↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
行商人サイラスの狂運 ~平穏に暮らしたいだけなのに、【幸運の加護】でなぜか成り上がっていく~  作者: ブラン
第三章 建設する家臣

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

43/48

第42話 臣従の誓い

 その朝、俺はかつてないほど落ち着かない気分で、領主館の控えの間に立っていた。


 慣れない礼装の襟が、首元を妙にくすぐる。マルコが「家臣となる以上、相応の格好でなければ示しがつきません」と言って、わざわざ仕立屋まで手配してくれたものだ。ありがたい話ではあるのだが、袖を通した瞬間から、自分が自分でないような気がしてならなかった。


「サイラス、さっきから固まりすぎだろ」


 隣でゼインが、堪えきれないという顔で笑った。こいつもこいつで、いつもの軽装ではなく、それなりに整えた格好をしている。


「こんな場で緊張しないやつがいるか。貴族の前で、誓いを立てるんだぞ」


「気楽にいけって」


 ゼインは軽く肩をすくめた。


 テオはと言えば、控えの間に飾られた調度を眺めながら、値踏みするように目を細めていた。


「鑑定するなよ、こんなところで」


「つい癖でな。……あの燭台一つで、荷馬車が一台増やせそうだ」


 俺が儀式に臨む間、ゼインとテオはこの控えの間で待つことになっている。まったく、こいつらの図太さが少し羨ましい。俺がため息をついたところで、扉の向こうから案内の声がかかった。


「サイラス殿。お時間です」


 いよいよか。俺は一つ深く息を吸い、襟を正して、扉をくぐった。


***


 通されたのは、領主館の奥にある一室だった。


 正面にはグレアム伯爵が腰を下ろし、その傍らにアルフレッド様が控えている。壁際には、家中の者が数名、証人として静かに立っていた。


 そして、そのなかに、コレイン様の姿もあった。


 救出したばかりの頃は、まだ顔色も悪く、本調子とは言えなかった。だが今日のコレイン様は、背筋をまっすぐに伸ばし、すっかり凛とした女騎士の顔に戻っていた。その視線が一瞬こちらに向き、小さく頷く。


 ……よかった。俺は内心でほっと胸を撫で下ろした。


「サイラス。前へ」


 グレアム伯爵の落ち着いた声に、俺は伯爵の前まで進み、片膝をついた。作法は昨夜のうちにマルコから叩き込まれている。頭の中で何度も繰り返したはずなのに、心臓は勝手に早鐘を打っていた。


「サイラスよ。汝を、ペトロス家の家臣として迎える」


 伯爵の声が、静かな部屋に響いた。


「汝は、ペトロス家とその領、そしてここに暮らす民を守るため、その力を尽くすか」


 俺はただ、平穏に商売をしていたいだけの男だ。それでも、守りたい仲間も、帰る場所も、いつの間にか増えていた。ならもう、腹をくくるしかない。


「お誓い申し上げます」


 自分でも驚くほど、声は震えなかった。


「グレアム・ペトロス伯爵に、そしてペトロス家に。俺の持てる力を、お役に立てるようお尽くしいたします」


 言い終えた瞬間、部屋の空気がわずかに緩んだ気がした。


「うむ」


 グレアム伯爵は、満足げに頷いた。


「これより、サイラスはペトロス家の家臣である」


 その一言で、儀式は終わった。


 誓いの言葉は、たったそれだけだ。派手な催しがあるわけでもない、静かな儀式だった。それでも、これで俺は、確かにペトロス家の家臣になったのだ。


 ――まさか、こんなことになるとは。


 半年前の俺に話したところで、信じはしないだろう。荷馬車一台で、細々と商売をしていた行商人が、貴族の前で臣従の誓いを立てているなどと。


 俺が立ち上がると、アルフレッド様が一歩進み出て、一枚の証書を差し出した。


「サイラス殿。これが、白鹿の蹄鉄商会を御用商会として認める証書だ」


 受け取った紙は、見た目以上にずしりと重く感じられた。


「……ありがとうございます」


 俺は、証書に記された文字を、しばし黙って見つめた。


 たった一枚の紙だ。だが、この紙があるだけで、商会への不当な横槍は防ぎやすくなる。拠点の者たちも、孤児たちも、これまでより安心して商いに励めるようになるだろう。


「ただし」


 アルフレッド様は、声を少しだけ低めた。


「この証書は、ペトロス家がサイラス殿を信頼に足る相手と認めた証でもある。御用商会の名に恥じぬよう、これまで以上に振る舞っていただく」


「肝に銘じます」


 頭を下げながら、俺は手の中の紙の重みを、改めて噛みしめていた。立場が変わるというのは、こういうことなのだろう。


 一通りの手続きが終わり、退室しようとしたところで、コレイン様がこちらへ歩み寄ってきた。


「サイラス殿」


 コレイン様に呼ばれて、俺は背筋を正した。


「あなたが家臣となることを引き受けてくれて、嬉しく思います」


 その声には、儀式の間の張り詰めた響きとは違う、穏やかなものが混じっていた。


「正直に言えば、あなたほどの方が、すんなり頷いてくれるとは思っていませんでした」


「買いかぶりです。俺は、商会と仲間を守りたかっただけですよ」


 俺がそう答えると、コレイン様はふっと小さく笑った。


「そうやって欲のないことを言うところが、あなたらしい」


 その表情に、凛とした女騎士の顔が、ほんの少しだけ和らぐ。……まずい。本当に、この人の前ではどうも調子が狂う。


「これからは、家中の一人として頼りにしています。どうか、力を貸してください」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 そう言って頭を垂れると、コレイン様は穏やかにうなずいた。張り詰めていた一日だったが、最後にこの人と話せたことで、少しだけ心が和らいだ気がした。


***


 すべての用件が終わり、領主館を辞する頃には、日はすっかり傾いていた。


「お疲れさん、ご家臣様」


 門を出たところで、ゼインがからかうように肩を叩いてきた。


「やめろ、その呼び方は」


「いいじゃねえか。立派になったもんだ」


 ゼインはなおも楽しげだ。テオも、めずらしく口元を緩めている。


「商会としては、願ってもない話だ。これで拠点の連中も、胸を張って商いができる」


 二人の言う通りだ。悪い話ではない。むしろ、商会にとっては大きな前進だろう。


 それでも、俺の胸の内には、いつものあの感覚が居座っていた。


 守るものが、また増えた。いや、正確には――増えたのは、責任だ。


「……増えるのは、稼ぎだけにしてほしいんだがな」


 俺がぼやくと、ゼインが声をあげて笑った。その笑い声を聞きながら、俺は夕暮れの街を、拠点へと歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。