第37話 斜面の下の声
斜面の下の森から叫び声が聞こえ、俺たちは一斉に動きを止めた。
「誰かいるのか! 返事をしろ!」
だが、返事はない。
木々に遮られて、下の様子は見えなかった。
怪我人がいるなら、荷馬車が必要になる。
「トビー、この斜面、荷馬車で降りられるか?」
トビーは岩が転がった跡を目で追った。
土が削れ、枝が折れ、斜面の一部だけが獣道のように開けている。
「危ないです。でも、岩が通った跡なら他よりはましです。後ろを少し支えてもらえれば、何とか下まで進めると思います。ただ、上り直すのは無理です」
俺は案内役の男へ向き直った。
「下まで降りた場合、そこからロテアへ戻る道はありますか?」
男は少し考えてから答えた。
「ある。すぐ近くってわけじゃないが、森を抜ければロテアへ戻る道に出られるはずだ」
「荷馬車でも通れますか?」
「森の中は平坦だ。木の間を選んで進めば、荷馬車でも戻れるはずだ」
降りても完全に詰むわけではない。
怪我人がいるかもしれない以上、見捨てる理由はなかった。
「降りる」
俺が言うと、テオが短く息を吐いた。
「危険はあるぞ」
「ああ。でも、あんな叫び声を聞いた以上、放っておけない」
ゼインが斜面の下に目を向け、表情を引き締めた。
「獣が出てもおかしくない場所だ。気を抜くなよ」
「分かってる」
俺たちは荷を固定し直し、斜面を下りる準備を始めた。
トビーが手綱を握り、ハンスが後ろから荷馬車を支える。
ゼインとミアは左右を警戒し、ラルフは前方の気配を探った。
「いきます。急に動かないでください」
トビーの声に、全員が頷く。
荷馬車は、岩が削った跡をなぞるように斜面を下り始めた。
車輪が湿った土に沈み、馬が一度足を滑らせる。
だが、トビーがすぐに手綱を引き、ハンスが後ろから荷馬車を押さえた。
木の根や折れた枝に邪魔されながらも、俺たちはどうにか斜面を下りきった。
そこには、砕けた岩と折れた枝が散らばっていた。
そして、その中に人影があった。
「……兵士?」
ミアが小さく呟く。
倒れていたのは、武装した男たちだった。
数人は体を押さえて呻き、別の何人かは動くこともできないようだった。
革鎧を身につけ、武器も持っている。
だが、帝国兵の装備ではない。
「こいつら、帝国の兵じゃないな」
ゼインが低く言った。
「ああ。盗賊でもなさそうだ」
何者かは分からない。
だが、装備を整えた武装集団が、こんな森の奥にいた。
その時点で、ただの事故では済まない気がした。
テオが倒れている男たちをじっと見た。
目を凝らすようにして、何かを確かめている。
おそらく、『鑑定』を使っているのだろう。
「……加護持ちがいます」
「加護持ち?」
「二人です。一人は斧の加護。もう一人は剣の加護です」
俺は思わず、倒れている男たちを見直した。
こんな森の奥に、戦闘用の加護持ちが二人もいる。
その時点で、偶然ここにいた連中とは思えなかった。
ゼインが倒れている男たちの武器を、手の届かない場所へ蹴り離した。
「動けそうな奴だけ縛る。相手が何者か分からん」
俺は頷いた。
重傷者には手を出さず、まだ動けそうな者だけを簡単に拘束する。
助けるにしても、まずは安全を確保する必要があった。
その時、ラルフが森の奥へ顔を向けた。
「奥に人の気配があります。二十以上。ただ、こっちへ来るのではなく、森の奥へ離れているようです」
「二十以上……?」
俺は森の奥を見た。
木々が密集していて、先は見えない。
だが、ラルフの表情は硬い。
ここに倒れている男たちだけではない。
もっと奥に、同じ連中がいる。
「ロテアへ戻る道は、どっちだ?」
俺が尋ねると、案内役の男はラルフが見ている方を指した。
「あっちだ。森を抜ければ、古い道に出る」
奥へ離れていく気配と、俺たちが進むべき方角は同じだった。
追いかけたいわけではない。
だが、その先を確かめない限り、荷馬車は動かせない。
「荷馬車をこれ以上進めるのは危険だな」
テオが静かに言った。
「ああ。まずは俺たちだけで先を確認する。道が通れるか見るだけだ。深追いはしない」
動けそうな者は縛り、武器はすべて男たちの手が届かない場所へ集めた。
重傷者は動けない。
それでも、目を離していい相手ではなかった。
俺はテオとトビー、案内役の男に、その場で荷馬車を見ていてもらうことにした。
それから、ゼイン、ミア、ハンス、ラルフを見た。
「行くぞ。何かあればすぐ戻る」
ゼインが頷き、ミアとハンスもそれに続いた。
ラルフが先に立ち、森の奥へ離れていく気配を追った。
森の中の足場はそれほど悪くなかった。
木の間を選べば、荷馬車でも通れそうではある。
だが、見通しが悪い。
敵が潜んでいた場合、荷馬車ごと逃げるのは難しそうだ。
「ラルフ、気配は?」
「止まりました。この先で集まっているようです」
逃げたのではない。
どこかで態勢を整えているのかもしれない。
「こっちに気づかれたか?」
「分かりません。ただ、警戒はしていると思います」
俺たちは踏み跡から少し外れ、木々の陰を選びながら進んだ。
やがて、前方に小さな野営地が見えた。
天幕は低く張られ、布の色も地味で、遠目には森に紛れている。
焚き火の跡も小さく、荷の一部は枝や布で隠されていた。
「……野営地か」
俺は声を潜めた。
「ああ。だが、盗賊の寝床って感じじゃないな」
ゼインが目を細める。
天幕の間では、武装した男たちが慌ただしく動いていた。
荷を運ぶ者。
天幕を畳む者。
周囲を警戒する者。
どう見ても撤退の準備だった。
その中の一人が、松明を手に残された木箱へ近づく。
「……燃やすつもりか?」
ハンスが低く呟く。
持っていけない荷ごと、証拠を焼くつもりなのだろう。
ここは森の中だ。
火が広がれば、戻る道ごと失う。
斜面を上り直せない俺たちにとって、それは致命的だった。
「サイラス」
ゼインが低く言った。
分かっている。
相手の数も正体も分からない。
ここで手を出すのは危険だ。
だが、森に火を放たれる方がもっとまずい。
「……ミア」
「はい」
「あの松明を持っている奴を止められるか。火をつけられたら終わりだ。手加減は考えなくていい」
ミアは野営地を一瞬だけ見て、小さく頷いた。
「分かりました」
ミアは矢をつがえ、松明を掲げた男に狙いを定める。
ここで火を放たれるわけにはいかない。
次の瞬間、弓弦が鳴った。
矢が走り、松明を掲げた男の胸を射抜く。
男は声にならない息を漏らし、手から松明を取り落とした。
松明は湿った土の上に落ち、じゅっと音を立てて火が消えた。
野営地の男たちが、一斉にこちらを向いた。




