第32話 雨の森道
森の中へ入ると、雨音が変わった。
幌を叩く音。
枝葉から雫が落ちる音。
ぬかるんだ道を、車輪が押し分ける音。
それ以外の音は、木々に吸われたように遠い。
ラルフの加護には何も引っかかっていない。
行きにも通った道で、森の区間も長くはない。
安心していいはずなのに、雨に濡れた森道では、荷馬車の進みまで重く感じられた。
しばらく進むと、道の先に黒い影が見えた。
「……倒木か?」
雨に濡れた木が、街道を塞ぐように横たわっている。
幹は太く、枝も道幅いっぱいに広がっていた。
道を外れて避ければ、ぬかるみに車輪を取られそうだ。
荷馬車で通るには、どかすしかない。
ゼインが目を細める。
「嫌な場所に倒れてるな」
トビーが荷馬車をゆっくり止める。
その直後、左右の木々の陰から男たちが姿を現した。
振り返ると、荷馬車の後ろ側にも、いつの間にか数人が回り込んでいる。
前は倒木。
左右は森とぬかるみ。
後ろには盗賊たち。
数は、全部で十五人ほどだろうか。
濡れた外套をまとい、剣や斧、短槍を手にしている。
「動くな」
後ろに回り込んだ男たちの中から、頭目らしい男が一歩前に出た。
「荷馬車ごと置いていけ。武器も捨てろ。大人しくすりゃ、命までは取らねえ」
やっぱりか。
最近、盗賊絡みの出来事が続きすぎている。
だが、今はそれを考えている場合ではない。
前は塞がれ、逃げ道も押さえられている。
こちらを逃がす気はないらしい。
俺は小声でラルフに聞いた。
「ラルフ、気づかなかったのか?」
ラルフの顔は強ばっていた。
「……はい。今の今まで、気配がありませんでした」
「これだけ近くにいたのにか?」
「はい。普通なら、もっと早く気づけたはずです」
「そうか」
責めるつもりはない。
ラルフの加護には、これまでも何度も助けられてきた。
ただ、これだけの人数が近くにいたのに、直前まで気づけなかった。
その事実だけが、頭の隅に引っかかった。
俺は盗賊たちへ向き直る。
「全部は渡せない」
「あ?」
「荷を一部置いていく。それで道を空けてくれ」
頭目が、目を細めた。
「一部だと?」
「保存肉を二箱、毛織物を三反、それに銀貨を十枚付ける。持ち運びやすく、売るにも困らない。悪い話じゃないだろう」
盗賊たちの何人かが、荷馬車へ目を向けた。
雨の森で斬り合うよりはずっとましな取引のはずだった。
だが、男は鼻で笑った。
「ずいぶん安く見られたもんだな」
「悪い条件ではないはずだ」
「この状況で、条件を出せると思ってんのか。全部置いていけ」
こちらの提案など聞く気がないらしい。
俺は小さく息を吐いた。
左右にも敵はいるが、押し込んでくるなら後ろからだろう。
あそこを崩されれば、荷馬車三台は守りきれない。
俺はゼインへ視線を向けた。
「ゼイン、後ろを頼む。ミアは荷馬車の陰から全体を見て援護してくれ」
「ああ」
「ラルフはミアの近くを見ろ。俺とテオは荷馬車の左側、ハンスとトビーは右側を押さえる」
「分かりました」
ゼインが最後尾へ回る。
ミアは荷馬車の陰から全体を見ながら弓を構えた。
ラルフはその近くで短剣を抜き、周囲の動きに目を配る。
俺とテオは荷馬車の左側へ。
ハンスとトビーは右側へ回った。
盗賊たちの笑いが消えた。
「やる気かよ」
「荷も馬も武器も渡すつもりはない」
「なら、痛い目を見てもらうしかねえな」
後方の盗賊たちが動いた。
その瞬間、ゼインが踏み込んだ。
雨でぬかるんだ地面だというのに、足運びは乱れない。
最初に飛び込んできた男の剣を、横から弾いた。
鈍い音が響く。
盗賊の体勢が崩れたところへ、ゼインがもう一歩踏み込む。
雨を裂くように、剣が振り抜かれた。
胸を斬られた盗賊が、声もなく崩れ落ちる。
続けて来た二人目の膝を、ゼインの剣が払った。
「ぐあっ!」
後ろの盗賊たちが、明らかに動揺する。
これまでにも、盗賊と戦わざるをえない時はあった。
そのたびに妙な偶然に助けられてきたが、それだけで切り抜けてきたわけではない。
ゼインは強い。
剣の加護を持つあいつなら、並の盗賊を何人も相手にできる。
「荷馬車の後ろを崩せ!」
盗賊の一人が叫ぶ。
だが、ゼインはすでに次の相手へ向かっていた。
こちらの後ろを崩そうとした盗賊たちは、逆に足を止められている。
その間に、左右の盗賊たちも動いた。
「ミア!」
「はい!」
ミアの矢が飛ぶ。
ぬかるんだ道を走っていた盗賊のふくらはぎに矢が突き刺さった。
男は悲鳴を上げ、泥の中へ倒れ込む。
立ち上がろうとしても、刺さった矢のせいで足に力が入らない。
別の盗賊が、荷馬車の左側へ回り込もうとする。
テオが盾を前に出し、その刃を受け止めた。
「こっちは通しません」
テオは斬り込まず、盾で進路を塞ぐことに徹していた。
俺もその横へ出て、一人の剣を受ける。
重い。
こちらから倒しに行く余裕はない。
だが、抜かせなければいい。
剣を押し返し、相手を荷馬車から遠ざける。
反対側では、トビーが盾を低く構えて盗賊の進路を塞いでいた。
その横を、盾を構えた盗賊が強引に抜けようとした。
ハンスが一歩踏み込む。
鉄で補強された重い棒が、盗賊の盾をまともに打った。
鈍い音が、雨音の中に響く。
盗賊は盾で受け止めようとした。
だが、勢いを殺しきれず、盾ごと後ろへ弾き飛ばされる。
男はぬかるみに背中から倒れ込み、すぐには起き上がれない。
荷馬車の陰では、ミアが全体を見ながら弓を構えていた。
ラルフは少し後ろ寄りに立ち、荷馬車の周囲を警戒している。
「そっちは通しません!」
荷馬車の右側から迫っていた盗賊の太腿に、矢が突き刺さった。
男は足を引きずるようにして体勢を崩し、思わず剣を下げる。
その一瞬で、トビーが盾を構え直した。
盗賊たちは囲んだつもりだったのだろう。
だが、荷馬車を背に守れば、一度に押し込まれる場所は限られる。
雨とぬかるみで条件は悪い。
それでも、こちらは持ちこたえていた。
ゼインが後ろを押し返し、ミアの矢が左右を止める。
テオとトビーの盾が隙を塞ぎ、ハンスが近づく敵を押し返す。
ラルフはミアの近くで、見落としがないか周囲を警戒していた。
このままなら、持ちこたえられる。
そう思った瞬間だった。
「ゼイン、後ろ!」
ラルフの声が、雨音を裂いた。
ゼインは目の前の盗賊へ踏み込み、剣を振り抜いたところだった。
その背後、さっきまで誰もいなかったはずの場所に、短剣を握った男がいた。
男はぬかるんだ地面を蹴り、ゼインの背中へ短剣を突き出す。
ゼインは、まだ振り返れない。
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