第21話 採石場跡の盗賊たち
道を間違えた先で見つけた、古い採石場跡。そこにいたのは、大きく二つに分かれた盗賊の集団だった。採石場から、俺たちのいる茂みの陰まで男たちの怒鳴り声が響いてくる。
「東の道は俺たちが押さえる。ここに昔からいるのは俺たちだ」
「ふざけるな。あっちは荷馬車が通る道だろうが」
「後から転がり込んできた連中に、うまい場所を渡すわけねえだろ」
「前の場所にいられりゃ、こんな所まで来るかよ」
断片的に聞こえてくる怒声だけでも、だいたいの事情は察せられた。どうやら、ここに元からいた盗賊と、どこかから流れてきた盗賊が、襲う道の取り分を巡って揉めているらしい。盗賊同士の縄張り争いだ。無理に関わって危険を冒す必要はないだろう。
ゼインが、採石場から目を離さないまま低く囁いた。
「撤退するか?」
もちろんだ。こんな場所に長居する理由はない。俺は頷こうとして、そっと後ずさろうとした。その瞬間、背中のあたりをぐいっと引っ張られた。
「……っ」
上着の裾が、茂みの枝に引っかかっていた。よりによって、こんな時に。俺は声を出さないように、必死に布を外そうとする。だが、焦って引けば、枝か布が嫌な音を立てそうだった。ゼインがこちらを見る。俺は声を潜めて言った。
「待ってくれ。今は動かないでくれ」
横で伏せているミアが、小さく息を呑む。
「団長……まだ動くべきではないと?」
違う。ただ、ここで否定しようとして声を出せば、盗賊に見つかる。俺は必死に口を閉じたまま、枝と格闘するしかなかった。
その間にも、採石場の怒鳴り声は一段と荒くなっていく。
「てめえ、今なんつった!」
「やる気か!」
「やめろ! 今ここで揉めてどうする!」
止めに入った男の声も、すぐに怒号に呑まれた。肩を突き飛ばす音、酒瓶が割れる音、誰かの悲鳴。蹴倒された焚き火から煙が上がり、採石場の中では殴り合いが始まっていた。馬のいななきが響き、焦げ臭さと血の匂いがこちらまで漂ってきた。
「……最悪だ」
俺は枝に引っかかったまま、声にならない声で呟いた。
殴り合いは、思ったよりも長く続いた。怒声はやがて苦痛の呻きに変わり、鈍い打撃音と悲鳴が何度も交錯する。木箱が蹴り飛ばされる音、誰かが地面に崩れ落ちる音。焚き火はとうに踏み消され、採石場は薄暗い煙と怒号だけに支配されていた。
どれくらいそうしていただろうか。乱闘の勢いが、ようやく少しずつ収まりかけてきた頃だった。採石場の端に生い茂る藪が、大きく揺れた。乱闘の騒ぎに驚いて飛び出してきたのか、バキバキ、と枝が折れる音が響く。次の瞬間、巨大な影が採石場へ飛び込んできた。
イノシシだった。
しかも、一頭ではない。大きな親イノシシを先頭に、若いイノシシが四頭。合計五頭のイノシシが、採石場の中へ雪崩れ込んだ。
「なんだこいつら!」
「逃げろっ!」
盗賊たちの怒号は、一瞬で悲鳴に変わった。暴れ回るイノシシに男たちが弾き飛ばされ、天幕が潰れ、荷車が横転する。怯えた馬が縄を引きちぎり、採石場跡は瞬く間に混乱の渦に呑まれていった。
「……なんで盗賊の喧嘩にイノシシが突っ込んでくるんだよ」
俺はあまりの光景に、ただ呆然とするしかなかった。その時、引っかかっていた上着の裾が、ようやく枝から外れた。横でミアが、小さく息を呑む。
「まさか、団長はこの瞬間を待って……?」
違う。俺はただ、枝に引っかかっていただけだ。しかし、ミアの期待に満ちた目を見ると、今さら否定する気力もなく、俺は何も言えなかった。
「今なら戻れます」
ラルフが小さく合図を出した。採石場の見張りたちの注意は、完全に中の騒ぎへ向いている。
「今のうちに戻るぞ」
俺たちは茂みから離れ、荷馬車を隠した木立へ向かって駆け戻った。
***
荷馬車に戻ると、俺はすぐに出発しようとした。だが、ラルフが採石場の方角を見ながら言う。
「団長。あの採石場の手前にあった広い坂道ですが……おそらく、石材を運び出すための古い運搬道です」
「運搬道?」
「はい。幅もありますし、方角から見ても、本来のジャルミナ街道へ続いている可能性が高いです」
俺は思わず顔をしかめた。つまり、正しい道へ戻るには、あの盗賊とイノシシが暴れている採石場跡の運搬道を抜ける必要があるということだ。
「……他に道は?」
「来た道を戻る以外には、見当たりません」
最悪だ。だが、来た道を戻れば大きく遠回りになる。しかも、採石場の中は今まさに大混乱の最中だ。こちらに構っている余裕はないかもしれない。俺は採石場の方角を見た。まだ怒号は聞こえる。だが、先ほどまでの勢いはない。悲鳴や呻き声の方が増えている。
「……今なら、抜けられるかもしれないな」
言った端から、後悔が押し寄せてきた。ゼインが口の端を上げる。
「行くのか?」
「行きたくはない。だが、来た道を戻れば丸一日を失う。危険を冒すなら、あいつらが混乱している今しかない」
俺は大きく息を吐き、ミアへ視線を向けた。
「ミア。こっちに向かってくる奴がいたら、足を狙って止めてくれ。荷馬車には近づけるな」
「はい!」
ミアが弓を握り直す。続いて、俺はゼインへ視線を向けた。
「ゼインは前を頼む。倒れてる奴がいても、こっちに向かってこないなら放っておいてくれ」
「分かった。荷馬車に近づく奴だけ止めればいいんだな」
「ああ。こっちに来る奴だけ止めてくれ」
俺の言葉に、全員が頷いた。荷馬車がゆっくりと動き出す。
***
採石場跡へ近づくと、さっきまでの威勢は見る影もなかった。イノシシの姿はすでになく、運搬道の周辺には倒れた荷車や散らばった荷物、座り込む盗賊たちだけが残されている。中には武器を抱えたまま、道を塞ぐようにうずくまっている者もいた。このまま進むには、彼らの横を抜けるしかない。採石場の奥には、倒れたまま動かない者も見えた。
ラルフが周囲を確認し、低く報告する。
「森へ逃げたのは十人前後です。こちら側に残っているのは二十人ほど。まともに動けそうなのは、その半分もいません」
「イノシシは?」
「気配はもう離れています」
その言葉に、俺は少しだけ息を吐いた。だが、安心するには早かった。運搬道の近くにいた盗賊の一人が、こちらの荷馬車に気づき、ふらつきながら剣へ手を伸ばした。
「荷馬車に近づけるな! 向かってくる奴だけ止めろ!」
俺が叫ぶと同時に、ゼインが前へ出た。盗賊の剣を弾き飛ばし、そのまま地面に組み伏せる。別の男が立ち上がろうとした瞬間、ミアの矢がその足を射抜いた。悲鳴が上がる。それだけで、他の盗賊たちの動きは目に見えて鈍った。
俺は運搬道の先を見て、思わず顔をしかめた。横転した荷車と散らばった木箱で、道が塞がっている。進むには、誰かが荷馬車を降りてどかすしかない。だが、その間に盗賊に動かれたら危険だ。今なら、無理に斬り合わずに押さえられるかもしれない。
「……方針変更だ」
ゼインが口の端を上げる。
「捕まえるのか?」
「道を空けるためだ。運搬道の周りにいる奴だけ押さえよう」
「了解」
「ミア、弓を構えたまま見張ってくれ。動いた奴がいたら射っていい」
「はい」
ミアが弓を構えると、盗賊たちの顔が引きつった。さっき足を射抜かれた男の悲鳴を聞いているせいか、誰も下手に動こうとしない。ゼインがまだ動けそうな盗賊たちを牽制し、ラルフが周囲に落ちた武器を素早く遠ざける。その間に、テオとハンスが一人ずつ縄をかけていった。イノシシに弾き飛ばされた者。乱闘で倒れた者。逃げ遅れて座り込んでいた者。まともに抵抗できる者は少なく、気づけば運搬道の脇には二十人を超える盗賊がまとめられていた。
……終わった。
俺は安堵しかけて、すぐに固まった。ジャルミナまではまだ遠い。歩ける者もいるが、重傷でまともに動けない者もいる。この場に置いていけば逃げるかもしれないし、かといって全員を歩かせるのも危ない。
……捕まえたはいいが、どうやって運ぶんだ、これ。




