表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

第2話-3 本人の問題

 秋田先輩の容体は、少なくとも命に係わるものではないということだった。札を貼って安静にしていれば、1時間と経たずに目を覚ますらしい。そもそも魔霊化が自然に解除された場合は昏睡状態には至らないわけで、今目を閉じているのは強制的に解除した反動だった。

 通常なら保健室に運ぶところだが、短期間に二人も保健室に運び込んでは晴人たちが怪しまれかねない。かといって放っておくわけにもいかず、晴人たちは荷物を取りに行くのも兼ねてさっきまで居たベンチへと先輩を運んできていた。

 長身の秋田先輩を背負って運んだのは晴人だ。生徒を背負って歩く以上目立つのは覚悟の上だが、明らかに体格差のある眞玄が運ぶと余計に目立つ。傍からは同級生がふざけあっているように見えることを祈りながら、晴人は小走りでベンチまで先輩を運んできた。

 ベンチに秋田先輩を寝かせると、背負う前に眞玄が貼った札が顔を見せた。


「多分、あと30分くらいで目を覚ますだろう。見る限り魔霊化はそこまで進行していない」

「帰ってからすぐに魔霊化する可能性は?」

「ない、と言っていい。この一週間彼は魔霊化しなかった。身の回りに大きな変化がない限りは、あと数日は大丈夫だろうよ」


 そう言うと眞玄は、ポケットに入れてあった使用済みの札を自分の鞄にしまう。それは、学校を出る前に倉庫に行って剥がしてきた札だ。トロフィーの段ボール箱の側面に貼ってあった。


「今更だけど、その札はどういう札なんだ?」

「護身用の札の強力なやつだ。通常人に貼るもので、魔霊が近づくと発動して追い払う。この秋山という三年が化けた魔霊はトロフィーに手を出そうとして札の発動させ、慌てて逃げたわけだ」


 言いながら眞玄は自分の足に貼ってあった札もペりぺりと剥がし、畳んで鞄のポケットに入れる。晴人も急いで剥がして眞玄に渡した。晴人の札も鞄にしまうと、眞玄はベンチ横に置いていたリュックを取り上げる。


「目が覚めたら適当に理由をつけて家に帰しておいてくれ。少なくとも体力は消耗しているはずだ」

「帰るのか?」

「一週間前に突然現れた下級生が、そう何度も上級生のアクシデントに居合わせては不自然だからな。目立つと行動もとりにくくなる」


 たしかに、そう言えば先週も倒れた横山先輩を二人で保健室に運んだ。今回居合わせたのがそのうちの一人だけなら偶然で済ますこともできるが、二人ともいたのでは何らかの因果関係を疑われるのは当然だろう。

 眞玄は一旦ベンチに背を向けたもの、何か思うところがあるような素振りで振り返った。


「何だ?」

「その……大丈夫か」

「眞玄が心配してくれるとは驚いたな」

「茶化すな」

「大丈夫だよ。ちょっと衝撃的だっただけだ」

「そうか……」


 眞玄はそう言うと、眞玄は再び背中を向けて帰路へと歩き出した。小さな背中がゆっくり遠ざかっていく。


「……大丈夫」


 その背中を見送りながら、晴人は、そう小さく呟いた。

 アスファルトに落ちる影が伸びている。空を見れば、一日大地を照らした太陽がようやく傾こうとしている。

 眞玄が去ってから30分間、晴人はベンチに横たわる先輩の横に立っていた。本当なら座りたいところだが、人ひとり寝かせたベンチに余剰スペースはない。縁石に座るのも憚られたため、晴人は電信柱に背中を預けて興味のない単語帳をめくっていた。

 そうして時間が過ぎ、やがて、人通りの少ない道とは言え人目が気になり始めた頃。秋田先輩の両目がぱちりと開いた。


「起きました?」

「……ここは」

「学校裏手の住宅街のベンチです」


 まだ半覚醒なのか、先輩は首から上を動かして辺りを見回している。しかし少しすると体を起こし、眠気を払うように頭を振った。


「僕は、どうしてた」

「どうしてた……っていうのは」


 先輩の問いに一瞬詰まりながら、晴人は疑問を疑問で返す。


「これで三度目なんだ。記憶が無くて、違う場所にいるのは」


 再び晴人は言葉に詰まった。自覚症状があったのだ。いや、これだけ派手に暴れれば、むしろ気づかない方が不自然かもしれない。


「分からないです。校門の近くで気を失ってた先輩を見つけて、とりあえずここに寝かせただけなんで。身体大丈夫ですか?」

「多少気だるい以外は大丈夫だ。そうか……気を失ってたか。ありがとうな、運んでくれて」

「いえ……お大事にしてください」


 当たり障りのない会話を紡いで、ベンチから立ち上がる先輩を目で追う。先輩は伸びをすると、自分の体に異常がない事を確かめた。


「多分鞄は学校だと思うから、それを取ったらすぐ家に帰って休むことにするよ」


 そういえば先輩は手ぶらだ。魔霊化した時に荷物は落としたのだろう。先輩は再度晴人に礼を言うと、学校の方へ歩いて行った。晴人の家はほぼ逆方向なので、先輩とはここで別れることになる。

 離れていく先輩を見送りながら、晴人はほぞを噛んでいた。

 目の前にいたのは、晴人が良く知る秋田先輩だった。むしろいつもと変わらな過ぎるくらい平常な先輩。

 その顔の裏にある悩みなんて考えたこともなかった。先輩はどこか完全な人間だと思っていた。漠然と、悩みとは無縁だと思っていた。先輩が何かに頼っている姿を、晴人は想像すらしたことがなかったというのに。

 陰鬱とした気分のまま、気を紛らわすように自分の家へと足を向ける。

 こうなった以上、是が非でも先輩を魔霊化から救って見せる。

 そこまで考えて、ふと思い立って晴人はポケットから携帯を取り出した。

 電話帳から親友の名前を探し、通話ボタンを押して電話をかける。4コールののち、晴人の数少ない友人、戌倉一に繋がった。


「おーう、どーした?」

「一って顔広いよな」

「唐突だな」


 一は晴人と違って友人が多い。その顔の広さは学年内に留まらず、晴人が全く知らない三年生にも面識があったりした。今回は、その伝手の良さを頼らせてもらう。


「去年卒業した先輩の中で、体育祭実行委員だった先輩、誰か知ってるか?」

「あー、どうだっけかなぁ。多分そうって人はいるけど確信が持てないや。去年の体育祭実行委員のことが知りたいわけ?」

「そうなんだ。できれば連絡先を教えてくれるとありがたいんだが」

「いいよ。ただこっちでちょっと確認するから、少し時間を貰うけど」


 ありがたい。二つ返事で引き受けてくれた一に、晴人は心の内と外両方で礼を言う。


「というか一、なんで僕が知りたいのが去年の出来事だって分かったんだ?」


 卒業生を頼っているなら、普通今の在校生がまだいない年の出来事だと思ってもおかしくない。


「なんとなくだけど、去年三年生のクラスでいざこざがあっただろ? あれのことなんじゃないかなと思ったんだよ」

「知ってるのか!?」

「まあ又聞きだけど、説明されたルールが違ったとかなんとか。揉めたってわりには、あんまり詳しい話を聞かなかったんだよな。委員会の中できちんと記録になってなかったとしたら、晴人が興味を持つことも考えられるかなー、と」

「一、お前……頭良いやつだなぁ」

「よせやい照れるぜ」


 話の早いやつとは前々から知っていたが、これなら校内探偵を自称しても罰は当たらない。聞いたことのない称号であることは置いておいて。


「一の言う通り、どうも委員長がほとんど対応したらしくて、先輩に聞いてもざっくりとしか分からないんだよ」


 三年生は当然として、去年から委員会にいる二年生に聞いても成果なし。頼みの綱の当時の顧問は、運悪く産休だ。


「なるほど。変な出来事だったからな~。多分一人くらいは元委員の先輩がいるから、まあ気長に待っといてくれ。と言っても明日明後日には連絡できると思う」

「ありがとな。それにしても仕事の一極集中ってこういうところで不便な点が出るんだな。優秀な委員長だったとは聞いてるけど、ちょっとくらい後輩に任せたっていいのに」

「あ、それなら理由知ってるぜ?」

「え?」

「そのミス、委員長がやらかしたんだよ。だから自分で尻拭いしたんだと」


 思わぬ新情報は、意外にも一の口から飛び出た。


「本当か!?」

「そう聞いてるぜ。でもいくら自分がやったミスだからって、全部自分で片づけられるのは普通にできることじゃない。噂通りすごい人だったんだろうな」

「同感だ。今日はありがとな、めっちゃ助かった」


 一の情報を頭のメモに書き留めると、晴人は礼を言って電話を終えた。

 なるほど、委員長が自分の失態をカバーしたというのなら、記録などに残っていないのも分かる気がする。自分のミスを自分で完璧にカバーしたとすれば、当時の他の委員にとって、わざわざ記録しておくのは委員長を責めるようで気が引けたのかもしれない。

 去年の出来事が先輩と悩みと繋がっている確証は、まだない。しかし全く無関係であるとは、晴人にはどうしても思えなかった。

 晴人は携帯をポケットにしまうと、日も落ちた通学路を家へと歩き出した。




 一の知り合いの実行委員OBへと連絡が繋がったのは、翌日の昼休みのことだった。メールでのやり取りは夕方までかかったが、得られた情報は晴人が予想していたものと大きな差異はなかった。

 委員長が資料用の昨年のルールブックと今年配るはずのルールブックを取り違え、一部クラスにのみ誤った資料を配布。それをもとに各クラスは競技種目を練習し、体育祭当日、競技開始直前に取り違えが発覚。協議の末、今年用の本来のルールで競技を行ったが、順位に応じた得点は計算せず、全クラス同率一位として組ごとの順位を決める総合得点に計上した。体育祭閉会後、クラス間で細かな諍いが発生するものの、委員長の尽力によって大事には至らず、年が明ける頃には覚えている人も少なくなった。

 運営上の人的ミスとして、体育祭後の反省会でこの問題が俎上に上がることはあったものの、対応は資料用の前年度のルールブックを注意して保管するなどの現場的なものにとどまり、事態の詳細が下級生に周知されることはなかった。

 つまり、大したミスとは思われていないわけだ。あくまで委員長の普段の功績が華々しいだけにこの事件が目を引くだけで、他の委員会ならば数年に一回はやらかしていても不思議ではないようなトラブルだった。果たしてこの事件が秋田先輩の魔霊化に関係あるのかも定かではないのだが、体育祭実行委員にまつわる不祥事のようなものがこれくらいしかないため、実行委員側から先輩の魔霊化原因にアプローチするとなるとこれくらいしか道が無くなる。しかしそれ以前に、晴人はこの事件について正体の分からない違和感を覚えていた。


「やっぱ先輩に直接聞く他ないかなぁ」


 机に突っ伏し、顎を机につけながら晴人は小さく呟く。そも、晴人が知り得ない事象が魔霊化の原因である可能性だって大いにあるのだ。

 教室の時計は午後3時を指している。あと少しすれば授業とホームルームが終わって、委員会で秋田先輩とは顔を合わせるのだ。

 いっそのこと正面切って聞いてはどうだろうか。しかし魔霊化に至るような悩みが、そんな正攻法で解決の糸口を見せるものだろうか。

 せめて体育祭のことがもう少しわかってから突撃したいのだが、これ以上どこを掘れば新情報が出てくるのか見当もつかない。

 その時、晴人はふとある可能性に気付いた。頭の中にあった違和感が形を成し始める。頭の中の点と点がぼんやりとだが繋がりを持ち、一つの可能性が現実味を帯び始める。

 晴人は机の下で携帯を開くと、さっきメールを受け取った実行委員OBへ、追加の質問を綴った。手早く推敲して送信ボタンを押下し、音が立たないように携帯を閉じる。

 返事が返ってくるのはすぐだった。ホームルームが終わって委員会が始まる頃に携帯がメッセージを受信し、晴人はその内容を確認する。下校時刻になる前に、晴人は仕事の合間を縫って二三の質問に対する回答を得た。そしてその情報をもって、晴人の中に浮かんでいた仮説はほとんど確信に変わった。

 17時を告げるチャイムが校内に響く。委員長の号令で委員は解散し、用のない1年生と2年生は下校する。

 基本的に17時以降に活動していいのは3年生と幹部のみで、そのどちらでもない晴人は下校しなければいけない。しかし先生が見回りをしているわけではなく、晴人が多少居残っても咎められることはなかった。

 体育祭実行委員の委員室。全ての委員会に割り当てられる部屋のうち、体育祭実行委員があてがわれた小さな教室には、いつも秋田先輩一人が居残っていることを知っている。ほとんどの三年生は用具庫や各学年の教室におり、狭苦しい委員室には人気は少なかった。ここは概ね書類とパソコンの置いてある部屋として使われており、書類関係の仕事を任されている秋田先輩以外はあまり用はない。その委員室に、晴人は足を踏み入れる。

 部屋の中にいる人は、案の定パソコンの前の秋田先輩ひとり。画面には備品の一覧表と購入時の価格が表示されている。いわゆる帳簿管理の一環だろう。


「先輩、体調はどうですか」

「ん?」


 秋田先輩は背中越しに反応すると、キーボードを打つ手を止めて椅子をくるりと180度回して振り返る。


「ああ、昨日の。大丈夫。心配してくれてありがとな」


 何のことだったろうかと一瞬考えて、すぐに昨日のことと思い当って先輩は返答する。その屈託のない笑顔は、いつも通り見る人に安心を与える優しいものだった。


「最近働きすぎなのかもしれませんよ」

「何を。まだまだ僕は大丈夫さ。黒菱の目には僕が元気そうに映らないのかい?」


 冗談めかして言う秋田先輩に、晴人は躊躇いながらも真剣な眼差しを返した。


「少し、何かに悩んでいるように見えます」


 先輩の瞳が揺れる。予想していなかったであろう返答に、静かに動揺しているのだと晴人は思った。


「……そうか? 自分じゃあまり分からないもんなのかな」

「何かあるんじゃないですか、わだかまり。体育祭、それも去年の委員長に関係した何かが」

「……驚いたね。顔に出るタイプじゃないと思ってたよ」


 それは、間違いではない。事実晴人は彼の顔色から、何ひとつとして察することができなかったのだ。


「それでこのまえ前の委員長のことを聞いて来たのか」

「気付いたのはその後です。去年の体育祭で何かトラブルがあったとは聞いていますけど、そのことで何か悩みがあるんですか」

「無いと言えば嘘になる。いや、もう隠すことはできないか……恥ずかしい話、去年のことをみっともなく引き摺っているんだよ」


 先輩は指を組むと、まるでそうすることに慣れていないように、穏やかにしかし滔々と語り出した。


「去年のこと、多分大体は知ってるんだろう。ルールのことで行き違いがあって、当日にトラブルになって、ほとんど委員長一人が収拾を付けた。それでここからは黒菱も知らないと思うんだが、委員長はそのことで少し白い目で見られるようになったんだ。不完全燃焼に終わった闘争心の矛先が、競技の順位を無効にした委員長に向くのは下級生の僕から見ても避けられなかった。三年の体育祭への熱意は黒菱も知ってるだろ。それに委員長自身、取り違え自分のミスだと説明してたからな」

「それで委員長を助けられなかったことが心残り、なんですか」

「……僕なんだよ。ルールブックを取り違えたのは」


 その言葉は、黒菱の予想の通りだった。

 なぜ先の委員長がここまで事態の収拾に奔走したのか。まるで自分のミスをなかったことにしたいかのような振舞いは、委員長のイメージと逸れるものだ。完璧主義であるわけではない委員長が徹底的にトラブルに対処した理由。そこに『誰かのため』という理由を組み込んでみると、事態の辻褄は一気に合う。誰かのミスを被ったとすれば、むしろその行動はイメージ通りすぎる程だ。そして、委員会OBから当時の秋田先輩の役回りを聞いた時点で、晴人は委員長が庇った人間が誰であるかについてほとんど確信を持っていた。


「取り違えに気付いたとき、まず最初に委員長に報告したんだ。当日は大忙しだったから取り敢えず事態の収拾に努めたんだが、翌日以降、三年生の不満は無視できないものになっていった。それで犯人探しに発展する前に、先輩が自分の失態だと学年中に触れ回ったんだよ。再発防止策とか事情の説明とかとセットで。先輩は委員会ではなく自分個人に不平の先が向くようにしたんだ。恨まれ役を買って出たと言っても良い」

「それで先輩に罪悪感を?」

「わかってはいるんだ。一年前の出来事が変わるわけではないし、庇ってもらっておいていつまでも立ち直らないのもおこがましい。僕にできることは、委員の仕事を粛々とこなすことだって。それでも自分を正当化する根拠などないし、多分この思いを抱えてこれからもやっていく他ないんだと思う」


 秋田先輩の言葉は文字通り捉えれば重いものだ。しかし晴人には、不思議とその重みが感じられなかった。


「僕で差し支えなければ、先輩の悩みをどうにかする手助けをさせてくれませんか?」

「いや、これは解決しようのない悩みだ。むしろ、悩みより後悔に近い。僕が一人で消化する以外の解決策はないよ」

「でも」


 その悩みは先輩には余るもの。魔霊として理外の存在を生み出しているものなのだ。このままでは自己解決は不可能に等しい。


「黒菱、わかってくれ」


 その優しい拒絶に、晴人は次の言葉を紡ぐことができなかった。




 足取り暗く高校を後にしたのが午後5時半。そこから3時間が経っても、なお晴人は先輩の言葉が頭を離れなかった。

 先輩があのままであれば、間違いなく魔霊は眞玄の「最終手段」によって処置される。当然それは先輩にとって避けるべき事態だが、現状晴人は先輩の力になることができない。暗い前途に暗鬱としながら食べる夕飯は箸が進まず、親に妙な心配までされてしまった。

 入浴して自分の部屋に戻り、電気をつけて椅子に座る。これからどうしようかと考え始めたとき、すぐ側の窓からコンコンと音がした。


「?」


 窓の外はベランダだが、この時間に親がベランダへ出ることなどあっただろうか。不審に思いながらも窓を覆っていたカーテンを開けてみると、そこにはさも当然という顔で眞玄が立っていた。


「うわあっ!」


 驚いた拍子に椅子ごと倒れかけて、慌てて机にしがみ付いて耐える。眞玄は顔をしかめながらも指に口を当てて「静かに」のジェスチャーをすると、下を指差すなり、くるりと振り返ってベランダからひらりと飛び降りた。


「ちょっ!」


 再び度肝を抜かれて急いで窓の鍵を開け外に出るが、ベランダの塀の下を見下ろすと、何食わぬ顔で眞玄が手をはらっていた。

 そういえば、札の効力があればこれくらいの高さは飛び降りられるのだ。事実、晴人は以前二階建ての民家の屋根に飛び上がる眞玄を目撃している。バクバクなっていた心臓を落ち着かせると、晴人は適当な理由を付けて家を出た。眞玄の下を指差すジェスチャーは下まで来いということだろう。

 階段を下りてエントランスを通過すると、眞玄の姿は建物の横の駐輪場にあった。


「眞玄、驚くからベランダからは来ないでくれ。僕の家は三階だぞ?」

「電話番号を聞きそびれていたものでな。家は聞いていたんだがこの時間に級友を訪ねるのは保護者から見て不自然だ。ということで、外壁からお邪魔した」


 そういえば緊急用にマンションの名前は教えていたが、電話番号は忘れていた気がする。


「窓の向こうが僕じゃなかったらどうするつもりだったんだよ」

「カーテンの隙間から君の顔が見えた」


 眞玄は「問題は無いだろう」というように晴人を見る。夜9時にクラスメイトを訪ねるのは憚っても、超人的な跳躍力で三階のベランダに飛び上がるのには躊躇いないようだ。確かに他の人には見つかっていないが、眞玄は人の目を避けるためには手段を選ばないところがある。


「電話番号教えるから、次はベランダから来るなよ。で、何の用だ?」

「忘れものだ」


 そう言うと、眞玄は後ろ手に持っていた水筒を差し出した。それは晴人が学校に持って行ったもので、つまり晴人の水筒だ。


「教室に置きっぱなしだった」

「ああ……ありがとう。……それだけ?」

「安心しろ。それはベランダへの侵入が失敗した時の、インターホンを押す建前だ。本題は別にある」

「先輩の、魔霊のことか?」


 眞玄は静かに頷く。


「彼の魔霊化は予断を許さない状況まで悪化している。もはや明日明後日魔霊化してもおかしくない程だ。その場合、もはや強硬手段しかない」


 眞玄のペンダントは万能ではない。魔霊化がある程度まで進行すれば、強制的に魔霊を引っ込ませるのは不可能になる。あくまであれは症状が軽い時限定のその場しのぎなのだと、以前眞玄は教えてくれた。


「眞玄は、魔霊化まで先輩に張り付くのか」

「魔霊化まで静観を貫くならそうなるが、実際は札を使って魔霊化を誘発したうえでその首を切るのがセオリーだな。君の進めている穏便な解決の状況如何では、この足で彼の家を訪ねて外へ呼び出す」


 どうして先輩の家を知っているのか、という疑問は不思議と浮かんでこなかった。眞玄なら尾行でもなんでもするだろうという確信があったからだ。

 穏便に解決できる見通しなど無かった。少なくとも先輩の心の内に入り込める自信はなかったし、自己解決の可能性は魔霊化の進行状況によって否定されている。


「先輩は心の内を話してくれた……でもそれが自然に解決に向かうのは至難だと思う。だから常識的に考えて、眞玄が今からしようとしていることが正しい」

「……では」

「だから、これから言うことはただの我儘だ。無理を承知で言う。あと少しで良い。先輩自身による解決を諦めるまでに時間が欲しい」


 正しいのは眞玄の言う方法だ。先輩の心身の無事は諦めて、犠牲覚悟で魔霊化のリスクを排除すべきだ。

 しかし、晴人はそれでも先輩を諦められなかった。先輩を救う手立てが全く消えたわけではない。最後の希望が消えるまで、悲劇的な結末を否定していたかった。

 眞玄は晴人の言葉を聞くと、少し考える素振を見せた。


「分かった。可能な限り魔霊化を足止めし、結果魔霊化した時は必ず二次的な被害を出さないと約束しよう」

「っありがとう」

「しかし、このままでは持って三日。体育祭の日には魔霊化する。急げよ」


 言われるまでもなくそのつもりだった。体育祭までの二日、全力で情報を集めて、秋田先輩を救う。

 夜の密会が終わり、眞玄が立ち去っていく。晴人はマンションの階段を上がりながら、委員のOBにメールをした。先輩への正攻法が通じない以上、事態を解決に導けそうな情報を集める他ない。やれることはなんでもするつもりだった。




 翌日と翌々日の二日間は、晴人は恐らく人生で一番忙しく働いた。

 体育祭直前の委員会が最も慌ただしくなる時期。多忙を極める委員本来の仕事、OBとのやり取りと上級生への聞き込み、事実関係の整理と推理。これを可能な限り迅速に行い、眞玄とも密に連絡を取って先輩の状況を把握し、かつ不用意に先輩を刺激しないよう直接の接触は避ける。刻一刻とタイムリミットが迫る中で、晴人は可能な限り身体を酷使して解決の糸口を追及した。

 秋田先輩が体育祭の日の朝になっても魔霊化していなかったのは、眞玄の苦心の賜物か、あるいは単なる幸運か。ろくに眠りもせず朝早くに校門をくぐった晴人は、早朝に登校しているだろうもう一人の実行委員のもとへと淀みない足取りで向かった。

 幾度となく出入りした実行委員室。半ば備品置き場になっている小型の教室には、小備品のチェックをしている秋田先輩がいた。

 別に一度行われたそれは、当日の朝にまでやらなくてもいいことだ。それでも何らかのミスがあった時のために誰よりも早く登校し、誰も観ていなくても勤勉に働く。それが、体育祭実行委員の大黒柱たる秋田淳だった。


「黒菱、早いな」

「その言葉、そっくり先輩に返しますよ」

「僕は家が近いだけさ」


 鞄を使っていない椅子の上に置くと、晴人は何とはなしに先輩の仕事を手伝った。


「こんなの先生の領分ですよ」

「性分みたいなもので、こういう日には速く目が覚めてしまうんだよ。これだって、どっちかって言えば手持ち無沙汰でやっているだけだ」

「去年みたいなことにならないように、ですか」


 先輩の手が止まる。


「その話はしないと言っただろ」

「考えたんです。なんで先輩が去年のことをこんなに引きずってるか」

「……」

「怖がってるんじゃないですか、自分のミスを」

「怖がってる?」


 先輩は怪訝な顔をする。


「不思議なんですよ。先輩が今年も委員にいるのが。先輩なら責任を感じてやめる気がするんです」

「委員として失敗を取り返すという考え方だってある」

「それなら、もっと張り切ってるはずです」


 先輩の表情が驚きに満ちた。


「張り切ってるさ」

「それ以上に怯えてます。今の先輩の仕事はあくまでミスを減らすことに特化してるんですよ。他の先輩に聞いても、秋田先輩は以前はこんなに慎重な人じゃなかった」

「三年生ならそれくらい」

「でもそれは失態を挽回する人の姿勢には見えない。まるで、委員の地位に無理やり縛り付けられてるみたいだ」

「……」


 先輩は黙り込む。恐らく、そこに苦悩の根源があったのだろう。体育祭を無事に終わらせることで罪滅ぼしとするには、先輩の過去の自分の失態の捉え方は大きすぎる。


「先輩は自分が先輩に迷惑をかけたことを後悔しているみたいですけど、それは多分違う。体育祭に迷惑をかけた自分が、今も体育祭に関わっていることが現在進行形で怖いんだ。過去の失敗を呑み込むことができないのは、それが体育祭というものに対する背信行為だと思ってるからです。呑み込むことができないんじゃなく、呑み込む自分が許せないんだ」

「……言ってくれるね」

「僕一人の言葉じゃ微力すぎるかもしれないけど、それでも言わせてください。僕があなたの力になりたいのは、あなたに数えきれないほど助けられてるからです。僕だけじゃない。この委員会にいて、先輩のお世話になっていない委員なんていないと言っていい。あなたは立派に体育祭の力になってるんです。たとえ過去の失敗があったからって、あなたを責める人なんて一人もいない」


 そのとき、チャイムが鳴って放送が入った。点呼をとるため、1~2年生は自分の教室に戻ること、と放送委員と思しき声が委員室に響く。


「もう僕は戻らなくちゃいけません。次会う時は多分、閉会後です。先輩の健闘を、祈っています」


 そう言って鞄を椅子から取り上げ、口を閉ざしたままの先輩を置いて晴人は委員室を後にする。

 廊下を歩きながら、すう、と息を吐いた。言いたいことは全て伝えた。やるべきことは全てやった。あとは、天に祈るのみ。晴人は、この時ばかりは神様が善性であることを願いながら、自分のクラスの扉を引いた。

 体育祭が、始まる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ