第16話 弓なりの崖道
北側に切り立った険しい山の斜面、南側に波が打ち寄せる冬の大海原。 俺たちを乗せた三台の馬車は、その間に挟まれた狭い崖道を進んでいた。
一番手前の馬車の荷台では、昨晩生の貝を貪り食ったラルフが青い顔をしてしんどそうに丸まっていた。
「これに懲りたら、次からは大人しく火を通したものを食べるんだな」
テオが呆れたように声をかけ、俺ものんきに御者台で首を振っていた。
「まあ、ポローニアまではもうあと少しだし、今日はゆっくり休んで――」
先頭の馬車が弓なりの崖道に差し掛かかろうとした、その時だった。
ヒヒーンッ!
「うわっ!?」
トビーが手綱を強く引き、馬車が急停止した。
「どうした、トビー!?」
前方に視線を向けた俺は、思わず息を呑んだ。カーブの先の岩陰から、武装した七、八人の男たちがゾロゾロと姿を現し、道を完全に塞いでいたのだ。
「サイラス、盗賊だ! 」
すぐさま荷台からゼインが飛び出し、御者台の前に立ち塞がって腰の長剣を引き抜く。
「ひっ、野盗!?」
隣のトビーが怯えた悲鳴を上げる中、俺は冷静に周囲の状況を確認した。振り返れば、いつの間にか後方の道にも、弓や斧を構えた男たちが立ち塞がっている。
北は切り立った崖、南は海。そして前後は完全に塞がれた。
索敵役のラルフが寝込んでいる危うさに気づかず警戒を怠った俺たちは、見事に逃げ場のない罠へと足を踏み入れていたのだ。
「お前らも無駄死にはしたくねえだろ? 命と馬車は残してやるから、積み荷をすべて置いていきな」
盗賊の頭目らしき、顔に大きな傷のある男が、見下すようにニヤリと笑った。
完全に包囲された状態での、盗賊側からの脅迫。 護衛のゼインが鋭い眼光で敵を睨みつける。
「サイラス、前後で合わせて十五人いるぞ。どうする?」
(どうするって、戦うわけないだろ! 相手は十五人もいるんだぞ!)
「ま、待ってくれ! 積み荷をすべて渡したら俺たちは破産だ! 代わりに、ゼオニカで仕入れた香辛料を置いていく! それで道を空けてくれないか!?」
いくら命惜しさとはいえ、本当に高い商品を素直に渡すのは商人として癪だ。俺が目につけたのは、昨日市場で防虫剤代わりに安く仕入れた、『特別に辛い唐辛子の粉末』が詰まった重い麻袋だった。
俺はその重い麻袋を引きずり下ろし、馬車の前にドスンと置いた。
「これは 異国から輸入された希少な品で、これ一袋で金貨数十枚の価値はある。これで手を打ってくれないか?」
「ほぅ……? 香辛料ねぇ。本当にそんな価値があるのか?」
少し離れた場所に立つ頭目が、怪訝そうに目を細める。
「嘘じゃない。ほら、そっちからでも中身が見えるように開けてやるよ」
俺は麻袋を縛っていた紐を解き、少し離れた盗賊たちにも中身が見えるよう、袋の口をガバッと大きく開いた。
まさにその瞬間。
ビューーーーーーーーッ!!!
南の大海原から、崖道に向かって、今日一番の「強烈な海風」が吹き抜けた。
風は開かれた麻袋に勢いよく吹き込み、赤黒い粉末を竜巻のように巻き上げた。
舞い上がった粉塵は北側の山肌で逃げ場を失い、赤い煙幕となって前後の盗賊たちを飲み込んだのだ。
「げほっ! ごほっ……! 」
俺も舞い上がった粉の余波を喰らい、顔をしかめて激しく咳き込んだ。たまらず袖で口元を覆い、涙を滲ませながら必死に痛みを堪える。
だが、俺の被害など、この直後に起きた惨状に比べれば可愛いものだった。
「――っ!? ぎ、ぁっ……げほっ! ごほぉっ!!」
真っ先に赤い霧をまともに吸い込んだ頭目が、言葉にならない悲鳴を上げ、肺を掻きむしるように激しく咳き込んでその場に崩れ落ちた。
「ぎゃあぁぁっ!?」
「がはっ……ひゅーっ、ひゅーっ……!」
他の盗賊たちも、目や喉を焼かれる激痛にまともな声すら出せない。ただ涙と鼻水を撒き散らしながら、酸素を求めて地面を掻き毟っている。
それは、まさに地獄絵図だった。
十五人近い盗賊たちが、武器を投げ捨て、涙と鼻水を文字通り垂れ流しながら、地面をのたうち回って泣き叫んでいる。目も開けられず、激しい呼吸困難に陥り、完全に戦意を喪失してしまっていた。
「……は?」
俺は、充血した目をしばたたかせながら、あまりの威力にポカンと口を開けた。
袋を開けた時、俺たちの馬車はたまたま崖道のカーブの頂点に位置していた。山肌にぶつかった風はそこを分岐点にして前後の道へと吹き抜けていったため、俺たちへの直撃だけは免れていたのだ。
「……またお前の『幸運』か。相変わらず、とんでもない結果を引き寄せるな」
テオが馬車の荷台から身を乗り出し、やれやれと完全に呆れ返っている。
だが、事情を知らない新入りたちの反応は全く違っていた。
「信じられない……。細い一本道で包囲された状況を逆手にとって、風上であることを利用して敵を一網打尽にしてしまうなんて、凄すぎます!」
ミアが目をキラキラと輝かせ、興奮したように声を上げた。
「やっぱり団長は凄い!この数の盗賊を争わずに一瞬で無力化しちゃうなんて!」
トビーも、まるで伝説の軍師でも見るかのような尊敬の眼差しを俺に向けている。
違う。俺はただ、香辛料を使って交渉をしようとしただけだ。
中身を見せようと袋を開けたら、たまたま風が吹いただけなんだって!
「あ、がっ……ひゅーっ……」
「ごほっ、げぼぉっ……!」
言葉を発する余裕すらなく、涙と鼻水で顔をグチャグチャにした盗賊たちが、地面をのたうち回っている。
「ポローニアまではもうすぐだ。こいつらは馬車の後ろに繋いで歩かせよう」
俺がそう指示を出すと、ゼインが頷き、長剣を構え直して鋭く号令をかけた。
「ああ。俺とミアは万が一に備えて周囲を警戒する。お前らは今のうちに、そこのロープで全員縛り上げてくれ」
彼の指示に従い、他のメンバーで手際よく男たちを縛り上げていく。
――こうして、一滴の血も流すことなく(代わりに盗賊たちの大量の涙と鼻水が流れたが)、俺たちは十五人の盗賊団を捕縛し、目的地の港町ポローニアへと向けて、再びゆっくりと馬車を走らせるのだった。




