言っているでしょう!? それに何よ、その顔!」
「あ、ああ」
涙に鼻水、顔中ぐしゃぐしゃだ。
ポケットを探って引きずり出したハンカチで顔を拭う。
いつのだろう、これ。
それに俺、なんでハンカチなんか持ち歩いてるんだ。
「授業が始まるわよ、さあ、来なさい」
「そうだな、すまない」
サラに連れられて教室へ向かう。
なんだか空っぽな気分だ。
今の俺の内側には何もない、虚無感だけが広がっている。
ここにあったものはどこへ消えたんだろう。
早く取り戻さないといけないのに、それが何なのかさえ分からない。
どうすれば俺は、それを取り戻せるんだろう。




